第5回うおのめ文学賞参加作品

海へ


 「アパートの部屋にこもってばかりいちゃ体によくありませんよ。気持ちだってクサクサしてくるんじゃないですか?どうです、今度の土曜日、海に行きませんか?え?いや、いやアパートまで車でむかえに行きます。何を言っているんですか?とにかく行きましょう」以前に勤めていた会社の元同僚、高津君から電話があったのは火曜日の夜十時過ぎでした。

 私が会社を辞めてもうすぐ半年になります。十年も勤めていたものですから、退職金も百万円をちょっと超えるくらい出て、さらに今は雇用保険が月に二十万円くらいもらえるものですから、私はまったくといっていいほど求職活動をしていません。以前からの貯金もいれれば二年の篭城に耐えるくらいの兵糧はあるなどと、得意気に友人達に語ったりもしました。そんな私にほとんどの友人は呆れてしまったようですが、何故かこの高津君だけは私に気をかけてくれて定期的に電話をくれるのです。

 昨年の九月末に会社を辞めた後、北海道・東北地方を一ヵ月くらいかけて周りました。ほんとなら七月で会社を辞め、北の大地で思いきり夏を謳歌しようと思っていたのですけど、仕事が思いのほか長引いてしまい、引継ぎに手間取っている間に夏が過ぎ、残暑の中で東京にも秋の気配が漂い始める頃、やっと自由な身になれたのです。自由になった私は雇用保険の手続きなど、身の回りの整理をした後、旅行に出ました。東北自動車道を青森まで走り、その夜にはもう函館に上陸して、北海道一周を開始しました。しかし、十月の北海道は寒く、ゆっくりと周る計画でありましたが、私の足はだんだんと速くなり、十日くらいで一回りしてしまいました。私は寒さに弱いため、旅行を早々と切り上げたかったのですが、友人たちに大言壮語した手前、やせ我慢をして北海道を出た後は東北をゆっくりゆっくりと南下して何とか一ヵ月の大旅行という格好をつけたのでした。そう、この旅行はただ友人たちに、私は会社を辞めて、有意義に暮しているという姿を見せるためだけに行なわれたのです。

 もちろん、はじめからそういうつもりではありませんでした。ほんとに私はのんびりと一ヵ月くらい大好きな北海道・東北地方を旅してみたかったのです。そして、そのことを喜々と友人たちに語っていました。しかし、会社を辞め、時間が経つにつれて、私の気持ちはだんだんと重くなり、あまり旅行に気が乗らなくなっていきました。だけど、旅行に限らず、友人たちにいろいろと語っていた手前、「会社を辞めて、有意義に暮す自分」という姿を見せなくてはいけないような強迫観念に私は囚われていて、そんな姿は虚像であることは、自分でもはっきりと自覚はしていましたが、あえてそれを演じなくては自分という存在がなくなってしまうような感じがしていたのです。そして、この旅行は今までの中で一番楽しくなく、何も感じることのできなかった、ただのアリバイ作りの行動になっていきました。

 自分を演出して虚像を結ばせるためだけの虚しい旅から帰った私は、また偽りの自分を作ろうとしていました。旅行は友人たちを欺くためでしたが、今度は知らず知らずのうちに自分自身をも騙そうとしていたのです。それは今まで会社のために捧げていた時間を、自分のためだけに有意義に使うというものでした。しかし、私にはやりたいことなど、特に何もなかったのです。そこで私が考えだしたテーマは「生活を愉しむ」というものでした。はじめのうちは、朝、比較的ゆっくり起きて、トーストや卵を焼き、適当にサラダなどをあつらえて、紅茶をそえてFMラジオでも聴きながらゆっくりと食し、天気がよければその後に散歩などに出て、昼が近づいたら適当なカフェにでも入ってランチにして、などという虚像を演じることに充足感を感じていて、自分は何と貴重な時間の使い方をしているのだろうと誇りたいような気持ちにさえなったこともあります。しかし、そういう生活を二週間も続けた頃から、言い様のない虚しさに包まれていき、だんだんと私は外出しなくなっていきました。そして、ただTVをぼんやりと見つめるだけの生活になっていたのです。

 TVはほんとにただ点けてあるだけという状態でした。朝から晩まで、一回もチャンネルを変えなかった日もあります。しかし、TVから流れる画像や音声に全く無反応だったかというと、そんなことはなく私の心の中にある痂を剥がすようなものには敏感に反応して、すぐにチャンネルを変えました。それは、ハッピーエンドで終わりそうな恋愛ドラマだったり、社内改革に取り組む企業のドキュメンタリーだったり、厳冬の中で暮すホームレスの特集だったりしました。また、番組単位ではなく、一つの言葉、一つの映像が心の痂を剥がしそうになることもあります。こちらの方は不意を突かれるため、回避のしようがなく、はるかに厄介でした。そして、私はだんだんと以前に録画した心を掻き乱さないビデオに逃げるようになっていきました。

