平成19年 3月29日/東京地方裁判所/民事第27部/判決/平成14年(ワ)第28489号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 棄却
上訴等 控訴
裁判官 湯川浩昭 浅岡千香子 蛭川明彦
■28131546
東京都中央区〈以下省略〉
原告 X1
神奈川県横須賀市〈以下省略〉
原告 X2
東京都中央区〈以下省略〉
原告 X3
東京都中央区〈以下省略〉
原告 X4
原告ら訴訟代理人弁護士 川人博
同 遠藤直哉
同 岩崎政孝
同 弘中絵里
同 山下敏雅
東京都杉並区〈以下省略〉
被告 Y
同代表者代表役員 A
同訴訟代理人弁護士 吉田和夫
同 浅井平三
同 川畑直美
同 安田修
同 野中信敬
同 原口健
同 丹羽厚太郎
同 坂元正嗣
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告X1に対し,金1億2395万9252円,原告X2,同X3及び同X4に対し,各金4351万9751円ずつ及びこれらに対する平成11年
8月16日から各支払済みまで年5分の割合による各金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,被告の設置するY附属a病院(以下「被告病院」という。)で勤務していた亡B(以下「亡B」という。)の相続人である原告らが,被告に対 し,亡Bが自殺により死亡したのは,被告病院における業務上の過重な肉体的,心理的負荷によってうつ病を発症,増悪させたことが原因であるとして,被告の安全配慮義務違反による債務不履行若しくは不法行為責任,又は,被告病院院長若しくは同病院事務長の不法行為による使用者責任に基づき,損害賠償金及び亡Bの死亡日以降の遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提となる事実(特に証拠を掲記したもの以外は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 亡B(昭和30年○月○日生)は,昭和56年3月b大学医学部を卒業して同年6月に医師国家試験に合格し,千葉県内の病院に勤務した後,昭和 62年4月から被告病院小児科医として勤務し,平成11年1月31日付けで被告病院小児科部長代行に任命され(甲81の8,88の2,乙3),同年8月16日死亡するまで同職にあった者である。
イ 原告X1(以下「原告X1」という。)は亡Bの妻であり,原告X2(以下「原告X2」という。),同X3(以下「原告X3」という。)及び同
X4(以下「原告X4」という。)は,それぞれ,亡Bと原告X1との間の長女,長男,二男である。
平成11年8月当時,原告X2は高校3年生,原告X3は高校1年生,原告X4は中学1年生であった(甲1,33)。
ウ 被告は,被告病院を昭和27年に開設し,以後同病院を経営している。
被告病院は,東京都中野区〈以下省略〉に所在し,平成14年4月の本件訴訟提起時において,19の診療科,合計363床の病床を有していた総合病院であ
る。
また,被告は,c看護専門学校を経営しており,その講師には被告病院の小児科を含む複数の科の医師も派遣されていた(甲8,81の9,乙36の1ないし
5)。
エ 被告病院院長は,被告の被用者であり,被告病院を統括する立場にある者である。平成10年12月から平成11年8月までの間に被告病院院長の職
にあったのは,Cである,(甲81の6,乙20の6及び7)。
オ 被告病院事務長は,被告の被用者であり,被告病院の職制上,院長,副院長の次に位置し,人事管理等の事務部門において院長を補佐する立場の者で ある。平成9年11月以降現在まで,被告病院事務長の職にあるのは,D(以下「D事務長」又は「D証人」という。)である(乙68,78,79,D証人)。
(2) 亡Bの自殺(甲1,2,弁論の全趣旨)
亡Bは,平成11年8月16日午前6時40分ころ,被告病院屋上(高さ29.8メートル)から飛び降り自殺した(当時44歳)。
(3) 被告病院小児科医の人員構成
被告病院小児科の常勤の医師は,平成7年4月当時,亡B,E医師(以下「E医師」又は「E証人」という。),F医師(以下「F医師」という。),G医師 (以下「G医師」又は「G証人」という。)を含む総勢5名であったが,平成8年4月に,1名が退職しH医師(以下「H医師」という。)及びI医師(以下「I医師」又は「I証人」という。)の2名が加わって6名態勢となった。平成9年9月ころ,H医師が退職して小児科医は5名となったが,平成10年4月,J1(旧姓J)医師(以下「J医師」という。)が採用され,再び6名態勢となった。また,I医師は,平成10年7月から平成11年1月まで産休及び育休を取得した。
平成11年1月30日付けで,昭和55年秋以来小児科部長として勤務していたE医師が退職し,翌31日付けで亡Bが小児科部長代行に就任したが,E医師 は,同日付けで小児科嘱託医として採用され,引き続き被告病院に勤務した。なお,被告病院の慣例として,医師が必ずしも直ちに部長に就任せず,部長代行のまましばらく経過した後に部長に就任する場合があり,部長代行といっても,その上に部長がいるわけではなく,小児科のトップとして部長と同様の立場にある(甲36,37,乙65,66,68)。
同年3月31日付けで,F医師及びI医師が被告病院を退職したため,以後,被告病院小児科では,亡B,G医師及びJ医師の3名の常勤医及び嘱託医である
E医師とで外来診療等を行うこととなったが,同年5月6日付けでK医師(以下「K医師」という。)が採用され,以後,常勤医は4名となった。
G医師は,亡B死亡後の同年9月1日付けで被告病院小児科部長代行となった。
(以上,甲32,40の1,63,81の1,8,9及び12,乙27,乙42の1ないし3,乙43の1ないし21,乙65,66)
(4) 被告病院小児科医の業務内容の概要
ア 一般外来
被告病院小児科の一般外来は,月曜日から土曜日の午前9時から正午まで(受付時間は午前8時30分から午前11時まで)とされていた。各医師は,午前9 時に診療を開始し,早いときは正午まで,患者が多い等のため遅いときは午後1時くらいまで続けて診療を行っていた。平成11年6月ころ,一般外来は,原則的に1日当たり2名の医師が担当しており,亡Bは,火曜日,木曜日,土曜日の一般外来を担当していた。(甲5,48,乙6)
イ 専門外来
専門外来は,月曜日から金曜日までの午後,予約制で行っており,各医師が,「アレルギー」,「心身症」,「乳幼児検診」,「家族療法」など専門分野ごと に専門外来を受け持っていた。平成11年当時,亡Bは,他の2名の医師とともに「予防注射」を月曜日午後2時30分から午後3時までの予定で担当していたほか,「腎」(第2,第4金曜日。平成11年4月ころから第2,第4火曜日となった。),「川崎病」(第1,第3火曜日)を午後3時から午後3時30分までの予定で担当していた。
また,亡Bは,新生児診察も受け持っており,新生児の回診を週1回,新生児に問題が生じたときはその都度診察していた。
(甲5,35,36,42,55,乙6ないし8,46の1)
ウ 外来担当以外の通常業務
外来担当以外の医師には,入院病棟や一般外来で採血や点滴が必要となった場合にこれを行うための当番(ただし,採血等は看護師が行う場合がある。)が
あった。
このほか,担当外時間を利用して自分が担当する入院患者を診たり,患者や家族に説明を行ったりしていた。
なお,被告病院小児科では,毎週火曜日の午後,医師間の任意によるカンファレンス(ミーティング)が行われ,受け持ち患者の症例報告,相談等を行ってい
た。
(甲5,35,55,乙66,68)
エ 当直・日直等
(ア) 被告病院小児科では,小児科単独での時間外診療(急患室業務)を,試験的運用を経て,平成8年4月以降実施するようになった。その内容は,平日 (月曜日から金曜日まで)は午後5時から翌朝午前9時まで,土曜日は午後2時から翌朝午前9時まで,日曜日及び祝日は午前9時から翌朝午前9時まで行う当直,日直等の業務である。日曜日・祝日については,当直開始当初は小児科でも当直を行っていたが,その後,後記(イ)の入院当番・乳幼児当番の日以外は,午後9時までの業務(日直)に変更され,午後9時以降は宅直(ポケットベルにより呼出可能な状態で自宅等にて待機する。)とされた。
