トッ


小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会
民事訴訟東京高裁判決:2008.10.22

事件名損害賠償請求控訴事件
裁判結果 棄却
裁判官 鈴木健太 内藤正之 後藤健
審級関係 第一審   平成19年 3月29日/東京地方裁判所/民事第27部/判決/平成14年(ワ)第28489号 判例ID:28131546
参照法令 労働基準法

■28150049
東京高等裁判所
平成19年(ネ)第2615号
平成20年10月22日
控訴人 A
控訴人 B
控訴人 C
控訴人 D
上記4名訴訟代理人弁護士 川人博
同 遠藤直哉
同 岩崎政孝
同 弘中絵里
被控訴人 Y
同代表者代表役員 E
同訴訟代理人弁護士 安田修
同 野中信敬
同 久保田理子
同 古金千明

主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は、控訴人らの負担とする。


事実及び理由
第1 控訴の趣旨
 1 原判決を取り消す。
 2 被控訴人は、控訴人Aに対し4200万円、控訴人B、同C及び同Dに対しそれぞれ2600万円及びこれらに対する平成11年8月16日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。


第2 事案の概要
 1 控訴人Aは、亡F(以下「亡F」という)の妻であり、控訴人B、同C及び同Dは、いずれも亡Fと控訴人Aとの間の子である。亡Fは、被控訴人の設置するY附属a病院(以下「被控訴人病院」という)に小児科医(小児科部長代行)として勤務していたが、平成11年8月16日午前6時40分ころ、被控訴人病院の屋上から飛び降り自殺した。
 本件は、控訴人らが、亡Fは被控訴人病院における業務上の過重な肉体的心理的負荷によってうつ病を発症し、これを増悪させたことにより自殺したのであって、被控訴人には、亡Fの心身の健康状態に十分配慮し、適切な業務内容の調整や健康状態に対する適切な措置をとるべき安全配慮義務ないし注意義務を怠った過失があると主張して、被控訴人に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求として、控訴人Aについては1億23959252円、控訴人B、同C及び同Dについてはそれぞれ43519751円及びこれらに対する平成11年8月16日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

 2 原審は、亡Fは遅くとも死亡する数か月前にうつ病に罹患し、これが原因で自殺したものといえるが、亡Fのうつ病の発症ないし増悪について、被控訴人病院における業務との間に相当因果関係を認めることができず、かつ、仮に業務が過重であったとみる余地があるとしても、被控訴人に認識可能性がなかったから、債務不履行又は不法行為に基づく責任を負うことはないと判断して、控訴人らの請求をいずれも棄却した。
 控訴人らは、この原判決に対して控訴を申し立てたが、当審において損害賠償請求の元金を減縮し、控訴人Aが4200万円、控訴人B、同C及び同Dがそれぞれ2600万円の各支払を求めた。

 3 本件の前提事実、争点及び争点に関する当事者双方の主張は、次項のとおり当審における主張を付加し、原判決を次のとおり訂正するほか、原判決「事実及び理由」欄の「第2事案の概要」の2項ないし4項に記載されたとおりであるから、これを引用する。
 (1) 原判決3頁10行目の「4月の本件訴訟提起時において」を「4月当時において」に改める。
 (2) 原判決6頁20行目の「小児科では、」の次に「亡Fの死亡により常勤医による当直を続けることが困難となり、職員の精神的な動揺も激しかったため、」を、同22行目の「その代わり、」の次に「午後5時から午後9時まで当番を組んで日直を行った上、」をそれぞれ加える。
 (3) 原判決7頁17行目の「土曜、日曜、祝日の夜間」を「土曜の時間外、及び日祝日の終日(ただし、午前9時から午後9時までと、午後9時から翌朝9時までの2回に分けることがある)」に改める。
 (4) 原判決9頁12行目の「担当していた」を「行い、平成11年は1月19日、2月22日、7月2日、同月9日、同月16日、同月23日の合計6回、午後3時から午後4時50分までの講義を担当した」に改める。
 (5) 原判決10頁6行目の末尾に「なお、別件訴訟については、平成19年3月14日、原告(控訴人)Aの請求を認め、新宿労働基準監督署長のした前記不支給決定処分を取り消す旨の判決が言い渡され、同判決は確定した。」を、同7行目の「書証(略)、」の次に「書証(略)、」をそれぞれ加える。
 (6) 原判決81頁4行目の「結果は、別表32の〈1〉ないし〈3〉のとおりである」を「結果として、まず、平成151021日から同年1120日までの全体の診療時間、診療人数等をみると、別表32のとおりである」に改める。

4 当審における主張
 (控訴人らの主張)
 (1) 亡Fの業務の過重性とうつ病発症との因果関係について
 ア 原判決の認定・説示に対する反論
 〈1〉 原判決は、業務起因性を判断する基準として、亡Fに起こった個別具体的な業務上・業務外の出来事が、医学的経験則を基礎としつつ、社会通念に照らして、亡Fに与える心理的負荷の有無及び程度を評価し、さらに、亡Fの基礎疾患等の身体的要因や個体側の要因をも併せて勘案し、総合的に判断するのが相当であると説示しながら、本件にこれを当てはめる際に、個々の出来事の影響を過小評価し、事実上、上記の基準を歪曲化してしまっている。
 まず、空き時間において十分な睡眠をとることによる疲労回復の困難性について、亡Fに著しい身体的心理的負荷を与える程度の長時間労働であると評価することはできないなどとし、平成11年2月以降の時間外労働についても、亡Fに著しい身体的心理的負荷を与える程度の長時間労働であると評価することはできないとしているが、相当因果関係の有無を判断する際には、通常以上に身体的心理的負荷を与える業務であるか否かを基準とすべきであって、「著しい」身体的心理的負荷を与えるか否かという点から考えるべきではない。また、同年3月の当直回数について、特に他の月と比べて増加したとはいえないとしていたり、亡Fの日当直の回数や入院患者の受持人数が他の小児科医師に比べて突出して多いとまではいえないなどとしているが、相当因果関係を判断する際に、「突出して」相当回数が多いことまで必要とするものではない。
 次に、日当直の担当日について、亡Fの意向が全く反映されないような状況ではなかったとするが、少しでも亡Fの意向が反映される余地があれば、過重性を認めないかのような言いぶりであって、首肯しがたい。
 さらに、常勤医が減少した影響について、特に多忙であったとは認められないなどとしていたり、外医への当直依頼について、不可能であったとまではいえないなどとしていたり、部長代行に就任したことに伴う業務の増加について、就労状況及び環境が激変したとまではいえないなどとしているが、全体的に極めて高いハードルを設定して過重性の有無を判断するものであって、妥当ではない。
 本来、過重な業務であり、うつ病の発症につき業務起因性があると認めるには、個々の労働者が置かれた個別的具体的状況を前提としつつ、社会通念に照らして、当該状況の下で当該労働者が従事していた業務が、労働者の心身に対する負荷となる危険性のある業務であったか否かを評価検討すればよいのであって、業務が「特に」過重であるとか、「突出して」過重であるという必要性は全くないのである。
 〈2〉 原判決は、亡Fが過重な業務の負担を避けられる可能性があったということを、業務の過重性を否定する根拠とするという論理的な誤りを犯している。
 業務の過重性を検討するには、実際に亡Fが何回日当直を担当したか、G医師がどの程度有給休暇を取得したか、平成11年3月に結果として外医への依頼を増やしたか、会議に亡Fが出席したかという実際に行った業務の内容を検討すべきであって、それを避けられる可能性があったか否かは論理的に無関係である。
 〈3〉 原判決は、当直の過重性、外来診療の過重性、入院患者受持の過重性と、それぞれの業務を分断して検討し、それぞれが突出して又は特に過重とはいえないという理由で過重性を排斥しているが、この理屈は、個々の業務は少しずつ過重なだけであって、どれも突出していないから過重ではないというものである。
 しかし、これらは小児科医としての一連の業務であって、全体的にすべての業務が重くなっているのであり、業務上の心理的負荷を感じる出来事が複数重なる場合、心理的負荷が蓄積していくのであるから、総合的に考えれば十分に過重な業務になると解すべきである。
 〈4〉 原判決は、日当直及びウラ当番のうち、最も長い空き時間を認定し、ある程度のまとまった空き時間のあったことを当直の過重性を否定する根拠としているが、原判決の空き時間の算定の仕方は、現実の業務から極めて乖離しているものである。たとえば、午後8時に患者の診察が終わり、午前3時に次の患者が来て朝方まで診察に要したという場合、午後8時から午前3時までの7時間を空き時間としているが、被控訴人病院の当直では、午前0時より前までの時間帯に急患患者が最も多いのであるから、この時間帯に直ちに中断される可能性が高い睡眠をとるという行動に医師が出るとはおよそ考えられないし、診察を終えた直後から心身が休む態勢になれるものではない。なお、確かに亡Fの勤務報告書上の残業時間は少ないが、それも、こうした当直の夜の空き時間を使って仕事を行っているためであると考えるべきである。
 また、原判決は、就業規則上の始業時刻を参照して、午前8時30分までを空き時間として計算した上、当直終了時刻について、午前9時までに終了できないほどの業務量とは認めがたいなどとして、特段の場合を除き、午前9時を当直終了時刻とすべきであるとしているが、引き継ぎ等、当直医の朝の業務が30分程度で終わるというのは、証拠に基づかない誤った認定である。
 〈5〉 原判決は、平成10年9月から平成11年7月にかけて、4週間当たりの当直回数は5回から7回の範囲内で推移しており、同年3月に特に増加したとはいえないとする。
 しかし、従来3週当たり4、5回であった当直回数が、平成11年1月17日から5月9日にかけて6、7回になっており、4週で区切ってみても、同年2月から4月までは他の期間に比べて当直回数が増えていて、4週当たり7回、すなわち1週間当たり原則として2回も当直を担当しなくてはならないというのは、極めて過重な業務であるといえる。しかも、同年3月の当直は、実際に6時間程度の仮眠可能時間がある日は3日ほどしかなく、診療の多くは睡眠が深くなる深夜時間帯におけるものであるという過酷なものであった。その上、年齢や職責も考え合わせると、亡Fの当直回数は突出して多かったといえるのであり、当直による蓄積された疲労がうつ病の発症に拍車をかけたものといえるから、従来と同じ当直をこなしていたとしても、当直業務が過重でなかったということはできない。
 また、原判決は、平成11年3月当時、外医として依頼していた医師は、毎月1回以上継続的に依頼できる医師として4名、その他臨時で3名程度の医師がおり、月数回、外医に依頼する回数を増やすことが人材不足のために不可能な状況であったとまでは考えがたいと認定している。
 しかし、実際に平成11年3月の時点で、宿直を依頼できる医師は4名にすぎなかったのであり、原判決の認定はその前提を欠く。加えて、現実に外医に頼めなかったからこそ、同月は合計9回しか外医に依頼していないのである。
 〈6〉 原判決は、外来患者について、医師1人1日当たりの外来患者数の調査(書証略)によると、被控訴人病院と同規模の病床を有する病院の小児科で、自治体の場合14.3名、都道府県・指定都市の場合12.2名であるところ、被控訴人病院の場合もこれとそれほど大きな差があるとはいえないと判示する。
 しかし、被控訴人病院では、実際に一般外来をその日に担当するのは常勤医のうちの2名であるから、書証(略)の統計上の数字が、現実に1名の医師が診る患者数を意味しているのか、所属する常勤医の数で除した数を意味しているのか、また、暦上の日数で除しているのか、現実の診察日数で除しているのかが明らかにならないと、被控訴人病院の場合と比較のしようがない。また、原判決の掲げる常勤医1人1日当たりの患者数は、いわゆる一般外来を行っていない日祝日も含めて暦上の日数で除しているから、現実と乖離している。
 〈7〉 原判決は、平成11年1月から3月ころまで、以前より多忙な状況であったとしながら、H医師が嘱託医として勤務していたこと、常勤医が最も少なくなった同年4月における亡Fの労働時間が必ずしもピークに達しているという関係にないこと、亡Fが休日を取得できないような状況であったとは認めがたいこと、労働時間や患者数等から推認される繁忙度についても他の医療機関における平均的な状況と比較しても大きく異なるものではないこと、嘱託医や外医の援助、入院当番の変更等により勤務が緩和された面があること、人員構成の変更に伴う一時的な現象であったという面も否定できないことから、常勤医の退職に伴い亡Fの勤務が特に過重となったとまでは評価しがたいとした。
 しかし、同年3月には、8回という突出して多い回数の当直を亡Fが担当し、しかも、6時間以上の睡眠可能時間も与えられない過酷なもので、完全に休める日が2日しかなかったこと、医師1人1日当たりの一般外来患者数も全国平均より明らかに多い平均32.5名であったこと、受持入院患者数も明らかに増加したこと、H医師は嘱託医として一般外来の二診の診療は行ったが、入院患者は受け持たなかったので、その分はその余の常勤医が担当することになったことを考えると、同年2月から4月、特に3月に業務が過重であったことは明らかである。
なお、G医師の平成11年2、3月の勤務状態について、原判決は、休暇の取得時期を調整することが可能であったはずであるとか、休暇について亡Fが承諾していたなどと説示しているが、G医師が退職を控えて受け持つ入院患者を徐々に減らし、当直の回数も減らしたことは客観的に明らかな事実であり、有給休暇の取得は労働者の権利であるから、これを亡Fが阻むことなどできないし、亡Fより年上で被控訴人病院での経験も長いG医師に対し、部長代行になったばかりの亡Fが現実問題としてG医師の希望に応じないことができるはずもなく、業務の過重性を検討するには、客観的にG医師がどの程度実際に働いたのか、それによって亡Fの業務が過重となったかを検討すべきであることからすると、原判決の認定は極めて不当である。
 さらに、原判決は、亡Fが医師の補充を円滑に行い得なかったことによって受けた心理的負荷が大きなものであったとは認めがたいとしているが、退職者が相次ぎ、増加した業務量について通常の診療業務を行いつつ、診療科の責任者として科全体の診察状況に目配りをしなければならなかった亡Fが、医師確保のために奔走することなど不可能であるし、そもそも亡Fは、被控訴人病院小児科の医師不足が深刻な状況であると受け止め、医師探しに真剣に取り組んでいたのである。
 〈8〉 原判決は、亡Fが出勤時刻を早めたのは、部長代行になった平成11年2月からではなく、同年4月からであると認定したり、終業時刻について、就業規則の定め等から、特に超過勤務として認められる場合を除いては、午後5時をもって終業時刻とするのが相当であると認定している。
 しかし、部長代行になれば、会議等への出席、科内の医師等の勤怠管理や勤務内容に関するチェックなど、明らかにそれ以前よりも業務が増え、小児科全体を統括する責務を負うのだから、以前よりも早く出勤し、遅くまで残業すると解するのが合理的である。
 また、原判決の事実認定を前提としても、亡Fは平成11年3月には83時間にも及ぶ時間外労働を行っていることになるが、原判決は、空き時間を除けば時間外実働時間は30時間であるなどとして、亡Fに著しい身体的心理的負荷を与える程度の長時間労働であると評価することはできないとする。
 しかし、原判決が空き時間を不当に長く算出していること、うつ病発症の業務起因性を検討する際には「著しい」程度までの長時間労働である必要がないことは前記のとおりであり、脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会の報告書(平成131115日公表)では、時間外労働時間が月80時間を超えた場合、睡眠不足を来すことから、脳・心疾患にとって過重負荷となる旨報告されており、この睡眠不足が精神障害の発症原因となることが精神医学的な知見として広く認められている。さらに、上記報告書が業務の過重性の評価にあたって考慮すべきであるとする不規則な勤務、拘束時間の長い勤務、交代制勤務又は深夜勤務、精神的緊張(心理的緊張)を伴う業務という諸要因を満たすことに照らすと、亡Fの時間外労働は、より過重性の高いものと考えられるべきなのである。

