1946年(昭和21年)1月5日、しののめを告げる淡い黄金色の曙光(しょこう)が、
東方の窓からさしそめたそのとき、
厳(おごそ)かなる臨在の中から、
主ご自身より直接啓示(けいじ)の御声を、私は聴(き)いたのである。
「その名をイエスと名づけなさい。
彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」(マタイ1・21)
「聖イエス会! 聖イエス会! 聖イエス会」
聖霊によって誕生した小さき群れ、いとしきものの名を幾度もくりかえし、私は呼んだ。
「あなたの名は注がれたにおい油のようです。」(雅歌1・3)
主御自身より、聖なる御名(ハシェ-ム)によって印され、
同一の御霊を注がれ、
キリストと一体とされ、
キリストのいのちそのものに生かされている、
キリストの神秘体である教会(エクレシャ)として生まれいでしものに、
イエスと名づけることは、
全くふさわしいことである。
「キリスト者はキリストのごとく」
「教会は使徒行伝のごとく」
との標語が、深い黙想のうちに与えられた。
本会のメンバ−は、み名によって聖霊の印を受け(コリントの信徒への手紙二1・22、エフェソの信徒への手紙1・13、4・30)
キリスト御自身をうちに宿し、
キリストのいのちに生き、
キリストの御姿を内に完成し、
キリストの地上生涯の再現、延長となることを目指し、
イスラエルと異邦人によって構成される教会(エクレシャ)を完成する(エフェソの信徒への手紙2・20〜22)ことにより、
イエス・キリストの再臨を実現し、
神の大経綸を成就することを使命とする。
キリスト者は、もうひとりのキリストを意味する。
「『父がわたしをおつかわしになったように、わたしもあなたがたをつかわす。』
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、
『聖霊を受けよ。』」(ヨハネ20・21〜22)
「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、・・・・わたしの証人となる。」(使徒言行録1・8)
聖霊を受けてこそ、キリストに似たものとされ、
キリストと同一の使命に参与するのである。
キリスト者の本質的な召命がここにこそ存在するのである。
「わたしにとっては、生きることはキリストである。」(フィリピの信徒への手紙1・21)
「生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤの信徒への手紙2・20)
キリスト者の生涯は、キリストの地上生涯の再現であり、延長であらねばならない。
人間の人格の核心のうちに内住し現存するキリストこそは、
まことにわたしの知恵、
わたしの義、
わたしの聖、
わたしのすべてのすべてである(コリントの信徒への手紙一1・30)
キリスト御自身のうちに、自己は全く埋没し、
キリスト御自身がわがうちにあって、
今を生きられるのである。
かくなりてこそ、
人には神を与え、
神には人を与え得るのである。
徹底した信仰生活
キリストをすべてに越えて愛し、清貧(せいひん)、純潔(じゅんけつ)、神への献身を喜び、
被造物より離脱し、
キリストと完全に一致した霊的生活。
完徳(かんとく)の模範であるキリストにならい、内的にも外的にも、
常にキリストと共に十字架につけられた殉教生活。
キリスト者は「キリスト・イエスにあって神に生きている者である。」(ロ−マの信徒への手紙6・11)
「神に生きる」ためにこそ、使徒パウロにならい、キリストと共に十字架につけられることを喜ぶのである。
神に生きるためには、自己を生かしているいのちの原理を、どうしても更新しなければならないのである。
いのちの更新なくしては、生活の根本的改革(改変)はあり得ないからである。
「それゆえ、もしだれかがキリストにつぎ木されるなら、その人は全く新しい創造なのです。
古いもの<従来の霊的状態>はすでに過ぎ去ったのです。
ごらんなさい、新しいものが来ました。」(コリントの信徒への手紙二5・17)
キリストの神的生命に豊かに参与し、そこから使徒的活動の霊的エネルギ−を汲みとるのである。
キリストとの一致
「わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えらてた。」(ヨハネ1・16)
「わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、
全き人となり、ついに、キリストの満ち満ちた徳の高さにまで至るためである。」(エフェソの信徒への手紙4・13)
キリストとの一致により、神的生命に参与する度合いに応じて、
キリストに似たものとされ、
キリスト化が完成されてゆくのである。
その人はキリストのように、神のためにのみ生きるものとなる。
「最後に言います、主にあって強くありなさい<彼との結合によって力づけられなさい>。
彼からあなたがたの力<彼の無限の力が供給するところの力>をくみ出しなさい。」(エフェソの信徒への手紙6・10)