なお,こうした時間外診療は,被告病院小児科の常勤医のほか,常勤医ではない医師(以下「外医」という。)が担当することもあった。外医が当番となって いる日については,外医が当直のため被告病院に到着するまでの間,常勤医が時間外に残って外医に引き継ぎ等を行うことがあったが,これを「ウラ当番」と呼び,常勤医らで分担していた。
亡Bの死亡翌日から,被告病院小児科では,平日及び土曜日についても,原則的に午後9時以降の当直は行われなくなり,平成11年9月からは,当直が完全
に廃止され,その代わり,午後9時以降は宅直とされた。
(イ) また,被告病院が独自に行う前記(ア)の時間外診療のほかに,東京都が実施する夜間診療事業(入院当番)及び乳幼児特殊救急医療事業(乳幼児当
番)があった。
前者の夜間診療事業(入院当番)は,従前から行われていたが,平成8年10月に入院事業として一本化されたものであり,土曜,日曜,祝日の夜間における 救急患者に対する診療を,地域ごとに主な病院で分担するものである。被告病院では内科,外科,小児科の3科で入院当番を行っており,月2回ほどそれぞれの科が担当していたが,平成10年以降,日曜・祝日を当番日とするようになっていた。
ただし,東京都において救急医療体制の在り方が見直された結果,この夜間診療事業は平成11年3月末日をもって終了し,同年4月から診療時間を平日夜間 にも拡大するなどした新救急医療体制が実施されることとなった。その際,被告病院では,小児科についてはこれに参加しないこととなり,内科及び外科の2科を診療科目として,東京都指定二次救急医療機関として指定を受け,従前の3科体制から2科体制へ変更となったため,平成11年4月以降,被告病院小児科では入院当番は行われなくなった(被告病院が独自に行う前記(ア)の時間外診療は同年8月まで引き続き実施されていた。)。
後者の乳幼児当番は,平成8年10月から実施されたものであり,地域の主な病院の小児科で,土曜,日曜,祝日の夜間における小児科診療を分担するもので
あった。被告病院小児科では,月に1回,これについても基本的に日曜日を当番日としていた。
(ウ) 以上,平成11年ころ(亡Bの死亡前)における,被告病院小児科の通常勤務と時間外診療についてまとめると,次のとおりである。
<1> 平日(月曜日から金曜日まで)
午前9時から午後5時まで 通常勤務
午後5時から翌朝午前9時まで 当直(宿直)
<2> 土曜日
午前9時から午後2時まで 通常勤務
午後2時から翌朝午前9時まで 当直(宿直)
<3> 日曜日・祝日(入院当番又は乳幼児当番の日)
午前9時から翌朝午前9時まで 宿日直(午後9時で交代することもあったため,「宿日直」と呼びならわされていた。)
<4> 日曜日・祝日(当番日以外の日)
午前9時から午後9時まで 日直
午後9時から翌朝午前9時まで 宅直
(エ) 被告病院小児科では,当直を担当した場合,当直明けの日又はこれに近い日に振替休日を取得できることとされていた。
(以上,甲35,36,乙5,10,14の1ないし3,15,16の1及び2,17ないし19,60,65,68,70の1及び2,72ないし75)
オ 研究日
被告病院小児科の常勤医は,月曜日から土曜日までの通常勤務のうち,各医師が1日ずつ研究日を取得することができた。研究日は,就業規則外で被告病院の 医師に認められた公休のような性質を有しており,その使い方は各医師に委ねられていた。亡Bは,平成11年4月ころまでは水曜日を,同年5月ころからは金曜日を研究日としていた。(乙5,68)
カ 看護学校での講義
被告病院は,各科に対し,c看護専門学校での講師の仕事を依頼しており,小児科でも毎年一定期間,亡B,G医師,I医師らが講義を担当していた。亡B
は,平成7年度,平成8年度は「小児臨床看護」の科目を,平成9年度から平成11年度までは「疫病論Ⅱ」の科目を担当し,平成11年度は,4月23日,5 月7日,同月21日,同月28日,6月4日,同月11日及び同月18日(いずれも金曜日)に1コマ45分,合計13コマの講義を行った。
また,d看護専門学校(長谷川病院の併設施設)から被告病院の産科,婦人科及び小児科に看護実習の依頼が行われており,被告病院院長から該当科の部長宛 の依頼により,亡B,G医師,I医師らが講師を担当していた。亡Bは,少なくとも平成7年度から平成10年度にかけて,ほぼ毎年11月ころから2月ころに,合計数時間ないし十数時間の「小児疾患」の講義を担当しており,平成10年度は,11月27日,12月4日,同月11日,同月18日,平成11年1月22日,同年2月26日にそれぞれ3時間ずつ同講義を担当した。
このほか,被告病院の事務局側では関知していなかったが,亡Bは,正式な部長への依頼によるのではなく,E医師の紹介により,e看護高等専修学校での講 義を担当していた。ただし,被告病院の就業規則によれば,職員は,被告病院の承認なくして他に就職してはならず,嘱託職員を除き,病院と同じ業務を他で行ってはならないこと(同規則6条)とされていた。
(甲8,9,51,81の9,乙9の1,36の1ないし11,乙68,E証人)
(5) 労災決定と行政訴訟
原告X1は,平成13年9月17日付けで,新宿労働基準監督署長に対し,労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付請求をしたが,同監督署長は,「本請 求にかかる『精神障害』(うつ病)は,発症前おおむね6か月の間に客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷があったとは判断できないため,労働基準法施行規則別表第1の2第9号に定める『その他業務に起因することの明らかな疾病』とは認められない」との理由で,平成15年3月25日付けで全部不支給の決定をした。
原告X1は,同不支給決定処分を不服として,審査請求をしたが,東京労働者災害補償保険審査官は,平成16年3月30日付けで,審査請求を棄却する旨の
決定をした。
原告X1は,労働保険審査会に対する再審査請求を行うとともに,新宿労働基準監督署長の前記不支給決定処分の取消しを求め,労働者災害補償不支給決定取
消訴訟(東京地方裁判所平成16年(行ウ)第517号。以下「別件訴訟」という。)を提起した。
(乙31,甲24,弁論の全趣旨)
3 争点
(1) 亡Bの勤務状況及び業務の過重性
(2) 亡Bのうつ病の発症時期及び業務との因果関係
(3) 被告,被告病院院長又は被告病院事務長の安全配慮義務違反又は注意義務違反の有無
(4) 過失相殺
(5) 亡B及び原告らの損害
4 争点に関する当事者の主張
別紙当事者の主張記載のとおり
第3 当裁判所の判断
1 争点1(亡Bの勤務状況及び業務の過重性)について
(1) 証拠(括弧内に掲記したもの)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 通常業務の場合の労働時間
(ア) 被告病院の就業規則(乙9の1)上,通常勤務の場合,始業時刻は,平日及び土曜日ともに午前8時30分,終業時刻は,平日が午後5時,土曜日が 午後2時である。また,休憩時間は,平日が1時間,土曜日が30分である。そして,就業時間は,原則として,実働1日8時間以内,1週40時間以内,4週159.5時間とされている。
ただし,年休2分の1とし午後1時から午後5時まで勤務した場合や,午後1時以降休暇を取得した場合については,土曜日の就業時間以下の短い就業時間と
なることから,土曜日の場合に準じ,休憩時間を30分と解することが相当である。
