〜偉大な実在者〜
@私のすべての思考は神の存在否定から出発していました。
A「神が人間を造るのではなく、人間が神を造る。そして、人間はその自分で造った神によって縛られている。したがって、自由な人間として行動しうるためにはいかなる神からも解放されなければならない。」そう確信していました。
B自分が生きるならば、科学だけが自分を支えてくれるだろうと思い、大学院まで進んで科学を学びました。
C指導教授は、クリスチャンで、科学を本当に学ぶものはその先方に偉大な神の存在を認めるものだと語られました。
D大学院を修了し、会社に就職しました。
E結婚のために自分もクリスチャンになるといった義務感で、教会に通うことになりました。しかし、自分は自分だというかたくなな心と慣れない仕事の疲れが重なり、教会に通うことが苦痛でありました。
F教会の人々は、こんな自分を温かく迎えてくれました。そんな周囲の温かさによってか、自分の心は少しずつではありましたが、開かれていきました。
G集会の中で、牧師の説教を聞いているうちに、いつしか自分は泣いていたのです。こんなばかなと必死に自分にいい聞かせていたのに涙が止まりませんでした。主を求めていたのです。これが聖霊かと思ったのですが、まだ十分ではありませんでした。
Hそれをはっきりと悟ったのは、教会で聖歌隊の皆と祈っていたとき、本当に突然、体中が熱くなり、それが流れとなり、御名が流出しました。
I「我は主なり」の御名が流出したのです。
J先生と聖歌隊員の按手によって、一層激しいものとなり、涙がとめどなく流れたのです。
Kあれ程かたくなだった自分が、結婚のためだけに教会に通っていた自分が聖霊を受けたのです。奇跡としかいいようがありません。
M主に深く感謝したいと思います。これから先の自分の人生は主イエスと共にあるとはっきり認識する次第であります。神は愛なり。
〜家族の救い〜
@母は何回も手術を受け、いつも苦しそうにしており、食事もあまり進まず、すぐ「ああ、しんどい」といっていたのでした。
Aそんな母を見ていて、早く聖霊を宿して、体も元気になってほしいと思っていたのですが、母の体では、教会へ行くことすら、まず無理でした。
Bそれに、私が教会へ来てほしいと言うと「家は仏教やし、キリスト教へは行かへん」とか「また、行けたら行くわ」というのでした。
Cその言葉を聞いていると、母が教会へ導かれるというのは無理だとしか思えませんでした。そう思うと悲しくなり、あきらめようとしたこともありました。
Dしかし、イエス様にはできないことはないと信じ、導かれる日が一日も早く来るよう、毎日、祈ったのでした。
Eそのお祈りが聞き届けられたのか、母は私に「一度、ご挨拶に教会へ行かせてもらうわ」と言ってくれたのでした。
Fその日、教会から帰って、母はこう言いました。
G「会堂へ入ったとたん、すごく暖かいものを感じ、うれしくて、うれしくて、涙がとまらなかった」と。
H母が「お祈りしてると、熱い火のかたまりのような物がすごい勢いで口の中に入り、涙が滝のように流れ、御名があふれでてとまらなかった」と話してくれたのです。
Iその時、私は、「ああ、聖霊が母にも下られたのだ」と思い、うれしさと感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。
J「それが聖霊よ。聖霊ということも知らない母でしたので、なんだか不思議な顔をしていました。
Kそれから、一週間、二週間、一ヶ月と、母の体のぐあいは日ましに良くなっていき、顔にもつやが出てきて、声も元気になり、すべてが変えられ、驚くことばかりでした。
Lまるで別人になったようでした。
〜十字架の道〜
@私は、一人の姉妹と出会いました。
Aその人はクリスチャンでした。私は前々から不思議に思っていたことがありました。なぜ、あるのかないのかわからない、目に見えない神様をそこまで信じることができるのだろうという疑問でした。
Bそこで、その姉妹に「あなたは本当に神様を信じてるの?」と尋ねました。
Cすると、その姉妹は答えました。「私は神様に出会ったのです。」
D私は神様に出会った!。この一言は私の心を打ちました。思いがけない言葉に驚きながらも、私は「これはすばらしいことだ」と感じ、できることなら私も神様に出会うなら、私の今までの悩み、不安、疑問はすべて解消するのではないか、と思ったからです。
E一方では、私のような者が本当に神様と出会えるのだろうか、という不安もありました。
Fけれども、「人は自分の正しい行いによってではなく、ただイエスを神の子キリストと信じる信仰によってのみ救われる。すべて主の御名を呼び求める者は救われる」との聖書の御言葉にふれ、私は神との出会いを心から求めるようになりました。
Gある夜の集会のことでした。一心に神様の御名を呼び求めていた時、私のおなかの底から、「我は主なり」という御名があふれてきたのです。
Hそれは、これまで自分の力で一生懸命呼んでいたのとは全く違っていました。私の心の奥底から、力強く流れ出たのです。「我は主なり」この御名こそ神ご自身、神様そのもの。
