小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会トップ

医療人の自殺
〜悲劇を繰り返さないために私たちにできること〜

植木由紀子 「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」幹事
1954年生まれ。1978年同志社大学文学部卒業。出版社勤務を経て家庭に入る。二児の母。
2008年より『小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会』に参加。

<要旨>
〇1999年に過労自殺した小児科医、中原利郎氏の死について病院の責任を問う民事訴訟控訴審は、2008年10月に敗訴した。だが、この判決は不当である。
〇医師の過重労働は医療の安全性の面からも看過できない。雇用主である病院には、医師と患者双方の健康と命に対して責任がある。また、市民にも果たすべき責任がある。
〇『支援の会』は遺族の最高裁への上告を支持し、今後も支援を続けていく。

 ●注目を集めた判決

  2008年10月22日。故・中原利郎医師の過労死について病院の責任を追求し、損害賠償を求めた民事訴訟控訴審の判決が言い渡されるこの日、東京高裁前には傍聴券の抽選に並ぶ人々の長い列が出来ていました。

  13時10分、820号法廷にて開廷。鈴木健太裁判長による「本件控訴を棄却する」との判決言い渡しに要した時間はわずか1分足らず。その時、原告席に座る中原医師の妻のり子さんの全身から張りつめていた空気がふっと抜けたかのように見えました。判決の主な内容は次の通りです。

 (1)中原利郎氏のうつ病発症と業務遂行の間には、相当因果関係を肯定できる。
 (2)病院の安全配慮義務違反および注意義務違反については、違反したとはいえず、損害賠償責任はない。

  自殺と業務の関係すら認めなかった一審判決に比べれば、確かに半歩進んだ内容です。しかし、遺族が求めたのはあくまでも雇用主としての病院の責任の認定であったのに、結局それはかないませんでした。

  14時30分、原告側の記者会見開始。のり子さんと小児科医になった娘の千葉智子さん、弁護団に向けられたTVカメラはNHKほか計6台。川人博弁護士の「過重労働を強いても経営側の責任が問われないなら、労働者の過重労働を止めることは難しい」、のり子さんの「病院に非はないという判決は受け入れがたい」、智子さんの「父のようにまじめに働く人を守ってほしい。診療のためには、医師が健康であることは必須」という声は各局のニュースで流れ、翌日の全国紙にも大きく取り上げられました。 

  一人の医師の自殺をめぐる裁判が、なぜこれほど注目を集めたのでしょうか。


 
 ●中原医師の死とその遺書

  1999年8月16日の朝6時40分、新しい白衣に着替えた中原利郎医師は、勤務病院の屋上にある煙突の梯子を昇り、脱いだ靴を揃えて29.8mの高さから空中に身を投げました。享年44歳。後には妻のり子さんと3人の子どもが遺されました。

  勤務先の小児科では、同年1月に6人いた医師のうち部長を含めた3人が3月までに退職する事態が起きていました。部長代理を任された中原医師は、医師が減った後もこれまで同様の24時間365日患者受け入れ体制を維持するため、自らの当直回数を増やして対応しました。最多の3月には8回、4月には6回の当直を担当していたのです。

  日常勤務に続く当直、さらに翌日の日勤が重なると32時間連続勤務となります。帰宅と同時に布団に倒れ込む日が増え、次第に感情が不安定になっていく……。夫の身を案じたのり子さんは退職を勧めましたが、中原医師はそれでも職務を投げ出さなかったのです。

  子どもを愛し、「小児科医はぼくの天職」と言い続けていた人がついに「退職を決めた」と告げたのは悲劇の前夜でした。いつものサンダルの代わりに革靴を履き、夜の当直のために家を出た中原医師は、翌朝帰らぬ人となったのです。

  残された遺書、『少子化と経営効率のはざまで』には、国の医療費抑制政策により病院経営が悪化し、とりわけ経営効率の悪い小児科では、収益を上げるために現場に過重な負担がかかっていることが淡々とつづられていました。その最後は「閉塞感の中で、私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません」ということばで結ばれています。

  のり子さんは遺書を見た時の思いをこう語っています。
  「夫はこの遺書を多くの方に読んでいただくことで、過酷な小児医療の現状を知ってほしかったのだ、それを伝えることが私の務めなのだと感じました。同じ悲しみをほかの家族に味わわせてはいけない。もうこれ以上、医者を殺してはいけない」と。

 
 ●遺族の闘い

  夫の「過労死」が認められたら、現状を社会に伝える一歩になるかもしれない。のり子さんはまず、2001年に労災認定を申請し、2002年には病院を相手取り「労働者に対する安全配慮義務違反を問う」民事訴訟を提訴しました。