もっとも,始業時刻については,医師の場合,昭和37年当時の就業規則において午前9時とされており(乙40),その後も事実上,午前9時とする運用が なされていた(乙3)。このことは,勤務予定表上,原則的に午前9時からの勤務として記載されていること(乙5),医師が超過勤務を記載すべき勤務報告書上,例えば,午前8時から午前9時までの勤務を1時間の超過勤務として届け出る等の例が見られ,これに対する所属長の承認がなされていること(乙50の1,50の8,51の1)からも明らかである。
(イ) 亡Bの場合,自宅から被告病院までの通勤時間は徒歩で5分程度であるところ,原告X1は,亡Bの通常勤務における出勤時刻については,「部長代 行前は,午前8時30分に家を出ていました。部長代行になってからは,午前8時には,家を出るように心がけていました。」(新宿労働基準監督署における聴取書・甲33),「部長代行になる前は,夫は毎日大体午前8時40分くらいには家を出ていました。…部長になってからは,午前8時には家を出るようになり ました。」(陳述書・甲19,原告X1覚書・甲88の3も同旨。),「(部長代行になる前は,)8時半ごろに家を出ていました。…(部長代行になってから は,)8時までには病院に行きたいということで,早めに出勤していました。」(原告X1本人)等と供述しており,これらによれば,供述内容に若干食い違い があるが,遅くとも,部長代行になる前は午前8時40分に,部長代行になった後(平成11年2月以降)は午前8時に,自宅を出るよう心がけていたということになる。しかし,亡Bの出勤時刻が早くなったことについては,平成11年4月に原告X3が高校に入学し,「ぼくは息子と一緒に家を出るから出勤が早くなった。」等と,他の医師に話をしていたことが認められること(甲36,55,乙65,G証人),本件証拠上,亡Bが部長代行になった後,出勤時刻を早めなければならないような具体的な業務上の事情が特に認められないことからすると,出勤時刻が早くなった時期は,原告X1が説明するような部長代行になった時期である平成11年2月ではなく,原告X3が高校に入学した同年4月からであると認められる。
そうすると,亡Bの始業時刻は,特に超過勤務として認められる場合を除き,平成11年3月以前は午前8時50分であり,同年4月以降は午前8時10分で
あるとするのが相当である。
(ウ) 亡Bの通常勤務の場合における終業時刻について,原告らは,午後6時ころと主張し,原告X1もこれに沿う供述をするが(甲19,33,原告X1 本人),被告病院における就業規則の定め(前記(ア))や,実際上も午後5時を終業時刻として運用されていたこと(乙3),勤務予定表には原則的に午後5時までの勤務として記載されていること(乙5),亡Bは,部長代行になる前の平成11年1月までは,午後5時以降に患者の診療等のため超過勤務をする場合には勤務報告書にその旨記載をしていること(甲42),部長代行になった後の同年2月以降,勤務報告書への超過勤務時間の記載はないが(甲36参照),部長代行になってからも,帰宅時間についてそれ以前と変わることはなかったと認められること(甲33),亡Bは,午後5時には比較的しっかり帰る方であり,残っていたら「どうして,まだいるの。」とE医師から聞かれるような勤務状況であったこと(乙66)を総合すると,特に超過勤務として認められる場合を除いては,午後5時をもって終業時刻であるとするのが相当である。
(エ) 通常勤務の場合の超過勤務については,勤務報告書に記載し上司の決裁を受けるシステムであったところ(ただし,部長ないし部長代行については, 記載を行わない。)(甲36),亡Bの平成10年9月以降の1か月当たりの超過勤務は,同月が4時間30分,翌10月が7時間30分,同年11月が3時間30分,同年12月が8時間,平成11年1月が3時間30分であり(甲42,乙46の1),この5か月間で見ると,短いときで3時間30分,長いときで8時間であって,月平均5時間24分である。部長代行に就任した後である同年2月以降の亡Bの超過勤務時間については,証拠上不明であるが,部長代行になった後も帰宅時刻に特に変化はなかったこと(甲33)からすると,短いときで3時間30分,長いときで8時間,月平均5時間24分程度の超過勤務があったものと推認される。
イ 当直,日直及び宿日直の勤務内容等
当直,日直及び宿日直(以下「日当直」ということがある。)の勤務内容等については,次のとおりである。
(ア) 午後5時から翌朝午前9時までの間の当直勤務における対応業務としては,受診相談,急患患者の診療行為及び入院患者への対応がある(争いがな い。)。当直勤務については,被告病院の36協定の対象外であるが(乙52),これらの対応業務が被告病院の業務であることは明らかであるから,本件訴訟における亡Bの業務過重性の判断においては,基本的に,これらの業務の時間中を労働時間として評価すべきである。
このうち,受診相談は,看護師が電話を受けて自らが対処,指示して終わることもあるが,当直の医師へ電話が転送され,医師において対応する場合もある。 そして,その結果,様子見とされる場合,具体的な処置を指示する場合,他医への受診を勧める場合等があり,対応した看護師又は医師と対応内容が急患室運営委員会議事録に添付された「受診相談を受けた事例」と題する書面に記録されている(甲43の1ないし5,8,11及び13ないし15,甲44,乙60,61)。なお,I証人は,電話の記録について,「受診相談を受けた事例」として記録されているものよりも多かった印象であると述べるが(甲54),前記の記録に記載されたもののほかに受診相談があったことを認めるに足りる証拠はない。
(イ) 当直勤務の中心は急患患者の診療行為であるところ,被告病院は第2次救急病院であり,重症患者の場合にはあらかじめ,あるいは判明後できるだけ 早く,第3次救急病院に転送されることとなっているため,重症患者の対応に夜を徹して対応するという状況ではなかった(甲53,乙66)。もっとも,昼間の外来患者よりも夜間の方が差し迫った容態の患者が多い傾向があり,例えば,吸入をしても改善しない重度の喘息患者等,診療に時間のかかる患者が訪れることもあった(甲53,G証人)。
具体的な急患患者と処置は「急患室日誌」(甲54,乙13)に記載されており,各処置に要する時間は,「急患室日誌」に終了時刻が明記されている例につ いては,その記載のとおりであると認められるが,それ以外のものについては,一般的には,長めに見たとしても,おおむね以下の表に記載したとおりであったと認められる(甲54,56,I証人,G証人)。
処置
処置に要する時間
吸入及び点滴(DIV)
3時間
点滴(DIV)
2時間30分
(採血や検尿,レントゲン撮影などを並行して
行っている場合もこの時間内に含まれる。)
レントゲン撮影(X−P)及び
吸入(ネブライザー,NB)
1時間
レントゲン撮影
30分
吸入及び採血
30分
採血のみ
30分
吸入のみ
20分
座薬
30分
胃洗浄(SP)
30分
尿検査(H)
30分
グリセリン浣腸(GE)
30分
便培(便の培養)・咽培(咽頭培養)
15分
処方
15分
診察のみ
15分
なお,来院した患者が入院する場合には,来院時から一通りの検査や診察等をし,家族に説明し,病床の手配をし,入院計画書を患者らに渡し,病棟へ付き 添って病棟にある看護師に対する指示票に必要な指示を記載して渡すという一連の作業を行うことになり,入院を決定してから一連の作業を終えるまで少なくとも1時間程度を要することになる(甲54)。しかし,「急患室日誌」には,入院時刻の記載はあるが,それに先立つ入院を決定した時刻までは逐一記載することとはされておらず(乙13),入院を決定した時刻は記録上必ずしも明らかではない。しかも,入院となった患者に対し,点滴,採血,吸入等が行われている場合には,入院に伴う一連の手続とある程度は並行して作業が可能なものもあると考えられる。したがって,処置の内容と入院時刻を参考に一連の作業を終えるまでに要した時間を具体的に推認するほかない。例えば,亡Bが日直であった平成11年5月5日,午後7時55分に来院した喘息患者が午後10時55分に入院となり,点滴(DIV),採血,吸入も行われているところ(乙13,甲54),来院から入院までに3時間を要しており,各処置に要する時間を考慮すれば,入院した午後10時55分ころまでに一連の作業は並行して行うことが可能であると考えられるから,医師が対応した時刻としては,患者が入院した午後10時55分までといわざるを得ない。
