20世紀から学ぶもの
    2007年09月12日


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             加藤周一『私にとっての二○世紀』(岩波書店)

 晩年は老人会でカラオケマイクを離さなかった亡父は、わたしと同じ50代のころには軍歌しか歌えなかった。それはわたしが若い頃に聴いたり、口ずさんだフォークを歌うのと同じだった。互いにはやりに合す器用さを持ち合わせてない親子である。徴兵されてフィリピンの戦場へ行かされた父は、わたしが中学生の頃に太平洋戦史を読んでいると「あんな経験は二度としたくない」とボヤいたものだった。出向く途中の輸送船は潜水艦に沈められ、武器もないまま上陸し、戦場を逃げ回った父には兵士の勇ましさなど無縁だったからだろう。「弾は前から飛んでくるものじゃないぞ、後からもある」というのに驚くと、人望のない上官はそういう戦死をしたようだ。敵と戦うのが戦争だと思っていたわたしには思いもよらぬ話であった。

 加藤周一さんの『私にとっての二○世紀』の第2部は戦争に行ってきた人の穏やかな顔を持ち出し、「いい家庭の父親だったり夫だったり、会社で真面目に働いている、まことに平静につきあっていい相手」が徴兵されて中国やフィリッピンヘ行って戦闘以外に南京虐殺に象徴されるような残酷な犯罪が起こったことを取り上げている。それは上官の命令だけでなく兵士の自発性を伴ないながら起った指摘もある。加藤さんは「人間の本性とか本質のほうに関心を持っていくよりは、人間を悪魔にしたり善良にしたりする社会とか歴史のほうに関心を向けるべきだとするこの考えは大いに経験に基づいた考え方」だとする。

 20世紀は戦争の時代でありテクノロジーの時代だったが、戦場に後方も含まれる時代だったことも忘れてはならないだろう。大量生産と市民動員のもとに戦争が行なわれ、無差別爆撃により武器や物質の生産地区だけでなく生活地区まで破壊されることにより戦場の区別がなくなった時代である。また、民族独立のための戦争や内戦は非正規軍によるゲリラ戦もあるから戦闘員と非戦闘員の区別もなくなった。世界貿易センターの惨事はテロと片付けているものの戦線開始もあいまいなまま他国へ介入したツケがそれをもたらしたことも無視できない。また、テクノロジーを駆使すれば少数者による反撃もできることが示されたともいえないだろうか。そして、戦争やテロだけでなく相互に結びつく巨大システムはささいなミスが思いもよらぬ被害を拡大するのは原発だけでもなさそうだ。それは20世紀になって顕在化したことである。

 好むと好まざるにかかわらずいつ巻き込まれるかもわからないのが戦争やテロである。そして、それには必らず大義名分が持ち出される。正義でない戦争やテロなどあるはずもない。 国際信義とか国際平和も似たようなものではないか。そういう大義名分に振り回されず、勇ましい言葉を疑う冷静さを保ちたいものだ。始ってしまえば戻りようもなく、長期化して大量虐殺も起こるのは20世紀の反省だったのではないか。ニューョーク世界貿易ビルに旅客機が突入してから6年が過ぎた。米国の中枢部を同時に狙ったテロで多くの人が亡くなったが、イラクやアフガニスタンでは今も戦争が続く。テロや戦争の巻き添えになって愛する人や家族を失った人の悲しみにちがいはないだろう。あるものが欠ける寂しさや空しさは鈍感なわたしにもわかる。亡くなった人の冥福を祈る気持は変わらないものの、なぜそれが起ったかも忘れてはならないのではないだろうか。


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