イ 亡Fの業務の過重性
 〈1〉 一般的に当直業務の主たる内容は、救急外来に訪れた患者への対応、患者関係者からの電話対応、入院患者への対応、救急隊員等からの電話対応、重篤な患者の先端高度医療機関への転送であるが、このうち主たる業務は救急外来に訪れた患者への対応である。その業務の特徴として、a.小児は自分の病状を的確に訴えることができないので、診断には手間暇や慎重な判断を要する、b.小児の場合、病状が悪化する場合の変化が激しいので、初期段階での的確な診断と治療が極めて重要となるため、細心の注意を要する、c.小児の薬の投与については、体重も小さく代謝機能も未熟なので、個々の症例で年齢や体重を勘案しながら薬用量を決定し、その量をアンプルから注射器に詰め替えて、細かく慎重な投与量を設定しなくてはならない、d.協力が得にくい小児の場合、泣いたりわめいたりする患者をなだめながら検査も診療も実施しなくてはならず、診療治療に手間取る場合が多い、e.時間外に来る患者であるから、昼間より差し迫った症状の急患者が比較的多い、f.子どもに付き添ってくる保護者の心配が高じている場合が多く、特に急患者の場合はその傾向が顕著であるため、保護者への説明等にある程度の時間を要する、g.当直時にしばしば行われる血液検査や点滴などの診療は、検査結果が明らかになったり、当該措置が終わったりするまでに、それぞれある程度の時間が必要であり、医師はその検査結果や点滴の終了を待って診断を確定し、診療を終える必要がある、h.小児科の当直医は1名しかおらず、行える検査や他科のサポートが限られた中で、重症の患者であっても1人で判断をして全責任を負わなくてはならず、急を要する重症患者であっても、診断、処置から搬送先の手配、紹介状の記載など、すべて1人で行わなくてはならないことから、高度の緊張を強いられる、i.治療措置をいったん終えた患者が入院に至らなくとも、症状の変化を確認するため、暫く病院に残って経過診療をする場合がある、j.当直中に入院となった患者については、入院決定後も点滴、吸入など、どのような処置が必要かを看護師に指示したり、入院治療計画書を作成して患者や家族に説明したり、必要な検査を決定し指示したり、カルテを作成するなどの一連の作業が必要であるし、時間的な経過を追って、深夜・早朝時間帯でも随時診察しておく必要がある、k.当直担当の看護師の中には、日常的に小児科を担当していない他科の者もいるから、対応に不慣れなこともあって、医師にかかる負荷が大きい、以上の点が挙げられる。
 受診相談や救急隊からの問い合わせへの対応については、小児科に理解があるベテランの看護師であれば自分で対処することもあるが、そうでない場合、当直医に電話が転送され、偶々仮眠していたとしても連絡がある度に当直医は起こされることになる。入院病棟の患者の診療については、午前0時ころ、仮眠につく前に必ず医師は病棟へ顔を出し、点滴漏れのチェックや看護師への指示など、やるべきことを済ませるが、それでも、当直時の3回に1回くらいは入院病棟から連絡があって医師は起こされることになる。転院処理については、搬送の際、目を離せば状態が悪くなるおそれがあれば、転送先の病院まで当直医が同行することもある。
 朝の業務については、早朝に患者が来ない場合も、当直医は、通常の診療が始まる午前9時前までに入院患者の採血を済ませ、外来担当医に引き続き一般外来に来る予定の患者についての症状や処方などの引き継ぎを行ったり、当直中に入院となった患者に担当医がいる場合はその旨報告をしたり、担当する入院患者の診察を行ったり、多数の業務が存在するため、午前9時までに終えられることはない。加えて、当直医の待機場所である小児科の当直室は、環境が良いとは到底いい難かった。
 また、小児科の当直は、曜日が固定されているわけでもなく、日中の通常勤務に加えて、不規則に当直という夜勤が入り、生体リズムの乱れや睡眠不足から来る心身の疲労がより顕著なものになる。
 さらに、当直中に多少の仮眠が取れたとしても、いつ急患等で起こされるかわからない状態での睡眠の質は、通常の睡眠(安眠状態)と著しく異なり、当直業務の疲労を回復させるには、ほど遠いものである。
 以上のとおり、被控訴人病院小児科医の当直業務は、たとえ夜間に患者がひっきりなしに来るような状態でなかったとしても、医師にとって十分に過酷で緊張感の高い業務であり、当直業務が過重であることは明らかである。
 〈2〉 亡Fは、上記のような過酷な当直業務を平成11年3月に8回、その前後の2月と4月にもそれぞれ6回担当した。平成10年9月以降では、月平均5.7回である。亡Fの当直回数は他の医師より抜きんでて多く、しかも、常勤医の人員不足の中で、部長職に就いたにもかかわらず当直回数を減らす配慮もされなかった。
 平成11年3月の当直中、亡Fがどれほどの仮眠を取ることが可能であったのかを、合理的な推論による最大可能値として検討すると、平均で3時間46分となるにすぎず、3時間以下の場合が3回もある(なお、原判決は、診察終了後にすぐに心身を休められるような状態になるかのようにして、空き時間を算定している点や、空き時間の終期を午前8時半とすることにより、空き時間を不当に長く計上している点などにおいて不当であり、診療後も1時間は仮眠に入ることが困難であるという前提で、かつ、診察終了後も1時間くらいは寝付けないものであるという前提で考えるべきである)。しかも、8回の当直のうち2回は、当直後に通常勤務をこなさなくてはならなかった。次いで、同年4月の6回の当直は、いずれも長時間に渡る連続業務を強いられた。さらに、同年1月以前においても、亡Fは、平成8年4月に小児科で単科当直が導入されてから、ほとんどの月で他の小児科医より多くの日当直を担当してきたのであって、それまでの業務による亡Fの心身の疲労蓄積も看過できないものであった。このように、亡Fは、通常の業務のほかに毎月5、6回の当直をこなし、研究日でも看護学校の講師を行うなどして終始忙しく勤務していたのであって、年始休暇を除いて、終日明確な勤務がなかった日は毎月3日から5日程度しかなかった。その上、産婦人科の新生児への対応を行ったり、家庭を持ち機動性に欠ける女性医師たちに代わって緊急の用件に対応するなど、被控訴人病院小児科の中で経験豊富な唯一の男性医師として、業務の負担が一番集中する立場にあった。
 原判決は、亡Fが当直担当のとりまとめを行っていたことをもって、当直業務の過重性を否定する根拠の1つとするが、亡Fが職務として行った業務が過重であったか否かを論ずべきであって、それを自ら進んでやったか、そうでないかが、過重性を左右する根拠となり得るはずがない。

〈3〉 被控訴人病院小児科では、振替え休日や当直明け休日制度があったが、亡Fは、これらが元来家庭を持つ女性医師の多いことから設けられた制度であったためか、この制度を利用することが少なく、殊に平成11年3月はこの制度を全く利用していなかった。研究日についても、亡Fは、平成11年2月以降、研究日を看護学校の講義に当てたり、同年3月は当直明けや当直日に当てたりしていたため、通常業務を離れた研究等に当てることはできなかった。
 ところで、亡Fの場合、研究日に休めるとしても、土曜日に一般外来を受け持っているから、日曜日と研究日が休みの日となるものの、日曜日に日直や当直を受け持つことも多いし、これに平日の当直も加わり、さらに、ゴールデンウィークや年末年始など、通常の労働者が楽しみにしている長期的休暇も満足に享受することができなかった。このように、亡Fは、いわゆるホワイトカラーの労働者が行っている業務とはかけ離れた、業務に拘束される日々を送っており、それだけでも十分に過重な業務であると評すべきである。
 〈4〉 平成11年2月から4月は、常勤医の相次ぐ退職や有給休暇取得等に伴う人員不足によって、残された小児科医師の過重労働は、当直数の増加のみならず、外来担当の増加、受け持ち入院患者数の増加などの点でも著しいものであった。とりわけ、亡Fにおいては、部長代行としての職責と他の常勤医が女性医師ばかりであるという理由が加わって、他の小児科常勤医と比較しても、同年3月の月8回という最も多い回数の当直を担当するなど、当直業務、外来業務、入院患者対応業務などが顕著に増加し、全体として著しく過重になった。
 〈5〉 部長代行になると、科の長として、部下の勤務状態や健康状態を把握し統括し、物事を決定しなくてはならず、部下の診療内容の確認のみならず、外医の診療内容や看護師の処置についてもチェックし、研修医の指導も行う必要があり、万一何かあった場合は、看護師を含め、部下のミスであっても部長が責任を取らなくてはならないため、自分の診療のみならず小児科全体の診療に目を光らせる必要があった。また、決裁などの事務処理も増え、毎月1回の病院会議、診療部長会議や、近隣病院の医師との会合に出席しなくてはならないという時間的拘束が増え、毎週火曜日に科内カンファレンスを主宰し、患者の状態を共有したり、部長会議や病院会議の内容を伝達しなくてはならなかった。
 また、部長代行になると、経営面で小児科の責任をとらなくてはならなかった。被控訴人病院は、平成9年から平成11年にかけて毎年7億円以上の赤字を出し、累積赤字は2百数十億円に上っていたが、亡Fが部長代行に就任したのは、丁度、被控訴人病院が株式会社富士総合研究所に経営コンサルティングを依頼するなど、本格的に経営改善に着手し始めた時期であった。毎月行われる病院会議や診療部長会議では、病院の売上げが話題の中心であり、売上げを伸ばすためにベッドの稼働率を上げろという業務目標が掲げられるなどしていた。このような、経営改善・効率化政策の中で、亡Fも圧力を感じ、少しでも売上げを伸ばそうとして、平成11年5月ころには小児科で午後にも一般外来を開始しようという現状の体制ではおよそ不可能な提案を医局内でしたり、信念を曲げて入院の基準を緩やかにするようにしたことさえあったのであり、部長代行就任に伴う精神的負担は大きかった。
 さらに、亡Fは、小児科の責任者として、不足する常勤医や外医の補充に努めなくてはならなかったが、被控訴人病院小児科は、特定の病院から医師を派遣してもらえる体制にはなっていなかったため、医師を補充するのは非常に困難であり、しかも、部長代行に就任した矢先、常勤医が6名から3名に半減するという緊急事態になったため、医師探しに奔走しなくてはならなかった。平成11年5月にI医師のつてでJ医師が小児科に加わったが、その矢先にK医師から退職の希望が出たため、亡Fは、再び医師の補充問題でも悩みを抱えることになった。
 ウ 亡Fのうつ病の発症
 亡Fは、平成11年4月前後には、被控訴人病院における過重な業務に起因して、うつ病を発症したものである。この事実は、信用性の高いL医師の鑑定(書証略)、M医師の鑑定(書証略)によって裏付けられている。


 (2) 過重な業務によるうつ病の増悪、自殺との間の相当因果関係について
 ア 業務の過重性の継続とうつ病の増悪
 〈1〉 平成11年5月にJ医師が常勤医として就職し、常勤医は4人体制となって、他の常勤医の負担が多少軽減されたが、それ以上の常勤医の補充がされず、被控訴人病院の小児科に対する支援・協力等は未だ不十分なままであったので、亡Fの業務のうち、特に当直業務、外来業務及び入院患者対応業務等は、適切な調整・支援等がない中で、依然として過重な状態にあった。
 亡Fの当直回数は、平成11年5月から7月がいずれも5回となっており、常勤医の中では相変わらず一番多く、依然として小児科医の平均当直回数月3.49回を上回り、過重であった。外来業務は、同年6、7月の外来患者数につき、前年比では減少に転じたが、絶対数は同年5月に比べて増加しているし、J医師の就職により、外来担当の常勤医は増えたものの、同年6月には、それまで非常勤で外来を担当していたH医師の外来担当が減ったため、J医師の加入は、他の医師の業務の大きな軽減に結びつかなかった。亡Fの入院患者受け持ち数は、同年5月から7月まで、いずれも被控訴人病院の小児科常勤医の中で一番多い人数を担当していた。
 また、部長代行の特有業務として、従来の業務に加えて、加入したばかりのJ医師の診療業務に関して、より注意深く目を光らせる必要があったし、同年8月には、食中毒事件が発生したという連絡が入って、亡Fは休暇を切り上げて病院に戻らなければならないこともあり、部長代行としての職務は、亡Fに対し更に心身の負担を加えていた。

