函館紀行


1

 この夏休み、妻と函館へ行った。何故、旅行地として函館を選んだのかというと、函館は朝から晩まで楽しめるところだからである。古い時代に建てられた教会や洋館、坂道からの美しい眺めなど街中を散策するのに楽しく、早朝の朝市に始まって、夜は函館山からの夜景まで、飽きることがない。港町であるから魚介類も豊富で、カニが大好物な妻はそれも喜んでくれると思った。

 北海道へ行くとなれば、通常は飛行機か、新幹線を使うのだろうが、お金のあまりないため、昨年と同じくJRの北海道&東日本パスを使うことにした。この切符はJR北海道とJR東日本の普通列車が5日間乗り放題というもので、それに青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道、北越急行の普通列車及び急行はまなすの自由席も利用できるので僕たちにはぴったりというわけである。

 北海道に一度も行ったことのない妻は旅行地の函館には大いに賛成したが、初日の朝の出発時刻を巡って言い争いになった。東京都内で生まれ育ち、自転車やバイク、車での旅が主だった僕にとって都内及びその近郊の渋滞を避けるために、朝の5時とか6時に家を出るということは当たり前で、抵抗感はないのだが、ペルーに生まれ育った妻にとっては遊びのためにそんなに早い時刻に出発するということはほとんど信じられないことらしく、喧嘩となってしまったわけだ。

 函館にできるだけ長い時間滞在するためには、初日にできるだけ北上をしておきたい。できればその日のうちに着いてしまうのがいいのだろうが、それはほとんど不可能なので、最低でも盛岡、できれば八戸くらいまでは行きたいと考え、時刻表を追っていくと朝7時上野発の宇都宮線に乗れば、夜の8時に八戸に着くことがわかったので、そのことを説明するとしぶしぶ妻も朝6時の出発を納得してくれた。

 こうして8月4日の朝6時に自宅を出発して、普通列車を乗り継いで函館に着いたのは8月5日の午後1時半を少し回ったくらいだった。函館駅まえのバスロータリーにあるベンチの腰掛けると、長旅の疲れがどっと押し寄せてきて、まずはどうしようかと思った。列車の到着時刻まで周到に調べたわりには、函館に着いてからの予定をほとんど考えていなかったのである。

 とりあえず宿を決めておこうと思い、周囲を見回すと東横インの看板が見えた。駅に戻り、地図で確認すると朝市のすぐ横で場所としては絶好の位置である。「ここにしよう」と妻にいうと、「もっと安いところはないのかしら」という。仕方ないので駅の案内板に載っていた安そうな名前をしているホテルの電話番号を3つ4つ手帳に書き止め、電話をしたが、満室だったり、値段が高かったりして、結局は駅から看板の見えた東横インになった。

 空はよく晴れていて温度はそれなりに高いのかもしれないが、湿度は低いようで快適だ。まだ、時間も早いから路面電車を使って外人墓地まで行き、そこから歩きで駅方向に戻りながら街を散策しようということになった。

 函館駅前から市電に乗り、函館どつく前で下車した。この日は港祭りの最終日だったらしく、路面電車は何処まで乗っても一律200円で、少し得した気分になった。運転手さんはハッピを着ていて、古い路面電車の中で異彩を放っていた。外人墓地は函館山の北側に位置し、路面電車の終点函館どつく前から歩いて15分くらいのところにある。ロシア人墓地、中国人墓地、カトリック墓地、プロテスタント墓地など埋葬地が分かれていている。海に面した芝生の土地に墓標は建てられていて、横浜の外人墓地に比べて開放的な雰囲気である。海からの風が心地よく、いろいろな墓石の建てられている芝生をそよがせていた。外人墓地周辺は高龍寺や称名寺といった寺院が多くあるため、お墓参り用の草花を売っている店が軒を連ねている通りを歩き、旧ロシア領事館に向かった。

