楢山節考を再読
    2005年12月10日


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    ◎深沢七郎・楢山節考(ならやまぶしこう)新潮社文庫

 うば(姥)捨てとか間引きなどを口にしても子どもたちに理解されない。他国の人身売買とか臓器売買にいきどうりを示す子どもたちが知らないのも不思議である。飢餓や貧困が別世界と思うのは勝手だが、日本だって少し前はそういう時代があったのを忘れてほしくない。

 作者の深沢七郎が没し、書かれたのも1956年だから『楢山節考』を覚えている人も少ないはずだ。2度映画化され、外国の映画祭で受賞したが内容が暗いからマニアの話題にとどまっている。

 あらすじを紹介すれば次のとおりだ。*知っている人はスキップしてください。

 時代は不明。場所は信州の山々の間にある「向う村」だ。登場人物は69歳になる「おりん」と一人息子の「辰平」や四人の孫である。
村には70歳になれば楢山まいりへ行くしきたりがある。おりんはそれを心まちにしているが母思いの辰平には避けたい気持ちがある。そして、けちん坊な隣家の銭屋にはおりんと同じ年の「又やん」がいる。こちらは息子が早く老父を楢山に連れ出したがっている。

 この物語はおりんを描くだけで楢山まえりがどういうものかは説明していない。しきたりを当たり前のことと受け入れそれに黙々と合わせるおりんのひたむきさがしのびない。健康で長生きしている負い目がおりんにある。丈夫な歯を石臼で砕いたり、残される息子や孫の生活に気をめぐらせるひたむきさもいじらしい。そして、あとすこしで正月をむかえる日に辰平はおりんを背負って楢山に向かう。

 この物語にヒューマニズムは無縁だ。楢山まえりは祭りでなく、老人の遺棄であり間引きである。それがしきたりであり、日常のはやし唄になる世界を深沢七郎は描く。おりんと辰平の心情をただよわせつつも受け入れるしかないしきたりとして描く。だから、出向く前に村人に振る舞いさえしない隣家の銭屋の父子はしきたりを守らないケチとして描かれる。ニヒリズムがこれほど徹底した作品はないだろう。

 生き残るために嬰児(えいじ=生まれたばかりの子)を殺したり、老人を遺棄(いき=見殺しにして捨てる)するのは日本に限らず行なわれた風習である。それは生産にかかわらず消費するだけの人間を不要とする人間社会の暗黙の了解であり掟(おきて)であった。

 これはヒューマニズムからみればあってはならないことであるが、個を捨てて類が生き残るための選択であった。でも、これが自己責任という名で形を代えてとりざたされる時代だ。深沢七郎がそこまで見通していたとは思わない。でも、過去に続いたことが将来に持ち出されることはありうる。

 最近の「少子高齢化」の話題も生産とのかかわりが優先している。働けなくなった老人や働く気のないニートは不要だから楢山まいり(送り)と言い出すものも出るだろう。

 50年前に書かれた『楢山節考』は昔のしきたりを描いただけである。また、日本以外では貧困や飢餓をきっかけに今もある現実である。それを受け入れるのも拒むのも自由である。自らが老人になりつつあるから無視できないジレンマを感じる。

【参考】楢山節考(ならやまぶしこう)は新潮社文庫ふー5ー1にあります。平成15年で68刷なのでロングセラーでしょう。短篇ですから2時間もあれば読み切れます。

 深沢七郎の『楢山節考』は2回映画化された。1回目は1958(昭和33)年で木下恵介監督、2回目は1983(昭和58)年で今村昌平監督だった。小学校の集団観賞で見たときは暗くてやるせない気分になっが、30過ぎて見たときは古い日本の因習としか感じなかった。でも、50も半ばに入ると他人事ではないと思うこのごろである。

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