美術館は誰のためにあるのか
    2006年11月04日


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 芸術や美術に興味がない者がことしは美術館に出向く機会が多かった。藤田嗣治の個展を始めとして、東京や横浜や鎌倉の美術館に立ち寄った。そこで感じたことは展示作品は前宣伝ほどの印象を与えるものでなく、展示室の角々に退屈気に座っている職員がめざわりだということだ。ひとことで言えば美術館には素人に親近感を与えぬよそよそしさがある。

戦争画家たちの戦後処理

 藤田嗣治の戦争責任が気になって大宮知信さんの『スキャンダル戦後美術史』(平凡社新書345、2006年)を読んだ。この前に読んだ早逝した松本竣介を美化する画家の司修さんが書いた『戦争と美術』(岩波新書237、1992年)より具体的でなじめる。大宮さんは第1章の「戦争画家たちの戦後処理」で、美術界が藤田に戦争責任をなすりつけたということはないし、藤田が自分を悲劇の主人公にした面があるとしている。むしろ、藤田以外にも戦争責任が問われてしかるべき画家、たとえば横山大観や宮本三郎が指摘されている。国家への迎合なら万博ではしゃいだ岡本太郎も似たようなものだ。藤田に戻れば、軍医総監の息子として別格に優遇され、戦争画を美化したことに変わりはない。そして、藤田は戦争責任を感じたことはないし、日本から追放されたわけでもない。自分の活動の本拠に戻るために藤田特有のデモンストレーション、目立ちたがりやのポーズという冷めた目で語る。司さんは美術界内部の批判で部外者にはわかりにくいが、大宮さんは外から時系列で眺めていてうなずける内容だ。美術界に限らず、敗戦の弁解はあっても、自らがかかわった戦争責任に触れないのがこの国の処し方だというのを確認しただけである。

スキャンダルの絶えない世界

 大宮さんの本には、題名のとおり美術をとりまくスキャンダルが豊富に紹介されている。第2章の「贋作に振り回される人たち」、第3章の「前衛アートは徒花(あだばな)だったのか」、第4章「絵画バブルの宴のあと」は思い出すだけで笑えないスキャンダルだった。ミレーの絵画に数億円も投資した地方美術館、贋作をつかませられても本物と言い張った美術の権威、あるいは数百億円で購入したゴッホの絵画を棺桶に入れたいと言い出した無邪気な会社役員もいた。挙げ句の果ては、有名な作家が描いたというだけで土地や株と同様の投機(バクチ)材料となった。また、目立つためには裸もいとわない女学生と変わらぬ芸術家も輩出した。でも、これから取り上げる第5章の「終焉を迎えた「美術館の時代」」は日本における美術のとらえ方や自治体の財政負担にもかかわるので触れておこう。

終焉を迎えた「美術館の時代」

 大宮さんはこの章を「全国の美術館が危機的状況に陥っている」と始める。入場者収入や基本財産の利子収入の減少で私立美術館は収蔵品の売りつなぎでしのぎ、百貨店の美術館は閉館しているが公立美術館も同様の問題を抱えていると指摘する。美術館が素人にはわかりにくい場所にあったり、行ける時間帯に開いていないなどもなじみにくさを増すようだ。また、人脈に強くても経営能力の欠けるトップとか、立身出世のステップとしてしかかかわらない学芸員に対する批判もある。
そこで思うのは地方美術館の存在意義である。ちなみに美術誌のデータでは全国に約1780の美術館があり、個人美術館まで含めると約八千館あるという(p166)。海外渡航が自由になってルーブルやプラドへ直に出向いて見える時代にわずかな作品を展示するままでいいのかという指摘もある。有名作品を他の美術館から借りて展示するだけで生き残れるのかという危惧もある。そこでお決まりの独自性がうんぬんされるのでは解決しないというのが大宮さんの指摘である。

二つの解決方向

 そこで考えたのは次の2点を解決していくしかないようだ。ひとつは、「日本では美術史に燦然と光り輝く名品中の名品をなかなか見ることができない」(p180)という事実だ。蔵にしまいこんで見せないという閉鎖性では本物の良さが理解できないし、入場者の期待をうしなわさせるもとだろう。もうひとつは、学芸員にしても「美術史の研究者はいても、新しい才能、優れた作品を発掘する目利きはいない」(p186)ことである。これは定評に安住して似たりよったりの作品を購入したり展示するもとでもある。
 素人があれこれいうことではないが、いずれ公立美術館の廃館が取り上げられることだろう。美術品の購入価額の高さだけでなく、維持費用が足かせになって存在意義も見直されるだろう。お決まりの「文化程度」を持ち出しても、なぜそこになければならないかが問われるだろう。その地域の見栄とほかに必要なサービスとの比較がされるに違いない。

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