銚子旅行記


8月29日

 レーズンパンとコーヒーという簡単な朝食をホテルの部屋で取り、九時に出発した。まずは銚子電鉄で犬吠まで行き、犬吠埼に向かう予定だった。JR銚子駅に着き、銚子電鉄に乗るため、JRの改札に行き、「銚子電鉄に乗るにはここを通ればいいんですよね?」と訊いた。銚子電鉄の銚子駅は独立した改札がなく、JR銚子駅のホーム上から入場しなくてはならないのである。

 「ええ、一番端の係員のいる改札をお通りください。次は10時20分の出発です」と女性の駅員さんがいった。10時20分…、一時間後である。それほど本数は出ていないと思っていたが…。前日に時刻を調べておけばよかったと後悔したが、遅かった。一時間二十分待とうかなとも考えたが、犬吠埼にはバスでもいけるので、バス停で時刻表をみると十時発の便があった。待つことにはかわりはないが、だいぶ時間の短縮にはなる。銚子電鉄に乗ってみたい気もしたが、行きはバスで行くことにした。

 銚子駅周辺で時間を潰し、十時発外川行きのバスに乗り込んだ。僕たちの他に乗客は五、六人いたがみんな観光客でその会話から行先は僕たちと同じようだった。市街地を走っていたバスの車窓には緑の風景が多くなり、やがて海が広がった。天気は快晴、気持ちいいが暑い一日になりそうだった。バスは二十分ほどで犬吠に着いた。

 予想通りバスに乗っていた全員が犬吠で降りた。近くにある建物は駐在所だけで、辺りは木々に覆われていて、どちらに進んでいけばいいのかわからない。それは他の乗客も同じようで、まごついていた。ふと見ると道路を渡った先に簡単な周辺地図の案内板があった。それでようやく自分たちの位置が分かった。

 その地図通りに歩いていくと右手に海が見えてきた。しばらく行くと、石碑が建っている。高浜虚子の句碑だった。「犬吠の今宵の朧待つとせん」道路の反対側には水族館があったが、廃墟感が強く営業はしているようには見えなかった。さらにいくと、磯の物を焼いて串で提供してくれる昭和レトロな店があり、その先に犬吠埼の賑わいある風景が広がっていた。

 食堂や土産物屋が灯台まで続き、海側は芝生で覆われた気持ち良さそうな空間があった。陽光が降り注ぎ、海からは潮風が吹いてくる。灯台に行ってみようかというと、妻は灯台から夕陽を見たいという。近くに行って参観時間をみると十七時までとなっていた。夕陽をみるのはちょっと早いかもしれないが、仕方ない。犬吠埼で昼食を取った後、外川までいき町をぶらぶらした後、また、犬吠埼に戻って夕陽をみようということになった。

 芝生の広場を歩いていると海岸に降りることのできる階段があったので降りることにした。犬吠埼は切り立った岩壁であり、海岸線は岩場となっている。海水浴はできないが、磯遊びには絶好の場所で多くの親子連れや友人同士が海に入って、カニや小魚を探していた。僕たちは海に入って遊ぶことは想定していなかったが、妻はスニーカーと靴下を脱ぎ、ジーンズをたくし上げて海に入った。

 「気持ちいいよ!」という妻を見ていると、僕も入りたくなり同じようにして海に入った。海水は思ったよりも冷たくて気持ちよかった。岩場に座っていたときは、暑さにやられ萎びた感じになっていたが、一気に生き返った気がした。海の中をみるとヤドカリやカニ、小魚、フジツボなど多くの生物を見ることができた。始めはちょっとだけのつもりだったが、あまりの気持ちよさに上がることができなくなっていた。

 近くにいた小学生が「海に入ってもいい?」と後ろにいた父親に訊くと「ダメだ」という答えが返ってきた。何故、父親がダメといったのかはわからなかったが、多くの人が磯遊びをしているため、コロナに感染することを心配したのかもしれない。しかし、多くの人が入っているとはいっても、密集しているわけではないし、何より潮風が強く、感染の恐れがあるとはとても思えない。緊急事態宣言の頃、テレビで海岸に集まるサーファーの映像を流し、多くの人が集まっていますと非難していたことが思い出された。

