〜出会い〜



〜見よ、神の小羊。このかたこそ神の子である〜
〜神の小羊なるイエスとの出会い〜
〜きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう〜
〜イエスのところに泊まった〜
〜イエスはメシヤなり〜
〜わたしたちはメシヤにいま出会った〜
〜あなたこそ、生ける神の子キリストです〜
@キリストに接触した霊魂は、磁石に触れた鉄片が、他の鉄片を引くように、キリストご自身に他の霊魂を引く引力をもつ者となる。
「そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。」(ヨハネ1・42)
今日世界最大の宗教であるキリスト教も、最初はひとりが他のひとりを導く、個人伝道から開始され、遂に今日の大に至ったのである。
A真の使徒職はメシヤとの出会い、神との一致からのみ成果を期待することができる。
キリストとの一致結合によって、聖霊の充満を受け、キリストのいのちの芳香を発散することによって、人々の霊魂を魅了するのである。
造化は一見どれ程美しく見えても、人々の霊魂を魅了し獲得することは不可能である。
B「イエスは彼に目をとめて言われた。」
イエスはガリラヤの一漁夫に目をとめ、鋭い洞察力を秘めた眼指しをもって、一瞬のうちに今あるシモンと、後あらんとするシモンを見通される。
イエスの尊前に今あるシモンは、ガリラヤより掘り出されし一個の石材の如く、素朴、単純、激情、無学の一介の漁夫に過ぎない。
しかるにイエスは、シモンのうちに、後ある大使徒ペテロを現在において見られたのである。
かくの如きがキリストとシモンとの出会いであった。
C「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケバ(ペテロ、岩の意)と呼ぶことにする。」(ヨハネ1・42)
イエスはこの最初の出会いにおいて、すでに彼のすべてを予見してペテロと呼ばれたのである。
Dシモン・ペテロもまた彼に向かって信仰告白をする。
「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」(マタイ16・16)
Eシモンという名の平凡なガリラヤの漁夫を、人の魂をすなどる偉大な使徒ペテロに、罪に汚れた人間を聖人、神の人に変えられたのである。
私達もシモン・ペテロと共に、イエスの尊前にひれ伏し、かく信仰告白しよう。
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と。