 もともと会社を辞めた後は旅行に行き、そして、しばらくゆっくりするという計画ではありました。しかし、しばらくという曖昧な計画だったため、そのしばらくは一ヵ月になり、さらに一ヵ月、年を越してまた一ヵ月と情けなくも無節操に延びていきました。客観的に見れば時だけが無為に過ぎていったように見えますが、私の中での時は止まっていて、薄暗く静かな日々でした。アパートの私の部屋は木々で覆われた山奥の山腹にひっそりと存在する洞窟のようでした。私はその薄暗い風景の中にぼんやりとただ佇んでいました。そしてTVだけが洞窟の入口から入る仄暗い明かりのようにぼんやりと光っていました。そこには卵の殻に包まれたような、ちょっと取り扱いを間違えれば簡単にひびが入り、壊れてしまいそうな危うい安らぎがありました。

 高津君は私があちらの世界に入り込みそうになると、まるでそれを見計らったように電話をかけて来ました。彼とはサイクリングという共通の趣味があったため親しくなり、同じ職場で働いていたときに何回か自転車旅行にいっしょにいったこともあります。ふたりとも年を重ねるうちにだんだんと自転車からは離れていきましたが、旅行好きという共通項もあったため、車や鉄道でもよくいっしょに旅をしました。彼は私と感性が似ているため、旅の相棒として最適だったのかもしれません。

 彼から「海に行きませんか」という誘いの電話があったのは二月の上旬のことでした。「海なんて東北・北海道の旅行でさんざん見てきたよ。千葉の海?あまり気が進まないな。風も寒そうだし」と私は散々渋ったのですが、千葉県出身の高津君は私に千葉の海のすばらしさを懇々と語り続けるのでした。「寒い?何を言っているんですか!千葉の海を北の寒々とした海といっしょにしたら可愛そうです。栗原さんが周った北の海は演歌の世界じゃないですか。空には灰色の低い雲が垂れ込めていて、波が高く荒れていて、岩礁にぶつかり砕け散って白い飛沫が飛んで、それが強い北風に煽られて、雪なんかも舞っているかもしれませんね。風で飛ばされた波の飛沫と、雪が白い壮絶な風景を創っているんじゃないですか?だけど、千葉は違いますよ。アメリカンポップスの世界なんです。え?まあ、いいじゃないですか、一年中陽光があふれていて、まるでカルフォルニアです。え?ほんとですよ。嘘も誇張もありません。乗馬クラブの馬が歩いていたりしますから」と熱弁をふるい、あまり乗り気ではない私の気持ちを浮かび上がらせようとするのでした。洋楽などほとんど聴かないであろう高津君が千葉の海をアメリカンポップスと喩えたのには閉口してしまいましたが、あまりに熱心なため、私もついにその熱意に負けてしまい、「晴れたら行ってもいい。雨も曇りもだめだよ。太陽が気持ち良さそうに輝いていたらね」ということで妥協してしまいました。

 しかし、冬の関東の晴天率はかなり高いのです。私は密かに雲が太陽を隠してくれることを期待していましたが、自然の前には私の気持ちなどなんの役にも立つわけでもなく、当日は雲ひとつない快晴となってしまい、私は高津君によって千葉の海に連れ出されることになりました。

 気が進まなかったにもかかわらず、私は前日から幽かな興奮を覚え、なかなか寝つけず、当日も高津君の向いに来るのが九時くらいの予定でしたから、それほど早起きする必要もなかったのですが、六時少し前にはもう目が覚めていました。山奥の洞窟に住んでいるのと変わらないようなほとんど世間と断絶してしまった生活をおくっていた私は、日常の世界に連れ戻してくれる救援隊の到着を心待ちにしていたのかもしれません。

 部屋での孤独だけど暗く静かな安らぎがある生活に慣れてしまいますと、そこから飛び出して日常に戻ることを心の何処かで怖れていて、そうしたいと思っていても恐怖のほうが先に立ってしまい、断崖の前に立たされたように身動きできなくなってしまうのでした。それを望みながも怖れ、怖れながらも望んでいといった相反するふたつの気持ちの間を、私は右に行ったり、左に行ったりとうろうろするばかりで一向にらちがあきませんでした。結局、なんだかんだと言いましたが、私は高津君という外部の力によって、断崖から強引に引き戻される、或いは突き落とされることを切望していたのかもしれません。

 その救援隊は九時ちょっと過ぎに車でやって来ました。アパートの外から車のブレーキ音が聞え、しばらくしてからドアが叩かれました。その「トン、トン」という音は、何かが殻を破って誕生する音にも私には思え、今日は楽しいことが起きるのではないかという気がしました。

 高津君はすぐに私を連れ出そうとしましたが、まだ時間も早いし、彼のことも考えてちょっと休憩してから出発ということにしてもらいました。私はコーヒーをいれ、彼の前に出し、窓を開け、部屋の澱んだ空気を外に追い出しました。そして、久しぶりに外の空気を肺一杯に吸い込みました。東京の空気です、おいしいはずもないのですが、冬の朝だったためか、私にはやけに新鮮に感じられました。