〈2〉 被控訴人病院の採算性重視の経営効率化政策が実行される下で、小児科部長代行としての亡Fの重い精神的負担は、平成11年5月以降も継続していた。特に、同年6月ころ、K医師から退職の相談をされたことは、亡Fに対し、常勤医の減少が生じる出来事として相当な精神的負荷を与えた。
 〈3〉 以上の平成11年5月以降における業務の過重性の継続と精神的負担の過重性が、亡Fの心身に対する過重な負荷となり、同年4月前後に発症したうつ病が増悪する原因となったことは明らかである。
 イ うつ病の発症、増悪と自殺との相当因果関係
 平成11年4月前後に発症したうつ病は、同年8月に亡Fが自殺に至る前の段階では、増悪していた。このように増悪したうつ病の症状は、自殺念慮を生み、自殺企図に至る例が少なくない。
 一般にうつ病においては、その症状である暗い抑うつ気分の存在とともに、将来に対する積極的な展望が不可能となり、本人にとっては未来が閉塞されているように感じられるようになる。また、価値意識の低下や激しい不安及び焦燥感等の症状に苦しめられて希死念慮に囚われ、それが高じて自殺念慮に至り、ついに自殺行為につながる場合があることは、よく知られた知見である。このように、うつ病による自殺は、精神疾患の影響によって判断力の働かない状況下で起こる病に基づく死である。
 したがって、本件においても、平成11年5月以降の継続した過重な業務が亡Fのうつ病を増悪させ、同人を自殺念慮に至らせ、自殺企図に追い込んだのであるから、増悪したうつ病発症と自殺との間に相当因果関係が存在することは明白である。
 (3) 業務外のうつ病発症原因が存在しないことについて
 ア 痛風、高血圧等の健康状態
 原判決は、亡Fが痛風や高血圧等の健康状態に関する不安を抱えていたことが、業務外の要因として、一定の心理的負荷となっていたと指摘している。
 しかし、亡Fを知る関係者の供述のいずれをみても、痛風や高血圧等の生活習慣病自体を亡Fが非常に気にしていたという事実や、そのことが亡Fをうつ状態に陥らせるような心理的負荷として働いていたことを示す事実を存在しない。もとより、このような痛風や高血圧等の生活習慣病の存在自体をうつ病の原因ないし要因とする考え方は、現在の精神医学では全く採用されていない。さらに痛風や高血圧が悪化したとすれば、その原因は過労にあると考えられるのであって、そもそもの根元である過重労働を無視して、病気のみをうつ病の要因と捉えることは許されない。
 したがって、これらを業務外の要因と指摘した原判決は明らかな誤りである。
 イ 睡眠導入剤の服用と睡眠障害
 原判決は、亡Fが睡眠導入剤を頻回服用する状態であったと指摘し、それがあたかも業務外の要因であるかのように述べ、うつ病発症と業務との因果関係を否 定する理由の一つとしている。
しかし、亡Fは、平成8年ころから間歇的に睡眠導入剤を服用することはあったものの、不眠のために当直前や当直明けに飲むようになったのは平成11年2月ころからであり、さらに、業務の過重性が増した同年3月以降、不眠を強く訴えるようになり、特に当直前後は前夜の緊張による不眠に加えて、当直後も疲れすぎて眠れない精神状態に陥って、睡眠導入剤についても就寝前と夜中の2回服用するようになった。すなわち、亡Fの不眠は、同月以降、睡眠障害といえるような継続的で強度な状態に至ったものとみることができる。そして、亡Fの睡眠障害は、その発生時期から判断すると、前記のとおりの業務量・業務内容の著しい増加、当直業務の異常な増加、部長代行に就任したことに伴う業務の加算によって、亡Fの労働時間及び労働密度が著しく増加したこと、部長代行職への任命に伴う職責負担の過重化や経営効率化政策による採算性重視の圧力の下で、小児科の採算性を向上させなければならないという重い精神的負担が加わったことにより、業務が著しく過重となったことを原因として、亡Fがうつ病を発症したことの表れとみるべきである。
 したがって、睡眠導入剤の頻回服用を業務外の要因とする原判決の判断は明らかに誤りであり、むしろ業務が過重であったことの証左というべきである。
 ウ 亡Fの父親の死亡に伴う相続等の金銭問題
 原判決は、亡Fの父親の死亡に伴う相続及び財産上の問題を抱えていたことが、業務外の要因として一定の強い心理的負荷になっていたと指摘している。
 しかし、亡Fの父親は、平成9年7月に死亡しているところ、その相続問題の処理が残っていたのは、亡Fのうつ病発症の1年足らず前の平成10年5月ころまでのことである。また、相続や税金の支払いに関して、亡Fの兄弟間で揉め事などは起こっておらず、相続税の支払いや相続財産であるアパートのローン返済に関しても、預貯金等を取り崩すこともなく対応できている。その他、原判決は、医師住宅から一戸建て住宅への転居や開業の資金問題、家族の将来計画等でいろいろと思い悩むことがあったと指摘するが、転居や開業などは、近い将来の予定として具体的に話が進んでいたわけではなく、いずれもライフスケジュールとして想定される一要素にすぎなかったのであるから、具体的な喫緊の重要な問題として、亡Fが思い悩むことはなかった。
 したがって、亡Fの父親の死亡に伴う相続等の金銭問題について、業務外の要因と判断する原判決は明らかに不当である。

エ 亡Fの親子関係及び子どもの進学問題
 原判決は、亡Fの親子関係などの家族状況が、それほど強度でないにせよ、亡Fにとって一定の心理的負荷となったと考えられると指摘する。
 しかし、亡Fらの親子関係は、総じてみると、互いに仲が良く円満であり、特別な問題性を抱えた関係にはなかった。子どもの進学に関して発生した問題も、どの親子も経験するような進学時期特有の親子間の議論であって、時期が過ぎれば自然に収束する程度の問題であったから、進路が原因となって親子が大きな仲違いを長く続けるようなこともなかった。
 したがって、亡Fと子どもの関係では、およそ業務外のうつ病発症事由として検討されるべき性質の問題はない。
 オ 亡Fの性格傾向
 真面目で温厚、そして責任感が強いという亡Fの性格は、医師として、責任ある立場の社会人として、本来高く評価されるべきものである。そのため、病院の効率化方針につき、小児科の責任者に就任した亡Fが重大な課題として受け止めたことは、同様の立場にある者としては当然のことであり、亡Fの性格傾向が大きく作用したものとはいえない。もとより、亡Fのような真面目で責任感が強いという性格は、医師の中では特異なものではなく、医師の中における性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内のものである。
 したがって、亡Fの性格傾向をもって、業務外のうつ病罹患事由とすることはできない。
 (4) 被控訴人側の安全配慮義務違反及び注意義務違反について
 ア 安全配慮義務及び注意義務の存在
 被控訴人と亡Fは、雇用契約上の使用者と被用者の関係にある。そして、使用者が被用者に対し事業所内等にて継続的な労働の給付を命ずる関係にあることから、使用者が雇用契約上の安全配慮義務を負担することは、当然のこととされている。
 また、労働者の疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険が生じることは、経験則上明らかな事実であるから、使用者は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意すべき不法行為法上の義務を負う。
 このように、使用者は、雇用契約上の安全配慮義務、あるいは不法行為法上の注意義務として、労働者が業務の遂行に伴い心身の健康を損なわないように十分な配慮をする債務を負い、心身に対して安全な就労環境を整える義務がある。そして、被控訴人は使用者として、被控訴人病院の院長、事務長及びH医師らは職制上の代理監督者として、当該義務の履行を負担していた。
 イ 予見義務判断基準に関する原判決の明白な誤り
 原判決は、安全配慮義務や注意義務を問う際の使用者側の主観的態様としての予見義務に関して、亡Fのうつ病の発症やその増悪について被控訴人の認識可能性を認めることは困難であると判示している。
 しかし、生命・健康という被害法益の重大性にかんがみれば、使用者側の予見義務は、精神障害(うつ病)の発症・増悪に至る具体的な認識可能性を基準とするのではなく、労働者の健康の悪化が生じる危険性についての抽象的な危惧感に関する認識可能性を基準とすれば足りるものである。なぜなら、使用者において、業務の過重性により、労働者の健康の悪化が生じる危険性の認識可能性があれば、使用者の立場で過重な業務量・業務内容を軽減するなどして、健康の悪化やそれを原因とする精神障害の発生を回避することが十分に可能であるからである。
 原判決において示された予見義務の判断基準は、最高裁判例(いわゆる電通過労自殺事件、最判平成12年3月24日)の基準にも抵触しており、明らかな誤りである。

ウ 被控訴人の具体的な安全配慮義務違反及び注意義務違反
 〈1〉 被控訴人には、亡Fに対し、次のような具体的な安全配慮義務違反及び注意義務違反が存在した。
 a.亡Fの心身の健康状態に十分に配慮し、業務量・業務内容の適切な調整を行うべき義務の違反
 b.亡Fの心身の健康状態に十分に配慮し、健康状態に問題が発生した場合やそれが顕在化した場合には、適切な措置を講ずべき義務の違反
 〈2〉 被控訴人やその代理監督者は、亡Fの業務量・業務内容の適切な調整を行うべきであったにもかかわらず、それを怠って、亡Fの業務が過重になることを漫然と放置した安全配慮義務違反及び注意義務違反がある。
 まず、平成11 年1月末日をもって、小児科部長であったH医師が定年退職することが明らかであったにもかかわらず、漫然とその欠員を補充せず、1人少ない5名の常勤医の人員のままで、その後の診療体制等を継続させたことにより、亡Fの業務量・業務内容を著しく増加させた。特に同年3月は宿直8回、休日わずか2日という異常な過重労働に従事させており、健康悪化に至る危険が高いことは、使用者たる被控訴人において想像できたはずである。なお、N医師は、同年2月から育休明けで復帰予定であったが、他の常勤医と同様の業務内容は担えないし、同年3月末の退職を前提にした復帰であり、一般外来の担当から外れて補助的な役割を担い、予約外来も予約の件数を減らし、多くの有給休暇を取得する予定であったため、常勤医としての実戦力にならないことが既に前年12月の段階で想定できたものである。
 次に、平成11年3月をもって、N医師が退職する意向を持っていることがH医師に伝えられていたにもかかわらず、何らの措置もとられなかったし、また、G医師が退職する可能性もあったのに、その意思確認をしないまま放置し、同月末にN医師とG医師が相次いで退職することになったにもかかわらず、直ちにその補充を行わなかったため、同年4月には小児科常勤医が3名にまで減少し、その人員のままで診療体制等を継続せざるを得なかったことによって、亡Fの業務量を著しく増加させた。
 上記の各時期が亡Fの小児科部長代行就任の時期に重なったため、亡Fは、同時期に、別途に部長代行の業務を負担して、業務量・業務内容が更に増加したほか、被控訴人病院が推進する経営効率化・合理化政策の下で、不慣れな部長代行としての責任が加わり、採算性を考慮しながら、他の小児科医師、看護師、研修医などの診療や処方に問題がないかチェックするなどの役割を担い、かつ、補充人事に関連する心理的負荷も多大なものがあり、精神的な緊張感の高い過重な業務を強いられた。それにもかかわらず、被控訴人は、亡Fの日常業務ないし部長業務の軽減、当直負担の軽減、常勤医の補充や当直制の中止、採算性重視の経営政策の緩和など業務体制の改善変更策を直ちに計画実行することなく、かえって小児科内で最も多くの当直回数を強いるなど、この過重な状態を漫然と放置したのであって、これは、被控訴人ないしその代理監督者の義務違反に該当する。
 加えて、被控訴人病院における小児科医の当直業務は、急患患者の診療等も当然に含まれており、医師に対し本来業務である医療行為を一般的に行わせるもの であるから、労働基準法41条3号所定の断続的労働としての宿日直勤務とは認められない。被控訴人は、亡Fら医師の労働実態に対する確認を継続的に行い、上記断続的労働である宿日直勤務としての取扱いを廃止し、交代制の導入等について検討するなど、直ちに過酷な当直業務から労働者を保護するための安全に配 慮した措置を講ずべきであったが、このような具体的措置が実施されなかった。
 そして、小児科の欠員の発生は、被控訴人や代理監督者において事前に把握しており、常勤医に欠員が生じれば、同様の診療態勢を継続する限り、他の常勤医の業務量・業務内容の増加に繋がることは自明であるし、小児科の責任者としての部長代行の業務が加われば、更に業務量・業務内容ともに過重性が増すことも明らかである。したがって、本件では、使用者側において、亡Fがかかる過重な業務に従事していたという事実の認識又は認識可能性が十分にあったのであるから、当然に義務違反の責任を負うべきなのである。
なお、安全配慮義務ないし注意義務は、被控訴人の使用者たる地位に由来する義務であるから、亡Fが被控訴人の被用者である以上、亡Fが部長代行職にあったことをもって、使用者たる被控訴人の負担する安全配慮義務ないし注意義務を免除する理由にならず、過失相殺で斟酌すべき事由にも当たらない。

〈3〉 被控訴人やその代理監督者については、亡Fの健康状態の悪化を生じさせる危険をもたらす過重な業務状態に関する認識ないし認識可能性が存在したし、遅くとも平成11年6月ないし8月上旬ころには亡Fの健康状態の悪化自体に関する認識又は認識可能性が存在したから、被控訴人らは、亡Fの健康状態に配慮した措置を講ずべき義務の違反も問われるべきである。
 まず、被控訴人やその代理監督者は、亡Fの健康状態の悪化に結びつく事実、すなわち、小児科常勤医の大幅減員の事実、これから想定される亡Fらの外来業務や入院患者対応業務等に対する過重な業務負担の事実、当直予定表や賃金計算等からみて取れる亡Fの過重な当直負担の事実、部長代行として亡Fに業務負担が加重された事実を認識し、又は認識することが可能であった。
 次に、被控訴人やその代理監督者は、亡Fの健康状態の悪化に関する事実、すなわち、病院内での亡Fの行動や精神状態が異常であることを少なくとも平成11年6月ころから職員が見知っていた事実、同年7月ころから亡Fが使用可能な備品等を含めて部長室内の物を突然処分し始めていたことを関係者が見知っていた事実、同年8月2日に亡FがO医師の診断を受け、この際のカルテ中にストレスフルであったなどと書かれていたり、O医師が亡Fのストレスの原因として仕事が介在していると思ったなどと述べている事実、同月上旬にI医師が亡Fにつき血圧が高く、疲れている様子であると心配した事実、同月11日に病院内で言葉を交わした小児科患者の家族でさえ、亡Fがいつもと違う疲れて元気のない様子であるのを感じていた事実を認識し、又は認識することが可能であった。
 また、業務効率化推進のために富士総合研究所に委託したアンケート調査の結果が平成11年6月に被控訴人に報告されているが、この結果によれば、仕事上精神的圧迫を感じるとしている者が、職員全体で60%を、部長・婦長等でも55%を超え、自分の仕事量を多いと感じる者が、職員全体で約50%に、部長・婦長等では約60%に及び、自分の労働時間が長すぎるとしている者が、職員全体で約40%に、部長・婦長等では約65%にも及んでおり、被控訴人は、特に診療部門の部長等の所属医師の過労に関する事実を把握していたというべきである。
 これらの状況に関する事実認識等を前提にすれば、被控訴人やその代理監督者においては、遅くとも平成11年6月ないし8月上旬ころまでの間に、亡Fの心身の健康状態について問題が発生していたことを具体的に認識し、又は認識できる状況にあったということができる。そして、このような状況下においては、被控訴人らは、亡Fの使用者として、悪化している健康状態に配慮した具体的措置、すなわち、産業医による健康状態の確認、精神科医等の専門医による問診・治療を受けさせるなどの心身の健康状態を正確に把握する適切な措置を講じた上、業務量・業務内容の削減や部長代行としての職務負担の軽減、常勤医を増員した上での長期間の病気休暇の付与等で十分な休養を取らせることなど、業務上の適切な措置を行うべき義務があったというべきである。
 しかし、被控訴人やその代理監督者は、業務上の適切な措置を行わず、心身の健康状態を的確に把握する適切な措置すらも講じなかったのであって、亡Fの心身の健康状態に十分に配慮し、健康状態に問題が発生した場合に適切な措置を講ずべき義務に対する重大な違反をしたことが明らかである。