急患患者に対する対応は,急患患者の来院により開始するものであり,点滴等の時間を要する処置については,必ずしも医師が付きっ切りで診ている必要はな いものの(G証人),急変等があった場合には直ちに対応する必要があること,時折患者の状態を診る場合もあること等から,処置が継続している間は休息をとることは実際上は容易ではないと考えられ,結局,来院から処置の終了までは,医師の勤務の実働時間であると評価することが相当である。ただし,急患患者の来院(あるいは電話による受診相談)がない場合には,睡眠や休息をとって差し支えないのであるから,少なくとも,患者の来院や電話のない時間帯について,労働時間に含まれるものと解する余地があるとしても,実働時間として評価をすることは相当ではない。
ところで,当直担当の医師は,睡眠をとった場合でも,午前7時台には起床し,身支度を整え,朝食を摂取する等のほか,引継ぎ,入院患者の診察等を行うこ
ととなるが(甲53),引継ぎ,診察等の業務を行う時間は別として,身支度を整える等の時間を実働時間として評価することは相当ではない。
(ウ) 日当直時における急患患者の数は,平成11年1月から同年8月までの1日当たりの小児科の急患患者の平均数で見ると,別表3−7のとおりである ことが認められ(乙13,68),準夜帯(おおむね午後11時15分ころまで)が約2.7名から7.0名程度であり,深夜帯(おおむね午後11時ころ以 降)が約1.1名から1.9名程度である。したがって,一般的には,深夜帯の患者は一,二名と少ないものといえ,少なくとも,夜間ひっきりなしに患者が来院するような状況ではないといえる(G証人)。しかし,深夜帯に診察等に時間を要する患者が来院する場合があったり,数時間おきに患者が来院するような場合等には,十分な休息をとれないことがあるものと考えられる。
(エ) 被告病院小児科の当直室(以下「当直室」という。)は,従前は3畳ほどの広さで,急患室に近く,廊下に看護師等の行き来を感じるような状況で あったが,平成10年10月に急患室及び当直室が移転した。その結果,広さが従前よりも広くなり(8.7平方メートル),病棟に入院する患者や職員は廊下を通るものの,従前よりは急患室から離れた分,当直室側の廊下の行き来は多くはなくなったと考えられるほか,数年前から当直室前の廊下にはカーペットが敷かれ,靴音が響かないような工夫がされていた(甲43の1及び2,甲53,55,乙41の2,乙57,65,68,G証人)。よって,当直室の環境が劣悪なものであるという評価をすることはできない。
ウ 看護学校勤務について
c看護専門学校での講師の仕事は,被告病院から各科への依頼に基づくものであり,d看護専門学校(長谷川病院の併設施設)での講師の仕事も,同専門学校
から被告病院への依頼に基づき,被告病院院長から担当科の部長宛の依頼により行われていたものであるから(前記第2の2(4)カ),いずれも,その講義時 間中については,労働時間として評価すべきである。
他方,e看護高等専修学校での講義は,被告病院の就業規則上認められていないものであること(前記第2の2(4)カ),小児科部長であったE医師が亡B に紹介したものであるが,亡Bが講師活動について嫌いではなかった様子であり,嫌なことは嫌とはっきり言う方であった亡Bがすんなり引き受けた経緯があること(甲35,乙66,E証人)等からすれば,その講義時間について,被告病院の業務としての労働時間に含めることは相当ではない。
なお,講義をするためにはその準備に一定の時間及び労力を要するものと考えられるが(甲55,80参照),亡Bは,前記第2の2(4)カのとおり,数年 来,それぞれ同一科目の講義を担当していたものであり,また,亡Bが,具体的に勤務時間外に講義の準備をしていたこと又は講義の準備に追われていたこと等
をうかがわせる事実を認めるに足りる証拠はないから,講義時間を超えて労働時間と評価することはできない。
エ 亡Bの勤務時間等について
争いのない事実,証拠(甲31,42,43,44,51,54,乙5,9の1,13,36の1ないし11,40,46の1ないし8,60)及び前記アな いしウの事実によれば,平成10年9月から亡Bが亡くなる前日の平成11年8月15日までの間における,亡Bの勤務時間等は,別紙就労状況一覧表のとおりであると認められる。ただし,個別に問題となる点については,別紙就労状況一覧表中にそれぞれ記載したほか,次のとおりである。
(ア) 始業時刻については,前記ア(ア)及び(イ)のとおりであり,少なくとも平成11年3月以前は午前8時50分,同年4月以降は午前8時10分と
する。
ただし,当直明けで引き続き勤務がある場合や,午前8時から9時までの間ウラ当番である場合には,原則として午前9時までが当直又はウラ当番であり,午 前8時台には,当直業務としての引継ぎや入院患者の診察等が行われていたと解される(前記イ(イ))。また,労働時間を重複して計算しないようにするため,勤務状況の評価に当たっては,午前9時までを当直とし,午前9時以降を通常勤務とする(始業時刻を午前9時として検討する)のが相当である。
(イ) 日当直・ウラ当番における空き時間については,別紙就労状況一覧表中,平成11年1月以降に関しては,当該日当直及びウラ当番のうち,最も長い 空き時間(患者が来院していない時間)のみを証拠(甲43,44,54,乙13,60)及び処置に要する時間(前記イ(イ))に基づき認定した。このため,認定した空き時間より短いながら,まとまった空き時間があった場合でも,別紙就労状況一覧表上は,このような空き時間が「実働時間」の中に含まれている。この点につき,前記イ(イ)のとおり,急患患者の来院や電話による受診相談がない時間帯は,睡眠や休息をとって差し支えなく,その時間帯については勤務の実働時間としては評価し難いものであるから,その意味において,別紙就労状況一覧表の「日当直・ウラ当番」の「空き時間」及び「実働時間」の記載は正確ではない。しかし,例えば,1時間程度のまとまった空き時間があったと認められる場合であっても,深夜,数度にわたり急患患者に処置を施したような場合には,このような細切れの空き時間では十分な睡眠を確保することが容易ではないと考えられること,急患患者の来院や電話による受診相談のほかにも,各医師が担当している入院患者の診察等に一定の時間は要すると考えられること(ただし,入院患者の診察等に要する具体的な時間は明らかではなく,少なくとも,数時間にわたるようなものであることを認めるに足りる証拠はない。),亡Bの日当直勤務の過重性につき過小評価しないようにする趣旨から,前記のとおりとしたものである。
当直中の空き時間が当直終了時(原則として午前9時)まで継続していると認められる場合については,引継ぎや入院患者の診察等の業務があること(前記イ
(イ))及び就業規則上の始業時刻が午前8時30分であること(前記ア(ア))から,午前8時30分までを空き時間として計算するのが相当である。
(ウ) 平成10年12月以前における日当直中における空き時間については,急患患者の具体的な来院状況等が証拠上不明であるため,前記(イ)に基づく 平成11年1月から同年7月までの日当直時間に対する空き時間の平均的な割合を算出し(当直については49.0パーセント,宿日直については18.3パーセント,日直のみ及びウラ当番については40.0パーセント。別紙就労状況一覧表参照),これに日当直時間を乗じた平均時間をもって空き時間と認めるのが相当である。
(エ) 当直終了時刻については,急患患者の来院及び処置により午前9時を過ぎる場合には,具体的に前記同様の証拠及び処置に要する時間に基づいて当直 終了時刻を特定した。しかし,そのような患者の来院がない場合には,当直が午前9時までとされていること,遅くとも午前9時にはその日の通常勤務が開始され,他の医師が出勤していること,引継ぎ等の業務を終えて午前9時に帰宅する医師もおり,午前9時までに終了できないほどの業務量であったとは認め難いこと(甲60,乙91の1)から,特に午前9時までに引継ぎ等の業務を終了することができなかったと認められる場合を除き,午前9時をもって当直終了時刻とすべきであり,それ以降について労働時間として評価することは相当ではない。