 二階の窓から下の道路を見ると高津君が乗ってきたであろう車が、アパートの塀ぎりぎりに止められていて、私は彼の運転技術の上手さに感心しました。家々の間から抜けてくる朝日が彼の車にあたり、車体の赤い色が鮮やかに映えていました。以前は確かグレーのメタリックだったような気がしたのですが、私の記憶違いかもしれないと思い、彼には何もいいませんでした。

 もう少し外の景色を見ていたかったのですが、寒くなってきたので私は窓を閉めました。ビールもほんとに美味しいのははじめの一口といいますが、空気はまさにそうで、あとはただ寒いだけでした。私は高津君の前に座り、落ち着くため、自分のコーヒーを飲み、そろそろ頭を今日のことに切り換えようと、地図を取り出し、彼の方に押しやりました。そして、千葉のどの辺りの海に行くのかを私は彼に訊きました。彼は押しやられた地図の頁を繰っていましたが、目的地を発見できたようで「ここです。N浜ってあるでしょ?」といいその頁を広げたまま今度は私の方にその地図を押し返してきました。

 N浜は千葉の東海岸九十九里浜にありました。私は地図で道順を辿ってみました。道順を辿りながら地図をまじまじと見ていると、私はすでに旅に出たような気分になってきました。東関道に乗って宮野木JCTから千葉東金道路に入って東金まで行って、そこから一般国道で海岸に出るようでした。そのことを彼に言うと
「そうです。今から出発すれば、昼くらいには着けると思いますよ。まあ、何処かで渋滞しているかもしれないですけど」
私がなおも地図とにらめっこをしていると、彼はコーヒを一気に飲んで
「もうそろそろ出発しましょう」と明るく言いました。私が天邪鬼を起す前に、この部屋から連れ出そうとしているようでした。だけど、私としてはもう覚悟を決めてしまっているので彼の心配がおかしく、込み上げて来る卑らしい笑いを堪えるのに必死でした。

 部屋を出てアパートの階段を降りて、塀ぎりぎりに駐車されている彼の車の前までいってじっくり見ると、二階の窓から見た時はきれいな赤に見えましたが、その赤は風雨に曝され、陽に照り付けられた長い日々を感じさせる色合いになっていました。お世辞にもきれいとは言い難がったのですが、そこには別の美しさがありました。風格とでもいいましょうか、年をとったものだけがもつ年月を耐えてきた美しさでした。私は先程の疑問を彼にぶつけてみました。
「変えたといっても、妹のお下がりです。妹が新車を買うというので、譲ってもらったんです。型は古いけど、いいでょ」と彼はにこやかに笑っていいました。
それは、かなり古い型のファミリアでした。私は正確な年式を知りたくなり、さらに彼に訊いてみました。
「ええ、確か昭和六十年式だと思います」と彼ははにかんだような表情で教えてくれました。それだともう十五年以上経っていることになります。

 高津君の説明によると、彼の妹さんが三年くらい前に車の免許を取り新車をほしがったそうなのですが、父親にどうせぶつけてしまうのだから運転がある程度上達するまでは中古でがまんするように言われたそうです。それで月給で買えるくらいの安い車を探していたところ3ドア・ハッチバックのこの赤いファミリが目についたようです。形も気に入り、買って乗っていたのだけどやはり新車がほしくなり、買い換えようとしていたところを高津君が申し出て、それまで乗っていた車を処分し、そのお金で譲ってもらったそうです。だけど、この赤のファミリアはそれまで彼が乗っていたグレーのマークUよりはるかに年式も古いのです。
「最近の丸い車はあまり好きじゃないんです。それにこのファミリアはかっこいいじゃないですか。それにどうも最近僕は新しい物に興味が持てないんです。古い物がよくなってしまって」
さらに彼は言葉を継いで言いました。
 「新しいもの、それは何処か図々しくて、野暮ったくて、品がなくて、強烈な主張があるようでないように思うんです。だけど、古い物は静かに佇んでいるだけで、圧倒されるような存在感があるじゃないですか。そう、年月を耐えてきたものだけが持つ美しさ…、だけど、今の新しいものは年月の重みに耐えられないように思います。だから、今の新しいものが年月を経たときに、そういった美しさがでるかというとそんなことはなく、ただ陳腐なだけになってしまうような気がするんです」

 外からは威厳も風格もあったファミリアでしたが、車内に入ると一転少女趣味でした。ダッシュボードの上には恋人同士を思わせる首をお互いに傾げた犬と猫が描かれた小銭入れが貼り付けられていて、ドアにはそれとお揃いのカン立てが取りつけられていました。車内灯のレバーには木製のカワセミが糸でぶら下がっており、後部座席にはイノシシのぬいぐるみが置いてありました。最近まで高津君の妹さんが乗っていたのだから仕方ないといえば仕方ないのですが、これでは折角の威厳も風格も台無しです。私の気持ちが伝わったのでしょうか
「妹のものなんです。とっちゃってもいいんだけど、何となくそのままになっちゃってて」と高津君は弁明しました。私は彼がちょっとばつが悪そうにしているので、それを少しでも和らげようと思い、糸で吊るされブラブラとしている木製のカワセミを指差して、何処で手に入れたものかを訊きました。
「たぶん、旅行でも行った時に買ったんじゃないですか?場所までは…。でも、そのイノシシは」と高津君は後部座席にあるイノシシのぬいぐるみの方に振り向いて
「たぶん、伊豆のいのしし村ですよ」とうれしそうに言いました。いのしし村に楽しい想い出でもあるのでしょうか、それとも私の疑問にひとつは答えられたからなのでしょうか、彼はにこにことしていました。