(5) 安全配慮義務違反及び注意義務違反と亡Fの死亡との因果関係について
 ア 因果関係の存在
 前記の事実関係を前提とすると、仮に被控訴人やその代理監督者が上記の各義務を適切に果たしていれば、亡Fは、過重な業務によるうつ病を発症させ、それを増悪させて自殺に至ることはなかったということができるし、あるいはうつ病を発症した亡Fの症状を軽快させ、うつ病の症状に適切な対応ができたはずであるから、亡Fがうつ病を増悪させ、うつ病による自殺に至るはずはなかったのである。
 イ 結果回避可能性の存在
 うつ病は、いうまでもなく治療その他の方法によって軽快・治癒の可能性がある精神疾患であるから、うつ病が増悪している場合であっても、精神科医が治療のために介入すれば、自殺から遠ざけることが十分に可能であることは明らかである。したがって、亡Fのうつ病に対しても、死亡する直前までの間に治療につなげることができていれば、死亡という結果を回避する可能性があったといえるのである。
 (6) 結論
 亡Fのうつ病発症及びその増悪は、被控訴人病院における過重な業務に起因するものであり、それが、被控訴人側の安全配慮義務違反ないし注意義務違反によることは明白である。
 したがって、被控訴人は、控訴人らに対し、雇用契約上の安全配慮義務違反による債務不履行に基づく損害賠償責任、自らの注意義務違反による不法行為に基づく損害賠償責任、及び代理監督者の業務上の注意義務違反による不法行為に基づく使用者責任をいずれも負担するのである。

 (被控訴人の主張)
 (1) 業務の過重性について
 ア 被控訴人病院の小児科においては、当直明け休み制度が存在し、亡Fはこれを利用しており、仮に当直明け休みとなっていない場合にも、通常想定されるような連続勤務として翌日の外来勤務をこなしていたものではなく、外来診察回数は週の内で確定しているものである。原判決は、空き時間の算定に当たって、当直中の深夜帯で最も長く患者を診ていないと想定される時間のみを対象として算定し、その余の空き時間を休みがとれる時間としてはカウントしていないのであって、極力控訴人ら側に有利に算定を行っているものである。
 イ 控訴人らは、平成11年3月における業務の過重性を強調するが、同月のN医師の勤務形態について、亡Fは、他の医師に比して優遇する形でN医師の意向を受け入れており、同月に退職する同医師に対して、医師補充についての心当たりの有無も尋ねることもなく、今後も共に働く他の医師に対しても、外医等を含めた医師補充について協力依頼をすることも全くなかったのである。そして、現実には、亡Fが少なくとも小児科医師の獲得活動を行ったり、この成果を上げていたとは到底みえなかったのであり、そのため被控訴人は、亡Fに秘してまで小児科医師の獲得活動を行っていたのである。
 亡Fの職場は、高度な専門性を持つ者の職場である。仮にN医師のまとまった有給休暇の取得により、業務が立ちいかなくなってしまう懸念がある場合には、その取得について、時季変更権の行使という権限論を持ち出すまでもなく、率直な話し合いがもたれるはずである。しかし、そのような話し合いがもたれた形跡 はない。
 ウ 亡Fは、被控訴人病院に長く勤めていたから、診療部長会議や病院会議などは、以前の慣例から多忙の折には欠席できることを十分に理解していたはずであり、事務局の総務サイドと診療の現場である診療科の力関係も了解していたはずである。むしろ充分に承知しているからこそ、小児科の決定として、東京都新救急システムへの不参加の決定が行われているのである。したがって、亡Fが部長として東京都新救急システムへの不参加を決定した以上は、被控訴人病院小児科の当直をどのように行おうと(たとえば、水曜日をこれまでの通常の日曜日と同様に宅直にする)自由なのであって、病院当局が敢えてこれを否定したり、阻止したりする理由は皆無である。
 エ 亡Fの当直回数について、平成11年3月としてみる場合、確かに8回と数えることも可能であるが、体は月ごとに時間を刻んでいるものではなく、時間は継続的であるところ、4週間ごとでみた場合には平準的である。また、常勤医師につき、6名が3名に、あるいは4名に減るというと大幅な減員であるかの印象を受けるが、現実には、長らくN医師は産休状態にあったし、H医師はあまり当直をしていなかったから、常勤医4名と外医で当直を回していたのが実態である。
 オ 外来業務については、H医師が退職後も当面入っており、個々の医師の外来担当回数が増えているわけでもない。また、J医師の採用により、常勤医師数は足りたとの判断を亡Fは行っているはずであり、そのため、H医師の外来担当を減らす措置をとっている。
 (2) うつ病の発症と業務との因果関係について
 原判決は、亡Fの業務が過重なものではなかったといっているにすぎず、業務が「著しく」、あるいは「特に」身体的心理的負荷を与えるような労働であるか 否かという基準において、その過重性判断をしたり、過重な労働に当たる場合を極めて狭く解釈するようなことをしているものではない。
 (3) 業務外の要因について
 亡Fが妻の控訴人Aに対し、平成11年5月に勤務することとなったJ医師は亡F自身が奔走して探し出したものであるとか、事務長から小児科は成績が振るわないと言われ続けいろいろ指示をされているなどと、全く事実に反したことを縷々述べていること(書証略)、さらに、当直明け休み制度を控訴人Aに伝えていないということは、亡Fの精神状態についての基本的な理解として、亡Fにとって、控訴人Aが甘えの対象であり、失いたくない存在であって、自分をよく見せる対応をとりがちなことを示している。
 加えて、亡Fは、平成9年7月の死亡によりアパートローンの承継について思い悩んでいたこと、平成10年7月ころには暴力的な言動があったこと、長男との間にわだかまりがあり実弟に相談していたこと、相続税の支払のために預貯金を切り崩している状況にあり、子供の養育費、開業資金の準備のためにアパート収益の分配について実弟と話し合いを持ったことのあることが明らかにされている。

