満月に「こころぐく」
2007年02月08日
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万葉集の「すばらしい月」は満月に限られるという。わざわざ三日月や有明の月でないと念押しがついている。恋人との出逢(あ)いは満月に歌われるようだ。逢えない悲しみも多いという。月が出るから出歩き、恋人とも逢えるという説明にうなずいた。こっそり隠れて逢うのが逢引(あいびき)だと思っていたのがウカツである。民俗学にかかわって「夜這い」に慣れた思い込みに苦笑した。そこで紹介されている坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)が大友家持(おおとものやかもち)に贈った歌に、「こころぐく」というのが「情ぐく」であり「心ぐく」だと知った次第だ。これは、心がこもるとか、心がふさぐという意味だそうだ。
かすがやま かすみたなびき こころぐく てれるつくよに ひとりかもねむ
春日山 霞たなびき 情ぐく 照れる月夜に
独りかも寝む(巻四・七五三)
歌の大意は、せっかく月が照る夜なのに心がふさいで独り寝するのは淋しいわ、というところである。詳しいことは古橋信孝さんの『誤読された万葉集』(新潮新書073、新潮社、2004年)の「5
逢引の夜には月が出ている」を読んでください。
なさけは人のためならず、という言葉がある。相手を独り立ちさせるためには節介もホドホドにしておけという意味である。また、他人を思いやるフリをして、その実は自分を甘やかしていることだってある。言って嫌われるより良い人で過ごすほうが無難だ。この「なさけ」というのは「情」と書き、これは「こころ」とも読む。情(じょう)にほだされて判断を何度も間違えてきた。言ったら相手を傷つける、引取人がいないのも可哀想だ、頭が悪いのも親譲りか、相手の立場もあることだしなどと「情にほだされ」て自分の身を窮屈にしてきたことか。それは、「なさけ」という思い上がった感情がなせることなのだろう。
逢引の歌からとんでもない方向に脱線したが、「なさけ」や「心」という心情に振り回されるのも月とかかわるのだろう。先週は夜が明けても丸かった月が今朝は半月になっている。月の影響で潮の満ち干きや気分が変わるのもわずらわしい。また、すばらしいと感じるばかりに振り回されるのもシャクである。