 函館は坂の街である。それは市街の西方に函館山がデンとひかえているためで、通りは函館山方面に向かう道とそれに交わる道でほぼ碁盤の目のようになっていて、初めての人でもわかりやすい。主な坂道には名前がついていて、旧ロシア領事館は幸坂を上ったところにある。この幸坂は急坂で、妻は一気に上ることができず、途中で一息いれていた。この辺りは観光の中心からも外れているため、人も少なく静かである。

 旧ロシア領事館は明治41年に建てられた赤レンガと白い窓枠が印象的な洋館で、内部を見学することはできない。ただ、門は開いていて敷地内に入ることはできる。敷地内には大きな木が数本あり、その木陰に入ると涼しさと静寂さに包まれて静謐な気持ちになった。また、幸坂から函館湾を見下ろす景観も美しい。

 幸坂を見ながら、南に歩いていくと元町公園に出る。箱館奉行所跡に作られたこの公園からは、函館の市街地を一望できる。港祭りではいろいろなイベントが行われたようで、ステージのようなものが作られていた。ここのベンチで函館の街並みを見ながらしばらく休憩した。

 元町公園の上に旧函館区公会堂がある。明治43年に建てられたコロニアルスタイルの洋館で300円で内部を見学できる。インテリアも見ごたえがあり、2階は大広間になっていて、奥のステージにはピアノが一台置かれていた。開け放たれたバルコニーからの風が心地よく、バルコニーに出てみると函館市街から函館湾まで見渡せ、時間を忘れてしまうくらいだった。一階には貸衣装もあり、ドレスアップして館内で記念写真も撮れる。妻は興味があったようで、ティアラやドレスを見ていたが、「たぶん入らないね」と言った。

 次にハリストス正教会へ行った。僕は生れて以来、教会に入ったのは社員旅行で行った長崎の大浦天主堂くらいで、興味があり見学することにした。ここは献金という形で200円のお金を払い中に入ることができる。内部は思ったより狭く、用意された椅子には先に入った人たちが大人しく座っていて、牧師の話でも始まるような雰囲気だったので、僕たちも空いているところに腰かけた。

 しかし、いつまで経っても何も始まらず、どうもみんなただ座って、教壇の飾りなどを見ているだけのようだったので、僕たちは立ってそれらの近くにいった。僕たちが立ちあがると、同じ勘違いをしていたらしい人たちも椅子から立って教壇の飾りを見学にきた。教壇の真ん中には磔になったキリスト像があり、その後に聖人たちの絵が飾られていて、厳粛な雰囲気が漂っていた。ひと通り見学を終え、外に出ると妻は「狭いね」と言った。

 ハリストス正教会の向かい側にある教会の建物の形が面白いので見に行った。聖ヨハネ教会で、それほど古くはないようで、教会の前にベンチがあったので、そこで一休みした。傾いた陽と風が心地よく、体だけでなく気持ちに安らかになった。ハリストス正教会と聖ヨハネ教会の間にある石畳の坂道はチャチャ登りと呼ばれていて、このチャチャというのはアイヌ語でおじいさんのことらしい。この坂道は大変急で、おじいさんのように背中を丸めて登るところから、この名前がついたようである。

 聖ヨハネ教会の敷地内を通り、チャチャ登り再び横切ってカトリック元町教会を見学して、再び元町公園に戻りベンチで休憩をした。この元町公園からハリストス正教会の間が、函館観光のメインストリートともいえ、途中に休憩処がいろいろとある。そのひとつのアイスクリーム屋さんが割引券を配っていて、それをもらった妻は食べたがったが、これだけ歩いて喉の渇いているところにアイスクリームは余計に喉が渇きそうで、それは明日ということにして基坂を下り、大正5年に函館の豪商相馬氏が建築した和洋折衷のモスグリーン色の建物、相馬株式会社を見学して、海沿いに出た。

 函館西波止場の一階にある海鮮市場の中に入り、ひと通り見て周ると、妻はもうお土産のことが気になりだしたらしく、「あれがいい」「これはどうかな」と時間ばかりが過ぎていくので、函館を立つ前にもう一度来るからと約束して、ホテルに向かうことが出来た。

