2011 青森〜函館〜大沼公園旅行記


その一 八月八日 盛岡

 この夏は妻と小樽まで行くつもりだった。当初は、東北本線で郡山まで行き、そこから磐越線で会津若松に出て、只見線で奥会津をゆっくりと旅をするのもいいなと思っていたが、七月末に新潟・福島を襲った豪雨により、会津大塩と会津横田の間を流れる只見川に架かっていた鉄橋が流されたため、行けなくなってしまった。いろいろと考えたが名案も浮かばず、妻は、函館以北はまだ行ったことがないので、いっそ小樽までいってみようということになったのである。妻はもともと鄙びたところよりも、おしゃれな街が好きな性質なので喜んだ。

 八月八日、早朝に横浜を出発、普通列車を乗り継ぎ、盛岡に着いたのは五時だった。小樽まで行くことを考えれば、この日中に八戸まで行っておきたい。早朝に出発したにもかかわらず妻は、もう少し先まで行こうといった。時刻表を見ると、七時前には八戸に着ける。しかし、僕は「今日は盛岡までにしよう」と、妻にいった。初日から無理をするとこの先あまりよくないと思ったこともあるが、盛岡の街をゆっくりと歩いてみたかったのである。

 今は夏だから七時くらいまでは、まだ明るいし、宿を探して荷物を置き、一休みしてからでも、十分に散歩を楽しめる。二軒のホテルに満室ですと断られたが、繁華街のあるのとは反対側の駅の出口方面にあるホテルに部屋を取ることが出来た。駅の長い連絡通路を歩いてホテルに向かった。

 ホテルでチェックインを済ませ、部屋で少し休んだ後、盛岡の街を歩きに出た。空には今にも降り出しそうな低い雲が垂れこめ、ホテルの窓から山沿いにかなり強い雨が降っているのが見えた。駅に着き、再び長い連絡通路を歩いて、繁華街に出ようとすると雨が、それもかなり強く降っていた。

 通り雨だから、しばらくすれば止むさと妻にいい、駅ビルの中にある喫茶店に入り、冷たい飲み物を飲んだりして時間を潰し、再び外に出てみると雨は依然として強く降り続いている。辺りも曇っているせいか、すでにかなり暗くなり、街を散歩することは諦めざるを得なかった。

 駅ビルの一階にある冷麺店で僕は冷麺とカルビ丼、妻は冷麺と石焼きビビンバのそれぞれセットを注文して食べた。妻は冷麺が少し固いと文句をいったが、冷麺をほとんど食べたことのない僕には、よくわからなかった。確かに、固いことは固いのだけど、或いはこういうものかもしれないと思ったのである。ただ、冷麺の中に、スイカの入っていることが、疑問だった。これは何処の冷麺屋でも入っているようだが、スイカは種があるため、下手に食べるとそれがつゆの中に浮いて見苦しくなってしまう。仕方なく、僕はスイカを最後に食べた。

 食事を終え、コンビニで飲み物を買い、ホテルに向かったが、依然として雨は降り続いていた。駅の出口で待ったが、なかなか止まず、妻は傘を買ってくると言い出した。もうしばらく待っていれば止むだろうし、荷物になるのでやめようと僕は止めたが、妻は駅ビルに引き返し、折り畳み傘を買ってきた。皮肉なもので、その頃には雨はだいぶ小振りになり、傘の必要はなくなっていた。僕は妻に小言をいったが、妻一向に意にかえさない様子で、またそのうち必要になるといってホテルに向かって歩きだした。

 ホテルに戻ってから、時刻表で調べてみると、明日函館まで行くにしても現地に着くのは六時くらいになってしまうことがわかった。小樽まで行けることは行けるが、恐らくただ行っただけになってしまいそうだ。それだったら、函館くらいまでにして、のんびりと旅を楽しんだ方がいいような気がした。妻にそのことをいうと、残念そうな表情をしたが、納得してくれた。それだったら、明日は青森までにしようということになった。(2011.9.3)

―つづく―


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