 小学生は不満気だったが、海から顔を出している岩の上に足を置きながら、海の中の生き物を観察していた。ただ、時間の経過と共に潮位が上がってきて、海の上に出ている岩の部分が少なくなっていき、妻もジーンズのお尻の部分を濡らしてしまった。気持ちいいが、そろそろ海から上がって昼食を取ろうということになった。

 昼食を取れる店は数軒あった。海鮮物やカフェのランチなど選択の幅が大きい。今日は妻の誕生日なので夕飯は豪華にしようと思っていたが、昼食も…と思い妻に訊くと、昼食はリーズナブルなものがいいというので、海鮮物は夕食にとることにして、犬吠埼に新しくできた犬吠テラステラスのカフェでのランチにした。

 テラステラスは地ビールや野菜、お土産物なども置いてある施設で、その中に出店しているKey’s Cafeでランチをとることにした。僕は茄子とベーコンのパスタ、妻は桜エビと釜揚げシラスのパスタ、飲み物は二人ともアイスコーヒーを注文した。涼しい室内で冷たい飲み物を飲んでいると、ずっとこのままでいたくなる。この猛暑の中、あるいはそれが正解かもしれない。しかし、外川の街並みを見たいという欲求も強かった。

 もう、二十年以上前になってしまうが、友達のTくんと彼の車で銚子を旅したことがある。Tくんは佐倉出身なので、よく千葉方面に二人で遊びに行っていたのである。昼過ぎから出かけ、犬吠崎によってから外川に向かった。外川に着いた頃には辺りは暗くなっていたが、飛び込みで入った民宿に泊ることができた。小さな民宿で内部はほとんどふつうの民家と変わらなかった。夕食にカニがまるまる一杯ずつでてきたが、Tくんのものにアリがたかっていて文句をいうと、「気になるのなら、変えましょう」とやや逆ギレ気味にいわれ、気の弱いTくんは「そんなつもりでは…」とアリの取りながらカニを食べたのだった。

 あれから、ずいぶんと年月が経っているから外川も変わっているだろうけど、今度はゆっくりと回りたいと思っていた。暑い日差しの降りそそぐ中、店から出て外川に向けて歩き出した。地図上でみると犬吠から外川までは七、八百メートルくらいかと思われた。銚子電鉄沿いの道を行くのが最短だが、海沿いの方が、景色が楽しめるのではないかと思い、そちらを選択したのが失敗だった。

 徐々に暑さに身に応えてきた。途中の回転寿司と魚料理の店があった。妻は夕食はここで食べたいというようなことをいったが、僕はどうも回転寿司というのが苦手で、あまり乗り気はしなかった。しばらくいくと、ホテルのプロムナードのようなものが見え、それに併設されているらしいレストランの看板があった。雰囲気もよさそうだし、誕生日を祝うにもピッタリのような気がした。

 景色が良さそうだと思って海沿いの道にしたが、実際には木々が生い茂り、ほとんど海をみることはできなかった。暑さに耐え、歩みを進めていると海が前面に広がる突き当りに出た。しかし、そこは外川でなく、隣の長崎町だった。とにかく喉が渇いたので、付近を見回してみたがお店どころか自動販売機さえ見当たらない。

 後日、地図で確認するとこのT字路を向かって右に歩いていけば外川漁港に行けたのだが、外川と思っていたところが長崎町だったため、自分が何処にいるのかよくわからなくなっていた。暑さがさらに追い打ちをかけ、外川に行こうという気持ちを萎えさせた。もし、自動販売機で冷たい飲み物を買えていたら、持っていたガイドの地図をよくみて外川に行けたと思う。

 暑さの中で彷徨するよりも、犬吠埼に戻った方がいいのではないかと判断して、元来た道を戻ることにした。しかし、それも辛いことだった。暑さにより、やっと足を前に進めているという感じだ。猛暑の中、長い時間歩くのは危険だと実感した。休み、休み歩を進め、回転寿司屋まで戻るとそこは犬吠駅の近くで通りの反対側に自動販売機のあるのが見えた。正にオアシス、飲み物を買って、店の外にあったベンチに座りながら飲んだ。