 私達はシートベルトを締め、海に向って出発しました。太陽が輝いているとはいえ、まだ時間も早く外は寒かったのですが、しばらく走ると車の中は窓いっぱいに入ってくる朝の斜陽と、エアコンにより、眠気が起きるほど暖かく気持ちいい温度になり、私は昨日あまりよく眠れなかったこともあり、運転者にはまことに申し訳ないことなのですが、すぐにうとうとと、し始めてしまったのです。

 涼しくなったような気がして、辺りを見回してみますと、私は海に流れ着いていました。朝、出発したはずなのにもう周りは暗くなっていて、夜の波間に私は仰向けに浮かんでいたのです。空は漆黒の闇に包まれていて、星ひとつ見ることができませんでした。時折ごぉーと風が私の表面を通り過ぎていき、その不気味な音に身震いしました。体を少しひねって黒い海を見ようとしましたが、私の体は波に捕らえられているようで、身動きすることさえできないのです。ただ、不思議と恐怖感はありませんでした。このまま流れ、流れて何処まで行くのだろう、この海と自分が同化して、私の体も意識も海水の中に溶けだし、自分という存在が消滅していくような感じがしました。

 何かが体の下にあたったような感覚があり、気がつくと車は高速道路を走っていて、どうも私は夢を見ていたようでした。道路わきの防音壁によって陽が遮られ、車内はややひんやりとして、右のレーンを大型トラックが通り過ぎるたびに、夢の中で聞いたごぉーという音がしました。自分で倒したのかもしれないのですが、知らぬ間にシートが倒されていて、体の上をエアコンから送られる風が流れていて、朝出発したときは暖気だったはずですが、何時の間にか涼しい風になっていました。高津君は流れるFMラジオを友として運転に専念していました。私は早々と眠りこけてしまったことを彼に詫びました。
「早かったですね。話しかけようとしたら、もう寝息をたてているんだから、呆れましたよ」
「年甲斐もなく昨日の夜は興奮してしていたようで、あまりよく眠れなかったんだ」と私は苦しい言い訳をしました。彼はそれに対しては微かに笑っただけで、FMから流れる曲を口ずさんでいました。辺りの景色でだいたい走っている場所はわかったのですが、彼の機嫌を少しでも直してもらおうと思い「今、どの辺り?」と私は呆けたような声色を使い訊きました。
「幕張辺りですよ」と彼は普通に答えました。どうやら私の気のまわし過ぎだったようです。少し眠ったことにより、私の脳も活性化してきたようで、それからの道中はいろいろなことを話しながら進みました。車は多少の渋滞にはあいながらも順調に目的地に近づいて行き、東関東自動車道から千葉東金道路に入り、東金インターから一般国道に出た辺りでちょうど昼時となり、私達は東金市内で昼飯を食べることにし、たまたま見かけたラーメン屋に入ったのでした。

 その店は昼時ということもあったのでしょうけど、たいへん混雑していて「ここひょっとしたら地元では有名な店なんじゃないの?」と私は高津君に耳打ちしたほどでした。私はチャーシューメン七百五十円を、高津君は普通のラーメン五百円を注文しました。出てきたラーメンはボリューウムたっぷりの豪勢なもので、ラーメン全体に野性味が溢れているような感じでした。ただ、スープを飲んでみると魚介中心のダシのようで案外あっさりしていて透き通ったさっぱり感のある味でした。

 私のラーメンには、チャーシューメンなので当然といえば当然なのですが、立派なチャーシューが五枚のっていて、ふと横の高津君のラーメンを見るとただのラーメンのはずなのにチャーシューが三枚ものっていて、たった二枚の差で二百五十円の差がついてしまったと思うと損をした気分になり、普通のラーメンにしていればと悔いました。しかし、あとから来た客のラーメンを見ているとみんなチャーシューは二枚しか入っておらず、どうも店の主人が間違って彼のラーメンにチャーシューを一枚多く入れてしまったようでした。その事実に気づき、私は多少気持ちが慰められる気がしましたが、自分のささやかな幸運にも気づかず、わき目も振らずにラーメンを食べている高津君を見ると何と迂闊な人間なのだろうとおかしくなりました。私はささやかな幸運をしっかりと噛み締めることが、幸せの第一歩だと考えているのです。だけど、案外、幸運などというものは本人も気づかないうちに訪れ、そして去って行くものなのかもしれません。

 ラーメンを食べ終え、店から出た後、そのことを高津君にいうと「そうでしたか。全然気づきませんでしたよ」とにこやかに微笑みながら言い、大気なところを見せ、それに比べて他の客のラーメンに入っているチャーシューの枚数を密かに数えて一喜一憂していた自分が小人に思えてきて、私はやや意気消沈してしまいました。