(オ) 電話による受診相談に要した時間については,「受診相談を受けた事例」(甲43の11及び13ないし15,甲44,乙60)に,「Dr.B」と の記載があるもののみを亡Bの勤務時間と認めるのが相当である。これは,前記イ(ア)のとおり,看護師のみで対応する場合もあるところ,実際,「受診相談を受けた事例」には,看護師のみが記載されている事例もあり,これが看護師のみで対応したものと認められるからである。
(カ) 平成10年9月7日,同月14日,同年10月5日,同年11月16日,平成11年1月18日及び同月25日の当直明けの勤務時間については,い ずれも月曜日であり,かつ,各前日の午後9時以降,当直勤務であったところ,これらの日について,原告らは,原告X1の記憶によれば,風呂を浴びに自宅に戻った程度であり,当直明けの通常勤務(原告らの主張によれば,前夜の当直から引き続きその日の午後6時まで)として,「労働時間」を算定すべきであると主張する。
しかし,前記原告X1の記憶が日付を特定した具体的なものではないこと,勤務予定表(乙5)によれば,これらの日はいずれも午後1時から午後5時までの 勤務とされていること,亡Bが月曜日の午前の一般外来の担当をしていたと認めるに足りる証拠はないこと,被告病院小児科では,当直明けの休日の制度があり(前記第2の2(4)エ(エ)),半日ずつでも休日を取得できるようになっていたこと(甲36)からすると,午前9時から午後1時までの間について勤務し
ていたと認めることはできない。
(キ) 平成10年9月25日の勤務時間については,原告らは,午後6時までウラ当番として診療に当たったと主張する。しかし,勤務予定表(乙5)で は,同日は午後1時までの勤務とされていること,同日の欄には「(28日ふりかえ)」と記載されているところ,同月28日の当直明けの日に当たる同月29日は通常勤務であることからすれば,当直明けである同日に通常通り勤務する代わりに,同月25日の午後1時以降に休日を取得したと考えられ,原告ら主張の事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,同日は午後1時までの勤務であったと認めるのが相当である。
また,同年11月20日の勤務時間についても,原告らは,午後7時までウラ当番として診療に当たったと主張するところ,勤務予定表(乙5)では午後6時
までの勤務とされ,勤務報告書(甲42)にも超過勤務の記載はなく,原告ら主張の事実を認めるに足りる証拠はない。
(ク) 平成10年10月30日の勤務時間については,勤務予定表の記載上,午後1時まで勤務した後,出張をしたようにも読める(乙5)が,午後3時か ら午後4時50分までe看護高等専修学校で講義をしている(甲9)ところ,その講義を労働時間に含めることはできないから,午後1時以降を被告病院における労働時間として評価することはできないというべきである。
翌31日の勤務時間については,出張をしたものと認められるところ(乙5),その時間は必ずしも明らかではないため,通常勤務と同一の時間をもって勤務
時間とするのが相当である。
(ケ) 平成11年4月及び同年5月の勤務時間については,勤務予定表(乙5)と勤務報告書(乙46の4及び5)の記載内容が一致しない部分があり,年 休,研究日又は当直明けの振替休日の別が必ずしも明確ではない。この点,亡Bは,それ以前は水曜日を研究日としていたが,同月以降,研究日を金曜日に変更しているものであるところ,そのいわば過渡期にあり,勤務予定表(乙5)上,当直明けの水曜日が空欄となっているのは,振替休日を取得していたものと認められる。いずれにしても,年休,研究日又は振替休日(勤務予定の記載のないもの)については,通常勤務を行ったことを認めるに足りる証拠はない。
(コ) 平成11年5月14日の勤務時間に関して,亡Bがc看護専門学校の講義をした事実は認められず,同日の講義はG医師が担当したものと認められる
(甲8,乙5)。なお,同日につき,亡Bが秦野保育園の健康診断を担当したことを認めるに足りる証拠はない。
(サ) 平成11年5月26日の勤務時間については,原告らは,L氏が昼ころ亡Bに会ったとして,正午までを労働時間として主張する。しかし,前記のと おり,当直終了時の業務については,午前9時までに終了することができないほどの業務量であったとは認め難いこと,亡Bの勤務予定表には午前9時までの(当直)勤務として記載されていること(乙5),亡Bは,従前,水曜日を研究日としており,同月以降は,火曜日の夜に当直を担当し,水曜日を振替休日とする傾向が続いていること(ただし,同年6月30日の水曜日については,前日夜に当直をした後,通常勤務をし,翌7月1日の木曜日は通常であれば一般外来の担当であるはずのところ,勤務予定表には勤務とする記載がなく〔乙5〕,勤務予定表上の他の医師の勤務状況も勘案すると,何らかの事情により特に日程を変更し,同年6月30日の水曜日に代えて同年7月1日に振替休日を取得したものと認めるのが相当である。)に照らすと,被告病院内に亡Bがいたとしても,そのことをもって直ちに勤務中であったとは認め難く,同年5月26日の午前9時以降については,労働時間として評価することはできない。
(2) 亡Bの業務の過重性
前記認定の事実に基づき,亡Bの業務の過重性について,以下判断する。
業務過重性の有無については,社会通念上,当該業務がうつ病発症の危険を内在又は随伴すると評価し得る身体的・心理的負荷を有するものと評価し得るか否
かによって決するべきであり,亡Bについても,かかる観点から検討を行うこととする。
ア 労働時間について
亡Bの日当直を含む労働時間については,別紙就労状況一覧表のとおりであるところ,亡Bの日当直勤務における時間外労働時間(空き時間を含めたもの)を 含む時間外総労働時間は,平成10年9月から平成11年7月までの間,1か月当たり,平成10年9月が36時間,同年10月が42時間,同年11月が45時間,同年12月が53時間,平成11年1月が22時間,同年2月が54時間,同年3月が83時間,同年4月が69時間,同年5月が64時間,同年6月が63時間,同年7月が43時間(1時間未満切り捨て。以下同じ。)と推移している(ただし,同年2月以降の通常勤務における超過勤務時間については,前記 (1)ア(エ)のとおり,平均値を用いたものであり,これを同月以降の各月の時間外総労働時間に単純に加算している。)。
(ア) 平成11年1月以前
平成11年1月以前における1か月当たりの時間外総労働時間については,最も長時間である平成10年12月が53時間であるものの,全体として,22時 間から53時間というものであり,長時間労働が常態化している状況にあるとはいえない。これらの時間外総労働時間には,日当直及びウラ当番において,患者が来院しておらず,睡眠や休息をとって差し支えないとされる空き時間が含まれるものであるところ,実際の患者の来院状況を踏まえた,当直及びウラ当番における最も長い空き時間を除いた時間外の総実働時間は,1か月当たり,平成10年9月が11時間,同年10月が14時間,同年11月が15時間,同年12月が11時間,平成11年1月が2時間であり,空き時間においては,十分な睡眠をとることによる疲労回復は困難であるとしても,少なくとも横になって身体を休めることは可能であることからすれば,亡Bに著しい身体的・心理的負荷を与える程度の長時間労働であると評価することはできない。
なお,前記(1)
ア(イ)のとおり,亡Bの当時の自宅から被告病院までの通勤時間は徒歩で5分程度であったから,通勤に伴う負担や長時間通勤ゆえの睡眠時間確保の困難さは認め難い。
(イ) 平成11年2月以降
