ゼロの割り算で邪念が増える
    2007年03月07日


トップページに戻る  目次ページに戻る 


 先日はピック病で怯えた。それであわてて雑学本の『若返りたい! と思ったときに読む本』を眺めたらEDなるものが登場してとまどった。むかし愛用したクルマの名前を思い出したが性的不能を言い換えたようである。ボケや痴呆を認知症と言い換えるのと同じでよくわからない。不能という言葉は性的響きを伴い確かにズキンとくる。でも、ゼロの割り算に不能と不定が登場することも忘れてはなるまい。

 数学の解説でおもしろいのは0(ゼロ)の取り扱いである。なくてもいいけどあったほうが便利な考えで、2進法が幅をきかす現代では欠かせないものだ(2進法といいながら0と1しかでてこないのも不思議である)。音程の数え方の「度数」にしても0は出てこない。同じ音どうしが1度で始まる(和音でいえばドが1度、ミが3度、ソが5度になる)。珠算や柔道だって級から段には0はない。出発点を0とするのは負の数が登場してからのことである。座標に慣れた現代人には意外だが、デカルトやニュートン以後の極めて最近の考えにすぎない。

 最近読んでいる足立恒雄さんの『√2の不思議』(ちくま学芸文庫)の第1章は0の発明から始まる。そこで0を使う段階は、「空位を表わす記号」・「便宜的に数のように扱う」・「1、2、3と同格の数とみなす」三段階あるという。数は個数を表す(基数)のか順序を表す(序数)のかということも楽しい話題だがここでは省略する。

 ところで、1÷0は無限大でなく「不能」である。割り算は掛け算にかえられるから1÷0=aとすれば、これはa×0=1になり、a×0はaがなんであっても0だから1=0となって矛盾する。つまり1÷0は「値がない」ので「不能」という。また、「無限大を数とみなすわけにはいかない」からだそうだ。数という以上は足し算や掛け算ができて分配法則がなりたたなければならないが無限大は矛盾を生むからだそうだ。また、0÷0は「値が定まらない」から不定である。ちなみに、0×1や0×0は0だから解説が見当たらない。興味がある方はぜひ足立さんの本を読んでいただきたい。

 要するに、値が「ない」のを不能、「定まらない」のを不定というのである。いずれにしてもとらえどころのないものが0にはつきまとう。でも、言葉の正確さは大切にせよ貧乏人の生活には不能と不定はそれほど変わりがない。金や物がないから住所を転々として生きるようなものだ。また、金や物があっても役たたずの「不能」とののしられ、有り余れば「不貞」と非難されるのも人間の世界だ。数学の解説を読みながら言葉遊びをするのも邪念が多いからだろうか。

【追記】

 ゼロの発見史や特異性を扱った本はけっこうあります。何度読み返してもあきない小倉金之助さんの『ゼロの発見』(岩波新書)、あるいは矢野健太郎さんや遠山啓さんのエッセーにもおもしろく解説されています。また、チャールズ・サフィ『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れる最も危険な概念』(林大訳、早川書房、2003年)という興味深い本もあります
。この紹介にも数学関係の本を取り上げています。

文頭に戻る