 海に着いたのは冬の低い陽がさらに低くなった一時半くらいでした。N浜の駐車場に車を入れ、近くにあった公衆トイレで用を足し、出てくると、いい匂いがしてきました。その匂いのもとは車でこの駐車場に入った時から、気づいていました。駐車場に面したところにある店がその一画で屋台を出していて、そこで蛤を焼き、その匂いと視覚的効果で客を呼んでいました。私はその店の計略にまんまとのってしまったようで、どうしても、焼蛤が食べたくなってしまい、高津君にそのことを言いました。彼も旅情を刺激されたのか、私の申し出に同意してふたりでそれを十も買い、さらに私は運転しないことをいいことに、ワンカップの日本酒までもらうことにしました。

 焼蛤とワンカップを私は持ち、N浜に出て、海がよく見渡せて風が避けられるやや窪地のようになっていた場所に腰を下ろし、辺りを見回しました。私はカルフォルニアの海岸に行ったことが一度もないので比較はできませんけど、高津君がそう表現した気持ちはわかるような気がしました。風は穏やかで、陽光に溢れていて、今が二月だということ忘れさせるくらいでした。

 私たちは焼蛤をつまみ、そして私だけワンカップの日本酒をちびちびと遠慮がちに飲み、冬の海岸に空から降りそそぐ陽光と海を渡ってくる潮風、そして寄せては返す波音を愉しみました。高津君に誘われたときはあれほど気が進まなかったのに、実際に来てみるとほんとに気持ちよく、私は小さな殻の中から解放されたような心地になり、連れて来てもらった御礼も込めて、そのことを言おうとすると彼が先に口を開きました。

「前はよく、ここに来ていたんですよ」とはるか水平線の方に視線を飛ばしたまま彼は言いました。私はどういうことか訊くと彼はぽつぽつと話し始めたのです。
「今の会社に入る前に地元の会社で働いていたんです。あ、栗原さんも知ってましたね。だけど、いろいろとあって…。え、まあ人間関係とかです。女性のこともちょっとあったかもしれません。それで会社が終わった後、よくこの浜に車で来ました。そうです。会社が終わった後です。その日のよって違いますけど、だいたい九時過ぎくらいです。何をしていたかって?何もしていません。ただ、車の中から黒い海をぼーっと見て、波の音を聞いていたんです。それだけです」
夜の全くといっていいほど人気のない暗い海を目前にして、車の中でただひとり時を過ごす彼の姿を想像し、私は暗然とした気持ちになりました。それが顔に出たのかもしれません、彼はわざと明るく言いました。
「夜の海も意外といいものですよ。つきなみな表現になってしまうけど、癒されるっていうか…、そう何とも言えない安らぎがあるんです。気持ちが落ち込んだときは明るいところより、暗いところです」
私はそれに同意しました。ひとり部屋で過ごすときより、都会の雑踏にいる方が孤独を感じるものです。気持ちが落ち込んだときは、明るい雰囲気のところよりも、あまり人のいない静かな場所の方が楽な気分になれます。

「海にきて感じる安らぎって、死によって得られる安らぎの代替のような気がします」 私がひとり物思いにふけっていると彼がぽつりと言いました。私は「死」という言葉がいきなり目の前に現われたので驚き、彼の顔を見つめました。
「海っていろいろな川からの水が集る場所でしょ。雨で落ちた水がそれぞれの道筋を辿りながら、やがて川に流れ込みと長い道程を経て、そして最後は海にそそぐ。つまり海って水の墓場のように思えるんです。人も生れ落ちて、それぞれいろいろな人生はあるだろうけど、最後はみんな墓場行きです。昼間は全然違うけど、夜の海って墓地と似ているような気がするんです。不気味だけど、静謐で…。だから、どんな場所よりも安らぎを感じたのかもしれません。結局、みんな途中で見る景色は違うけど、終着駅が同じ列車に乗っているようなものでしょ?海にくるとそのことが実感されて、自分が小さく見えて、全てがどうでもいいように思えて気が軽くなるんです」

 私は彼が夜の海にきて感じた癒しが何処からくるのかわかったような気がし、またあれほど熱心に私を海に誘った理由もわかったような気がしました。それは、波の音が心地いいとか、人の少ない静かな場所だからといったものではなく、諦めからくるもののように思えます。どんなに楽しくても、辛くても、人はいつか死ぬといった水平線上に幽かにみることのできるような諦観から来るもののような気がします。陽光が溢れる昼の海にも大いなる諦めがありました。そう、もうどうしようもないというような諦めがありました。海はただ、波を寄せては返しています。

 海のことを英語ではsea、シー…死…。Seaをseeすることは、死を見つめることに通じるのだろうかなどとわけのわからない考えが浮かんだりしました。きっと安酒を飲んだせいでしょう。私の頭の中ではseaと死がぐるぐると回っていました。私と彼はしばらく無言で海を眺めていましたが、いつしか焼蛤はなくなり、私のワンカップもカラになり、冬の短い陽はすでに私たちの影を長くしていました。

