鳥取・倉吉・松江旅行記


8月24日 京都〜横浜

 昨夜は、全く台風の影響を感じることがなかった。ホテルの中ということもあるが、思ったほど酷くは無かったということなのだろう。台風の影響の出る前から、鉄道は運休本数を増やし、早い時間に運転を取り止めたが、これはそうすることにより、帰宅を促すためだったそうである。大阪では、鉄道が大幅に終電を早めたため、帰宅出来ない人が多く、周辺のホテルは満室状態になったという。

 朝起きて、カーテンを開けると、台風一過という感じで、朝日が眩しく輝いていた。ゆっくり帰っても、6時くらいには帰宅できるだろうとこのときは思っていた。鉄道は朝から通常運転をしていると思い、テレビを点けてみて愕然とした。多くの路線で運転見合わせとなっていたのである。一番の衝撃は、東海道線京都−米原間も動いていないことだった。そして山陰本線も全線で運転見合わせのため、丹波口から京都までも行くことができない。崖崩れでも起きているのなら仕方ないと諦めもつくが、そういったこともないようで、関東ではあまり考えられない状況である。

 ホテルで朝食を取り、とりあえず丹波口駅に向かった。テレビの情報が古いだけで、運転を再開しているかもしれないと思ったのである。台風一過で空は晴れ渡っている。やや風はあるが、それほど強いという程でもない。しかし、台風の置き土産である熱帯の空気に包まれているようで、蒸し暑くてかなわない。7〜8分で駅に着いたが、構内は閑散としていて、数人が改札の前で所在無下げに立っている。駅員に訊くと、運転再開の目途は立っていないという。京都駅まで、2キロちょっとくらいだから、歩いて歩けない距離ではない。暑くてしんどいがここで待っていても仕方ない。京都駅まで歩いて向かうことにした。

 京都は碁盤の目のように道路が走っているので、その縦と横さえ間違わなければ、道に迷うということはあまりない。30分弱で京都駅に着いたが、ほとんどの路線が運転見合わせとなっているため、駅は人で溢れていた。改札を入り、東海道線のホームに行ったが、ここはさらに酷い状況だった。ホームは人で埋め尽くされていた。入場制限をしないのが不思議なくらいで、電光掲示板をみると、米原行きは11時50分発となっている。3時間近くも待つことになりそうだった。

 駅員に訊くと、11時50分というのも予定ということで、まだ、どうなるかわからないといい、運転再開ということになったら、アナウンスするので、それまでは待っていてくださいという。この大混雑のホームで、いつ動くか分からない列車を待つのは、あまりに辛くて我慢できない気がした。動いている路線を調べると、奈良線は時刻表通りの運行らしい。それで木津までいって関西本線に乗り換え、亀山、名古屋と行けばいいのではないかと思った。ここで3時間待つよりも、動いていた方が疲労も少ない気がする。妻にそのことをいい、とりあえず奈良線で木津を目指すことにした。

 運転見合わせや大幅な遅れの出ている中で、奈良線は時刻表通りに運行していた。車内は空いていたが、乗客の3〜4割は外国人といった感じだった。僕たちの隣にも、外国人のファミリー、そして真向かいには外国人カップルが座っていた。一駅、一駅の間隔は短く、都内の私鉄に乗っている気分になる。東福寺、桃山、宇治など京都の周辺部を巡る観光には、打ってつけの路線である。京都の中心部は晴れていたが、徐々に天気は悪化して、雨が強く降り出して来た。

 宇治で快速の待ち合わせをするというので、乗り換えることにした。ホームで快速電車を待っていると、普通電車の車掌さんが通りかかったので、関西本線の運転状況を訊いた。車掌さんは電車に戻り、運転状況を問い合わせてくれた。それによると、関西本線も木津〜亀山間は運転見合わせになっており、運転再開の目途は立っていないという。したがってこのまま進んでも木津で待ちぼうけということになりそうだった。

