中上健次と紀伊半島
    2006年09月15日


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 世界遺産ブームを受けて熊野古道があれこれ特集される。それで思い出すのが早逝した作家の中上健次である。『枯木灘』や『』をはじめ紀伊半島の先端に生きる人々を扱った作品が多い。彼は文学を多く論じていたがわたしはそういうことにうといので立ち入らない。これから取り上げるのは何度か読んできた『紀州 木の国・根の国物語』(小学館文庫所収)とわたしとのかかわりだ。

 伊豆半島や能登半島に何度も出向いてきたが、そこで味わうのは観光名所を除けばどこかうら淋しさが伴う。漁業や林業に従事しているから日中は人の姿を見かけないだけではない。紀伊半島に出向いたことはないが、「
半島とはどこでもそうであるように、冷や飯を食わされ、厄介者扱いにされてきたところでもある」と中上が書くように陸上交通でとらえれば半島は取り残された場所なのだろう。その先で「大陸の下股、陸地や平地の恥部のようにある」と念押しされるのも辛い(引用は序章から)。

 この『紀州』は紀伊半島を知るために手を出した。観光ガイドでありながら、中上の思いが端々に出てくる。被差別部落の話も飛び出すからおもしろい内容でもない。それでも、半島の中の集落が独自性を持つのも地形的に孤立するからなのだろう。

 中上に限らず岬や島を僻地(へきち)扱いするのは、たとえば壷井栄の『二十四の瞳』の分校やモンゴメリの『赤毛のアン』にも見受ける。でも、海を通じた人と人のかかわりでみれば、マレビトが訪れる交易の場でもあったはずだ。それが忘れられてしまうのも不公平な気がする。

 ともあれ、半島の入口で育ったわたしは中上ほど辛辣にものごとをとらえきれない。でも、ふるさとを見直そうとして書き始めるといつの間にか中上のような目になるのも不思議である。厄介者で恥部だからでもあるまい。

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