その一 八月六日 飛騨高山 何故か、古い日本の街並みの残っているところを旅してみたくなった。それで真っ先に思い浮かんだ場所が飛騨高山だった。飛騨高山には古い町並みが一番素朴な感じで、残っているように思えたのである。 飛騨高山には、二十年くらい前に一度行ったことがある。そのときは北陸、特に能登半島を中心に周る予定の旅だったので、適当な中継地として、夕方街に着き、宿をみつけた後、一時間くらい、何の予備知識もなく街を歩いただけで、消化不良のまま心の中に残っていた。 青春18きっぷを買って、早過ぎると不平気味の妻をなだめ、朝五時に家を出た。この時刻に出発しないと、その日のうちに高山に着かないのである。東海道線を乗り継ぎ、岐阜に向かった。東北本線だと上野を出ると、もう、のんびり気分になれるのだけど、東海道線は京浜工業地帯や東海工業地帯、そして中京工業地帯の太平洋ベルトと重なっているため、通勤電車という感じが車内に充満していて、旅情という感じには程遠く、イヤな緊張感を覚えた。 ちょうど昼時に岐阜に着き、昼食をとるため、改札を出た。外は正に猛暑で、危険を覚えるほど日差しが強く、ちょっと歩いただけで、汗がにじんでくる。岐阜は殺風景な街だった。駅周辺はやや古めかしい衣料品関係の店ばかり目立ち、なかなか飲食店を見つけられなかったが、たまたまのぞいた路地に雰囲気のいい中華屋さんがあったので入ったが、ここは当たりだった。妻はえびチリ定食、僕はレバニラ炒め定食を食べ、ふたりとも満足した。値段も手頃で、スープとデザートの杏仁豆腐まで付いていた。 岐阜から高山線に乗り、高山に向かった。約三時間二十分の旅である。高山線に乗り、始めて旅に出たという実感がわいてきた。のんびりした気分になり、旅情を味わっていると、先程まで痛いほどの陽の降り注いでいた空が黒い雲に覆われ始め、雨が落ちてきた。そのうち車内アナウンスで反対側の電車が大雨の影響により遅れ、この電車もすれ違う関係から遅れると知らされた。高山線は単線のため、反対側の電車の到着を複線化されている駅で待たなくてはいけないのである。 雨は徐々に強さを増しているようだった。反対電車が大雨で遅れるということは、高山方面はかなりの雨量になっているのかもしれなかった。高山では街歩きが中心の旅となるので、大雨だったらイヤだなと思ったが、雲の流れを見ているとかなり速く、いつまでも降り続くとは思われなかった。 雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返していたが、電車は反対側の電車を遣り過ごすと今までの遅れを取り戻すように順調に走りだした。しかし、それも束の間で、走ったり、止まったりを繰り返すようになった。どうして徐行したり、停車したりしているのかわからず、不安ばかりが大きくなった。やがて電車は線路上で止まったままになった。 落雷の影響により、信号と踏切に支障が出ており、安全を確保するため遅れが出ているというアナウンスにより、ようやく状況が分かった。踏切を通過するとき、数人の工員が、手動で踏切板を下ろし、警告音を鳴らしていた。これは、ずいぶんと時間がかかりそうである。今までの旅行と同様、宿の予約はしていない。あまり遅い時間になったら、宿を取れるだろうかと心細くなった。 しかし、手作業による踏切の通過は二、三回くらいで、その後、電車はまた順調に走りだした。ただ、反対方面から来る列車も同じように遅れているため、時折り通過待ちで長い時間、停車することもあった。高山駅に着いたのは五時を過ぎ、予定より約三十分の遅れだった。雨が心配だったが、すでに雨雲の通り過ぎた後らしく、空は晴れていた。 とりあえず、今日の宿を探さなくてはならない。情報を得ようと、駅の周辺を見て回ったが、ホテルや旅館の載った地図などを見つけることはできなかった。駅を出たすぐのところに、観光案内所があり、宿の予約もしてくれるらしいが、こういうところに頼むと高いところを紹介されるのが常で、自分たちの足で探すことにした。駅のすぐ前の通りに出るとホテルがあり、ツイン7800円、本日空きありの看板が見えたので、あっさりと本日の宿は決まった。 しばらく、ホテルの部屋で休憩した後、駅前の観光案内所でもらった地図を持って妻と街歩きに出た。まず、高山陣屋に行った。ここは江戸時代、江戸から派遣された代官が政治を司っていた場所で、明治に入ってからも地方の役所として長い間、使われており、ほぼ完全な形で保存されている。門前は広場になっていて、子供たちが楽しそうに遊んでいた。 高山陣屋の前には宮川が流れていて、朱色の中橋が架かっている。時間の遅いため、観光客はそれほど多くはないが、外国人の姿が目立った。古い日本の風景を求めて来ているのだろう。 中橋を渡り、二本目の路地を左に曲がると、高山観光の中心である上三之町である。二階建ての軒の低い商家の並ぶ、美しい街である。軒先の水路には涼しげな音をたてて、清らかな水が流れていて、素朴な古い街並みを歩いていると、時間の落とし穴に落ち込んでしまったような気持ちになる。それぞれの商家の軒先には七夕の名残であろうか短冊や飾りに彩られた笹が立て掛けられて、華やいだ雰囲気である。五時を過ぎているため、人通りもすくなく、妻とゆっくり街歩きを愉しんだ。 上三之町から一本先の通りが上二之町である。宮川寄りから、上三之町、上二之町、上一之町となっている。上二之町、上一之町の通りは上三之町の比べると、人通りがぐっと少なくなる。道幅も広くなり、車も通行する。ここも古い街並みが残っていて、骨董店、造り酒屋や味噌醸造元などが軒を並べている。 通りを折り返し、折り返し、ぶらぶらしていると飛騨護国神社に出た。この前の通りを歩いて行くと、細い川があり、橋を渡り、さらに歩いて行くと東山遊歩道があり、入った。東山遊歩道は東山寺院群を結ぶもので、この寺院群は高台にあり、神社の境内からは高山の街並みが一望できた。落ちゆく夕陽を背景に高層の建物の少ない高山の街は静かに佇んでいた。 夕食は駅にほど近いアーケード街にある店でとった。高山は飛騨牛が名産らしく飛騨牛を扱った多くの店がある。その中で値段の手頃な店を選んではいり、妻と二人、飛騨牛のスネ肉を使った野菜炒め定食を食べた。野菜炒めといっても中華風ではなく、野菜の鉄板炒めといった感じで、スネ肉はよく煮込まれており、とてもやわらかく、またキャベツなどの野菜も甘みが強く、鮮度もよく、美味しかった。 夕食を取った後、まだ時刻も九時前だったので、朝市の開かれる宮川沿いをぶらぶらと歩いた。川を渡る夜風が気持ちよく、久しぶりに幸せな気分になれた。(2012.8.15) ―つづく― |