第3 当裁判所の判断
 1 亡Fの勤務内容について
 亡Fの勤務内容に関する事実認定は、次のとおり付加訂正するほか、原判決「事実及び理由」欄の「第3当裁判所の判断」の1項(1)及び(2)に記載されたとおりであるから、これを引用する。
 (1) 原判決1819行目の「認められる。ただし」を「認められる(ただし、後記(シ)のとおり、一部修正をすべき箇所がある)。なお」に改める。
 (2) 原判決2012行目の末尾に「なお、後記のとおり、空き時間の認定について一部修正すべき箇所があるが、平均割合の算出に関しては有意な差異は認められないので、平成1012月以前における日当直中の空き時間については、(原判決)別紙就労状況一覧表のとおり認定する。」を、21頁5行目の 「平成11年」の前に「同年12月7日、」をそれぞれ加える。
 (3) 原判決22頁5行目の「記載はなく、原告ら主張の事実を認めるに足りる証拠はない」を「記載はないが、事務当直日誌(書証略)によれば、上記同 日において、午後7時までウラ当番の勤務をしたことが認められる」に改める。
 (4) 原判決2317行目の次に行を改め、次のとおり加える。
  「(シ) (原判決)別紙就労状況一覧表の一部を、次のとおり修正する。
  〈1〉 平成10年9月
  同月24日、17時から18時までウラ当番をしている(甲102)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の労働時間は1時間、平均空き時間は24分(労働時間の40%)、実働時間は36分、1日当たり欄の拘束時間は9時間10分、労働時間は8時間10分、実働時間は7時間46分となる。
  また、上記同日を含む合計(日割)欄の時間外総労働時間は1時間50分となり、同月の時間外総労働時間の合計は37時間50分となる。
  〈2〉 平成1011
  同月20日、19時までウラ当番をしている(前記認定)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の労働時間は2時間、平均空き時間は48分、実働時間は1時間12分、1日当たり欄の拘束時間は10時間10分、労働時間は9時間10分、実働時間は8時間22分となる。
  また、上記同日を含む合計(日割)欄の時間外総労働時間は5時間となり、同月の時間外総労働時間の合計は46時間となる。
  〈3〉 平成1012
  同月3日、1830分までウラ当番をしている(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の労働時間は1時間30分、平均空き時間は36分、実働時間は54分、1日当たり欄の拘束時間は11時間10分、労働時間は10時間10分、実働時間は9時間34分となる。
  また、上記同日を含む合計(日割)欄の時間外総労働時間は7時間50分、時間外の総実働時間は1時間21分となり、同月の時間外総労働時間の合計は53時間50分、時間外の総実働時間の合計は11時間43分となる。
  〈4〉 平成11年2月
  同月15日、深夜の午前1時30分(翌16日)に西新宿消防署から問い合わせがあって、亡Fが対応・回答をしている(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は午前8時30分までの7時間、実働時間は9時間、1日当たり欄の実働時間は16時間10分となる。
  同月21日、午後9時18分に患者が来院して、DIVと処方を行っている(書証略)。したがって、その処置に要する時間は2時間30分であるから(前記認定)、勤務の終了時刻は午後1148分であり、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は8時間42分、実働時間は3時間18分、1日当たり欄の実働時間は3時間18分となる。
  また、上記各日を含む合計(日割)欄の時間外の総実働時間は6時間58分となり、同月の時間外の総実働時間の合計は13時間53分(超勤平均時間を加算すると19時間17分)となる。
  〈5〉 平成11年3月
  同月7日、午後9時15分に患者が来院して、DIVと処方を行っている(書証略)。したがって、その処置に要する時間は2時間30分であるから、勤務の終了時刻は午後1145分であり、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は8時間45分、実働時間は3時間15分、1日当たり欄の実働時間は3時間15分となる。
  同月16日、深夜の午前0時20分(翌17日)に患者が来院して、午前2時50分までDIVと採血を行っている(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は5時間40分、実働時間は10時間20分、1日当たり欄の実働時間は17時間30分となる。
  同月28日、午後1024分に来院した患者のDIVと処方を深夜の午前0時54分(翌29日)まで行い、次の患者が午前3時40分に来院して、午前6時に入院している(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は2時間46分、実働時間は9時間14分、1日当たり欄の実働時間は9時間14分となる。
  また、同月7日を含む合計(日割)欄の時間外の総実働時間は5時間05分、同月16日を含む合計(日割)欄の時間外の総実働時間は10分となり、同月の時間外の総実働時間の合計は27時間10分(超勤平均時間を加算すると32時間34分)となる。
  〈6〉 平成11年5月
  同月5日、午後2時40分に来院した患者の処方を午後2時55分まで行い、次の患者が午後4時10分に来院している(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は1時間15分、実働時間は12時間40分、1日当たり欄の実働時間は12時間40分となる。
  また、上記同日を含む合計(日割)欄の時間外の総実働時間は10時間となり、同月の時間外の総実働時間の合計は31時間48分(超勤平均時間を加算すると37時間12分)となる。
  〈7〉 平成11年6月
  同月1日、午後1028分に来院した患者の処置を深夜の午前2時30分(翌2日)まで行い、次の患者が午前5時3分に来院している(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は2時間38分、実働時間は13時間22分、1日当たり欄の実働時間は21時間12分となる。
  同月8日、午後9時20分に来院した患者の処置を午後1150分まで行い、次の患者が深夜の午前4時29分(翌9日)に来院している(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は4時間39分、実働時間は11時間21分、1日当たり欄の実働時間は19時間11分となる。
  また、同月1日を含む合計(日割)欄の時間外の総実働時間は3時間02分、同月8日を含む合計(日割)欄の時間外の総実働時間は1時間41分となり、同月の時間外の総実働時間の合計は32時間44分(超勤平均時間を加算すると38時間08分)となる。
  〈8〉 平成11年8月
  同月5日、深夜の午前0時25分(翌6日)に来院した患者の処方等を午前0時40分まで行っている(書証略)。したがって、同日の日当直・ウラ当番欄の空き時間は7時間50分、実働時間は8時間10分、1日当たり欄の実働時間は16時間となる。」
 (5) 原判決2320行目から23行目までを削り、24頁2行目の「36時間」を「37時間」に、同3行目の「45時間」を「46時間」に、同23行目の「著しい」を「大きな」に、それぞれ改める。
 (6) 原判決25頁9行目の「同年2月が」から13行目末尾までを、次のとおり改める。
 「同年2月が19時間、同年3月が32時間、同年4月が15時間、同年5月が37時間、同年6月が38時間、同年7月が19時間と推移している。前記のとおり、空き時間は身体を横にして休むことは可能であるが、反面、十分な睡眠をとることは困難であり、殊に被告(被控訴人)病院における当直中の小児科医師は、絶えず急患の対応に追われる状況ではないものの、いつ来院するか分からない患者に1人で対応しなければならないことから、その緊張感と責任感により睡眠を妨げられることが容易に想像できる。しかも、亡Fについては、周囲の者が一致して真面目、温厚、責任感が強いと述べていることを合わせ考慮すると(証拠略)、長い空き時間があったからといって、亡Fの勤務が過重なものでなかったと即断することはできない。かえって、平成11年2月以降6月までの月間の時間外総労働時間は、いずれの月においても、それ以前の最長である平成1012月の53時間を上回り、特に平成11年3月から6月までは、同年3月の83時間をピークとして、60時間を連続して超えている(単純計算しても、1日平均2時間を超える時間外労働を4か月にわたり連続して行っていたことになる。もちろん、その間の空き時間を除いた実働時間は月間15時間から38時間にすぎないが、空き時間を全くの休息時間と同視できないことは、上記のとおりである)。以上の諸点に照らすと、同年3月から6月までの勤務が、労働時間の面において、亡Fに相当の身体的心理的負荷を与えたものと推認できる。」
 (7) 原判決26頁3行目から27頁8行目までを次のとおり改める。
 「 これに対し、同年3月の当直回数は月8回と、週当たり2回の割合で当直をこなしている。その前後の他の月の当直回数は5回から6回であったから、他の月に比べて回数の多さが際立っているといえる。もっとも、他の月は夜間の当直に加えて日直を1回程度担当しているところ、同年3月は日直を担当していない。しかし、昼間に行う日直に対し、当直は深夜から翌朝にかけて行うものであり、睡眠を妨げられることによる身体的心理的な過酷さを考えても、日直を担当していないからといって、この点を殊更に強調することは当を得ない。なお、被告(被控訴人)は、当直を月単位ではなく、4週間単位でとらえるべきことを主張するが、当直の予定は月単位で組まれていたと考えられるから、当直を担当する者の立場に立ってみると、月単位の回数によって受け取り方が異なるのが当然であり、特に日当直に望む心構えを考えると、月単位の回数によってその負荷を推し測るのが相当である。
  次に、被告病院の他の小児科医師と比べると、平成11年1月以降の日当直の回数は、おおむね(原判決)別紙11「日当直状況一覧表」のとおりであるといえるが(書証略)、当直回数については亡Fが最も多く、次に担当回数の多いK医師よりほぼ毎月1回程度多くこなしており(同年3月は3回も多くこなしている)、I医師と比較すると顕著に多いことがうかがわれる。もっとも、日直については、I医師やK医師の方が相当回数の多いことが認められるが、特に際立った違いがあるというわけではないし、前記のとおりの当直と日直の本質的な違いを考えると、亡Fの当直回数の多さはやはり注目すべきものといえる。また、昭和30年3月生まれで当時既に44歳になろうとしていた亡Fと異なり、K医師は、小児科医師の中で最も若く(昭和4312月生まれ、当時30歳)、しかも、当時独身であったから(書証略)、体力面等を考えても亡Fと単純に比較することはできない。
  次に、被告病院の他の科と比較すると、平成10年1月から3月までのデータで、産婦人科の医師が1人当たり月平均7回強を担当していることがうかがえるが(書証略)、このデータは日直も当直として回数計上しているものであり、しかも、1回当たりの平均患者数は、産婦人科が1.39人であるのに対し、小児科は6.24人である(前記のとおり、平成11年1月以降においても、準夜帯と深夜帯を併せてほぼ毎月6名を超えている)から、産婦人科の医師が亡Fと同程度の当直の負担をしていたとみることはできない。次に、日本小児科学会による研修指定病院628施設を対象とした平成1011月ころの実態調査では、有効回答数461施設中、小児科の医師1人当たりの当直回数は月平均3.49回であり、最も多くの回答があったのは月2回(22.6パーセント)とされているが、一方で、月5回以上の当直をしている施設が25.8パーセント存在し、月6回から8回に上る施設も合計13パーセント存在したことが認められる(書証略)。しかしながら、同調査では、小児科の医師数が1名から5名の施設が55.8パーセントであったのに対し、6名から10名の施設が23.6パーセント、11名から15名の施設が7.2パーセント、16名以上の施設も13パーセント以上に上っているから、月5回以上の当直をしている施設が25.8パーセント、月6回から8回に上る施設が合計13パーセントそれぞれ存在したといっても、それらの医療機関が被告病院小児科と同程度の規模であるのか、かつ、被告病院小児科のように医師1人の当直体制であるのかは、定かでない。
  次に、日本小児科学会員が所属する2183病院(1112の回答)を対象に平成16年に行われた現状調査では、医師1人当たりの月間当直回数は、平日が医師数3人までの病院で平均2回以下、医師数4人以上の病院で平均2.4回から3.2回、休日が医師数4人以上の病院で月平均ほぼ1回であったことが認められる(書証略)。これに照らせば、亡Fの当直回数は、平成10年9月以降ほぼ月6回が続いており、殊に平成11年3月は月8回であったというのであるから、やはり際立って多いことは否めない。」
 (8) 原判決2719行目の「3時間半程度」を「2時間半程度」に、同下から2行目から1行目にかけての「27回」を「26回」にそれぞれ改める。
 (9) 原判決28頁1行目の「20回中17回と、実に85パーセントの割合で」を「20回中16回と、実に80パーセントの割合で」に改め、同10行目から18行目までを次のとおり改める。
 「 しかしながら、一般的には上記のとおりといえるとしても、前記のとおり、被告(被控訴人)病院における当直中の小児科医師の場合、いつ来院するか分からない患者に1人で対応しなければならないことから、いかに長い空き時間があったとしても、その緊張感と責任感により睡眠を妨げられることがうかがえるし、殊に亡Fについては真面目で責任感が強いという性格を有していたから、一層のこと十分な睡眠をとることが困難であったと認められる。したがって、長い空き時間があったこと、当直明け振替休日の制度があったこと、重症患者は第3次救急病院に転送されることになっていたこと、被告病院の小児科が平成11年4月以降、東京都の全日救急システムに参加しなくなったことを考慮しても、亡Fにとって当直業務の負担が大きなものでなかったと即断することはできない。加えて、当直回数が最も多かった同年3月の空き時間をみると、8回中3回が6時間以下であり、特に同月9日は4時間30分、同月28日は2時間46分にすぎなかったのであって、当直回数の多さとも相俟って、同月の当直業務が亡Fにとって身体的心理的に相当負担の大きなものであったと推認されるところである。」
 (10) 原判決3011行目の「あり」の次に「(なお、平成11年1月から7月までをみると、1日平均3.67名、最も受持延べ人数の多かった同年4月は5.43名であった)」を、同12行目の「比較すると、」の次に「退職時まで」をそれぞれ加える。
 (11) 原判決3115行目の「なお、」の次に「被告(被控訴人)病院小児科の一般外来では、一診といって午前9時から診察室に詰めている担当医師と、二診といって病棟を回ったり患者の混み具合を見て診察に出て行く担当医師とに分かれていたところ(書証略)、」を加える。
 (12) 原判決32頁9行目の「書証(略)」を「書証(略)」に、34頁4行目の「可能である(書証略)」を「可能であるし、特に亡Fが専門外来として担当していた「腎」と「川崎病」の患者数は、2名から8名程度にすぎず、それほど多くはなかった(書証略)」にそれぞれ改め、同下から2行目の「復帰し」から35頁9行目末尾までを、次のとおり改める。
 「復帰したものの、N医師は、同年3月に退職するつもりであったことから、亡Fに申し入れて、基本的に一般外来を担当せずに専門外来のみを担当し、その間も子どもに母乳を与えるために3時間おきに帰宅するなどし、日当直もほとんど担当しなかった(証拠略)。
  このように、医師数が多少増加したからといって、亡Fの業務が軽減されたとみるのは早計であり、実際に亡Fの平成11年2月の時間外総労働時間は54時間であって、同年1月の倍以上と長く、平成1012月とほぼ変わらないものの、同年9月から11月までと比較すると、1.2倍から1.5倍近くの長時間に達している。また、空き時間を除いた時間外の総実働時間についても、平成11年2月は19時間であり、平成10年9月以降最も長い。このような観点からみると、平成11年2月における亡Fの勤務は、直ちに過重であったとまで評価することはできないが、その負担を決して軽くみることはできない。」
 (13) 原判決3512行目の「年休を」の次に「10.5日と」を、同16行目の末尾に「また、N医師も、平成11年3月末の退職を控えて、前月の8.5日に続き、9日の年休を取得した(書証略)。」をそれぞれ加える。
 (14) 原判決36頁2行目の「前記イ(ア)のとおり」から37頁3行目の「なお」までを、次のとおり改める。
 「前記のとおり、月8回という当直回数はもとより、時間外総労働時間も前月の54時間の更に1.5倍強の83時間に及んでおり、同月の勤務の重さはやはり際立っているといえる(なお、空き時間が多くあったからといって、直ちに勤務が過重なものでなかったと即断できないことは、前記のとおりである)。当直明けの勤務状況をみると、同月2日、9日、13日、16日及び23日の5回については、当直明けの日が研究日又は日曜日であったため、いずれも当直明けの勤務をしておらず、必ずしも当直明けに十分な休息をとることができない状況にはなかったといえるが、同月7日(日中は勤務をしていない)は、当直後に2日続けて通常勤務をした後に同月9日の当直を行い、同月28日(日中は勤務をしていない)は、当直後に2日続けて通常勤務をし、同月31日(日中は勤務をしていない)は、当直後に続けて午後2時まで半日勤務をしている。また、同月9日の当直の際の空き時間は4時間30分、同月28日の当直の際の空き時間に至っては2時間46分と、空き時間自体が短かかった。このような勤務状況に照らすと、亡Fの平成11年3月の勤務の負担は相当に重いものであり、十分な睡眠を確保することができなかったことは想像に難くない。
  なお、亡Fは、同月の当直の予定を組むに当たって、N医師との間では、水曜日を午後9時までの日直とし、それ以降は宅直にして同医師に担当してもらうことを話し合っていたことが認められる(証拠略)。しかしながら」
 (15) 原判決37頁8行目の「あるにせよ」の次に「、亡Fは自らの腹案を起案しただけで、」を加える。
 (16) 原判決38頁2行目の「や入院患者受持人数」と同3行目の「、別表51」をそれぞれ削り、同10行目から21行目までを次のとおり改める。
 「 その一方、亡Fの入院患者受持延べ人数は、前月の123名から163名に増加しており、時間外総労働時間は69時間と、前月に比べれば減少しているが、これを除くと平成10年9月以降で最も長い。その上、当直状況をみると、6回の当直中5回は当直後に通常勤務又は半日勤務を行っており、特に平成1年4月5日から翌6日にかけては通常勤務・当直・午後3時までの勤務、同月12日から翌13日にかけては通常勤務・当直・通常勤務、同月19日から翌20日にかけては通常勤務・当直・通常勤務、同月22日から翌23日にかけては通常勤務・当直・半日勤務(ただし、午前1040分から午後0時10分まで)という連続勤務を行っており、残りの2回である同月8日及び同月25日も、当直の直前又は直後に通常勤務を行っている。
  そうすると、同月は若いK医師が突出して忙しかったと述べているとおり、亡Fにとっても、十分な休息をとる暇もないほどの負荷を強いる勤務状態であったとみることができる。」
 (17) 原判決39頁6行目の「38時間」を「37時間」に、同11行目の「26時間」を「25時間」にそれぞれ改め、同17行目の「前記の」から18行目末尾までを、次のとおり改める。
 「以上に照らすと、同年3月や4月の勤務と比較すれば、亡Fの負担は緩和されているといえるが、尚も時間外総労働時間が64時間に及び、当直を5回、日直を3回担当しているほか、特に同年5月6日から翌7日は通常勤務・当直・半日勤務(ただし、午前1040分から午後0時10分まで)という連続勤務を行っており、同月11日、同月16日、同月18日及び同月25日は当直の直前又は直後に通常勤務を行っているのであって、前月と前々月の勤務により相当疲弊していたと考えられる亡Fにとっては、なお身体的心理的に負担の重い勤務が続いていたといえる。」
 (18) 原判決3922行目の「外来患者数が」の次に「前年比で」を、同下から3行目の末尾に「しかし、亡Fの同年6月の勤務は、時間外総労働時間が64時間近くという高水準で推移しており、当直を5回、日直を1回担当しているほか、特に同月29日から翌30日は通常勤務・当直・通常勤務という連続勤務を行い、しかも、このときの当直は空き時間自体が約4時間しかなかったものであり、後記のとおり遅くとも同月にはうつ病に罹患していたと考えられる亡Fにとっては、同月の勤務は尚も過重であったと評価することができる。」をそれぞれ加える。
 (19) 原判決40頁8行目の「また」から15行目末尾までを、次のとおり改める。
 「したがって、常勤医の人数が減少したからといって、当然に亡Fの勤務が過重になったと即断することはできないが、(原判決)別表51「医師別の入院患者受持延べ人数表」のとおり、亡Fの入院患者受持延べ人数が、特に平成11年3月以降激増したことに加え、同月から同年6月における時間外総労働時間の長さ、当直業務や連続勤務の実情に照らすと、同年3月から4月にかけての勤務は亡Fに身体的心理的に大きな負荷を与えるものであり、その後の勤務状況も、疲労が蓄積し、同年6月にはうつ病を発症していた亡Fにとっては、負担の大きなものであったということができる。」
 (20) 原判決41頁1行目の「むしろ、」の次に「被告(被控訴人)病院が小児科の医局からの外医補充の要請に対して、制限を加えたことはなかったことが認められる(書証略)。そして、」を加え、同8行目の「書証(略)」を「書証(略)」に、同10行目の「書証(略)」を「書証(略)」に、同18行目の「書証(略)」を「書証(略)」にそれぞれ改める。
 (21) 原判決42頁8行目、4315行目及び同17行目の「決済」をいずれも「決裁」に改める。
 (22) 原判決4313行目の「さらに、」の次に「亡Fから頼まれたわけではなかったが、常勤医の減少を懸念した」を、同下から4行目の「書証(略)、」の次に「書証(略)、」を、同下から2行目の「書証(略)」の次に「、書証(略)、」をそれぞれ加える。
 (23) 原判決44頁3行目の「認められず、」から15行目までを次のとおり改める。
 「 認められない。
  以上のとおり、亡Fが常勤医の確保のため多方面に奔走していたとは認められず、その時間的、身体的な負担は大きなものではなかったと考えられるが、他方、平成11年1月に張り切って部長代行に就任した矢先に、N医師及びG医師が相次いで予定外に退職することになり、後任者の補充や勤務態勢の調整等の対応を迫られたことによる心理的負担は、小児科医が全国的に不足している状況で、しかも年度末であったことも考えると、相当大きなものであったと推認できる。殊に、心身症の専門家として全国的に著名であった前任のH医師と異なり、出身大学関係者以外に人脈を持たなかった亡Fにとって、部長代行として常勤医の獲得が円滑に進まなかったことが心理的負担となったことは想像に難くなく、また、同年4月に、I医師(後記のとおり、亡Fは、同年3月ころ、同医師がH医師の後任の部長の候補者として検討されたことを聞いていた)の紹介でJ医師の常勤医としての採用が決まったことも、亡Fの自信や自尊心に影響を与えたものと考えられる。」
 (24) 原判決44頁末行の「認め難いから」を「認め難いし、開催や協議等の顛末を被告(被控訴人)病院に報告することを求められていたわけではないから」に改める。
 (25) 原判決4521行目の「資料に目を通す程度のものであり、」を「会議の内容は各委員会の報告や事務連絡が中心で、収支報告等といってもその資料に目を通す程度のものであり、赤字体質を憂慮する発言が院長や事務長からされたり、ベット稼働率を上げることが話題として取り上げられたこともあったが、」に改め、同末行の「尊重されており」の次に「、かつ、その人数等に特に制限があるわけではなく」を加える。
 (26) 原判決46頁8行目の「整備課のスタッフが整理され、」を「設備課のスタッフが整理され、また、比較的大きなスペースを与えられていた」に、同19行目の「求められたりといった」を「求められたりしたといった」に、同21行目の「個別に責任追及するような話はなかった」を「個別に責任を追及するような話はなかった」に、それぞれ改める。
 (27) 原判決47頁2行目から4行目までを削る。

