神様がいいかげんに作ったばかりに
    2006年07月21日


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 ダヴィンチ・コードをきっかけに聖書の解説本を眺めている。神様もかなりいいかげんに人間を作り、自分の言いなりにならないとリセットをかけるようだ。アダムとイブだって盲目にしておいて、自分が見えないようにしておいたわけだし、人間が勝手な行動をすればエコヒイキをしたり、洪水を起こすのも気まぐれである。また、神様が六日目に自分の形をまねて作ったのが人間だ。勝手に産んで手がおえなくなれば捨てたり殺すのも神様の気まぐれの反映なのだろう。わたしのいいかげんさも神様のおぼしめしである。

 それにしても旧約聖書に出てくる人間はやけに長生きである。アダム930歳、セツ912歳、エノス905歳、カイナン910歳、マハラレル895歳、ヤレド962歳、エノク365歳、メトセラ969歳、レメク777歳、ノア950歳これだけで9,000歳を超える。平均900歳というのも化け物ではないか。今どきの平均寿命の80歳なんて彼らからみれば赤ん坊だろう。(※1)

 外国だけでは不公平だから古事記も併せて読んでいる。こちらは大化の改新を美化するための帳尻合わせという異説もある。王族間のクーデターを隠すため年号をあわせに無理が出ているようだ。書かれたものを鵜呑みにするほど純真ではないがおおらかな世界に思わず笑う。(※2)

 それにしても、長く人間をやっていると欲ボケや権力ボケが始まるのは昔も今も変わらないようだ。若者はきっと暮らしにくかったことだろう。ボケ老人ばかり集まった息苦しい世界で創造や改革なんてあったのだろうか。おおらかであったのは互いがボケていたから細々したことに気づかなかっただけだろう。大ボケをしてもそれを指摘する人間もいないのかもしれない。

 このところ人の名前を忘れたり、メンテナンスの予告さえ気づかなくてボケかと怯えた。でも、聖書や神話を読むとそんなことは小さい、小さい。みんながボケているから気にしなくても済む。細々したことにくよくよするももバカげたことだ。聖書や神話は非科学的と食わず嫌いしてきたが楽しい世界もあるものである。バチ当たりなことばかり並べたから天罰がくだされるかもね。

(※1)中丸明『絵画で見る聖書』(新潮文庫)p37

(※2)鯨統一郎『耶馬台国はどこですか』(創元推理文庫)p152、「聖徳太子はだれですか」。ちなみに、干支一運は12年の5倍の60年。古事記や日本書紀の虚構性は、津田左右吉だけでなく江戸時代の山片番桃(やまがたばんとう)によって指摘されている。


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