  2003年、所轄の労働基準監督署は「自殺は業務上の事由によるものとは認められない」との判断を下し、労災認定は却下されました。遺族は東京労働局に審査を請求すると共に署名活動を開始。また、中原医師の友人が中心となり、『小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会』(以下『支援の会』と略称)が発足したのもこの年です。

  2004年、審査請求が棄却された後は中央審査会に再審査を請求。国に対しては労災であることを認めるよう行政訴訟を起こしました。

  2007年3月、東京地裁の行政部で下りた判決は中原医師の死が「過労死」であると認め、国に労災の不支給決定の取り消しを命じるものでした。国は控訴せずに判決が確定、遺族給付が始まります。

  しかし同じ3月、同じ東京地裁の民事部が下した判決は、病院の違反どころか中原医師の過重労働すら認めない内容の原告側全面敗訴だったのです。すぐに東京高裁に控訴したものの、2008年10月22日に控訴棄却という結果となりました。


  これまでの流れは(←PDFファイルへのリンク)の通りです。

 
 ●高裁判決の問題点

  (1)過去の最高裁判例では「疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである」とされています。今回の高裁判決では過重労働の存在を認めながら、安全配慮義務違反については「危険を予見することはできなかった」と免責するのは、先の判例に矛盾するのではないでしょうか。

  また、免責の理由を「何らかの精神障害を起こすおそれを具体的客観的に予見することはできなかった」としていますが、予見の対象を「精神障害」に限定することははたして妥当でしょうか。本来、安全配慮義務に疾病の種類を特定する必要はないはずです。

  (2)勤務先の病院では産業医による健康管理が適切に実施されていたのか疑問です。中原医師は1999年春の健康診断を受けていません。働く人にとって最低限の健康チェックすら怠ったために健康状態の悪化に気づかなかったとも考えられます。その結果、予見可能性がなかったとして雇用主が免責されるのであれば、 産業医制度にいったいなんの意味があるのでしょうか。

  (3)常勤医の補充に関して中原医師には実際の裁量権はありませんでした。人事、財政両面の権限を有する病院は欠員補充に積極的に動くことなく、また、夜間診療を休止する等の措置も取らずに、過重労働を漫然と放置したのです。小児科の採算性を確保すると同時に同僚医師の健康や権利を守るためには、中原医師は自らの当直回数を増やし、自己を犠牲にするほかはありませんでした。  

  強い使命感と責任感から医療現場を支え続けた結果が「これ以上、医師という職業を続ける気力も体力もありません」(遺書より)という言葉であったとしたら、それでもなお、病院に責任はなかったと言い切れるのでしょうか。

 
 ●医師の労働環境について

  『支援の会』は2008年6月に東京・お茶の水の東京医科歯科大学講堂にて「あなたを診る医師がいなくなる!」と題して勤務医の労働環境を考えるシンポジウムを開催しました。その時のアンケート調査によれば、過重労働が原因で辞職・休職・死亡した人が身近にいると答えた医師は7割を超えています。

  医師の労働のうちもっとも過重と思われるものは、当直という名の夜間勤務です。厚労省の通達によれば「宿日直勤務」中は通常の労働を行ってはならないとされますが、医師法19条の「応召義務」に縛られる医師には、患者が来院すれば正当な理由なく診療を拒む権利はありません。夜間の来院数が多く、充分な睡眠を取れなくても翌日通常勤務をせざるを得ない医師は、2006年の日本病院会の「勤務医に関する意識調査」によれば9割近く。ほとんどの病院で当直明けの勤務が常態化しているのが現実です。

  24時間を患者に捧げる覚悟を持って医療界に飛び込んだ人たちは、そもそも過重労働に対する抵抗感が少なく、労働時間を厳密に管理する意識も乏しいように見受けられます。過労や睡眠不足に対する危機感も薄いのかもしれません。

  しかし、24時間覚醒状態の注意力は、アルコール血中濃度0.1%の酩酊初期の状態に相当するとの調査報告もあります。人の命に関わる医師が睡眠不足の状態で診療や手術にあたれば、医療ミスを招きかねません。人の命を預かる航空機のパイロットには、乗務に際して十全な体調が求められます。航空会社がパイロットの健康状態の把握に無関心であることは許されません。病院もまた、医師の疲弊が本人に重大な結果を引き起こす可能性があるのみならず、患者に不利益をもたらす可能性があることについて、注意を払う義務があるのではないでしょうか。

  国の医療費抑制政策や、それに基づく医師数削減の方針が病院経営を逼迫させてきたと言われます。OECD加盟国中最低水準の医師数で世界有数の質の高い医療を提供し続ける陰で、病院ではなにが行われてきたのか。行政も司法も国民も、もはや「知らなかった」ではすまされません。

