日本のフォークって何だったんだろう
2006年07月18日
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ようやく、なぎら健壱(けんいち)の『日本フォーク私的大全』(単行本1995年、ちくま文庫1999年)を読み終えた。1960年代の岡林信康を代表とする「関西フォーク」といわれたプロテスト性の強いフォークが取り扱われている。なぎらはファンとして途中から参加した歌い手である。わたしは彼をコミックソング歌手だと思い込んでいたが読みごたえのある内容だ。
なぎらが「演歌」と呼ぶのは明治時代の政治演説に発し、主義・主張を歌にのせたものを指すようだ。演歌の「演」は演説であって、演劇ではない。彼は今の演歌を「艶歌」ないし「歌謡曲」であるという。でも、それがわたしを戸惑わせる。今の演歌は、歌謡曲やポップスと異なり人情や心の機微を歌うものとされる。これは五木寛之がかって唱えた民衆の怨念を反映した「怨歌」と通じるものだ。つまり、なぎらの演歌は発生論(端緒)であっても通用しているジャンルとズレている。でも、社会に対する呼びかけという面ではフォークと結びつくようだ。
フォークにしても「カレッジフォーク」やいわゆる「生活派フォーク」を外し、社会や政治に向かうプロテストソングに絞る面もある。この区分では吉田拓郎はフォークに入っても、極めて自己中心的な内容である井上陽水は入らない。また、ニューミュージックと呼ばれた歌い手は自作・自演であろうと歌謡曲ないしポップスなのだろう。
なぎらは狭い範囲に絞って日本の「フォーク」をとらえている。アメリカの民謡とは異なる日本独自の音楽のジャンルとする。それに徹底し、自らも活動した自負もある。わたしは不用意に「関西フォーク」と言ったが、東京でも同じ活動があったことを知らされた。
わたしとなぎらは団塊世代の後を追ったことでは似ている。フォークの定義も似たようなものである。でも、なぎらは憧れ、わたしは嫌悪が伴う点が異なる。荒削りで社会や政治へのプロテストが先走った音楽だけがフォークではなかったはずである。その他を青春歌謡(ポップス)とするのもいきすぎではないか。すでに懐メロとして、過去の青春歌となっているフォークはなぎらの定義とズレが大きい。音楽としてみたときのフォークはその程度のものだったのだろうか。プロテストをどういう形で表現したかでとらえれば十分ではないのではないか。
なぎらの本は資料も充実し、活動した者でなければ感じとれなかった貴重な見方もある。それは演奏を含めてわたしにはできなかったことである。フォークに関わった世代だけでなく、音楽として聴く後の世代にも参考となるものである。
【補記】
25年前に残したわたしの「フォークのことあれこれ」は、なぎらのフォークとはズレがあります。社会に向けたプロテストソングにはあまり触れていません。その後の「生活派フォーク」を中心にまとめています。それは音楽としてなじめただけでなく、政治に振り回されるのはウンザリという感情も加わっていた。
なぎらの本はそういうわたしの偏りを補整するだけでなく、日本のフォークをいっそう具体的にとらえ直す価値がある。裏話と読んでも楽しいし、音作りの現場史を知る資料でもある。年表も充実しているし、レコードジャケットのコレクションとしても飽きない。