〜霊的遺書〜



「神はその恵みをさらに増し加えて、
あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜り、
御旨(みむね)の奥義を、
自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。
それによって、神は天にあるもの地にあるものを、
ことごとく、
キリストにあって一つに帰せしめ(キリストにおいて完成し、詳訳)ようとされたのである。
わたしたちは、
御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下(もと)に、
キリストにあってあらかじめ定められ、
神の民として選ばれたのである。」(エフェソの信徒への手紙1・8〜11)
「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・・・・・・
また、聖なる都、新しいエルサレムが、
夫のために着飾った花嫁の用意をととのえて、
神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、
『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、
人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。』
すると、御座にいますかたが言われた、
『見よ、わたしはすべてのものを新たにする。』
また言われた、
『書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである。』
そして、わたしに仰せられた、
『事はすでに成った。
わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである』」(ヨハネの黙示録21・1〜6)
世界には、神に求める(御利益(ごりやく)信仰、すなわち自己中心の宗教)と、
神ご自身を求める宗教(神中心の宗教)とが存在する。
わたしたちが皆、後者に属することは、言うまでもないことである。
「あなたはをつくし、精神をつくし、をつくして、
あなたの神、主を愛さなければならない。」(申命記6・5)
神は愛すべき御者であられるがゆえに、全存在をあげて愛すべきである。
愛のゴ−ル・インは、言うまでもなく、結婚し、一体となり、一つの霊となることである。(コリントの信徒への手紙一6・17)
花嫁が、かくも花婿なるキリストを愛し、神のうちに溶けこむことを望むのは、
キリストの意志を自分の意志とし、
キリストの霊と全く一つになり、
キリストにおいて、
キリストと共に、
キリストのために、
キリストの事業に参与し、神の大経綸に参与することを、切に望むがゆえにである。
「それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。
それによって、神は天にあるもの地にあるもの(全被造物)を、ことごとく、
キリストにあって一つに帰せしめよう(万物の回復、完成、栄光化)とされたのである。」(エフェソの信徒への手紙1・10)
この偉大な神のご計画を実現・成就(じょうじゅ)するためにこそ、
神は、
キリストにあって、
わたしたちを神の民として選び給うたのである(エフェソの信徒への手紙1・11)

つまり、神の経綸(けいりん)に参与するものとして、
特別に選び、かつ召命を与え給うたのである。
そのために、われわれがどうしても知らねばならないことは、
第一に、神のこの御計画を十分に理解することであり、
第二は、そのためにただちに献身することであり、
第三は、その御計画に実際に参与することであり、それに適応(てきおう)することである。
ついに神の時が満ち、
ロゴスが人性をとり、
この世にメシヤとして降誕される直前、
神は、
大天使ガブエルをマリヤのところにつかわして、
おとめがみごもって男の子を生み、
その名はインマヌエルととなえられることを告げしめ給うた。
そこでマリヤが言った、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」と(ルカ1・38)。
マリヤは、全人類の救済、全世界の運命のために、
「成れかし」と賭(か)けたのである。
神が全人類救済に対していだいておられるご計画をみごとに実現・成就するために、
全存在すべてを完全にささげ尽くしたのである。
かくして、ロゴスは肉体をとり給うたのである。
神は、
メシヤの初降臨において、
ひとりの聖処女の協力、全き献身を必要とされしごとく、
キリストの御再臨、万物の回復、完成、栄光化のご計画においても、
あなたの全き献身と協力を、切に期待しておられるのである。