2 亡Fのうつ病の発症について
 (1) うつ病の判定(書証略)
 うつ病は、抑うつ、制止等の症状から成る情動性精神障害であり、うつ状態は、主観面では気分の抑うつや意欲低下等を、客観面では沈んだ表情や自律神経症状等を特徴とする状態像である。うつ病に罹患した者は、健康な者と比較して自殺を図ることが多く、うつ病が悪化し又は軽快する際などに、自殺に及びやすいことが知られている。
 このようなうつ病の診断基準については、世界保健機関(WHO)の国際疾病分類第10版(ICD—10)によるF32うつ病エピソードの診断基準と米国精神医学会による精神疾患の分類と診断の手引き(DSM)の大うつ病エピソードの診断基準が広く用いられている。
 前者(ICD—10)の概要は、
 A.以下の症状のうち少なくとも2つが存在する。a抑うつ気分、b興味と喜びの消失、c易疲労性
 B.以下の症状のうち少なくとも3つが存在する。a集中力と注意力の減退、b自己評価と自信の低下、c罪責感と無価値観、d将来への悲観、e自傷あるいは自殺の観念や行為、f睡眠障害、g食欲不振など
 C.エピソードの持続期間は少なくとも2週間であるが、症状が極めて重症で急激であれば、より短い期間であってもよい。
というものである。
 後者(DSM)の概要は、
 A.以下の症状のうち5つ以上(aあるいはbのどちらかを最低含む)が、2週間以上存在し、病前の機能からの変化を起こしている。a抑うつ気分、b興味又は喜びの著しい減退、c体重(食欲)の著しい増加又は減少、d睡眠障害(不眠又は過睡)、e精神運動性の焦燥又は制止、f易疲労性又は気力の減退、g無価値観又は罪責感、h思考力や集中力の減退又は決断困難、i死についての反復思考、反復的な自殺念慮や企図など、
 B.症状は混合性エピソードの基準を満たさない。
 C.症状は、臨床的に著しい苦痛又は社会的、職業的その他の領域で機能障害を引き起こしている。
 D.症状は、物質(乱用薬物、投薬)の直接的な生理学的作用又は一般身体疾患(甲状腺機能低下症)によるものではない。
 E.症状は死別反応ではうまく説明されない。
というものである。

 (2) 亡Fのうつ病発症を示す症状
 証拠(略)によれば、次の事実が認められる。
 ア 亡Fは、平成11年3月ころ、小児科の前部長のH医師が、自分の後任について当初はI医師を推薦していたことを病院の関係者から聞いて、落ち込んでいた。
 イ 亡Fは、平成11年4月ころから、帰宅してぐったりした姿が家で目立つようになり、子どもの成績を聞いて涙ぐんで喜んだり、ささいなことで泣いてしまったり、突然怒りっぽくなったり、ピアノの椅子を訳もなく何度も叩くといった行動をみせた。
 ウ K医師は、平成11年6月ころ、亡Fが以前とは異なる緊迫感を持っていると感じるようになり、病院内のソファーで疲れた様子でうなだれているのを目撃したり、怒りっぽい態度を示したかと思うと、呆然とした様子を示すのを経験した。
 エ 亡Fと親しかったO医師(被控訴人病院の心臓血管外科部長)が、平成11年6月ころ、亡Fに対し、好きなサッカーに関する質問を投げかけても、興味を示すことがなかった。また、亡Fは、同年7月ころ、部長室の前に段ボールで目立つくらいのゴミを出していた。

 
(3) 医学的意見
 上記(2)の認定事実、前記認定に係る亡Fの勤務内容、後記認定に係る業務外の事柄等を基にして(ただし、当裁判所の認定と一部異なる事実を前提とした部分もある)、亡Fのうつ病の発症及びその業務との関連性について、次のとおりの医学的意見が出されている。
 ア M医師の意見書(書証(略)、聖マリアンナ医科大学神経精神科)
 〈1〉 亡Fの症状は、DSMの大うつ病と診断することができ、かつ、ICD—10の診断基準によるうつ病と診断してよい。
 〈2〉 うつ病を引き起こすものとして、身体的な要因と心理的な要因が挙げられ、不眠、疲労、寒暖の変化などの身体的な消耗や、風邪、脳血管障害などの身体疾患が身体的要因になり、人間関係の不和、近親者の死などいわゆる嫌な出来事が心理的要因になる。
 〈3〉 亡Fは、慢性的な疲労状態にあったところに、医師の欠員により仕事量が増え、著しい疲労状態に置かれ、加えて、小児科の責任者になったことで部下と管理側の間で板挟みとなり、同人の努力にもかかわらず、医局員は退職したりして不満を持ち、管理側からは会議で注意を受けるなどして結果が得られず、亡Fを評価していない元上司が影響力を残していた職場のストレス状況下に置かれて、自信を喪失した。このような身体的心理的要因からうつ病を発病したものと考えられる。亡Fのうつ病は、一般的なうつ病と異なり、多忙とストレスを訴えはするものの、仕事と日常生活を支障を来さない程度に行い、人生に関わることを熟考せずに口に出してみたり、あるいは決定しようと焦っているような面がみられることから、焦燥型のうつ病であったと考えられる。
 〈4〉 亡Fは、上記のような極度の疲労と心理的ストレスから、平成11年3月末ころから6月末ころの間にうつ病を発病し、これが増悪した結果、投身自殺したものである。
 イ L医師の意見書(書証(略)、原審証書、千葉県精神保健福祉センター精神科)
 〈1〉 亡Fの状態は、DSMの大うつ病エピソードに該当し、自殺を説明できるものは、うつ病に罹患していたことのみである。亡Fは、平成11年4月前後よりうつ病に罹患し、抑うつ気分、興味関心の喪失、気力の減退、自信の低下、思考力と注意力の減退、自責及び罪責感や無価値感、睡眠障害、そして、将来への悲観的思考を徐々に増悪させながら、自殺念慮を抱き、自殺に及んだものと考えられる。
 〈2〉 亡Fの疾病は、性格状況反応型であり、これは几帳面、真面目、他人に対する配慮が強いといった性格傾向(メランコリー親和型性格あるいは執着性格)を持った人が、責任を果たすべく努力を重ねるものの、制縛状況に追い込まれ、疲弊した結果、うつ状態を呈するようになるタイプである。このように、亡Fのうつ病の原因は、性格と状況が織りなしたものであり、真面目で責任感旺盛な性格の亡Fが、部長代行として病院側の要求と医局員の要求の狭間に立たされ、人事面での努力もままならず、責任を自ら負うごとく、殺人的な当直回数を引き受けて疲労困憊の状況に追い込まれ、その事態解決の糸口も見つからず、身動きのできない状態を深め、うつ病を発症させた。そのうち、平成11年3月に重なった身体的及び心理的な負荷が最大の状況因であり、同月中の当直回数が8回というのは常識外の過酷な状況で、これが極度の身体的疲労及び心理的な影響を与えたことは明らかである。また、これに追い打ちをかけたのは、部長就任に関して、本来はI医師が前部長のH医師から推されていたという話を病院上層部から聞かされ、自尊心が深く傷ついたことがあって、亡Fは、他者からの評価に対して敏感になる心理的態勢を作り出し、小児科の責任者としてどう評価されるかを戦々恐々とし、病院の経営方針に従った対応をとろうと努力する一方で、N医師には軽減勤務を受け入れるという相反する対応もしており、まさに葛藤状況に陥っていたのである。加えて、常勤医の減少に対する人事面の努力が実を結ばなかったことは、負担をかけ続ける医局員に対する責任感を強く意識させ、焦燥をかきたてた。 〈3〉 亡Fは、上記の結果、うつ病を平成11年4月前後に発症し、そして、発症以後の業務量は健康時の何倍もの負荷として加わり、うつ病を増悪させ、その結果、自殺に結びついた。

 ウ 東京労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会の意見書(書証略)
 〈1〉 亡Fに現れた症状は、ICD—10に照らして、F32に分類される「うつ病」と判断でき、発病の時期は平成11年6月とするのが妥当である。
 〈2〉 発病前おおむね6か月間に発生した出来事をみると、部長代行になったこと、医師の増減があったことなどの出来事が認められ、これらの出来事を後記の専門検討会報告書の評価表に当てはめると、それぞれ平均的な心理的負荷の強度はIであり、また、出来事に伴う変化についても、恒常的な長時間労働の発生はなく、心理的負荷の総合評価は強には至らない。
 〈3〉 発病前おおむね6か月間に業務以外の心理的負荷要因は認められない。
 〈4〉 以上から、業務外として処理するのが妥当である。
 エ P医師の意見書(書証略、原審証言、関東労災病院精神科)
 〈1〉 亡Fに現れた症状は、ICD—10に照らして、F32に分類される「うつ病」と判断でき、自殺はうつ病に基づくものである。発症の時期は、睡眠導入剤の服用や飲酒の習慣、更には妻である控訴人Aの陳述に照らし、平成8年8月ころと判断する。亡Fは、軽症うつ病に長く罹患していたが、平成11年3月ころから中等あるいは重度に移行していったと考えられる。
 〈2〉 亡Fの高尿酸血症及び高血圧症は多因子遺伝病であり、それは肥満により発症し、かつ増悪していると考えられる。うつ病に罹患すると、食欲が昂進することもあることを銘記すべきである。
 〈3〉 亡Fが罹患していた軽症うつ病は、同僚の医師も診断できなかったと判断され、うつ病自体も業務に起因するものではなく、高尿酸血症が徐々に進行していたことによるものと考える。また、控訴人Aは、夫は孤立していたと述べているが、これは亡Fの生き方そのものが招いたのであって、職場環境とは無縁である。
 オ Q教授の意見書(書証(略)、晴和病院院長・帝京大学名誉教授)
 〈1〉 亡Fは、ICD—10やDSMといった診断基準に則っても、うつ病と診断することに問題はなく、発症時期については、平成11年6月ころ、又は同年3月から4月にかけてということができる。
 〈2〉 部長代行就任に伴い、責任感の相違はあり得ても、業務量の変化は余りなく、具体的な職務の内容の変化も際立ったものではないから、業務の内容や量がうつ病の発症に直接影響したとは考えられない。また、亡Fは、平成11年3月に8回の当直を受け持っているが、従来よりこの程度の勤務時間・当直をしてきており、同月の勤務・拘束時間が取り立てて長いものでもない。 〈3〉 平成11年4月に常勤医師が減少しているが、勤務時間に大きな変化はなく、同月の業務が過重になったとはいえない。むしろ、退職した医師の後任を探すのに苦労したこと、結果として見つけられなかったことが昇任うつ病と重なり、ストレスになった。
 〈4〉 亡Fは、昇進後数か月でうつ病を発症しており、昇進うつ病としてとらえることができる。昇進うつ病とは、常識的には喜ばしい昇進をきっかけとして発症するうつ病をいい、亡Fの場合は、昇進に過大な期待を抱き、自己評価も肥大化させるが、それが現実に直面しての幻滅からうつ病を発症させるもので、自己愛的要素を帯びるものである。
 〈5〉 亡Fの自殺はうつ病に関係しているが、業務上の心理的負荷は強といえるものではなく、昇進より10年以上前からみられていた心身症としてのメタボリックシンドロームの存在も含めて、個体側の脆弱性の関与が極めて大きいといえる。
 (4) 上記の認定事実にかんがみれば、亡Fの症状は、うつ病の診断基準として一般的に用いられているICD—10又はDSMにより、うつ病と診断できるものであって、その発症時期は、ある程度の幅をもってとらえるのはやむを得ないところ、平成11年3月ころから6月ころまでの間であると考えられる。そして、本件において、亡Fのうつ病と自殺との間に因果関係のあることについて、特に疑いを入れるべき事情はない。


