自分のため、他人のため

 ‘逃避’という題の文章を書いた。結論というわけではないけど、その最後のところに
「解決策は自分を捨ててしまうことしかないかもしれない。自分のコアの部分が守れなくなると感じると自分を失わせようとするものからの逃避が始まる。自分を否定して、全てに対して開いてしまえば、或いはもっと楽に生きられるのかもしれない」
と書いた。気が進まなかったり、或いはいやだったりすることがあったとき、それをすることによって誰かが喜んでくれたりするなら逃げないで、それと向き合おうということである。そうしているうちに自分というものが薄れていき、逃げ出したくなる自分もなくなるのではないかと思ったりしている。しかし、このHPの作成だけは‘誰か’のためでなく、‘自分’のために作っている。

 文章を書いて、一応それを公開しているわけだから、他人に読まれたときのことを全く考えていないということはない。誰かの役に立ってもらいたいとか、慰めにでもなってくれればという気持ちはあるが、それを狙うということはない。

 もともと文章を書くのが好きで、失業していて時間がいっぱいあったし、いやな会社を辞められたという開放感も重なり、HPの開設に至ったわけだから、自分の愉しみのためだけに始めたのだ。そのうち読者からのメールもポツポツではあるが来るようになって、一時、生意気にもプレッシャーのようなものを感じたこともあった。こういうテーマの方が受けるのではないだろか?とか、ここはもっと深刻に表現した方が、あるいはさらっと書いた方が読者の共感を得られるのではないだろうかとか…。しかし、僕にはそういうことは無理なんだとわかった。

 無理だとわかっていても、またその迷路に入り込んでいるときがある。そんなときは、原点を考えるようにしている。「初心忘れるべからず」である。‘自分の楽しみのため’と思えば重圧とは無縁になれ、自由に書くこともできる。

その書いたもので、結果的に誰かのちょっとの救いにでもなれば、もう十分だ。(2007.5.10)




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