函館紀行


3

 だいぶ歩いたので函館公園のベンチでゆっくりと休憩をした。もう20年近く経つだろうか、この函館公園で野宿をしたことがあった。野宿といってもその時は車で旅をしていたので、公園前に車を止め、その中で2〜3日寝泊まりをしたのだ。僕と同じようなことしている人が他に2組くらいあり、公園内にはバイクや自転車で北海道を周っている人たちがテントを張っていた。朝早くにラジオを体操の音楽が流れ、近所の老人たちといっしょに体操する彼らの姿が印象的だった。

 函館公園内には旧函館博物館一号と二号があり、木立の中、美しく建っていた。二号の方は真正面にベンチがあり、3〜4人の老人たちがくつろいでいた。近くにこのような場所のあることを羨ましく思った。

 ここでしばらく休憩した後、函館山に行くつもりだったが、あまり早く山に登ったら夜景の観られるまで退屈してしまうと妻にいわれ、昨日見逃した旧イギリス領事館に行くことにした。領事館に行くまでの道でソフトクリームの割引券を配っていたので、そのうちの一軒に入って、ソフトクリームを買った。ここのソフトクリームは七飯町にある山川牧場のミルクを原料にしたもので、ミルクの香りが濃厚で美味しかった。

 旧イギリス領事館に着いたのは4時を回っていて、太陽もだいぶ西に傾いていた。入館料300円を払ってまで、見学する価値はあるのだろうかと迷ったが、折角来たのだし、もともと古い洋館を見るのは好きなので入ることにした。結論からいってしまうと、ここは見学して正解だった。古い洋館の内部を見られるというだけではなく、いろいろと楽しめる作りになっていた。立体写真や手回しの活動写真、3Dテレビなど特に子供が喜びそうな展示がなされていた。よく観光地にある顔の部分がくり抜かれていて、そこから顔だけだして記念写真を撮る看板も、鏡を使うことによって自分で自分の写真が撮れるようになっていたり、いろいろと面白い工夫がされていた。洋館の外には洋式の庭園があり、夕暮れの迫る中、ベンチに座っていたら寂寞とした気持ちになった。

 5時を回ったので、函館山にロープウェイで登ることにした。3分で山頂まで着いてしまう。まだ明るい時刻から登ったのは妻の希望による。函館の街並みを明るいうちから見ておきたいということだった。まずは展望台へ行ってみた。時間の早いため、展望台は閑散としていたが、すでに夜景待ちの人たちが数人、階段に腰掛けて眠っていた。さらに展望台の最上部には三脚を据えた人が陣取っていて、景色を眺めるのに窮屈な思いをしなくてはならない。

 いい写真を撮りたいのはわかるが、いい景色を見たいのは自分だけではないということをもっと認識してほしい。自分だけ良ければいいといった貧乏くさい臭気が漂っていて、いやな気分になった。日の暮れるまではまだ時間もあるので、展望台を降り、売店で飲み物とお菓子を買って、ひとつ下の広場に行った。

 ここはロープウェイを降りて、最初のドアを出た場所で、それほど人気もなく、場所取りをしている人もいなかった。ただ、ベンチではひとりの男性が夜景を待っているのだろうか、うつらうつらと前後に体を揺らしていた。その人の隣の隣のベンチに腰掛け、お菓子を食べながら、日の暮れるのを待つことにした。

 暗くなっていくと共に、ロープウェイで山頂に運ばれてくる人の数も増えて行った。下りのロープウェイには誰も乗っていないのだから、函館山山頂の人口密度は増す一方だ。6時を過ぎたくらいから、街に灯りが灯りだし、徐々に輝きを増していった。津軽海峡の水平線上にはぽっかりと月が浮かび、その下にはイカ釣り漁船の漁火が見えた。

 穴場と思っていたこの場所にも人は増えて行った。肌寒くなってきて、何か一枚羽織るものを持ってくればよかったと思った。ずっと座っていると体は冷える一方なので、まだ完全には暗くなっていないが、柵のところまで行って夜景を眺めた。柵のところも人で埋め尽くされていった。

 7時をすぎた頃から、函館市街の灯りは地の星のような輝きを見せた。函館湾と津軽海峡によってくびれた土地は光の街となった。美しい夜景を見ながら、時間の深さを思った。「そろそれを降りようか」下りには誰も乗っていなかったロープウェイも長い行列ができるようになっていた。その前にもう一度、展望台に行ってみようということになり、登ってみたが、人垣が三重にも四重にもできていて、見えるのは人の頭ばかりで、夜景を見ることはできなかった。

