冷静な頭脳と温かい心の経済学
    2007年11月18日


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訂正しました:暖かい→温かい


 30数年前の中小企業論の授業で聞いたもののそれがどこで語られたのか気になっていた言葉がある。それは「経済学者は冷静な頭脳と温かい心を持たねばならない」というもので、イギリスの新古典派経済学を形成したアルフレッド・マーシャルが1885年にケンブリッジ大学教授就任講演で行ったようだ。この学者は、結婚によってフェロー職を失ったものの実績が認められて復職しただけでなく、ケンブリッジ大学の経済学部の創設に尽力し1903年にようやく実現させたそうだ。恵まれた階級の出である学生たちに貧民街へ出向いて貧困の実態を知ることを求めたこの言葉は、功名心にはやる経済学者やエコノミストにぜひ思い出してほしいものだ。

 本屋に出向いても経済コーナーにはめったに立ち寄らない。時論や損得を扱った実用書は多いが古典や理論的な本がやけに少なくなった。長い目で見る視野より目先を追う本が目立つのも時の流れだろう。新聞や雑誌と変らないうすっぺらな内容にへきへきする。金融工学や投機のような金儲けには興味がない。わたしの関心は経済学説史や社会思想史にすぎない。アダム・スミス、リ力ード、マルクス、ウエーバー、シュンぺーターそれにケインズまでだ。買ってほっぽり置いていた伊東光晴さんの『現代に生きるケインズーーモラル・サイエンスとしての経済理論』(岩波新書・2006年)を読み終え、星野彰男さんの『アダム・スミスの経済思想ーー「付加価値論」と「見えざる手」』(関東学院大学出版会・2002年)を読んでいる。

 伊東光晴さんによれば「冷静な頭脳と温かき心(クール・へッド・バット・ウオーム・ハート)」とある。わたしは長い間、バットをアンドと勘違いしてきた。この言葉を紹介してくれた先生はマルクス学派だったけど、近代経済学者にもそういう思いやりを持つ人もいるんだと考え直させてくれた。マーシャルは部分均衡による限界効用論を発展させ、「消費者余剰」の分析により厚生経済学も生み出している。イギリスの経済学にはアダム・スミスを始めとして道徳哲学をバックボーンにしたモラルサイエンスが流れていて、マーシャルの弟子であるケインズにもそういう素地があるという。それは米国のサムエルソンやスティグリツッなどの教科書から得られないものだ。

 わたしはいちおう経済学部卒業である負い目がある。独占や寡占あるいは消費者や労働者に関わるものに偏っているのでたまに古典やその解説を読み直す。知っていても役に立たないが、こういう本には教科書にはない味がある。そこには書かれた時代を描写したり、その学者のものの見方がただよう。フリードマンやハイエクのように冷静とも思えない学者もいるし、マルクスやウエーバーのように偏りも多いけれどわたしにはそれが楽しい。米国だって制度学派のヴエブレンやガルブレイスには幅広い視野があった。そういうものは決して教科書にはないものである。

 たいした頭脳は持ち合わせていないが温かい心だけは失いたくないものだ。最近の年金問題にしても、もらえるもらえないとか、その資金の負担をどうするかに終始するきらいがある。隔差の不公平を是正し安心して働くために社会保障制度や年金制度がなぜ必要で、そのためにはどのような負担が望ましいかの合意をいかに形成していくかが見失なわれていないだろうか。そこには個々人の利益はあっても社会全体の視点が欠けているような気がする。経済用語を持ち出せば、個人や企業の合計が社会全体の集計とは異なる「合成の誤しん」と未来は過去の引きのばしと異なる「不確実性」が無視されているのだろう。また、最近の経済学が技術論にはしって道徳科学(モラル・サイエンス)であることを忘れているからだろうか。

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