平成11年2月以降における1か月当たりの時間外総労働時間については,最も長時間である同年3月が83時間であり,同年2月が54時間,同年4月が 69時間,同年5月が64時間,同年6月が63時間,同年7月が43時間である。しかし,前記(ア)のとおり,これらの時間外総労働時間には,日当直及びウラ当番における空き時間が含まれるものであるところ,当直及びウラ当番における最も長い空き時間を除いた時間外の総実働時間は,1か月当たり,同年2月が15時間,同年3月が30時間,同年4月が15時間であり,同年5月の38時間をピークに,同年6月は37時間,同年7月は19時間と推移していることが認められ,時間外労働時間をもって,亡Bに著しい身体的・心理的負荷を与える程度の長時間労働であると評価することはできない。
なお,亡Bの死亡1週間前である平成11年8月9日から同月15日までの間は,夏休み等により勤務はなく,その前3週間(同年7月19日から同年8月8
日まで)についても,1週間の総労働時間が就業規則(乙9の1)上の労働時間である週40時間を大幅に超えることはないことが認められる。
イ 当直業務について
(ア) 亡Bの日当直の回数
亡Bの日当直の回数については,別紙就労状況一覧表の各月の「日当直・ウラ当番の回数」欄に記載したとおりである(甲31,97の1ないし12)。すな わち,亡Bは,平成10年9月ないし同年12月については,おおむね月6回の当直及び月1回の日直を担当していたところ,平成11年1月は当直5回・日直1回,同年2月は当直6回・日直0回,同年4月は当直6回・日直0回,同年5月は当直5回・日直3回,同年6月及び7月は当直5回・日直1回であり,ほとんど変動がない。
これに対し,同年3月の当直回数は,原告らが主張するように月8回と,他の月に比べて回数が多いが,他の月がおおむね月6回程度であり,日直を1回程度 担当しているところ,当直回数の差は2回程度であり,また,同月は日直を担当していない。加えて,1か月(28日ないし31日)単位ではなく,4週間(28日)単位で見た場合には,平成10年9月から平成11年7月にかけて,4週間当たりの当直回数は5回から7回の範囲内で推移しているのであって,同年3月の時期に特に他の月と比べて増加したとはいえない(別表1−3参照)。
なお,被告病院の他の小児科医師と比べると,当直回数及び日当直を合わせた回数は,亡Bが最も多いといえる。しかし,他方で,次に担当回数の多いJ医師 との差は月1回程度にとどまること,日直に限ると,G医師やJ医師の方が担当回数が多いことが認められ,亡Bの日当直の回数が突出して多いものであったともいい難い。
また,被告病院において当直を実施している他の科と比較した場合,平成10年1月から同年3月においては,回数のみに着目すると,小児科(亡Bの場合を 含む。)よりも産婦人科の方が多くの回数を担当しており,産婦人科の医師1人当たりの1か月当たり当直回数(日直回数は当直回数として計上されている。)は,平均でも7回を超えている(乙25)から,これと比較すると,亡Bの当直回数はほぼ同程度であるといえる。
さらに,日本小児科学会による研修指定病院628施設を対象とした平成10年11月ころの実態調査では,有効回答数461施設中,小児科の医師1人当た りの当直回数は月平均3.49回であり,最も多くの回答があったのは月2回(22.6パーセント)とされているから,他の医療機関の平均的な当直回数よりも亡Bの方が多いといえる。しかし,同調査によれば,月5回以上当直をしている施設も25.8パーセント存在し,当直回数が月6回から月8回の施設も合計13パーセントあったことが認められる(甲11)。平成10年9月から平成11年7月までにおける亡Bの当直回数は,月平均5.7回であるが,前記調査の結果によれば,他の施設での平均当直回数と比較して,亡Bの当直回数は,多い方に属するとはいえるものの,突出して多いとまではいえず,同程度の回数を担当する医師も少なからず存在する。
(イ) 日当直中の勤務状況,急患患者数,当直室の状況等
前記(1)イ及び別紙就労状況一覧表のとおりである(ただし,前記(1)エ(ウ)のとおり,平成10年9月から同年12月までの期間の日当直の具体的状 況については証拠上明らかではないため,別紙就労状況一覧表中の同期間における空き時間は,平成11年1月から同年7月までの日当直における最も長い空き
時間についての平均的な割合に基づく数値を採用している。)。
このうち,日当直中の空き時間に着目してみると,日当直及びウラ当番における最も長い空き時間は,証拠に基づき当直中の勤務状況がある程度具体的に推認 可能な平成11年1月から同年8月までの間では,最も短い場合で3時間半程度であるが,他方,6時間以上のまとまった空き時間があることも少なくないことが認められ,10時間以上の空き時間があったことも何度かあることが認められる。すなわち,同年1月から同年8月までの間の亡Bの当直において,6時間以上のまとまった空き時間があったのは,全41回(日曜日及び祝日の入院当番日と乳幼児当番日における午前9時から翌朝9時までの宿日直については,宿日直1回を,日直1回及び当直1回に換算した回数。以下同じ。)中,27回と6割を超えており,同年2月から同年4月までの3か月間で見ても,20回中17回と,実に85パーセントの割合で6時間以上のまとまった空き時間がある。また,まとまった空き時間を確保することができるのは,いずれも深夜を含む時間帯であり(甲54,乙13),まとまった空き時間が4時間を下回るような場合であっても,深夜帯の急患患者は少ない傾向にある(前記 (1)イ(ウ))。このことからすると,完全に勤務から解放された状態での睡眠と同様の睡眠を確保することは困難であるとしても,一定程度の睡眠時間を確
保すること自体は不可能ではなく,少なくとも横になることによって身体を休めることは可能であったといえる。
加えて,後記(ウ)のとおり,亡Bの場合,当直と通常勤務が連続する勤務となる場合が比較的少ないこと,連続勤務であっても,これに近い日に勤務のない 振替休日を取得できる状況にあったこと,当直中の急患患者は,昼間の外来患者より差し迫った容態の患者が多い傾向があるとはいえ,重症患者は第3次救急病院に転送されることとなっていたこと,被告病院が同年4月以降は入院当番を担当していないことを併せて考慮すると,一般的に,小児科における当直業務そのものは軽度の業務であるとはいえないが,被告病院小児科における当直の内容を具体的に見ると,これが特に過重な業務であったとまでは認め難い。
(ウ) 研究日及び当直の振替休日
被告病院小児科における大きな特徴として,医師は,平日に週1日の研究日を取得できる上,当直1回に対応して1日の振替休日を取得することが原則的に可 能となっていた。当直明けの日に勤務を免除されることが,当直業務に伴う心身の負担の軽減につながることは明らかであり,当直業務による負荷の程度を検討するにつき,研究日又は振替休日の存在を無視することはできない。
被告病院小児科において,当直の振替休日は,当直明けの日にすぐ取得できる場合ばかりではなかったが,半日ずつであっても取得することはでき,当直日に 近い時期に取得できる状況であった(甲35,36,40の1,53,乙66,G証人)。亡Bの勤務状況について見ると,別紙就労状況一覧表のとおり,水曜日と金曜日につき,一方を研究日,他方を半日又は1日の振替休日とする場合がほとんどであり,これらの日の前日に当直を担当することが多い,すなわち,当直明けが研究日又は振替休日であることが多いことが分かる。また,そうでない場合でも,半日の勤務(又は土曜日)である場合が多いということができる。当直明けの日に通常勤務という場合も全くないわけではないが,当直開始直前(午後5時)までは勤務ではない日であったり,午後の半日勤務後の当直であったり,近い時期に休みを取得できる場合がほとんどである。亡Bが,平成10年9月から平成11年8月までの約1年間に,「通常勤務(七,八時間勤務)・当直・通常勤務(同)」という連続勤務の状態となったのは,<1>平成11年2月15日から翌16日まで,<2>平成11年4月5日から翌6日まで(ただし,同月6日は午後3時までの勤務である。),<3>同月12日から翌13日まで,<4>同月19日から翌20日まで,<5>同年6月29日から翌30日までの5回のみである。しかも,これらの5回のいずれについても,当直明けの日の翌日には,半日又は終日の振替休日又は研究日(勤務をしない日)を取得している。