「これから銚子の方まで行ってみませんか?」と高津君が言い出しました。「明日は日曜で休みだし、今日は銚子にでも一泊して明日ゆっくりと帰ればいいじゃありませんか」と私を誘いました。私はいつものように天邪鬼になり、「でも」と「それは」を繰り返しましたが、結局、彼の提案を受け入れることになってしまいました。よく考えれば、海に行く話からその場所、昼に何を食べるかとかこの小旅行中の全て行動を彼が決め、私はその通りにしているだけでした。私には「右に行け、左に行け」と指示を出してくれる人間が必要なのかもしれません。その指示を出してくれる人を妻に持てたら、私は妻のいう通り「右に行って」と言われれば右に行き、「左に行って」と言われれば左に行き、何も迷わず生きていけそうな気がするのです。高津君はその逆で彼の指示に従って何処までもついてきてくれる女性を妻に持てたら最高なのではないだろうかなどと酔った頭でくだらないことを思いました。

 車は銚子に向って、九十九里の海岸線を北上し始めました。西に大きく傾いた陽が車の背後から私達の背中を押しているようでした。海岸線…Seaside、…Suicide、自殺。私はまた頭の中で言葉遊びをしていました。それは不吉な連想でした。死は一見遠くにあるように見えますが、意外と近くに忍び寄っていたりします。その足音は幽かなため、本人ですら背後の近づいて来ているそれを感じることはできないのではないでしょうか。

 高津君は私に「どんなところがいいですか?」と泊まる宿の好みを訊いてきました。よく考えてみれば一泊などするつもりもなかったので、あまり持ち合わせもなく、私は正直にそのことをいい、銚子行きを中止してもらおうと思いましたが、彼は一向に気にする素振もなく、「気にしないで下さい。いつでもかまいませんから」と車を北西に走らせ続けました。

 私はジーンズの後ポケットに突っ込んであった財布を取り出し中身を確認してみると、安い民宿ならどうにか泊まれるくらいのお金はあり、そのことを彼にいい、そういう宿を探すことになりました。銚子だと漁師民宿のような性格がはっきりしている宿が主流なのかもしれませんが、たとえ持ち合わせに余裕があったとしても、今日はそういう仰々しいところではなく普通の何でもない民宿に泊まりと思いました。

 銚子についたときには太陽はすでに房総半島の稜線に落ち、辺りは暗くなっていました。夏ならまだ夕陽によって橙黄色に染まった空と海を眺めながら、浜辺の散歩を楽しめる時刻でしょうけど、冬の陽は短く、まだまだ外の空気を吸っていたいのに、私たちを家へ、家へと急がせるのです。

 私達は宿の情報を得るためJR銚子駅に向かいました。駅前に適当な駐車スペースがなかったため、近くのコンビニエンスストアの駐車場に車を止め、私と高津君は駅に歩いていきました。六時少し前に駅についた私達は駅の旅行案内所で宿の位置と電話番号が載っているパンフレットをもらいました。それを見ますと、やはり漁師民宿が多いようでしたが、その中で「家庭的な民宿なかやま」というのがあり、そこに電話をかけてみることにしました。

 「民宿なかやま」は銚子の外川ということころにありました。もう時間が遅いため、大した食事も用意できないと私たちの宿泊をあまり歓迎する雰囲気ではありませんでしたが、私にはかえって何の飾りもない普通の夕食の方が気も楽だったので、そのことを電話している高津君に伝え、何とか押し切ってもらいました。先方もこの時間では他に新たな宿を探すのも大変だと思ってくれたのでしょう。

 犬吠埼は外川に比較的近いので、もう暗くはなっていましたが、ちょっと寄ってみようということになりました。高津君の言っていた夜の海というものにも、好奇心が少しあったのです。銚子の市内から二十分くらいで犬吠埼に着きました。高津君は灯台の近くの駐車場に車を入れ、私たちは車外に出ました。暗闇でほとんど何も見えない中、犬吠埼の断崖に波があたる音だけが、やけに私に迫り、それはまた何かの叫びに聞え、ふっと自分が呼ばれているような錯覚に陥りました。私は駐車場の端まで行き、下を覗きこみましたが、ほとんど何も見えず、ただ波の砕ける音が繰り返されるばかりでした。ふっと車の中で見た夢のことを思い出しました。あの夢の中で私は体も意識も溶けて海と同化していきました。今の感覚はそれに近いものでした。この崖から、自分が落ちていく姿が頭に浮かびました。そして、波間に…
「落ち着くでしょう?」と何時の間にか背後に着ていた高津君が言いました。
「うん、落ち着く。自分の殻がなくなって、自分の中の白身や黄身が流れ出ていくように感じる」と私は応えました。

 どのくらい其処にいたでしょうか、「そろそろ行きましょう。民宿の人が心配するといけませんから」と高津君に言われ、私たちは今日の宿に向かいました。宿についたときはすでに七時を大きく回っていて、彼のいったように宿の人は心配していました。
「なかなかいらしゃらないものですから、場所もわかりづらいですし、道にでも迷っているのかと…」と四十代半ばくらいの中肉中背といったおかみさんは心配顔で言いました。
「すいません。ちょっと犬吠埼に寄ったりしたものですから」と高津君は言い訳をしましたが、
「もう、真っ暗で何も見えなかったでしょう、明日、寄っていけば。遊歩道なんかもあるのですよ」とおかみは私たちを普通の観光客のように思ったようでした。