  医療を受ける私たち市民は、今まで医師の過重労働について知らなすぎました。医師は高い知力と驚異的な体力を持つスーパーヒーローと錯覚し、おなじ生身の人間であることを失念していました。市民の無知と医師の聖職者意識が両輪となって、これまで当直という名の過重労働が看過され続けてきたのだとしたら、今こそストップをかけるべきと思います。それは私たちの安全を守るためでもあります。

  近年、医師の過労を知った市民の中から、医療者の負担を減らすために自分たちにできることを考える人も現れました。 『知ろう! 小児医療 守ろう! 子ども達の会』(代表・阿真京子さん)http://plaza.raku ten. co.jp/iryo000/のように、自ら学ぶことによって不要不急の受診を減らそうとするお母さんたちは、のり子さんにとって心強い仲間です。

 
女性も男性も働きやすい環境に

  中原医師が自殺した時、長女の智子さんは高校3年生。「医者にだけは、なってくれるな」と娘の医学部志望に反対した父は、その夏、帰らぬ人となりました。夫の仕事の過酷さと苦しみが身にしみていたのり子さんは、それでも医学部をめざすという娘に「賛成はしないけれど応援はする」と言葉をかけました。念願の医師となった智子さんは、現在小児科後期研修医として働きながら子育て中です。

  のり子さんを応援する医師の中には、智子さん同様、医師である父を自殺で失った女性医師もいます。父を尊敬し、父と同じ手術ができる科で、女性という資質を活かせる産婦人科を選んだ彼女は、地域医療を支える第一線で働きながら、患者教育は重要とユニークな広報活動を続けています。

  医学部の女子学生率が3割を超える今、使命感を持って医師という道を選んだ女性たちが、安心して働くことができる環境を整える必要性はますます高まっています。ただし、女性に優しい環境が、男性の負荷の上に成り立つものであってはならないのは言うまでもありません。求められるのは働く医師全体を守るシステムです。

 
 
 ●『支援の会』のこれから

  2008年10月に高裁判決が報道されるや、市民や医師および医療関係者からいっせいに抗議の声が上がりました。『支援の会』は会報発行に際し、寄せられた声を緊急特集「司法は医師を見殺しにするのか?」と題する別冊にまとめました。その中で本田宏医師は「病院までが国の過ちを座視して、勤務医の労働環境やメンタルヘルスを守る責任を放棄すれば、日本の勤務医に残された道は現場からの立ち去りしかなくなってしまう」と訴えています。ほかにも東京・長崎の保険医協会や全国医師連盟、日本小児科学会、医療制度研究会、過労死・自死相談センターなど、多くの団体や個人の方からいただいた支持の熱い声を背に、のり子さんは2008年11月4日、最高裁へ上告受理の申し立てを行いました。その後、日本医師会の唐澤祥人会長からもエールをいただきました。

  年間5000件に上る上告申し立てのうち、受理されるのはわずか数件。険しい道ではありますが、『支援の会』は医師の疲弊の実態を司法の最高機関に届けるべく、これからも活動を続けます。最高裁の判断には世の一人一人の声が影響します。高裁判決への抗議や遺族への支援の声は、下記までよろしくお願いいたします。今後は署名活動も考えております。また、のり子さんは医師の過重労働について話す機会があれば、どこの町にでも伺います。ぜひ、あなたの町にもお招きください。

  ★『小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会』のご案内
年会費一口千円、何口でも可です。
  ★問い合わせ先 東京都中央区新川1−11−6 中原ビル「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」事務局 (電話 090-6133- 0090)
  ★ HP/http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/

 
 ●終わりに

  「手近」で「安価」に「高度」な医療を受けられる。世界に誇る日本の医療を支えてきたものが、死と背中合わせの医師の過重労働であり、それを前提とした病院の体制であると知った時、悲しみと同時に憤りをおぼえない者がいるでしょうか。

  生前には語りえなかったことを
  死者は
  死してのち 語ることができる
  死者の語りかけは
  生ける者の 言葉を超えた
  火の舌によって行われる


  T・S・エリオット『四つの四重奏〜リトル・ギディング〜』より

  中原医師の死後、のり子さんが実兄から受け取った手紙に引用されていた一節です。 二人の子を持つ母として私は「死者の火の舌」が世論を動かし、世界を変えていくことを願ってやみません。

 
 ●参考文献

  『小児救急』鈴木敦秋 2008年12月 講談社文庫
  『月刊保団連』2006年2月号・同4月号・同10月号 全国保険医団体連合会
  『小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会』会報 第1号〜9号および別冊

 
   
 「月刊保団連」掲載記事のPDFファイルはこちらから  

「月刊保団連」2009年3月号掲載

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