ところで,被告病院小児科医師の日当直の割振りは,亡Bが部長代行に就任する以前から,亡Bが担当していたと認められるから(甲36,60,乙 65,91の1,E証人),日当直の担当日について,他の医師の都合等による調整の結果,希望どおりにいかない場合があり得ることは当然としても,亡Bの意向が全く反映されないような状況ではなく,亡Bの裁量の幅が大きいものであったというべきである。
なお,当直明けの振替休日の制度は,被告病院の他科(内科等)にはなく,他の医療機関においても,そのような制度がないことが一般的であって,前記 (ア)の日本小児科学会研修指定病院に対する実態調査では,当直明けの勤務体制が通常勤務である(振替休日等ではない)とする施設が82.05パーセント,半日を休みとする施設が14.5パーセントであり,1日を休みとする施設は3.42パーセントにすぎないと報告されている(甲11,53,乙66)。
ウ 入院患者受持人数
被告病院小児科の医師の入院患者受持延べ人数について見ると(乙27,別表5−1参照),平成10年8月から平成11年7月までの間,亡Bの受持延べ人 数は,平均すると1か月当たり約100名,1日平均約3.3名であり,それほど多いとはいえない。
これを被告病院小児科の他の医師と比較すると,月平均約121名(日平均約4名)又は約150名(日平均約5名)である医師がいる一方で,月平均約 101名(日平均約3.4名)又は約92名(日平均約3名)である医師もおり,亡Bのみが突出して多いとはいえないものの,少ないともいえない。ちなみに,亡Bの入院基準が厳しい(なるべく入院させない方針である。)と指摘する医師(甲35)や,亡Bについて「ベッドフリーの状態」(入院患者受持人数が少ないとの意味)と指摘したことがうかがわれる医師(乙58,弁論の全趣旨)は,いずれも亡Bよりも入院患者受持人数が多いと認められる医師(1か月当たり平均約121名あるいは約150名を受け持っていた医師)である。なお,平成14年6月時点における,医師1人1日当たりの入院患者数の調査(全国公私病院連盟)によると,被告病院と同規模の300から399床の病床を 有する病院の小児科では,自治体の場合4.9名,都道府県・指定都市の場合5.1名である(乙28)。これと比較すると,被告病院小児科では,亡Bも含め全体的に,医師1人当たりの入院患者受持人数は少なめであり,入院患者受持人数から亡Bの業務の過重性を基礎付けることは困難である(ただし,亡Bの場合が極端に少ないとまではいえない。)。
エ 外来患者数
(ア) 被告病院小児科における外来患者数の推移は,別表4−1の「外来患者数」欄記載のとおりであると認められるところ(甲6,7,乙35の1ないし 11),平成11年1月から同年5月の外来患者数は,いずれの月も前年同月期に比べて増加しており,平成10年9月以降の常勤医1人1日当たりの患者数を月ごとに求めると,以下の表のとおり(小数点2位以下四捨五入)となる。
以下の表において,各月の常勤医の人数については,E医師が平成11年2月から同年5月まで一般外来を週3回担当していたほか,特別外来も担当していた (甲5,乙66,E証人)ため,この期間における外来患者の担当に関しては,E医師を常勤医1名として計算している(なお,E医師が,一般外来について,原告らのいう「二診」を担当していたとしても,一般外来は1日当たり2名の医師が分担して担当していたものであって,そのうちの1名として診療に当たっていたのであるから,常勤医1名分の勤務をしなかったということはできない。)。また,同年6月は同医師が週2回の担当となったこと(乙24,66)を考慮し,便宜上,同医師を常勤医0.5名分として計算した。同年4月以降,M医師(以下「M医師」という。)が嘱託医として勤務しているが(甲81の10,乙38),日当直勤務が中心であったと認められることから(甲5,31,乙6),以下の表ではM医師については常勤医として考慮していない。同年2月及び同年3月の欄の括弧内の人数は,I医師が一般外来を担当していなかったことを考慮して,常勤医としてI医師を含めない場合を念のため記載したものである(同医師が予約外来を担当していたことや,常勤医として勤務していること自体には変わりがなく,小児科内における調整の余地がなかったとは考え難いことから,同医師を常勤医1名分として考慮しないことが合理的であるとは必ずしもいい難い。)。ところで,原告らは,F医師が同年3月に有給休暇を合計10.5日取得したこと(争いがない。)から,同医師を0.5名として考慮すべきであると主張するようであるが,同医師についても常勤医であったこと自体に変わりはなく,同医師が,同月の金曜日及び第3週までの火曜日には年休を取得していないこと(乙47の3)からすると一般外来を担当していたものと推認され,また,同医師の休暇取得については,小児科内における業務量に応じて調整されるべきものである(同月の同医師の休暇取得は部長代行である亡Bが了承している。)から,常勤医1名分に満たないとの評価は相当であるとはいえない。
以上によれば,常勤医の人数は,K医師が平成11年5月以降に常勤医として勤務したことから,平成10年9月から平成11年1月までは5名,同年2月及
び同年3月は6名(I医師を含めない場合には5名),同年4月は4名,同年5月は5名,同年6月及び同年7月は4.5名として計算することになる。
常勤医1人1日当たりの患者数)
平成10年9月
10.2名
10月
12.1名
11月
11.7名
12月
15.3名
平成11年1月
14.8名
2月
14.1名(16.9名)
3月
12.5名(15.0名)
4月
16.6名
5月
12.7名
6月
15.0名
7月
14.6名
なお,平成14年6月時点における,医師1人1日当たりの外来患者数の調査(全国公私病院連盟)によると,被告病院と同規模の300から399床の病床
を有する病院の小児科では,自治体の場合14.3名,都道府県・指定都市の場合12.2名である(乙28)。
(イ) 前記(ア)の被告病院小児科の常勤医1人1日当たりの外来患者数を見ると,平成10年12月から平成11年4月にかけて及び同年6月には,他の 平均的な外来患者数(全国公私病院連盟の調査)と比較しても若干多めとなっており,特に平成11年4月は,他の時期との比較においても外来患者数が多いということができる。この点,J医師が,同月は突出して忙しかったと述べていること(甲55,60,乙91の1)と時期的におおむね合致し,前月までに常勤医が2名退職し,E医師が嘱託医として勤務していたものの,常勤医が3名と,最も少なくなったことが影響していると見る余地がある。
ただし,前記(ア)の全国公私病院連盟の調査を見ても,他の病院の小児科における平均的な外来患者数と被告病院のそれとの差は多くとも医師1人1日当た り2名程度であり,平均的な外来患者数とそれほど大きな差があるとはいえない。また,同調査によると,被告病院と規模は異なるが,自治体における100ないし199床の病床を有する施設の小児科の医師1人1日当たりの外来患者数は17.3名であり(乙28),これと比較すれば,前記(ア)のとおり,被告病院小児科における外来患者数の方が少ない。加えて,被告病院小児科の平日の勤務では,一般外来は原則的に午前中とされており,午後にずれ込む場合があることは当事者間に争いのないところであるものの,朝から晩までひっきりなしに患者が訪れるという状況ではなく,また,午後は予約外来であるから,担当医師が事前に予定を立てることが可能である(乙7,8)。そのような勤務スケジュールを前提とすると,前記の程度の外来患者数の増加をもって,直ちに医師の業務が過重であると評価することはできないと考えられ,また,外来患者数の増減はひとり亡Bのみに影響を与えるものではなく,被告病院小児科の他の医師に対しても同様に影響を与えるものと考えられる。したがって,業務の過重性について検討するに際し,外来患者数の推移を殊更重視することは相当ではない。
