やっぱり パリ

2001.3/28(水)〜4/2(月)



セーヌ川にたたずむノートルダム寺院


今回の旅行の動機は、全日空のANAマイレージで20000マイルに到達するところで、しかも安価で6日間程度という制約?の中、今まで何となく敬遠していた「花の都パリ」に出掛けることにした。期待はそれほど大きくはなかったが、結果はなかなか満足のいく旅であった。「パリは探しているものは何もみつからないが、探していないものをたくさんみつけてしまう」とはパリ生まれ、パリ育ちの作家ジュリアン・グリーンのエッセー『パリ』の書き出しである。


3月28日 
 
パリの空の下、セーヌは流れる・・・。昨年関空からの直行便がなくなったため、今回は成田発全日空207便で、しかも水曜発はウイーンを経由。ウィーンまでが11時間。この監禁された時間は辛いが、「ペイ・フォワード」(「シックス・センス」で脚光を浴びたハーレイ・ジョエル・オスメント主演)と「ミート・ザ・ペアレンツ」(ロバート・デ・ニーロがユニークな父親役)の2本の映画は苦痛を少しは和らげてくれた。そして2時間弱かけて夕刻シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。シースルーのエスカレーターが近未来都市を想像させ、かなりユニークなものだ。先日日本VSフランスのサッカーの試合が行われたサンドニ地区にあるサッカー場を横目に、高速で30分、ホテルに到着した。折しもイタリアの学生達がチェックインの最中で、ロビーは賑わっていた。案の定深夜まで騒ぐ彼らの声に悩まされ、なかなか寝付けなかった。(フランスはそれ程治安が良くない。なんと添乗員のスーツケースがごった返している中、なくなってしまったのだ。)









3月29日

今年はフランスは長雨続きでセーヌ川が増水して、川沿いの遊歩道も水に浸かっていた。(そのためにセーヌ川クルーズは中止になった。)午前中は市内観光。まずはトロカデロ広場からエッフェル塔をバックに祈念写真を一枚。そしてホテルソフィテルの前にさしかかると、警備の車が目に付く。2008年のオリンピック開催に名乗りをあげているパリに、オリンピック委員会のメンバーが来ていたのだ。当地のニュースではパリも有望候補らしい。凱旋門から12本の放射状の道が延び、その一つ、シヤンゼリゼ通りを車窓から眺めていると、突然長蛇の列が目に飛び込んできた・・・・。











そう、ルイ・ヴィトンの本店前だ。しかもジャポネばっかり。あの最後尾の人はいつになったらお目当てのバッグが手に入るのだるろうか?。やがて目の前に観覧車が見えてきた。フランス革命の勃発地、バスティーユ広場だ。次にパリ発祥の地、シテ島に立つ聖母マリア信仰のノートルダム寺院を訪れた。













ヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』の鐘突き男が鳴らした南塔も見える。ゴシック様式の特徴である窓を広くとり、そこにはめこまれたステンドグラス(バラ窓)は見事というほかはない。外へ出て分かったが、ノートルダム寺院は後ろ姿が美しい寺院だと思った。
この寺院に入り歩いているうちに、なにかこの空間は胎内を思わせる、そんな落ち着いた雰囲気を感じずにはおれなかった。

















午後はイル・ド・フランスと呼ばれるパリの中心地、郊外南西20qのヴェルサイユ宮殿へ。造営を開始した太陽王、ルイ14世の騎馬像の背後に、バロック様式の左右対称の華麗荘厳な宮殿は控えており、世界遺産にも登録されている。リンボウ(林望)先生似のガイドさんの講談調の熱弁にひきこまれ、20余りの王や王妃の居室の案内に要した2時間はあっという間であった。案内が終わり、庭園に出ようとしたその時、雷鳴と共に春の雨が降り、緑の鮮やかさを一層引き立たせていた。草の緑と水仙の黄色、その上に桜のピンク色を加え、みずみずしい春の色彩を心に焼き付けた。夕食はフランス料理の代表エスカルゴ料理。フランスらしさを味わって2日目を終えた。














3月30日

 朝から春らしい上々の天気。パリから南西にバスを走らせ、「フランスの庭園」と呼ばれるロワール地方に入る。まず、16世紀の王、フランソワT世が建築を命じた世界遺産のシャンボール城を訪れた。完成までに100年以上かかった、幅156m、奥行き117mの見事なシンメトリーの巨大な城館だ。折から朝日を背景に威容を誇っていた。続いてロワール川を望む小高い丘にそびえたつ、フランスの城館建築史を垣間見るがごとき、ブロア城に立ち寄った。石畳を登った所にそれはあった。



















