2001・8/15(水)〜8/17(金)



シャルロッテンブルク宮殿

 

 ルフトハンザ・ドイツ航空741便は、関西国際空港を定刻の9時40分より20分早いフライトとなった。フランクフルトまで12時間。現地時刻13時50分着。ここでルフトハンザ1680便に乗り継ぎ、ベルリンまで飛ぶ。順調な滑り出し。ところがである。ベルリン空港で我々団体の半分の荷物がピックアップできない。(結局フランクフルトで積み残されたのだ。なんとかその日の内にはホテルについたが・・・・・。)おまけにチェコからの迎えのバス運転手で、宿泊のホテルがなかなか見つからず、予定時刻を一時間以上オーバーしてやっと到着した。

ベルリン 壁が取り壊され、ひとつになった街。統一ドイツの新首都。

 翌朝起きてびっくり。レイクサイド・ホテルという名が示すとおり、湖のそばの森の中のリゾートホテルだったのだ。ひんやりした空気が漂い、目覚めも心地よかった。
 しかし、今年のヨーロッパも異常気象で、この後のベルリンからポツダムにかけては34度の猛暑で避暑どころではなかった。(例年は最高気温も20度台で、バスはベンツ社の大型であるが、冷房も強にしてもさほどきかないのだ)
 ベルリンといえば、森鴎外「舞姫」の舞台。主人公の豊太郎になって、この目で数多の景物を見てみたかったのだ。まずは、1989年のベルリンの壁崩壊後、わずかに残っている場所を訪ねた。予想していたよりも壁の高さもそれほど高くなく、厚さも感じなかったが、この壁によって東西ドイツが引き裂かれていたわけだ。2000年にボンからこのベルリンに遷都され、あちらこちらで新しいビルが建設されている。 

 ジャンダルメン広場には、フランス大聖堂が建っている。ユグノー教徒のために建てられた後期バロック擬古典様式の教会である。その横には、修復なったコンサートホールがある。とにかくドイツの建築物は見るからに重厚である。




 鴎外が通っていたベルリン大学は、ベルリン・フンボルト大学と呼ばれていて、ウンター・デン・リンデンを渡ったところにある。向かいにはベーベル広場や旧図書館があり、今はフンボルト大学の研究所として使われている。
 

 

 続いてクーダムのショッピング街にでると、1871年にドイツ統一を果たした皇帝ヴィルヘルムT世を記念して19世紀末に建てられたカイザー・ヴィルヘルム記念教会が見えてくる。第二次世界大戦の空爆で破壊されたままの姿で保存されている。そしてその横に新しい教会が建ち、通りの手前にはヘンリー・ムーアのモニュメントが於かれ置かれ、新旧の対照がことのほか面白い。

 

 ベルリンの街で一番目につくのが、高さ365メートルのテレビ塔だ。ヨーロッパでも二番目に高い。その下には、豊太郎とエリスが出会ったと言われるマリエン教会がある。現在修復中である。新旧が見事に調和した街、それがベルリンである。

 そして、何よりも残念だったのは、「舞姫」の「遠く望めばブランデンブルク門を隔てて、緑樹枝を差し交わしたる中より、半天に浮かび出でたる凱旋塔の神女の像・・・・」ブランデンブルク門は2002年まで覆いを被され、修復中で見ることができなかった。これは覆いのシートに描かれた絵で、なんと門の向こうにはエッフエル塔が見える。洒落っけたっぷりのドイツ人気質がうかがえた。

 ペルガモン博物館は旧東ベルリンのシュプレー川の中州に建つ世界的な博物館で、1875年に始まったオリンピアの発掘作業で発見されたペルガモン祭壇(紀元前164〜156年)をそのまま移築している。なかなか圧巻である。中央の祭壇から左右にコの字型のウイングがのびている。左が古代美術コレクションで、右は西南アジア美術コレクションで、バビロンの行列通りとイシュタル門を復元している。
 ドイツ・オペラ座を後にして、ルイーゼン広場まで行くと、美しい宮殿公園内にあるシャルロッテンブルク宮殿に着く。シャルロッテ女王の夏の宮殿で、17世紀のバロックから19世紀のビーターマイヤーまでいろんな建築様式が混在している。エーレンホーフ・高さ48メートルの円蓋塔・オランジェリー・クノーベルドルフの棟・そして劇場が加えられ、宮殿の長さは500メートルにも及んでいる。
フランス大聖堂 フリードリヒ2世騎馬像 旧図書館