 3 亡Fのうつ病発症と業務との相当因果関係の有無について
 (1) 因果関係の判断基準
 ア 亡Fのうつ病の発症や増悪と被控訴人病院における小児科医及び部長代行としての業務の遂行との間に相当因果関係があるか否かを判断するに当たっては、まず、両者の間の条件関係の有無、すなわち後者(業務の遂行)がなければ前者(うつ病の発症)がなかったといえるか否かを検討する必要があり、これについては、亡Fに起きた個別具体的な業務上・業務外の出来事が、医学的経験則を基礎としつつ、亡Fにどのような身体的又は心理的負荷を与えたか、その有無及び程度を総合的に評価して判断するのが相当である。
 イ ところで、労働省(当時)は、業務によるストレスを原因として精神障害を発病し、あるいは自殺したとして労災保険給付が請求された事案につき、その判断基準を明確化すべく、精神医学、心理学、法律学の各専門分野の研究者に検討を依頼し、これを受けて専門検討会は、平成11年7月29日、その結果を専門検討会報告書として取りまとめた。その目的は、労災保険給付に係る事案について業務起因性に関する判断基準を明確化するものであるが、本件のような雇用主の債務不履行責任又は不法行為責任を問う事案について、上記の因果関係を判断する際にも、その判断基準は参考となるものである。
 上記報告書の概要は、次のとおりである。
 〈1〉 対象とする疾病を、原則としてICD—10章に示されている「精神及び行動の障害」とする。
 〈2〉 精神障害の発病の原因は単一ではなく、素因、環境因(身体因、心因)の複数が関与すると考えられているが、精神障害の成因を考えるに当たっては、環境からくるストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるか否かが決まるという「ストレス脆弱性」理論によるのが相当である。この理論による場合、ストレスの強度は、環境からくるストレスを多くの人々が一般的にどう受け止めるかという客観的な評価に基づくものによって理解されなければならない。すなわち、個人がある出来事をどのように受け止めたかによってではなく、同じ事態に遭遇した場合に、同種の労働者はどう受け止めるであろうかという基準により評価されるべきである。
 〈3〉 業務上及び業務外の要因が与える心理的負荷の強度を客観的に評価する基準としては、これまでに発表されている各種研究を基礎に勘案すると、業務に関するストレス要因の心理負荷の強度を評価するものとしては、「職場における心理的負荷評価表」のとおり(出来事の類型中、「〈2〉仕事の失敗、過重な責任の発生等」のうち「ノルマが達成できなかった」は、心理的負荷の強度がに該当し、「〈3〉仕事の量・質の変化」のうち「仕事内容・仕事量の大きな変化があった」、「勤務・拘束時間が長時間化した」は、心理的負荷の強度がそれぞれに該当し、「〈5〉役割・地位等の変化」のうち「部下が減った」は、心理的負荷の強度がに該当し、「〈6〉対人関係のトラブル」のうち「部下とのトラブルがあった」は、心理的負荷の強度がに該当する)、また、業務以外の個人的なストレス要因の強度を評価するものとしては、「職場以外の心理的負荷評価表」のとおり、それぞれ整理される。
 〈4〉 複数の出来事の評価については、当該出来事に通常伴う範囲の出来事は包括的に評価することとし、一番強く評価される出来事によることとするが、そうでない場合は別のストレス要因として複数の出来事のストレスを総合的に評価するものとする。出来事の評価期間は、精神障害発症前概ね6か月の間とし、その際、常態的な長時間労働は精神障害の準備状態を形成する要因となっている可能性が高いとされていることから、業務による心身的負荷の評価に当たっては十分考慮することとする。〈5〉 業務によるストレスの具体的評価に当たっては、具体的出来事が上記各評価表に掲げられた、どの出来事によるストレスに該当するか、あるいは類似しているかを判断する。次いで、具体的出来事による平均的ストレス強度がどのレベルの強度(日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理社会的ストレスである「」、の中間に位置する心理社会的ストレスである「」、人生の中でまれに経験することもある強い心理社会的ストレスである「」の3段階)に位置付けられるかを検討し、さらに、個別具体的な内容からその位置付けを変更する必要がないかを、評価表の「直面した出来事を評価する視点」及び「出来事に伴う変化を評価する視点」の各欄に記載された事項の有無、程度等を検討して判断する。
 〈6〉 上記の操作を経て評価された各出来事の検討を踏まえて、最終的に、ストレスの総体が客観的にみて精神障害を発病させる危険のある程度のストレスであるか否かについて評価する。
 (2) 業務外の要因についての検討
 亡Fのうつ病発症について、業務外の要因に関する認定・判断は、次のとおり付加訂正するほか、原判決「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」の2項(3)49頁以下)に記載されたとおりであるから、これを引用する。
 ア 原判決4916行目の「11年当時になると、」の次に「亡Fは従前からサッカーが趣味で、子どもの通う学校のサッカークラブのコーチをしたりしていたが、」を、同17行目の「認められる」の次に「(書証略)」を、同20行目の「述べている」の次に「(書証略)」をそれぞれ加える。
 イ 原判決50頁2行目の「受けている。」の次に「このときの最高血圧は160、最低血圧は100であり、診療録にはストレスフルであったとも記載されているが、亡Fからは頭痛、耳鳴り、眠れないなどの訴えはなく、直ぐに休まなければならないような状態ではなかったし、痛風についても笑って過ごす程度のものであった。」を加える。
 ウ 原判決50頁8行目の「そのことが」から10行目末尾までを「そのような健康面の不安が、ある程度は心理的にも懸念材料となっていたことは想像に難くないが、その程度や内容からしても、うつ病の発症に結びつくほどの強い心理的負荷を与えたとは考え難い。」に改める。
 エ 原判決5015行目の末尾に「しかし、従前は睡眠導入剤を一度服用すれば足りていたものの、平成11年3月ころには就寝前と深夜の2回にわたって服用することが多くなったものであり、前記のとおり、この時期に亡Fは、月8回の当直を担当するなど身体的心理的に負担の重い勤務をしているのであって、従前からの睡眠障害自体がうつ病の要因となったわけではなく、過重な勤務により睡眠障害が進行したものと考えるべきである。」を加え、同16行目の「書証(略)」を「書証(略)」に改める。
 オ 原判決51頁1行目の「これらの支払のため」から4行目の「持っていた」までを「亡父の所有していたアパートから順調に収益が上がっており、かつ、亡父の預貯金もあったため、相続税やアパートローンの支払は、これらの賃貸収入や遺産である預貯金によって賄われ、亡Fが自己の預貯金を切り崩すことはなかった」に改め、同8行目から16行目までを次のとおり改める。
 「また、亡Fは、平成11年6月ころ、妻の原告(控訴人)Aに対し、被告(被控訴人)病院勤務を辞めて開業したいなどと述べることがあった。しかし、これは将来的な希望にとどまり、具体的に開業の計画を持ち合わせていたわけではなかった。
  そうすると、亡Fにおいて、自己や家族の将来計画等で思い悩むことが全くなかったとまではいえないものの、金銭問題が懸念材料となっていた形跡はなく、これらが亡Fに強い心理的負荷を与えたとは認め難い。
 (証拠略)」
 カ 原判決512526行目を「これらの事情は、亡Fに対して一定の心理的負荷を与えたといえなくはないが、どこの家庭でも起こり得るような親子間の葛藤であって、うつ病発症の大きな要因とは捉え難いものである。」に改める。

  (3) 本件の検討
 ア 前記認定のとおり、被控訴人病院は第2次救急病院であり、重症患者についてはできるだけ早く第3次救急病院に転送することになっており、日当直時における小児科の急患患者の数は、平成11年1月から8月まで1日当たりの平均数で、準夜帯(おおむね1115分ころまで)が約2.7名から7.0名程度、深夜帯(おおむね午後11時ころ以降)が約1.1名から1.9名程度であったから、特に深夜帯において間断なく患者が来院するような状況ではなかった。また、亡Fの入院患者受持延べ人数は、平成10年8月から平成11年7月までの間、平均すると1か月当たり約100名、1日平均約3.3名(平成11年1月から7月までは、1日平均3.67名、最も受持延べ人数の多かった同年4月は5.43名)であり、被控訴人病院小児科の他の医師の受持延べ人数や、全国公私病院連盟の入院患者数の調査結果と比較しても、さほど大差はなく、有意に多いとはいえない。さらに、被控訴人病院小児科の常勤医1人1日当たりの外来患者数は、平成1012月から平成11年7月にかけて、全国公私病院連盟の調査結果と比較すると若干多めであり、特に同年4月は、常勤医が減少したことも相俟って、他の時期との比較においても外来患者数が多いということができるが、突出して多いとまではいえないし、一般外来診療は午前中のみであることなど外来診療の勤務スケジュールなども勘案すると、それをもって業務の過重性を根拠付けることは困難である。
 しかし、このような患者数の動向や推移だけから、直ちに業務の過重性を否定するのは相当でなく、前記のとおり、被控訴人病院における当直中の小児科医師は、いつ来院するか分からない患者に1人で対応しなければならず、殊に亡Fは、真面目で責任感が強いという性格を持ち合わせていたから、当直中に安定した睡眠をとることができなかったことはもとより、十分な休息をとることもできなかったと考えられる。
 イ そこで、亡Fの当直回数及び時間外総労働時間の推移をみると、平成10年9月から平成11年2月にかけて、月5回から6回の当直と1回の日直(ただし、平成11年2月を除く)をこなし、月間の時間外総労働時間は22時間から54時間に及んでいる。そして、特に当直回数について、被控訴人病院の他の小児科医師と比べると亡Fが最も多かったこと(次に回数の多いK医師よりほぼ毎月1回程度多くこなしているが、K医師が亡Fより13歳以上も若いことに照らすと、勤務の負担の差は、実回数以上のものがある)、日本小児科学会による実態調査や日本小児科学会員が所属する病院を対象に行われた現状調査と比較すれば、月6回という当直回数は平均値より多いといえることに照らすと、亡Fのこの時期の当直勤務の負担を軽いものということはできないが、他方、被控訴人病院の小児科医師には、週1回の研究日と当直明けの休みの制度が認められていたこと、被控訴人病院には病院から徒歩5分程度の距離に医師のための住宅が用意されており、亡Fも、当直等のない日には、午前8時過ぎに同住宅を出て、午後6時から7時ころまでの間には帰宅していたことを考えると、平成11年2月までの亡Fの勤務を全体的に過重なものであったとまでは評価できない。
 これに対し、亡Fは、平成11年3月には、月8回、週当たり2回の割合の当直を担当しており、際立って多いといえることが明らかである。その上、同月の時間外総労働時間は83時間に及んでおり、これは平成10年9月以降で最も長い平成11年2月の54時間の1.5倍強であって、同年3月の勤務は、明らかに過重なものであった。しかも、翌4月から6月まで、当直回数は5回から6回と相変わらず多く、月間の時間外総労働時間は60時間を連続して超えており、単純計算しても、1日平均2時間を超える時間外労働が4か月間にわたり継続していたことになる。殊に、4月には時間外総労働時間が69時間に達した上、当直を挟んで通常勤務や半日勤務を行うという連続勤務をしたことが6回の当直のうち4回もあり、他の2回も当直の前後に通常勤務をした。
 以上に照らすと、亡Fの平成11年3月と4月の勤務は過重なものであって、亡Fに著しい身体的心理的負荷を与えたというべきであり、5月と6月の勤務の負担は多少緩和されたものの、それまでの過重な勤務により疲弊し、後記のとおり、このころにはうつ病に罹患していたと考えられる亡Fに与える負荷は大きなものであったというべきである。 ウ また、前説示のとおり、亡Fにおいて、部長代行に就任したこと自体によって顕著な心理的負担を受けたとはいえないし、被控訴人病院側から経営効率化の圧力などがあったとも認められないが、亡Fが部長代行に就任して間もなく、2名の常勤医が予定外に平成11年3月末をもって退職し、同年4月以降日当直を担当する常勤医が3名となり(ただし、R医師が日当直を中心に担当する嘱託医として採用されている)、入院患者の受け持ちも常勤医3名で担当しなければならない事態に直面した(嘱託医のH医師は、入院患者を受け持っていないし、日当直も従前からほとんど担当していない)。そして、退職を控えた2名の医師が平成11年3月に年休を多く(両名合わせて19.5日)取得し、当直回数も減らしたため、他の医師(特に亡F)が当直を多く担当しなければならなかった。
 亡Fは、このような事態を受け、平日の当直体制を変更して乳児を持つN医師に宅直をしてもらうことを考えたり(ただし、亡Fは、その旨の稟議書を作成したものの、被控訴人病院側に提出しなかった)、複数の知人医師に常勤医の紹介を依頼したりしている。被控訴人病院小児科においては、日当直の当番の割り振りは従前から亡Fが行っていたほか、特に常勤医を含めて医師の確保は部長(部長代行)が努めることとされる実態があるのであって、亡Fの上記の行為は、常勤医の減少や日当直当番の増加を苦慮した結果の行為であるとみられる。そして、これらは、小児科医師の不足した社会的趨勢からして、解決が極めて困難な問題であることも明らかである(原審証人L)。
 そうすると、亡Fは、部長代行就任直後の平成11年3月、4月において(少なくともJ医師が常勤医として採用されるまで)、常勤医や日当直担当医の減少という事態に直面し、従前からの経緯や部長代行としての職責からして、それらの問題解決に腐心し、見過ごすことのできない心理的負荷を受けたものというべきである。そして、亡Fは、同年3月ころ、前部長が、亡Fよりも若いI医師を後任候補の一人として考えていたことを聞き及んでいる(証拠略)ところ、張り切って部長代行に就任した早々に上記のような問題に直面し、その解決が必ずしも円滑に進んでいなかった状況で上記事実を聞いたこと、さらには、同年4月にI医師の紹介でJ医師の常勤医採用が決まったことは、亡Fの自信や自負心に微妙な影響があったものと考えられる。
 エ さらに、亡Fは、平成8年ころから不眠を訴えて睡眠導入剤の処方を受けていたが、従前は一度服用すれば足りていたものの、平成11年3月ころからは就寝前と深夜の2回にわたって服用することが多くなったものであり、そのころから、うつ病の重大な要因でもある睡眠障害ないし睡眠不足が顕著に増悪したことは明白である。そして、その原因は、上記の事情、殊に過重な勤務の影響によるものと考えるべきである。
 オ 以上の説示を総合勘案すれば、亡Fは、主として平成11年3月以降の過重な勤務により、加えて、常勤医や日当直担当医の減少という問題解決に腐心せざるを得なかったことにより、大きな心理的負荷を受け、それらを原因とした睡眠障害ないし睡眠不足の増悪とも相俟って、うつ病を発症したというべきであり、亡Fの業務の遂行とうつ病発症との間には、条件関係が認められる。そして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところであり、また、亡Fの業務外の要因についての判断は前記のとおりであって、これにより多少の心理的負荷があったとしても、うつ病発症の主因とはならない程度のものであると認められるから、亡Fの被控訴人病院における業務の遂行とうつ病発症との間には、相当因果関係も肯定することができる。
 前記P医師の意見(証拠略)では、亡Fは平成8年8月ころには既に軽症うつ病に罹患していたとするが、同医師の意見によっても平成11年3月ころに中等又は重症のうつ病に移行(増悪)したというのであって、仮に同医師の意見に従うとしても、業務の遂行とうつ病の増悪との間に相当因果関係があるというべきであり、安全配慮義務ないし注意義務違反の判断において、多少の違いが生じるにすぎない。
 なお、上記の各要因を平成11年7月29日付けの専門検討会報告書の「職場における心理的負荷評価表」に当てはめると、同年3月から6月までの過重な勤務は、「仕事内容・仕事量の大きな変化があった」、「勤務・拘束時間が長時間化した」に該当し、心理的負荷の強度はそれぞれのレベルであると認められ、常勤医や日当直担当医の減少という問題解決に腐心せざるを得なかったことは、「ノルマが達成できなかった」、「部下が減った」、「部下とのトラブルがあった」、あるいはこれらに類似する出来事に該当し、心理的負荷の強度は又はのレベルであると認められる。したがって、これらの出来事やストレスの総体を客観的に評価すると、精神障害を発病させる危険のある程度のストレスであると認めるべきである。