 函館山を下り、函館西波止場の2階にある地ビールレストラン函館海鮮倶楽部に行った。夕食の場所としてここを選んだのにはわけがある。函館山の売店で妻がパンフレットを見つけ、その中に割引券とともにいくつかの店が紹介されていたのだけど、その中でも函館海鮮倶楽部のちゃんちゃん焼きが値段も手頃で美味しそうだったのだ。

 ちゃんちゃん焼きとは魚介類と野菜に味噌ダレをつけて焼いたもので、今回は多少奮発してデラックスというのを注文した。レギュラーのものは魚だけなのだが、デラックスになるとそれにエビ、イカ、ホタテなどが追加され、さらにご飯とチーズがついてくるのだ。ちゃんちゃん焼きのメインとなる魚は通常は鮭だが、ここでは白身魚が使われていた。

 鍋でまず魚介類と野菜を蒸し焼きにする。10分くらい経ったら、味噌ダレを絡めて具を混ぜ合わせ焼いていく。野菜もキャベツ、タマネギ、カボチャ、ニンジン、椎茸、もやしなど豊富だ。ホタテのうまいこと!クセになってしまいそうなほどだ。具を三分の二くらい食べたところで、ご飯の投入となる。ご飯を入れ、その上にチーズをふり掛けて味噌ダレとからめ、リゾット風にして食べた。

 店員さんが「ラストオーダーになりますけど、お飲み物とかどうです?」と声をかけてきた。ふと周りを見渡すとレストランの中にいるのは僕と妻だけになっていた。まだ、それほど遅い時間でもないのに、いつの間にか最後の客となっていたのだ。何か飲んで、余韻を楽しみたい気持ちもあったが、財布と相談して、注文はしなかった。他のお客の誰もいないフロアーというのは、落ち着けるような、急かされているような、不思議な雰囲気があった。

 海鮮倶楽部を出てから、昨日も周った金森赤レンガ倉庫群に行った。もう店は飲食店を除いて閉まっていたが、ライトアップされた赤レンガ倉庫の周りを散歩したかったのだ。他にも散歩しているカップルはいたが、それも数組といった感じで、静かで落ち着けるのがいい。水路近くのベンチに腰かけて、夜風に身を任せていると、心地よい開放感を覚えた。ホテルに戻り、ラウンジで無料のコーヒーを飲みながら、旅の開放感の余韻に浸った。

 妻はどういうわけか、オルゴール好きである。函館最終日、そんな妻の希望で、世界中のオルゴールを集めたコーナーのあるはこだて明治館にまずいった。時間が早かったので、まだ開いていないのではないかと心配したが、ちょうど開店した後らしく、お客は僕たちも含めて3〜4組しかいなかった。

 2階にある函館オルゴール明治館に行き、展示されているオルゴールを見学した。ここは展示だけでなく、販売もしていて、いろいろなタイプのものがあった。しばらく見学すると妻が「行こう」と言って階段を下り始めた。何か買うと思っていたので、どうしたのかと理由を訊くと、お金のことを心配しているらしい。高いものは無理だが、手頃な値段でデザインのいいものも多く、何か記念に買っていこうよと妻にいうと、うれしそうに引き返しオルゴールを見始めた。

 ふたりの意見が一致して、古い蓄音器を模った木製のアンティーク調のオルゴールを買った。曲はライムライト、いい買い物ができてうれしかった。今度は金森倉庫群へ行って親、兄妹、会社関係のお土産を買った。時計を見るとまだ列車の時刻までは時間がある。地図を見ると日本最古のコンクリート電柱というのが割合近くにあるので行ってみることにした。

 道すがら、空に戦闘機らしき爆音が聞こえた。たまたま会社の外に出ていた人たちが「あれは明日ショーを行うブルーインパルスの練習だよ」と教えてくれた。空を見上げたが、その頃にはもう戦闘機を見ることはできなかった。

 日本最古のコンクリート電柱はまだ現役らしく、断面が円形ではなく、四角い形をした立派なものだった。今の電信柱よりも、はるかに丈夫そうである。

 函館駅に向かう途中、金森レンガ倉庫群を通った。昼間となると、人で溢れている。「ねえ、誰かにシャッター押してもらおうよ」と妻いい、周囲を物色し始めた。ヒゲを生やした優しそうなおじさんがこちらに向かってくる。「あの、シャッター押していただけますか?」「いいですよ」ふたり赤レンガ倉庫の前に並んではい、パチリ。

 11時28分発の列車で函館を後にした。(2009.8.30)

金森赤レンガ倉庫

―終わり―


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