 このまま木津まで行って、そこで関西本線の運転再開を待つか、それとも京都へ戻り、東海道線の運転再開を待つか。少なくても東海道線は米原行きが11時50分に運転再開の予定がある。どう考えても京都へ戻った方が良さそうだった。反対側の電車に乗り、京都へ戻った。

 京都駅に着き、東海道線のホームへ向かった。11時50分発米原行きまでは、まだ30分以上も余裕があった。しかし、ホームに着くと、米原行きがすでに止まっていた。出発時刻をみると、11時22分となっている。予定が変わったようだ。すでに電車は乗客でいっぱいだった。もし、これが通勤時だったら、強引に乗っていたかもしれない。しかし、多くの荷物をかかえて、電車の中に押し入っていく勇気はでなかった。米原行きの運転が再開したのだから、後続の列車もすぐ来るだろうと一本見送ることにした。しかし、実際はそう簡単ではなかったのである。

 11時22分発の米原行きが出発した後、次の米原行きの列車の運行はまだ決まっていないという。しばらくして野洲行きという電車が入線してきた。とりあえず、これに乗って野洲まで行き、次の米原行きを気長に待つしかなさそうだった。野洲行きも超満員だったが、夕方の通勤電車に比べると少し余裕があった。

 野洲に近づくにつれ、車内は空いてきた。果たして家に着くのは何時になるのだろうか?野洲に着くと、しばらくしてアナウンスが入った。それによると、次の米原行きの予定はまだ未定だという。決まり次第お知らせしますという。宇治では雨が降っていたが、今は晴れて至極おだやかな空模様だし、崖崩れなどの運転に支障をきたすようなこともなく、何故、運転再開にこうも時間がかかるのかわからない。運転手の手配の問題なのだろうか?

 ホームには多くの人が電車を待っていたが、溢れるというほどでもなく、窮屈さを感じない程度の込み具合だった。線路に向かって体育座りしている女の子やコンビニのおにぎりを頬張っているおじさんなど、それぞれがいつくるかわからない電車を待っていた。どのくらい待っただろうか、アナウンスが入り、米原行きの電車の到着時刻の予定が知らされた。それもまだ20分以上先だったが、とりあえず電車の来ることにほっとした。時計をみると、一時を回っていた。一時を過ぎてもまだ米原に着いていない状況に思わず笑った。

 電車は予定時刻をさらに遅れて到着した。車内は座れない程度に混んではいたが、思ったほどではなかった。JRの運転状況をみて、どうしてもこの電車に乗らなくてはいけない人たちをのぞいて、不要不急の外出を控えているのかもしれない。米原に着いたのは、二時半近かった。京都から米原は、快速で行けば50分の距離である。この日は、六時間かかってようやく米原に着いたことになる。 米原から先は、時刻表通りに列車は運行していた。昼食も手持ちのパンやお菓子で済ませていたので、夕食くらいは豪華とはいかなくても、お店に入って食べたい。米原から大垣、大垣から快速に乗り、豊橋に着いたのは16時半だった。豊橋から浜松行きに乗り、浜松に着いたのは17時過ぎ、浜松で途中下車し、夕食を取ることにした。

 浜松駅前には多くの飲食店があり、駅ビルに入っているラーメン屋でラーメンと餃子を食べた。この店のラーメンは美味しく、お腹の空いていたせいもあるかもしれないが、スープも全部飲んだ。浜松からは18時10分発の熱海行きに乗った。この電車が、今回の旅の中で一番辛かった。

 2時間20分以上乗っていたということもあるかもしれないが、お尻が痛くなり、座っているのが苦痛になってきた。シートが通勤電車と同じように電車の進行方向に対して横向きに座るタイプなのも影響しているのかもしれない。シートがボックス型のタイプでは、あまり感じたことのない辛さだった。熱海に着いたのは、20時38分。ちょうど花火が打ち上げられており、車窓や駅のホームからもよく見えた。家に着いたとき時計は、23時を回っていた。(2018.11.3)

―終わり―


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