 体力の回復するのを待って、犬吠埼に戻った。再び、テラステラスに入り、Key’s Cafeで冷たいものを飲み、窓から岬の人の流れをみていた。今年は確かに暑いが、以前はもっと動けたような気もして、自分の年齢を思った。

 四時を過ぎ、灯台の参観時間が五時までなので、灯台に向かった。入場券を求め、まずは灯台の資料が展示されている建物に入った。その中には日本の中で実際に登れることのできる灯台の一覧があり、いくつか訪れたところもあった。資料館を見学後、灯台を登った。中は狭い螺旋階段で下ってくる人とすれ違うことも難しい。貼り紙を見ると灯台の中は下り優先ということなので、降りてくる人がいると壁に体を押し付けて通り過ぎるのを待った。

 長い階段を上り終え、展望台に出たがここも人がいっぱいで身動きが取れない。展望台は灯台を一周する通路になっていて、階段周辺の密集度が高いため、景色を見ている人の後ろを通って、奥へ奥へと進んでいった。階段周辺に人の多かった理由は出入口のある他にそこからみる景色が一番良かったということもある。陸地と海がバランスよくみえて、さらに夕陽を見るには一番いい場所だった。他のところだと海ばかりだったり、陸地ばかりの景色になってしまったりする。人が溜まってしまうのも仕方ない。

 一周して、360度景色を楽しんだ。淡い光の中、眼下に君ヶ浜が美しく広がっていた。犬吠埼は海から日は上り、陸地に日は沈む。最後に夕陽をもう一度見て、灯台から降りた。その後、灯台の裏側にあったレンズなどを展示している小屋をみて、記念のストラップを買い、灯台を後にした。あとは妻の誕生日を祝う夕食をとるだけだ。

 薄暗くなった道をホテル併設のレストランに向かった。「高かったら、どうしよう?」と妻は心配顔だった。東京の都心ならいざ知らず、犬吠埼にべらぼうに高いレストランがあるとは思えない。(家に帰ってから調べたら、べらぼうに高かった)両側を木々に囲まれた道を歩いてホテルの前まで行ったが、肝心のホテルは見えず、門の前には守衛さんが立っていて、ちょっと入り辛い雰囲気である。びびって「やっぱり、回転寿司にしよう」ということになり、来た道を戻った。

 店に入ると元気のいいおばさんが「回転寿司ですか、魚料理ですか?」と訊いてきたので、「魚料理です」というと左手の部屋に案内された。回転寿司の方はそれなりに客はいたようだが、魚料理の方は僕たち二人だけだった。コロナ対策だろうか、大きな扇風機がいくつも回っていた。

 メニューには美味しそうな魚料理の写真が載っていた。刺身、煮つけ、天ぷら、どれにしようかと目移りしてしまう。妻はキンメダイの煮つけ定食、僕は刺身と天ぷらのセットになった定食を注文した。出てきた妻の注文した料理を見て、びっくりした。写真ではキンメダイの煮つけの他にイサキのから揚げが写っていたが、切り身だった。しかし、出てきたのはまるまる一匹のから揚げで、キンメダイよりも大きく主役という感じだ。まるまる一匹のキンメダイの煮つけもあったが、量が多すぎて食べきれないと思い半身にしたのだが、まさかの事態である。

 料理はどれも美味しかった。白身魚のアラの入ったみそ汁は、魚の旨味がよく出ていて絶品といえるものだったし、銚子港で水揚げされた地魚を使っているため、どれも新鮮だった。価格もかなりリーズナブルで、いい店に入ることができたと嬉しく思った。

 帰りも犬吠のバス停からバスに乗り、銚子駅に向かった。暗くなったバス停でバスを待っているのは僕たちだけで、それほど遅い時間ではなかったが、バスの乗客も一人しか乗っていなかった。コロナ禍の旅となったが、そういったことはほとんど意識しなかった。(2020.11.22)

―終わり―


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