「後になれば、ヤコブは根をはり、イスラエルは芽を出して花咲き、その実を全世界に満たす。」(イザヤ書27・6)
本日は、まずこのムーブメントの起源(ルーツ)について語りたい。
それこそは、イスラエルの多くの方々が知りたいと望んでおられるテ−マであると信ずるからである。
年代的なことを言えば、1938年1月9日夜7時のことである。
当時わたしは中国満州奉天(現・瀋陽)において、日本人教会の牧師であった。
突然、聖なる主の御臨在がわたしが座していた部屋に満ち満ち、主の手がわたしの上にあった。
その瞬間、わたしはエゼキエルがそうであったように、霊に在(あ)るものとされたのである。
主(アドナイ)はわたしに息を吹きかけられた(創世記2・7、ヨブ記33・4、ヨハネによる福音書20・22)。
わたしが見ていると、火の輪のようなものがあらわれ、わたしに接近した。
この透明なサファイヤのような火の輪は、生きもののように動きつつ接近した。
それは主の霊が輪の中にあるからである(エゼキエル書1・21)。
ついに、火の玉のごときものはわたしの口にふれた(イザヤ書6・6〜7)
その瞬間、わたしの腹の中に宿ったのである。
すると、その火の玉のごときものは爆発せしもののごとくなり、
火の本質・実体を啓示したのである。