城入り口の騎馬像はルイ12世。小学生だろうか、中庭で円座になって説明に聞き入っている光景に出会った。ルネッサンスとゴシック様式の調和が何とも言えず美しい。ステンドグラスを通して当時の宮廷生活が偲ばれる。ドイツもそうだが、私は中世の街並みが大好きだ。(できればプラハやブダペストなども訪れてみたい街である。)

















昼食に郷土料理クネル(川かますの練り物)をいただき、この地方の白ワイン(モンルイ)を飲んだが、葡萄の味が引き出された引き締まったワインだった。春風と酔いも少し手伝ってか、いい気分になり、シュノンソー城までの木立の中の道を歩いていくと、白亜の城館が見えてきた。ルネッサンス期の傑作と讃えられ、シェール川をまたぐ形で建てられている。16世紀初頭から何代にもわたり女性が城主として君臨してきただけに、優美そのものである。庭園はまだ花の季節にはやや早かったが、薔薇の新芽が鮮やかな緑を滴らせていた。夕刻パリにもどり、ホテル近くのスーパーで買い物をしたが、フランスは小切手で買い物をするのが習慣で、レジで長いこと待たされ、せっかちな日本人としては限界に近かった。


























3月31日

 天気は我々に味方した。快晴、紫外線のきつさを感じる。今回の旅行の最大の目的は、西欧の驚異、フランス一美しい修道院モン・サンミッシェルに行くことであった。もちろん世界遺産に指定されている。7時30分、オペラ座近くのマイバス社前からバスに乗り、西へ4時間。ノルマンディー地方に入る。「あっ、見えた」誰かが叫んだ。遙か彼方に修道院の全景が少しかすんで見えた。その当時、巡礼者たちが何ヶ月もかけて歩いてやってきたわけだが、疲労困憊のなかでモン・サンミッシェルの姿を見つけた時の感動たるや、いかばかりであっただろうか。「天空のラピタ」のモデルにもなったということをかつて何かで読んだ。陸地から2qほどの一本道でつながっている。両脇の牧草地では羊たちが草をはむ姿も見られた。丁度干潮時で、バスは島入り口の駐車場に止まる。その日の満潮は23時と記されている。干満の差は15mにもなるという。モン・サンミッシェルは、708年大司教オベールが、聖ミカエルのお告げを受けて建てたのが始まりで、修道院は11世紀から500年以上もかけてロマネスクやゴシック様式の増改築が繰り返された。






そして人々から「空のエルサレム」と崇められた。グラン・リュと呼ばれる土産物屋が並ぶメイン・ストリートを通り抜けて、やがて急な階段を上ると、大修道院の教会の前のテラスに辿り着く。見上げると尖塔の先に「ミカエル像」が金色に輝きまぶしい。そして教会の内部はゴシック様式の傑作で、広々とした空間が印象深い。西棟には回廊式の庭園があり、上階から下階(聖職者・貴族・平民の間)へ見学をしていった。今まで写真でしか見ることの出来なかった場所を目の当たりにした感動は計り知れないものがある。しかしいつも感じることだが、美しい憧れの風物を一端手に入れてしまうと、後には一抹の寂しさが心に残る。そんな思いを抱きながら風光るノルマンディーの要塞を後にパリへと戻って行った。オペラ座の前でタクシーを拾ったが、何とベンツだった。ブラッド・ピッドばりのハンサムな運転手で、恋人がロシア人だとか、来年大阪の堺市の友達に会いに行くとか英語で話してくれて、楽しいひとときであった。




















4月1日
 午後からのフランクフルト経由で帰国するのであるが、午前中のフリータイムを利用して、パリから1時間弱の所にある北フランス、エノモンビル(ルソーが亡くなった村)。そして、中世のソンリス村を訪れたが、教会では折しも日曜のミサが行われ、パイプオルガンの響きに讃美歌が流れ、敬虔な心持ちを味わうことができた。周りでは朝市も開かれ賑わいを見せていた。いよいよ最後の目的地シャンティイ城に立ち寄った。広大な敷地に有名な競馬場までが隣接している。



















ここにはコンデ美術館が併設されており、ラファエロやドラクロアなど見応えのある美術品を多く収めている。展示は無造作だが、ルーブル美術館がほしがっているのも無理はない。



















目一杯観光した今回のパリ旅行6日間であったが、芸術のパリの美術館巡りができなかったのがちょっぴり心残りであった。そしてクリニャンクールの蚤の市にも行けなかったのも残念だった。また来る時の楽しみとしてとっておこう。
A bientot。











聖なる光(ステンドグラス)