4 被控訴人の安全配慮義務違反及び注意義務違反の有無について
 (1) 使用者の安全配慮義務及び注意義務の存在
 ア 雇用契約において、使用者は、報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置された場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているものと解される。
 また、労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところであるから、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、かつ、使用者に代わって労働者に対し義務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者のこの注意義務の内容に従ってその権限を行使すべきである(最高裁平成12年3月24日判決、民集54巻3号1155頁)。
 イ 使用者が上記の義務に違反した場合は、労働者に対し、雇用契約上の債務不履行に基づく損害賠償責任を負うとともに、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。そして、控訴人らの主張するように、被控訴人の代理監督者である被控訴人病院の院長や事務長らが上記の義務に違反した場合は、被控訴人は、民法715条所定の使用者責任を負うことになる。
 上記にいうところの安全配慮義務ないし注意義務を本件に即して敷衍すれば、控訴人らの主張するように、被控訴人は、亡Fの心身の健康状態に十分に配慮し、業務量・業務内容の適切な調整を行うべき義務を負うとともに、健康状態に問題が発生した場合やそれが顕在化した場合には適切な措置を講ずべき義務を負うものということができる。
 ウ 控訴人らは、上記の安全配慮義務や注意義務を問う際の使用者の主観的要素としての予見義務に関し、生命・健康という被害法益の重大性にかんがみれば、精神障害(うつ病)の発症・増悪に至る具体的な認識可能性までは必要でなく、健康悪化が生じることの抽象的な危惧感に関する認識可能性で足りると主張する。
 しかしながら、被害法益が生命や健康に関わる重大なものであるからといって、直ちに上記予見の内容が抽象的な危惧感で足りると解することはできず、本件のような安全配慮義務ないし注意義務の存否が問題となる事案においても、労働者(亡F)にうつ病が発症することを具体的に予見することまでは必要でないものの、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積することにより、亡Fの心身の健康が損なわれて何らかの精神障害を起こすおそれについては、具体的客観的に予見可能であることが必要とされるべきである。
 なお、控訴人らは、被控訴人病院小児科の当直業務について、医師に対し本来業務である医療行為を一般的に行わせるものであるから、労働基準法41条3号所定の断続的労働としての宿日直勤務であるとは認められず、労働基準法の求める労働者の健康状態への配慮を無視した当直勤務が行われていたと主張するが、仮に被控訴人病院小児科の当直業務が労働基準法41条3号ないし関連法規の要件を満たさないからといって、直ちに本件で問題の安全配慮義務や注意義務の違背が根拠付けられるものではなく、個別具体的な当直業務の内容等に照らして安全配慮義務等の違背を論じるべきである。

 (2) 本件の検討
 ア 前記のとおり、平成11年3月から6月までは、亡Fの月間の時間外総労働時間は連続して60時間を超え、特に同年3月は、時間外総労働時間が83時間に及び、しかも、月8回という週当たり2回の割合の当直をこなしており、翌4月においても、時間外総労働時間が69時間に達し、当直を挟んだ連続勤務が度重なるなど、その間の勤務は過重であって、亡Fに著しい身体的心理的負荷を与えたということができる。また、同年1月に亡Fが部長代行に就任したこと自体によって顕著な心理的負担を背負ったとはいえず、経営効率化の圧力などがあったとも認められないが、就任直後に予定外の常勤医や日当直担当医の減少という事態に直面し、それらの問題解決に対処しなければならないことから、心理的負荷を受けていたものである。
 イ しかし、平成11年2月までの亡Fの勤務状況が過重とまでいえるものでなかったことは前記のとおりであり、同年5月及び6月の月間の時間外総労働時間は60時間を大きく超えるものではなく、同年7月の時間外総労働時間は43時間と50時間を割り込み、同年4月以降の当直回数も従前同様毎月5回から6回に戻っている(6回の当直をこなした同年4月は、日直を行っていない)。したがって、同年3月及び4月の亡Fの過重な業務負担は、亡Fが部長代行に就任した直後に生じた常勤医2名の予定外の退職という事態により発生した一時的なものであったとみることができる。
 また、被控訴人病院小児科では、亡Fを含めた医師は、平日に週1日の研究日を取得することができ、この研究日の使い方は各医師に委ねられ、公休のような性質を有していたし、当直明けの日が近い時期に休みをとれる制度もあった。亡Fは、問題の平成11年3月から6月において、連続勤務をしたときもあったが、同年3月は、8回の当直のうち5回について、当直明けの日が研究日又は日曜日であって当直明けの勤務をしておらず、同年4月は、6回の当直中の5回について当直後に通常勤務又は半日勤務を行っているが、その翌日を研究日や振替休日に当てており(かつ、同月以降、亡Fの判断により小児科は東京都の全日救急システムに参加しないこととなった)、同年5月や6月も、当直の翌日又は翌々日をおおむね研究日又は振替休日に当てている。したがって、亡Fにおいても、当直明けを研究日又は振替休日に当てて、休息のとれる態勢にあったことがうかがえる。
 さらに、日当直の割り振りは、部長代行に就任する以前から亡Fが担当しており、特に部長代行になってからは、もともと常勤医の確保や外医の採用は事実上部長(代行)権限であるという実態があったし、被控訴人病院が各医局の外医補充の要請などに対して制限を加えたことはないのであるから、日当直の担当について亡Fの裁量の幅が大きいものであったことは疑いなく、特に当直の業務が頻回であれば、率先して外医に依頼することのできる立場にあったものである(常勤医の確保はともかくとして、外医については、前記のとおり、毎月1回以上継続的に依頼できる医師として4名、その他臨時で3名程度の医師がいたから、当直の依頼回数を増やすことが困難であったとは考え難い)。
 以上によれば、平成11年3月から4月にかけての亡Fの勤務は過重であったといえるが、その過重性はある程度は亡Fの意思で解消できるものであったし、その過重さが継続する状況にはなく、同年3月は過重性が際立っていたとはいえ、翌4月には、亡Fの判断により東京都の全日救急システムに加わらないこととなったり、新たな医師の採用などもあって、当直回数が従前のレベルにまで減少し、時間外総労働時間も減少する傾向にあったといえるものである。このことに、同年3月末限りで退職した2名の医師は、同月、退職を控えているとの理由で両名で合わせて19.5日の有給休暇を取っており、小児科内の事情を知悉している両名も、このような休暇の取得によって他の医師に過酷な状況が生じるとは考えていなかったものと思われることも合わせ考慮すると、亡Fの勤務が上記の期間中過重であったとしても、被控訴人側において、亡Fが疲労や心理的負荷等を過度に蓄積させて、心身の健康を損なうことを具体的客観的に予見することはできなかったものというべきである。
 ウ 次に、亡Fは、部長代行に就任して間もなく、2名の常勤医が平成11年3月末をもって退職し、そのため同年4月以降常勤医が3名となる事態に直面し、かつ、退職を控えた2名の医師が年休を多く取得して当直回数も減らしたため、同年3月には亡Fを含め他の医師で当直を多く担当しなければならなかったものである。
 しかし、前記のとおり、被控訴人病院においては、常勤医の確保や外医の採用は、形式的には院長の権限であるとしても、実質的には部長代行であった亡Fの権限で行われるものであり、亡Fも、知人のS医局長やT医師に対し小児科医師の派遣や紹介を要請しているが、それ以上に常勤医の確保や外医の依頼に努めた形跡はなく、被控訴人病院側に対しても、それらの問題について相談を持ちかけたり、窮状を訴えるなどしたこともない(人証略)。そのため、被控訴人病院の事務部門は、小児科の常勤医の減少を心配して、亡Fには秘して、形成外科部長のU医師に対し、同医師の出身大学に小児科医師の確保を打診するよう依頼をしたりしている(証拠略)。事務部門の対応が、この限度にとどまったのは、専門職である医師、医局の長である部長代行、更には新任の部長代行である亡Fの立場に配慮したものであり、部長代行である亡Fから依頼や相談がなかった状況では、やむを得ないものというべきである。
 しかも、同様に常勤医の減少を心配したI医師の尽力により、平成11年4月には翌5月からJ医師が常勤医として勤務することが確定すると、亡Fは、それまで週3回担当してもらっていた嘱託医のH医師の外来診療について、週2回の担当に変更する旨の決裁を得ている。加えて、同年4月にはR医師が日当直を中心に担当する嘱託医として採用されており、当直業務に関する同医師を含めた外医の利用は、それまで月8、9回であったものが12回に上ったことも考え合わせると、同年3月から4月にかけて、常勤医の退職等の影響により一時的に当直業務を含めた担当医師の減少に見舞われたものの、同年4月には早々にこの懸案は一応解決したものであり、少なくとも亡Fにおいて解決したと考えていたことは明らかである。
 そうすると、亡Fが常勤医や日当直担当医の減少という事態に直面して心理的負荷を受けたといっても、それは一時的なものにすぎず、直ちにその問題は解決したといえること、本来医局の意向を尊重すべき常勤医の確保等の問題について、部長代行であった亡Fから病院側に何らの働きかけもなかったことなどを合わせ考慮すると、被控訴人側において、亡Fが上記の問題による心理的負荷等を過度に蓄積させて、心身の健康を損なうことを具体的客観的に予見することはできなかったものというべきである。
 なお、控訴人らは、被控訴人病院小児科の部長であったH医師が、平成11年1月以降に常勤医が減少することをその在任中に予測し又は予測できたにもかかわらず、その補充を怠ったと主張する。しかしながら、平成11年1月のH医師の定年退職については、従前育児休業中であったN医師が翌月に復職の予定であり、また、H医師も嘱託医としての勤務を続ける意思であって、これらがいずれも実現したことは既に説示のとおりであり、G医師の同年3月限りの退職については、これをH医師を含む他の医師が知ったのは、同年2月以降であったことが認められる(人証略)。そして、N医師の同年3月限りの退職について、同医師は、原審において、前年の12月中にH医師にその意思を明確に伝えたと供述するが、同供述は、原審におけるH医師の供述に照らすと、退職の確定的な意思を伝えたという趣旨においてはたやすく採用できないうえ、仮にその事実が認められるとしても、H医師の部長退任の直前のことであって、同医師が自ら後任者を手配すべきであったとは必ずしもいえないし、それによって後任の常勤医が確保できたともいえない。したがって、控訴人らの主張は採用できない。
 エ 亡Fは、前記のとおり、平成11年3月ころから6月ころまでの間にうつ病を発症したと考えられる。しかし、証拠(略)によれば、うつ病に罹患した者は基本的に病識がなく、医師のもとを訪れることがあっても、ごくありふれた身体的異変を訴えるだけで、自分からは精神的苦痛を述べず、表情や態度に問題を感じさせないため、精神科医であってもその発症を見抜くことは極めて困難であること、亡Fも、局面的にはうつ病の症状を呈していたが、全体として業務をそれなりにこなし、無断欠勤等をすることもなかったので、周囲の者がうつ病と思わなかったのもやむを得ないと考えられること、亡Fは、実際に精神科を受診したことはなかったし、被控訴人病院の産業医に精神的な苦痛を相談したこともなかったこと、以上の事実が認められる。
 亡Fについては、前記のとおり、そのころ、家庭において控訴人Aらが異変を感じていたが、同控訴人も亡Fが部長代行に就任後、精神科医である実兄にも亡Fの健康について相談したことはなく(当審における同控訴人本人)、被控訴人病院の関係者の間では、亡Fは、特に変わった言動や服装の変化を現すことはなく、落ち込んだ様子も見られなかったものである(証拠略)。K医師は、亡Fがソファーで疲れた様子でいたり、怒りっぽい態度を示したことを現認しているが、同医師の陳述(書証略)を検討しても、そのことで精神的な異変を感じていたというわけではなく、後から振り返ってみればそのようなエピソードもあったということを述べているにすぎない。また、O医師は、亡Fに対し、好きなサッカーに関する質問をしても興味を示すことがなかったし、部長室の前に目立つくらいのゴミを出していたことを現認しているが、同医師自身、亡Fについて、うつむいていたとか、目がうつろであったとか、急に怒り出すということはなかったと述べているから(書証略)、亡Fと親しいO医師の目からも、亡Fの生前にその異変に気づくことのなかったことは疑いないものである。さらに、証拠(略)によれば、被控訴人が経営コンサルティングを依頼した株式会社富士総合研究所が平成11年6月に行った被控訴人病院の職員に対するアンケート調査で、仕事上精神的圧迫を感じるかという質問に対し、「そう思う」と「どちらかというとそう思う」と答えた者の合計値が、職員全体で約60パーセント、部長・婦長等の役職で55.6パーセントあり、自分の仕事量を多いと感じるかという質問に対し、「そう思う」と「どちらかというとそう思う」と答えた者の合計値が、職員全体で約50パーセント、部長・婦長等の役職で約58パーセントあり、自分の労働時間は長すぎるかという質問に対し、「そう思う」と「どちらかというとそう思う」と答えた者の合計値が、職員全体で約42パーセント、部長・婦長等の役職で約64.4パーセントあったことが認められる。しかし、このアンケート調査は個人名が特定されていないから、亡Fが上記の各設問に対する「そう思う」や「どちらかというとそう思う」の回答者であったか否かは明らかでないし、一般的な上記アンケート調査の結果から、亡Fが心身の健康を損なって何らかの精神障害を起こすことを具体的に予見することは困難である。
 したがって、被控訴人側において、亡Fが心身の健康を損なっていたり、精神的な異変を来していることを認識することはなかったし、かつ、認識することもできなかったものというべきである。 オ 以上を考え合わせると、平成11年3月から4月にかけての亡Fの勤務は過重であり、また、部長代行に就任した早々に常勤医や日当直担当医の減少という事態に直面し、亡Fは、それらによって相当な身体的又は心理的負荷を与えられたということができるが、被控訴人側において、それらの問題によって亡Fが疲労や心理的負荷等を過度に蓄積させ、心身の健康を損なって何らかの精神障害を起こすおそれを具体的客観的に予見することはできなかったものであり、かつ、亡Fが精神障害を起こしていることはもとより、精神的な異変を来していることを認識することもできなかったものである。
 したがって、本件において、被控訴人が前記の安全配慮義務ないし注意義務に違反したということはできず、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うものではない

第4 結論
 以上の次第であるから、亡Fの自殺の原因となったうつ病の発症と業務の遂行との間に相当因果関係があることを肯定することはできるが、被控訴人が安全配慮義務ないし注意義務を怠ったということはできないから、被控訴人について、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償責任があることをいう控訴人らの主張は理由がない。
 よって、控訴人らの本件請求を棄却した原判決は、結論において相当であるから、控訴人らの本件控訴をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。


第23民事部
 (裁判長裁判官 鈴木健太 裁判官 内藤正之 裁判官 後藤健)



このページの先頭へ  「資料」のページへ  「あゆみ」へ Homeへ
記事・画像の無断転載・引用をお断りします