銚子旅行記


8月28日

 ここ数年、夏には一週間くらいの旅行に行っていた。ところが今年は新型コロナウイルスの影響で今までのような旅が躊躇われる状況になってしまった。僕自身はほとんど気にしていないが、妻は旅先での人たちの反応が気になるようで、あまり乗り気ではなく、話し合った結果、近場でということになった。

 近場ということになると関東と山梨県くらいが範囲になる。そして、日数に関して妻は日帰りがいいと主張していた。コロナだから、あまり長い時間、電車に乗りたくないこと、そして、仕事の状況などを考えてのことのようだったが、さすがに日帰りでは忙しない気がして、話し合った結果一泊二日ということになった。街歩きよりは、自然の中を散策する感じで、食べ物美味しいところがいい。そして、いいところはないかと考えた結果、銚子になったのである。

 朝9時くらいに出発した。バスで駅まで行き、そこから横須賀線で千葉方面に向かった。千葉から銚子へ行く場合、総武本線と成田線の二つのルートがある。どちらもだいたい一時間に一本という感じだから、乗り継ぎのいい方に乗ることになる。起点となる駅は佐倉なのだが、事前にあまり下調べをしていなかったため、通り過ぎてしまい、また、佐倉まで戻ったりした。

 銚子に近づくにつれ、車内は空いて来てローカル線っぽくなってきた。無人駅も多く、車窓からみえる長閑な風景を楽しむことができた。銚子に着いたのは、二時近かった。ほとんど下調べはしていなかったが、宿泊施設だけは一応調べていた。現在の状況では宿探しはそれほど困らないだろうが、できれば料金が安く、いいホテルに泊まりたい。その中で格安のホテルが見つかり、そこにしようとひそかに考えていた。

 駅構内で観光パンフレットをもらい、宿泊情報のところをみるとそのホテルも載っていたので、ここにしようと妻に言った。理由を訊かれたので「安いから」というと、妻は訝しげな顔つきになった。それというもの、今までの旅行でそのようなホテルに泊まり失敗したことが何回かあったからだ。とりあえず、外観を観てからということになり、向かった。

 レンガ造り風の大きな立派なホテルだったが、妻は窓に清潔感がなくイヤだと言い出した。以前に同じような感じのホテルで部屋に入ったら、がっかりということがあったのである。「そんなに悪くは見えないけどな。もっと近くで見てみよう」と妻をなだめ、ホテルの正面まで行ったが、ここは止めた方がいいなと感じた。エントランスの窓が汚れていたのである。

 別のホテルは全く考えていなかったので、妻の気に入るところにしようと思い、観光ガイドを渡した。妻は個人名が屋号についているホテルがいいのではないかといった。とりあえず外見を見てからと思って、地図に従ってホテルの見えるところまで行った。あまり、良さそうには見えなかったが、妻は最初のホテルに比べればずっといいと思ったようで電話をして部屋が空いているかを訊くとツインの部屋が空いており、料金も許容範囲だったので決めた。

 実際に入ってみると、外見は安っぽく見えたが、築年数は新しいようでそんなに外れではないように思えた。殺風景なフロントで声をかけると奥から若い男性が出てきて、まだ三時前なのにチェックインできた。部屋はツインのベッドの奥に四畳半の畳が引かれた敷かれたスペースがあり、ちゃぶ台も設置されていて寛ぎながら軽く飲めるような造りになっていた。また、角部屋だったので窓が二面にありその一方を開けると美しい緑が広がった。公園があると妻はいったが、よくみると個人の庭のようで平屋の家が角の方に建っていた。百日紅の赤い花が鮮やかに咲いていた。

 少し休憩してから、遅い昼食をとりに街に出た。三時を過ぎ、すでに陽はだいぶ傾いていたが、ものすごい暑さでちょっと歩いただけでも汗がにじんでくる。駅から伸びるアーケード付きの商店街を歩いていると、四つ角のところにお蕎麦屋さんがあった。まあまあの感じだったので、入ることにした。

 比較的大きな店で、昔ながらの落ち着いた感じの店内だったが、レジの裏辺りには物が乱雑に積まれていたりして、やや残念な気がした。三時ということもあり、客は一人しか入っていなかったが、その客もすぐに席を立ち、僕たち二人だけになった。

 僕は天ざる、妻は冷麺を注文した。ご主人が奥の厨房で調理している間、奥さんは店内にあるテレビでドラマを観ていた。料理ができ、僕たちの前に置かれた。奥さんは料理を運び終えると、ふたたびドラマを観続けた。そばは長野などのそば処と比べてしまうと、ややコシのない気もしたが、てんぷらは美味しかった。厨房の前にあるカウンター席では、調理を終えたご主人が新聞をめくっていた。ゆっくりした時間が静かに流れていた。

 ドラマが終わるとテレビは報道特別番組と称して安倍総理退陣のニュースを流し始めた。妻がスマホで情報を得ていたが、まさか辞任するとは思っていなかったので、初めて聞いたときには驚いた。森友、加計、そし桜を見る会と後半問題の多かった政権だが、コロナ対策については継続してもらいたいと思っていたので心配になった。それにして、夏の旅行中に大きなニュースがよく飛び込んでくる気がする。ビートたけしの交通事故、細川連立政権ができたのも夏の旅行中だった。