「言、ロゴス、ダーバル、ロゴスは神なり」と。
主はわたしに言われた、「見よ、わたしのことばをあなたの口に入れた。
わたしはきょう、あなたをわたしの証人とした」と(エレミヤ書1・9〜10参照)。
わたしは生ける神と出会い、神によってその日その時、新創造されたのである。
主はさらに幻(ビジョン)を啓示し、わたしに四つの重大な使命を啓示されたのである。
第一、「イスラエルの独立を祈れ」
第二、「イスラエル民族の霊的回復を祈れ」
第三、「イェルシャライムの平和を祈れ」
第四、「平和の君である、ダビデの子なるメシヤの来臨を祈れ」
以上が、その時主ご自身より受けし重大啓示である。
主より受けしこの重大啓示を実現・成就するためには、
まずわたしのなすべきことは、聖書に啓示されている、わけても終末におけるイスラエルに関する預言を研究することであった。
それ以来今日まで、わたしは毎日数時間、預言研究に熱中したのである。
イザヤ預言第27章6節を拝読していたとき、わたしの目からうろこのようなものが落ちて、その預言の意味するものを、実に鮮やかに理解することができたのである。
「後になれば、ヤコブは根をはり、
イスラエルは芽を出して花咲き、
その実を全世界に満たす。」
この預言は極めて重大であり、終末におけるイスラエルの回復に関する三段階が啓示されているのである。
イスラエルの回復における第一段階を注目いたしたい。
「ヤコブは根をはり」との預言である。
御承知のごとくヤコブは12支族の太祖であるが、しばしばイスラエル民族の象徴として、聖書に登場するのである。
「ヤコブ」という場合、未だ神と出会っていない流浪(さすらい)人、受難のイスラエル民族を示しているのである。
「根をはり」根は地下において活動するもので、外的には未だ国家として形成されていないが、イスラエル民族の国家形成の、地下活動が活発に開始されることを示している。
イスラエルの近代史において、これに適合するものは、シオニズム・ムーブメントであることは疑う余地のないものである。
この運動は、宗教復興の運動ではなく、むしろ政治的であり、シオンに帰ろう、祖国を再建しようとの運動であった。
ドクター・ヘルツルがスイスのバーゼルにおいて第1回世界シオニスト会議を招集したのは、1897年8月のことである。
彼はその席上で、「わたしは、きょうここに、ユダヤ国家の基礎を置いた。
世界は必ず50年後に、それを現実的に見るであろう」と、実に重大宣言をしたことは、全世界によく知られている。
しかし、あの時点においてヘルツルの大胆な予言を信ずる者は、ほとんどいなかったが、彼が予言した通り、50年9ヶ月後の1948年5月14日、二千年の久しきわたり失われていたイスラエル国家は、まことに奇跡的に不死鳥のごとく再建されたのであった。
わたしは、この「ヤコブは根をはり」との時代、
シオノズム・ムーブメント時代を、神学的に「地下時代」と言うことにしているのである。
ドクター・ヘルツルが50年と言ったのは、まことに意味深いものがある。
50年ごとにイスラエルはヨベルの年を迎え、大いなるあがない全的解放を経験したからである。
ヨベルの年に関しては、レビ記に詳細にしるされている(レビ記25・10〜55)。
イスラエルの回復の第二段階は、「イスラエルは芽を出して花咲き」との預言である。
永い世紀にわたり失われていたイスラエル国家が、不死鳥のごとく再建されるとの預言である。
その国家の名称は「イスラエル」と名付けられる。
「花咲き」とは、イスラエルは再建されるのみではなく、
歴史の中で花々しく脚光を浴び、発展し、
主より祝福を受けることを示している。
わたしは、この第二段階の時代を、「イスラエル建国時代」と言うことにしている。
この建国時代は、当然ワン・ヨベル50年、または50年9ヶ月と計算すべきであろう。
この建国時代の末期において、
反イスラエル連合がイェルシャライムを持ち上げることに端を発し、
患難時代に突入し、
イスラエル民族は「ヤコブの悩み(大患難時代)」(エレミヤ書30・7)を体験し、
それを過ぎ越し、
メシヤとの出会いを民族的に経験し、
ヤコブは全人格的に変容し、名実ともにイスラエルとされ、
聖なる民、人類に対して祭司の民とされるに至るのである(イザヤ書61・6)。
イスラエルの回復の第三段階は、「その実を全世界に満たす」との預言である。
この預言によれば、イスラエル民族は、メシヤとの出会いを体験するに至るであろう。
なぜなら、イザヤ書第27章12節、13節に、「イスラエルの人々よ、その日・・・・あなたがたは、ひとりびとり集められる。
その日大いなるラッパが鳴りひびき、アッスリヤの地にある失われた者と、
エジプトの地に追いやられた者と(全イスラエル12支族)がきて、
イェルシャライムの聖山で主を拝む」と記されているからである。
新約聖書においても、栄光のメシヤの来臨に関して、
「人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、
天のはてからはてに至るまで、
四方からその
選民を呼び集めるであろう」(マタイによる福音書24・30〜31)
と預言されており、全く一致するからである。
ヨム・キップルは大いなるあがないの日であり、
ラビ達がショファールを鳴りとどかす日でもあるからである。
わたしはそれを断言するものではないが、預言研究の成果として、
こうした思考もあり得るとの解釈に立って申しあげるのである。
したがって、第三段階である「その実を全世界に満たす」について語りたい。
この最終段階こそは、イスラエル民族にとってまことに栄光に輝く時代なのである。
永い世紀にわたり憧憬し待望した、平和の君であるメシヤの来臨を迎え、
イェルシャライムは世界平和のセンタ−となり、
「律法はシオンから出、主の言葉はイェルシャライムから出る」(イザヤ書2・3)
こととなり、イスラエル民族は人類に対してメシヤの民、祭司の民となり、
人類に聖霊を伝達する聖なる民となるのである。
「彼らはわが栄光をもろもろの国民(くにたみ)に伝える」(イザヤ書66・19)とあるごとく、ユダヤ教を伝えるのでもなく、キリスト教を伝えるのでもなく、
主ご自身、真実の神であり永遠のいのちである、主ご自身を伝達するのである。
真の祭司職とは神には人類を与え、人には神を与えることにほかならないのである。
ユダヤ教は、永い世紀にわたり律法を伝え、タルムードを伝え、ユダヤ教の伝統を伝え、今日まで生ける主ご自身を伝えなかった。
キリスト教も同様に、神学を伝え、水のバプテスマを伝え、儀式を伝え、キリスト教を伝えたが、真正のバブテスマである聖霊のバプテスマを伝えなかった。

主ご自身を証せず、永遠のいのちそのものを伝えなかったのである。
栄光のメシヤの来臨、メシヤとの出会いにおいて聖霊のバプテスマを受け、
ついに選民は名実共にイスラエルに変容し、祭司の民となり、
メシヤ時代においては、彼らが出会ったメシヤ、
メシヤにおいて出会った神ご自身を伝達するのである。
かくして選民イスラエルは、その実を全世界に満たし、
偉大な使命をみごとに実現・成就するのである。

アーメン、主メシヤよ速やかに来たりませ。