 ホテルへ行く途中には金森赤レンガ倉庫があり、ここでもまた妻が引っかかりそうだったので、ホテルに荷物を置いた後、見学することを約束して、午後5時半を過ぎた頃、ホテルにチェックインした。

 30分ほど部屋で休んだ後、約束の通り金森赤レンガ倉庫に向かった。陽はすでに沈み、薄明かりの中、心地いい風が海から吹いていて、穏やかな気持ちになった。金森赤レンガ倉庫に手前に、はこだて海鮮市場本店という魚介類を中心に扱っている大きなお店があったので、中をのぞいてみた。

 時間の遅かったこともあり、市場の中は買い物客もちらほらで閑散としていたが、食堂が併設されていて入口の前にあったメニューを見ると価格も手頃なので、「ここにしよう」というと妻はもう少し他を見てからというので、赤レンガ倉庫の方にいってみることした。

 夜の金森赤レンガ倉庫は要所々がライトアップされてきれいだった。こんなことならカメラを持ってくればよかったと後悔したが、明日も函館に泊るわけだしと思いなおした。赤レンガ倉庫はショップが中心で見た限りではレストランが一軒とビアホールが一軒あるくらいだった。赤レンガ倉庫に先には夕方に立ち寄った函館西波止場があり、その二階は魚介類と地ビールが楽しめる食堂になっていたが、すでに閉店していた。東京と違い、こちらは早くに店は閉まってしまうようである。

 結局、はこだて海鮮市場まで戻り、そこの食堂で夕食をとることになった。函館まで来たからには、やはり新鮮な魚介類を食べたいと思い、やや値は張るものの市場まるごと海鮮丼というのを注文した。ウニ、イクラ、カニ、甘エビ、サケなどが新鮮な魚介類が丼の上を埋め尽くしていて、食べ方を迷うほどだった。妻も新鮮な海の物が食べたいと言っていたが、ペルーで生まれ育った彼女は生ものがそれほど得意ではない。

 そこで本カニ釜めしにした。茹でたカニのたっぷりと入った釜めしでイクラが上に乗っかっていた。妻はイクラが苦手ということなので、それは僕が食べることになった。これには天ぷらとプレートといわれるお皿がついていてそこには明太子やメロンなど4品が乗っていたが、メロンだけ自分は食べるといい、あとのものはまた僕に押し付けるのだった。

 食事を終えた後、金森赤レンガ倉庫を見学にいったのだが、まだそれほど遅い時間だったわけではなかったが、レストランなど食事処以外のお店は全部閉まっていて、中を見ることはできなかった。妻はお土産を見たかったというので、最終日の朝に寄ることにした。人の少なくなった分、ライトアップされた赤レンガ倉庫周辺はロマンチックな雰囲気になっていて、散歩するには最高だった。

 赤レンガ倉庫を過ぎるといろいろなハンバーガーの有名な函館の名物店ラッキーピエロが見えた。妻はアイスクリームが食べたいから行こうという。ラッキーピエロはハンバーガーという印象があったので、アイスクリームなんてないよと言って店の前を見ると、ソフトクリームの置物があった。

 海産物を食べた後、アイスクリームというのもどうかなと思ったが妻に押し切られ、僕は一番シンプルなバニラのソフトクリーム、妻はキャラメルの乗った豪華なものを注文し、店の前に置かれたベンチに座って食べた。ベンチに座ってソフトクリームを舐めているといろいろな人が目の前を通り過ぎたり、店に入ってきたりした。

 何度も店の前を行ったり来たりしている明らかに観光客という女性もいれば、犬の散歩がてらラッキーピエロによってアイスを食べていく夫婦もあった。仕事の終わった後、妻といっしょに犬を連れて夜の人通りの少なくなった街を散歩する、そんな生活がうらやましく思われた。(2009.8.16)

―つづく―


TOP INDEX NEXT