 食事を終え、外に出ると容赦ない日差しの洗礼を受けた。この暑さの中、歩き回るのはあまりに無謀だ。とはいっても、ホテルに戻ってうたた寝というのもつまらない。水辺にいけば多少は涼しいだろうと、利根川の河岸公園に向かった。左手から強烈な西日が差してくる。歩いて数分で利根川沿いに出た。河岸は風があって多少は涼しい気はしたが、暑いことに変わりない。銚子大橋が西日に美しく映えていた。

 公園内をぶらぶら散歩したりしていたが、耐え切れず、冷房のあるところということで途中にあった銚子セレクト市場に行った。ここは銚子の名物を取り扱っているところで、どんなものが特産か知ることができる。荷物になるので見るだけにしたかったが、妻がどうしてもというので、明日の朝食用のレーズンパンとイカ煎餅とハマグリ煎餅をアルコールのつまみに買った。漁業の町ということで海産物が中心だが、ヒゲタとヤマサの醤油工場のあることからいろいろな醤油製品が並んでいた。

 銚子は黒潮と親潮が沖合で交わることから、一年を通じて寒暖差が少なく、麹菌や酵母の発酵に適しており、原料の大豆、小麦は常陸に近く入手し易い位置にあり、江戸の町へ利根川の水運を利用して物資を運ぶことができたことにより、醤油の醸造が盛んになったという。他に果物のビワも名産のようで、ビワを使ったお菓子類のお土産もいろいろな種類があった。

 汗もだいぶ引いてきたので白幡神社の通りを飯沼観音に向かって歩いた。途中にあった骨董屋に入ると、メガネをかけた和服の店主がいろいろと見せてくれた。中には数百万の壺もあり、手に持ってみませんかといわれたが、さすがに遠慮した。犬吠埼の夕暮れの景色を染め上げた美しい手拭があったが、やや値段が高く、何も買わずに店を後にした。

 陽はさらに傾き、片側の歩道は日陰になったが、蒸し暑いことに変わりはなかった。歩いていくとジャラートの幟が見えたのでいってみると、洋菓子屋さんでアイスクリームも売っていた。うちの近くでは見かけないような珍しいアイスも売っていて、それぞれ好みの物を買い、店の外のベンチに座って食べた。猛暑のせいで引っ切り無しに車に乗った客が訪れていた。

 しばらく歩いていくと突き当りに朱色の仁王門が見えてきた。飯沼観音である。境内には蕎麦屋などもあり、大きな木の下にあったベンチで涼をとった。本堂の横手にはこれも朱色で塗られた五重塔があった。飯沼観音の前の道を利根川に向かっていくと、磯角商店の主屋がある。

 磯角商店は、商港としても栄えた銚子港の廻船問屋のひとつで、その主屋が今でも残っている。昭和28年の建築で外観だけの見学となる。木造二階建ての和風建築の南側に石材がブロック積みされた洋室が張り出している。欄干には鯛や帆掛け船の意匠が施されていた。

 磯角商店から銚子港へ出た。がらんとした市場の建物の向こう側に漁船が見えた。少し離れた岸壁には何艘もの漁船が橙や赤、青などのランプを輝かせて停泊していた。これから夜間の漁へと出航するのだろう。

 利根川沿いを海に向かって歩いた。できれば千人塚まで行こうと思っていたのだが、疲れたので、岸壁にある船を係留するためのボラードに腰かけようと思ったら、妻がもっと先の方がいいと言い出した。そのボラードの近くには高級車が止まっており、スーツを着た恰幅のいい男性が車いすに乗って潮風に吹かれていた。少し離れてから妻に理由を訊くと、車いすに乗った男性の目つきがよくなかったという。さらに車椅子の背後に指のない人がいたらしい。僕は全く気付かなかったが、この辺りは常に軽犯罪と隣り合わせのペルー人の観察力かもしれない。

 妻の助言に従い彼らと離れたところにあるボラードに腰を下ろした。すでに陽は落ち、幾重もの柔らかい光線が雲に反射していた。中州に立っている風力発電の風車が回っていた。これ以上先へ進むと疲れが酷くなりそうで引き返すことにした。ホテルに帰る途中、飯沼観音近くの中華屋さんで夕食をとった。昼食を取ってからそれほど時間も経っていなかったので、僕は五目焼きそば、妻は中華丼と軽めのメニューにした。テレビでは横浜×巨人戦が中継されていた。

 客は中年の工員風の男性が1人と男女のカップルがいるだけで、店の主人は料理を作り終えると、野球を観ていたが安倍首相の辞任のニュースも気になるようで、しばしばチャンネルを切り替えた。食事をとり終え、ホテルの帰る途中にあるコンビニで酎ハイを買った。ホテルに戻った後、セレクト市場で買ったイカ煎餅を肴にして酎ハイを飲んだ。(2020.10.11)

―つづく―


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