〜王の帰還〜


「しかり、わたしはすぐに来る。」
このみことばは、主イエス・キリストがご自身の花嫁である教会(エクレシャ)に対して
約束されし最後の愛のことばである。
彼を熱愛する真正の花嫁なる教会は、
「アァメン、主イエスよ、きたりませ」(ヨハネの黙示録22・20)と、
天配(はなむこ)なるイエス・キリストの帰還(再臨)を、
切ないまでの待望、一日千秋の思いをもって祈りつつ、今か今かと待つのである。
眼下に目を転ずれば、真正面に閉ざされし黄金門(ゴールデンゲート)が見える。
かってトルコがエルサレムを占領したとき、この門を固く閉ざして以来、
実に永い世紀にわたり閉ざされて開かれない。
ああ、いつの日に、この黄金門は開かれるのであろうか。
「門(かど)よ、こうべをあげよ。
とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
この栄光の王とはだれか。
万軍の主、これこそ栄光の王である。」(詩篇24・9〜10)
この聖書の預言が示すごとく、
栄光のメシヤなる主イエス・キリストが再臨(再来)されるそのときまで、
この門は開かれることはないと言われている。
この預言は必ず近い将来に実現・成就する。
それは、もはや時間の問題という段階に来ているのである。
イエスの神性とメシヤ性を否み、
自らの手によって十字架につけたイスラエル民族が、
「その刺した者を見る時、
ひとり子のために嘆くように彼(キリスト)のために嘆き」(ゼカリヤ12・10)、
その罪を痛悔する時は切迫している。
不信仰によって固く閉ざされていた彼らの心がついにひらかれ、
「ダビデの子に、ホサナ。
主の御名によって来る者に、祝福あれ。
いと高き所に、ホサナ」(マタイ21・9)
と熱狂的に叫ぶ日はいとも近い。
長い世紀にわたって枯れていたいちじくの木であるイスラエルは、
ついに1948年5月14日、
芽を出し独立・再建されたのである(ルカ21・29〜31、イザヤ27・6)
イスラエルの独立・再建こそは、キリストの再臨直前の最も明らかなしるしであると、
イエス・キリストご自身が語られたものである。
私の胸は、イスラエルに対する聖霊の息吹(いぶき)をひしひしと予感するのである。
オリブ山上に立って黙想していると、
「わたしは必ず速やかに帰ってくる」と呼ばれたキリストのことばが、
いきいきと迫ってくるのを感じ、
「アァメン、主イエスよ、速やかに来たりませ」と祈らないではいられなかった。
実際、ここ程この祈りを捧げるにふさわしい地点は、この地上にはないであろう。