 宿はパンフレットに書かれているように、いやそれ以上に家庭的で、ほとんど普通の家でした。家の中に少し手を入れて旅人に不都合がないようにしている程度で、ある意味ほんとの民宿といえるのかもしれません。ひっそりとしていて、このおかみさん以外の人を見ることはありませんでした。普通でしたら、宿についたらまずお風呂ということになるのでしょうけど、時間が遅くなってしまったものですから、後片付けのことも考えてでしょうか、食事を先にすますことになり、部屋に案内され荷物を置いてすぐ、食堂に向かいました。

 食堂といっても特別にその目的で作られたものでなく、一般家庭の居間でした。TVがよく見える位置に置かれた日本間で、四角いやや大きめのちゃぶ台が中央にどっしりと据えられていました。その大きめのちゃぶ台の上には、これまた普通の食事が並んでいました。ハンバーグがでんと真中に置かれ、それに千切りのキャベツと輪切りのトマトが添えられていて、ポテトサラダ、申し訳程度にマグロや白身魚のお刺身、ハクサイとキューリのお新香などでした。

 おかみさんがいないので、待っていますと奥の台所から何と茹でたカニを山盛り持ってきてくれました。そして、それをちゃぶ台の空いている場所に置くと
「お味噌汁、持ってきますね」といい、また奥に下がっていきました。私は高津君に銚子ではカニが獲れるのか訊きましたが、彼もよくわからなくて「たぶん、おかみさんが気を利かせて買って来たんじゃないですか。お客さんに少しはいいものを出さなければいけないと思ったのでしょう」と観測しました。私もその意見には賛成でした。カニだけが、場違いな感じで食卓の上に存在していました。おかみさんは味噌汁を持ってくると「どうぞ、ごゆっくり。ご飯はこの炊飯器に入っていますから、ご自由におかわりしてください。奥にいますから、何かありましたら、声かけてください」といい、下がっていきました。

 私と高津君は、面倒臭いカニは後回しにして、夕飯を食べ始めました。それは、ほんとに飾り気のない家庭の味といった感じで、急ごしらえだったのがその雰囲気を高めたのかもしれません。手作りの家庭料理など、ほんとに久しぶりで、田舎でひとり暮している母の姿が脳裏に浮かび、胸に痛みが走りました。電車などに乗っていて、目の前にお年寄りが立っているのに、それを見て見ぬ振りをして座席に座り続けているような痛みでした。

 目の前のものもほとんど片付き、いよいよカニに取りかかろうとして、お皿を引き寄せたとき、カニの上に何か小さな黒い物体が蠢いているが見えました。高津君もそれに気づいたようで、カニが盛られたお皿をさらに引き寄せました。
「アリじゃないですか」と彼が声をひそめて言いました。カニの足を摘んで持ち上げてみると、大群というほどではないですが、かなりの数のアリが動いていました。
「どうしよう」と私は困惑しました。アリを手で払えば、何の問題もないように思いましたが、それも何処か白々しい感じがします。そんなことを考えているうちに高津君は奥にいって、おかみさんに声をかけてしまいました。
おかみさんはすぐに出てきましたが、それほど驚きもせず、
「よく、アリが上がってきて困るんですよ」と平然と言いました。そして手でアリを払い「こうすれば大丈夫ですから」とカニをすすめました。しかし、私たちはおかみさんの行動があまりに素早かったものですから、反応することができず、唖然とただ見入っているだけでした。おかみさんには、何の反応も示さない私たちの態度が、不満を現しているととったようで、(実際に少し不快でしたが)
「もし、お気に召さなければ新しいものと取り替えますけど」と言いました。
「いや、いや、そんなもったいないです。大丈夫です」と高津君が慌てて返事をしました。おかみさんは食べ易いようにと、奥からカニの殻を切る鋏を持ってきて
「ほんとにすいませんでしたね」と言い、それを置いてまた奥へと下がって行きました。私たちはたかっているアリを手で払いながら、殻を割るといったいささか珍妙で滑稽な姿でカニを食べることになってしまいました。

 夕食をとり終えた後、奥でTVを見ていたおかみさんに「ご馳走さまでした」と声をかけると「おそまつさまでした。お風呂あがってください」と声だけの返事がありました。私と高津君は狭いお風呂に交代で入り、二階の部屋にふとんを引いて、大の字に寝っころがりました。ふとんはよく干されているようでふかふかしていて、さらに久しぶりの外出で疲れたためか、顔がほころんでしまうほど気持ちよく、そんな私を高津君は「気持ち悪いなあ」といって気味悪がりました。