ポツダム ポツダム宣言の地としてなじみ深い、湖沼に囲まれた優雅な街。
 

 午後からツェツィーリンホフ宮殿を訪れた。1945年のポツダム会談が行われた場所だ。世界史で習ったが、こうやって目の当たりにすると、感慨もひとしおである。チャーチルは身体が大きく、椅子には座らず、ソファを愛用していた。ソファ宮殿というより英国調の蔦の絡まる館のイメージだ。世界文化遺産にも指定され、会談の開かれた部屋は当時のまま保存されている。クーラーなどきいているわけもなく、むせかえるような熱気に閉口した。
 ハーフェル川を見下ろすポツダムの丘にサンスーシ宮殿は建つ。サンスーシ(フランス語)で「憂い無し」の意味だそうだ。1745年、ホーエンツォレルン家の三代君主、フリードリヒ2世が、ベルサイユ宮殿を模して建てたロココ様式の傑作である。ガラス張りの6段の葡萄畑の雛壇を降りて、振り向くとなんとも華麗な宮殿が見えたのである。
フリードリヒ2世の墓 サンスーシー宮殿 サンスーシー宮殿にて

マイセン ザクセンの夢と情熱の結実。名窯マイセンは西洋磁器の祖。

 ドレスデン郊外の古都で、マイセン磁器が生まれた街。国立マイセン磁器製作所を訪れた。初めて雨に出会ったが、ちょうど室内でひどい目には会わなかった。あの二本の青い剣のマークで有名だ。作業工程が見学でき、その後2階の美術館で、3000点あまりのコレクションを見たが、何しろ時間が限られている。
 ブルー・アンド・ホワイトの磁器に興味ある者としては、一つ記念にということで、あのオニオン柄の「ティーリーフ・ポット」を購入した。高さ8センチほどのなかなか可愛い形で気に入っている。そのうち「今月の逸品」に登場することと思う。
マイセン磁器製作工程 マイセン磁器製作工程 マイセン美術館にて

ドレスデン 旧東ドイツ、ザクセン州の古都。壮麗な建築物の宝庫。
 

17世紀〜18世紀、ポーランド王も兼任していたアウグスト王が、武芸競技場の外壁に、2500枚のマイセン磁器タイルの「君主の行列」が残っている。全長102メートル。ヒルトンホテルの斜め向かいにあり、ひときわ目を引く。第二次世界大戦の被害を奇跡的に免れた大壁画が、ザクセンの栄華を今に伝えている。
アウグスト王は、このドレスデンを「エルベ川のフィレンツェ」と讃えた。街自体は徒歩でも回れるくらいで、ヘルリンよりも重厚でかつ芸術的な街だ。エルベ河畔の散歩道「ブリュールのテラス」が続き、市民の憩いの場となっている。木陰にはいると、川からの風が心地よい。
 1841年に建築家のゴットフリート・ゼンパーによって完成したヨーロッパ屈指のオペラハウス。ゼンパー・オペラ。ワーグナーの「タンホイザー」の初演はここで行われた。火災などで2度消失したが、1985年見事に再建された。
 ツヴィンガー宮殿は、ドレスデンを代表する後期バロック様式の宮殿である。アウグスト1世の居城として1732年に完成したが、第二次世界大戦で破壊。現在の建物はそれを忠実に再建した。宮殿内のアルテ・マイスター(古典巨匠美術館)を訪ねたが、ここには15〜19世紀の古典絵画の巨匠の作品が展示されており、ルーベンスやヴァン・ダイクなどの名作があるが、とりわけラファエロの「システーナのマドンナ」はすばらしいものであった。
君主の行列 ブリュールのテラスにて ブリュールのテラスにて