I主は生きておられる、今私の内に主は生きておられる。命、永遠の命!私は今、この神、命の主に出会った。
Jその時、私の心には、これまで経験したことのない平安と喜びが満ちていました。
K心をおおっていた闇は消え去り、神様以外の何物をもっても得ることができなかった天の喜びと真の平安が満ちていました。
Lこの時から、主はいつも共に内にいて下さり、さらに深い出会いへと招いて下さいました。
M今、私の心からどうしても離れないものがあります。それは、主イエス様の歩まれた十字架の道です。主に従う道は、十字架の道以外にないからです。
Nその時、一つの御言葉が生き生きとよみがえってきました。「わたしは必ず勝つことができます。主がわたしたちと共におられますから。」(民数記13・30,14・9)
Oそれは、ここで殉教していったキリシタンたちの声となりました。「主が、わたしたちと共におられますから。」彼らを殉教者としたのは、彼らと共におられた主、彼らの内におられた主ご自身でした。
Pその主は、キリストは生きておられる。今私の内に生きておられる。私をもキリストへと変容させて下さる。
Q内におられる主を見つめつつ十字架を負って主に従っていきたいと願っています。
〜主の用です〜
@中学生の僕にとって神様や心の問題、また人間の死の問題など、遠い世界、僕とは無縁な世界に思え、身近にある若者の世界の方がはるかに魅力的に思えました。
Aしかし、神様は愛のお方です。こんな僕に愛の御手をさしのべて下さり、命の道へと導いて下さいました。
Bいつものように大した気持ちもなく教会へ行き、礼拝に出席していました。その時、その集会に生ける真の神・主イエス様が来て下さったのです。
C僕のようなものにも注がれる神様の愛のご臨在に包まれ、僕は初めて神様が生きたお方であり、人間にとって一番大切なものは聖霊・永遠の命であることがわかりました。
Dその日から、僕は永遠の命に渇いて真剣な気持ちで教会へ行くようになりました。
E「主がお入り用なのです。今、主がお入り用なのです、多くの人々の救いのために、神の栄光をあらわすために、主の用です、主の用です。」僕の心はこの言葉にひきつけられました。
Fそれは、僕を呼ばれる主のみ声でした。
G「主よ、ここに私がおります。私をお受け下さい。」僕はイエス様に心を開け渡し、聖書の教えの通りに主のみ名を呼びました。
Hその時、主は来て下さいました。
I「わたしは主である。これがわたしの名である。主のみ名を呼びもとめる者は、みな救われる。」「主よ、あなたこそ生ける神の子、キリストです。われは主なり。われは主なり。」
J心のそこからイエス様を神様と礼拝しながら主のみ名を呼びもとめた時、神様は、「我は主なり」と御自身を啓示し、み名によって僕の心の内に宿って下さいました。
Kあれほど渇いて求めていた聖霊が、永遠の命が、神様が僕の内に与えられたのです。
Lあの日「主の用です」と僕を呼ばれた主のみ声は、今も心に響いてきます。
〜全家族の救い〜
@その頃の私には自分が罪人であるという自覚が全然ありませんでした。
A私の心はいつも自分自身で占められて、何事も自分が優先、たまに心に痛みを覚えることがあっても、ちょつとの間反省し、やがて自分に都合よく理由づけそしてさらりと忘れてしまう。
Bこのような私の心に、どうして神を求める気持ちが生まれるでしょうか。
Cしかし、そんな私でも、教会員の皆さんの生き生きしたかげりのない笑顔、清いあたたかな雰囲気に接して、「ああ、聖霊をいただくとあのような笑顔になるのかしら。それであるなら、何とかして聖霊をいただきたい」と望むようになっていました。
D初めて教会に導かれてから一ヶ月余り経ったある礼拝で、メッセ−ジをお聞きしている内に、私は本当に迷える羊だと心から思いました。
E御名を呼ぶ私の背中に、牧師が按手され、「我は主なり」と力強く祈って下さいました。
F幾千の熱い光線が、頭の中、体の中をかけめぐたようでした。それまで、小さな声で、遠慮がちにしか御名を呼べなかった私ですのに、その時、おなかの底から猛然と噴出するように、御名があふれ出てまいりました。
G気がつくと、もう集会は終わっていましたが、今まで経験したことのない喜び、幸せが、私の心に満ちてくるのでした。
H今では、主人、孫、嫁の実家の父親までも教会に導かれ、神様の救いのみわざが広がっています。
〜今は救いの日〜
@娘の証を目の前で聞き、「今、主を求めよ。この次では間に合わない。永遠の命を求めよ」と、それは真剣で心にせまるものがありました。
A私は、神様のお声であると感じ、真剣に御名を呼び求めました。
B「我は主なり、我は主なり・・・・・・」
Cお腹の底から、御名が泉となって止めようとしても止めることができませんでした。
Dしばらくは、自分の体が自分でないような思いでした。
E自分のような無学な者は、キリスト教とは無縁だと思っていました。しかし、主は、こんな私をも、みごとにお救い下さいました。
F今、私の心は、平安と喜びでいっぱいです。
G聖霊を拝領してからは、いつの間にか体も丈夫になってまいりました。
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