想い出の多い女性経済学者の言葉
    2008年03月09日


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 ある経済学者のイデオロギーを好まないからといって、その理論から学ぶことを拒否するのは愚かなことである。また、同時に、そのイデオロギーに賛成するからというのでその理論に信をおくことも、賢明ではない(ジョーン・ロビンソン)

 哲学の歴史には唯名論というものが出てくる。三省堂の大辞林では「唯名論〔哲〕〔nominalism〕中世スコラ哲学の普遍論争における考え方の一。概念的思惟の対象たる普遍を個物に先立つ実在とみる実念論に対して、個物こそが実在であり普遍とは単に物のあとにある名称にすぎないとする。近世哲学の先駆となる。代表者はオッカムなど。」とある。ことわざにも「名は体をあらわす」というのがあって、小学館の「ことわざ読本」ではあらわすは「現す」だが、三省堂の大辞林では「表す」となっている。名前と実体が一致するということは共通している。読本には「人の名前、物の名称はよくそのものの実体、本性を現わすもの」とされている。仏教語では名詮自性(みょうせんじしょう)があって、名に本来の性質がそなわるというらしい。何かを認識し、区別するための名前を言霊(ことだま)や精神と結びつけるのも素朴すぎるだろう。姓名判断で人生を占うのもバカバカしい。名前など認識と区別のための記号であってそれ以外の意味はない。
 
 そこで思い出したのが、冒頭に引用したジョーン・ロビンソンという女性経済学者の言葉だ。出典は『マルクス主義経済学の検討』(都留重人・伊東光晴訳、紀伊国屋書店、1956年、P27)である。これは根井雅弘さんの『経済学の歴史』P183にも引用されている。彼女はケンブリッジ学派に属し、ケインズ左派だったが不完全競争の理論や資本蓄積論に貢献している。詳しいことはフリー百科のウィキペディアを参考にしてほしい。ノーベル経済学者候補になった唯一の女性だそうだ。わたしは学生時代に彼女の講演録を読んで学者のあり方として感銘したものである。押し付ける気はない。箸にも棒にもならない、輸入学問の経済学は今も続いているけれど多様な学説に接することができるのも日本だからだろう。賛否両論を学ぶことができるのもモノマネ後進国の日本だからだろう。受け売りの構造改革で世の中をかき乱した
どこかのエセ学者よりも客観的にとらえられるだけマシかもしれない。だから今も復習をする気になる。



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