 ふとんを並べて話したことはやはり先程のカニのことでした。
「おかみさんがアリを見ても落ち着いていたところを見ると、よくあることなのかもしれないな」と私は自分の感想を口にしました。それに高津君も同意して
「客もぼく達だけみたいだし。あまり流行っていないんでしょうね」と言いました。
「仕方ないさ、この宿じゃ。普通の家とまったく変わらないじゃないか」と私はついさっき家庭料理に故郷の母が脳裏に浮かんだことも忘れて言いました。
「おかみさんが片手間にやっているんでしょうかね?」
「うーん、そうかもしれない。でも、他に家族がいる雰囲気はないよな。ちょっと不思議な宿だな」
「ま、いいじゃないですか。どうせ、寝るだけです」そして、私たちは眠りについたのです。

 翌日、まだ暗いうちから目が覚めました。下の階からは、炊事らしき音が微かに聞え、もうすでにおかみさんが朝食の仕度をしているようでした。私はその微かな音を聞きながら、ぼんやりと天井を見つめていました。そうしていますと、何ともいえない安らぎが、心に広がっていくのが感じられました。薄ぐらい部屋の中で温かいふかふかの布団に包まれ、微かにする炊事の音を聞きいていますと、もうずっと一生このままでもいいような願望さえわいてくるのでした。

 そんな私の夢想も高津君が目覚めたことで、終わりました。彼は私を漂泊の世界から、現実の世界へと引き戻す役割でも担っているのではないかと、心に軽い苛立ちを覚えました。そして、寝惚けたような声で
「おはようございます。もう、起きていたんですか?早いですね」などといい興ざめさせるのでした。私は不機嫌に
「おはよう」と一言だけ返したのですが、朝、私の機嫌が悪いのはいつものことだったので、私の微妙な抗議も受け入れられることはありませんでした。昨晩、朝食は八時からということにしてもらっていたので、それまで部屋でぐだぐだと過ごし、それから一階の居間に下りて行きました。

 朝食はほとんど準備ができていました。塩鮭、納豆、生卵、昆布の佃煮、白菜とキュウリのお新香と純日本食の簡素なものでした。おかみさんに朝の挨拶をしますと、それに返礼してくれて、
「ご飯はそこの炊飯器に入ってますから。今、お味噌汁持ってきますね」といい奥に入っていき、しばらくしてから湯気が立っているやや大きめの器に入ったお味噌汁と持ってきてくれました。おかみさんはその器を私と高津君のそれぞれ前に置きました。何気なく見たその器の中は、味噌汁で満たされていましたが、その中からカニの足が数本見え隠れしていたのです。

 私は息を呑みました。その表情がおかみさんに伝わったのでしょう
「朝、お味噌汁の中に入れたら、おいしいかなと思ったものですから、昨日、少しとっておいたんですよ。大丈夫、アリはたかっていませんから」と最後に冗談をいい、笑いました。もちろん、アリなんて、私の頭の中にはありませんでした。そして、そのおかみさんの言葉を聞いて、胸がいっぱいになり、その溢れ出たものが目に滲みそうになり、昨晩、高津君とおかみさんの陰口を言った自分が情けなく、また恥ずかしく、汚く思えました。自分は思ってなくても、考えていなくても、自分のことを思ってくれたり、考えてくれたりしている人の存在に私は、やっと気づいたのです。

 民宿を出た後、私たちはおかみさんのすすめもあり、昨日行った犬吠埼に行き、遊歩道を歩き、灯台を見学しました。昨日とはまるで別の場所のような感覚で、私の目の前にあるのは、普通の観光地でした。

 帰りの車の中では私たちは黙しがちでした。久しぶりの外出で疲れたせいもあり口が重くなっていたのかもしれませんが、私の気持ちも整理がつかず、さらに散らかった状態になっていたのです。車内灯のレバーに吊るされた木製のカワセミが、退屈そうに揺れていました。
そして、もうすぐ私のアパートというところで、
「これからどうするつもりですか?」
と高津君がぽつりと言いました。それはぽつりと言われた言葉ではありましたが、いやかえってぽつりと言われたせいかもしれませんが、それは私の気持ちを鉛のように重くしました。水を時折飲みながらも、どうにか水面に出て辛うじて呼吸をしている私の心に、コンクリートの塊を結びつける一言でした。私の心は暗く静かな水中に沈んでいきました。

 どうするもこうするも、私にはさっぱり見通しもなく、私自身がどうするのではなく、どうなるのかを知りたいくらいでした。しかし、ここで自分の本心を吐き出せば、相手に不要な心配、或いは密かな喜びや優越感を与えることになります。どうにも応えようもありませんが、また私は自分の虚像を作ることで、この鋭いナイフのような問いをうまくかわしたのです。
「まあ、なるようになるさ」
私は内心の動揺、沈みゆく心を悟られないように陽気に言いました。そして、微かに作り笑いをし、その言葉をフォローしました。彼もそれ以上に私の心を重くすることは訊いてきませんでした。しかし、このように応えてみて、確かに何とかなるようにも思うのです。また、何とかならなくても、それはそれでいいような気もします。どちらにしても、また時間の違いこそあれ、最後に私の辿りつく場所は同じなのです。そう、海へ、海へ行くだけです。





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