オ 被告病院小児科における医師の人員等
原告らの主張する,被告病院小児科医の人員不足の点について,以下検討する。
(ア) まず,被告病院小児科医の常勤医の人員構成は,前記第2の2(3)のとおりであり,実働人数は,平成7年4月から5名,平成8年4月から6名, 平成9年9月ころから5名,平成10年4月から6名,平成10年7月から平成11年1月まで5名という形で推移しているが,被告病院において,小児科の医師の定員について定めがあったことを認めるに足りる証拠はない。
(イ) 平成11年2月は,E医師が退職した翌月であるところ,同医師は,入院患者受持人数を徐々に減らし,同年2月中旬以降入院患者の受持ちがなく なったものの(乙27),嘱託医として,同月以降,一般外来,専門外来,日当直のいずれについても,それ以前とほぼ同じ時間数ないし日数を担当した(甲31,乙66,E証人)。また,同月には,I医師が産休明けで復帰し,外来担当や当直等については従前における同医師の勤務と比べ負担の少ない勤務であったものの,入院患者の診療も受け持っていた。したがって,被告病院小児科全体としては,同月は,それ以前よりむしろ医師の負担が軽減されている状況ともいえる。
そして,亡Bの同月の時間外労働時間は54時間で,同年1月よりは多いものの,平成10年中の時間外労働時間とそれほど大きく変わるものではなく,空き 時間を除いた時間外の実働時間で見ると,15時間程度であって平成10年中とそれほど変わらない(別紙就労状況一覧表)。このように,亡Bの労働時間という観点から見ても,E医師の退職に伴って,平成11年2月に亡Bの負担が増加したとはいい難い。
(ウ) 同年3月においても,E医師が入院患者の診療を除いて引き続き従前同様の勤務をしていたので,同医師の退職に伴う負担増は限定的であったと考え られる。ただし,F医師が年休を多く取得し,当直回数もそれ以前の同医師の担当回数(4回程度)と比較して少なく(2回),入院患者受持人数も徐々に減らしており(甲31,乙27,47の3),被告病院小児科医師間の認識としては,同年2月と比較すると多忙であると感じるようになっていた(乙65,66,G証人)。
しかし,F医師は一般外来等を担当していたことがうかがわれるのであり(前記エ(ア)),また,同医師に一定程度の勤務を求めることが不可能な状況で あったとまでは認め難い。すなわち,同医師は近く退職し,その後大学教授へ就任することとなっていたが(乙68参照),本人の意思で休暇を取得することは格別,退職時期が迫っているというだけで勤務ができなかったり,休暇の取得時期を調整できないことにはならず,かつ,同医師の休暇については亡Bが了承をしていた(乙47の3)。したがって,F医師が常勤医1名分の稼働に及ばなかったとまではいえない。 同年3月の当直回数については,F医師が他の月より2回ほど少ないのに対し,亡Bの回数が2回ほど増えているが(なお,他の医師の当直回数は従前と比較 するとほぼ同程度である。),前記イ(ア)のとおり,4週単位で見れば,亡Bの他の時期における当直回数より突出して多いわけではなく,従前の当直担当回数と大きく異なるものとはいえない。また,同月,亡Bが,当直明け又はこれに近接する日に全く休みを取得できない等,睡眠時間を確保することが困難な勤務状況であったとは認められない。すなわち,同月中の当直のうち,同月2日,同月9日,同月13日,同月16日及び同月23日の5回については,当直明けの日が研究日又は日曜日であるため,いずれも当直明けの勤務をしておらず,同月7日,同月28日及び同月31日の3回については,当直を担当した日が研究日又は日曜日であるため,当直日の日中(午後5時又は午後9時まで)は勤務していない。また,同月31日については,翌4月1日(木曜日)に勤務しているが,午後2時までの半日勤務とした上,その翌日である同月2日には振替休日を取得し,同月3日の土曜日(午後2時まで)の通常勤務を挟んで,翌4日の日曜日は勤務をしていない。さらに,当直中の最も長い空き時間を見ても,同年3月の当直8回中,6回は6時間以上の空き時間があり,このうち2回は10時間以上の空き時間があったことが認められるところ,このような空き時間においては,完全に勤務から解放された状態での睡眠と同様の睡眠を確保することが困難であり,完全に疲労回復するには至らないとしても,一定程度の睡眠時間を確保すること自体は不可能ではなく,少なくとも横になって身体を休めることはできたものといえる。
同月の亡Bの時間外総労働時間は,同月の1か月間(31日間)で見ると83時間と,少なくはないが,4週間で見ると69時間であり,時間外の実働時間で 見ると,1か月間(31日間)で見ても30時間,4週間で見ると22時間程度であるから(別紙就労状況一覧表),労働時間という観点から見ると,亡Bに対する強い身体的・心理的負荷となるような長時間労働であったとはいえない。
なお,亡Bが作成した稟議書(甲3の2)には,水曜日の当直体制について,I医師を午後9時までの勤務とし,それ以降は自宅待機とすることの提案が記載 されており,その記載内容に照らすと,平成11年2月から同年3月ころのものとも考えられるが,同稟議書には,発行者印,処理印等の押印がなく,宛先及び作成日も記載されていないことからすると,いずれの時期のものであるにせよ正式に被告病院側へ提出されたものとは認められず,また,証拠上,亡Bが被告病院又は急患室運営委員会に対し前記提案を行ったとは認め難い。
同年3月における亡Bの入院患者受持人数は,それ以前に比べて増加しており,特に同年2月と比較すると2倍近くに増えているが,それでも,1日平均4名
弱であり(別表5−1),それほど多いとはいえない(なお,前記ウの調査結果に基づく他の医療機関における平均的な数値である4.9名ないし5.1名を下 回っている。)。被告病院小児科の医師1人1日当たりの外来患者数は,前記エ(ア)のとおり,同年3月は12.5名(I医師を除外する前提でも15.0名)であり,平成10年11月以前と比較すると多いものの,特に突出して多いとはいえず,前記エ(ア)の調査結果による他の医療機関における平均的な数値(12.2名ないし14.3名)と比較しても,ほぼ同じ水準である。
(エ) 平成11年4月は,F医師とI医師が退職し,E医師が入院患者の受持ちを除いて従前と同様の勤務を継続していたものの,被告病院小児科医の実働 人数はE医師を含めても4名と,それまでの数年間の人員より減少したから,亡Bを含む小児科医の1人当たりの平均的な業務量が増加したとしても不思議ではなく,この点,前記エ(イ)のとおり,当時常勤医として勤務していたJ医師は,同月は突出して忙しかったと述べている(甲55,60,乙91の1)ところである。
しかし,実際には,同月は,外来患者数や入院患者受持人数が同年3月より減少しているほか(別表4−1,別表5−1参照),M医師が嘱託医として採用さ れ(甲81の10,乙38),当直には,それまで月8ないし9回であった外医(M医師を含む。)を12回と多く利用した(甲31)。さらには,同月まで,
亡Bは,入院当番を月1回程度担当していたものであるが,前記第2の2(4)エ(イ)のとおり,被告病院では同年4月から,東京都が実施する夜間診療事業 (入院当番)を担当しないこととなった。
そして,同月(30日間)における亡Bの時間外総労働時間(日当直中の空き時間を含む。)は69時間であり,これを時間外の実働時間で見ると,15時間
にすぎないことから,勤務状況は比較的落ち着いていたということができる。
なお,前記イ(ウ)のとおり,同月については,亡Bが当直と通常勤務の連続勤務となっている場合が他の時期よりも比較的多いといえる(同月5日から翌6 日まで,同月12日から翌13日まで,同月19日から翌20日までの3回である。)が,当直明けの通常勤務の翌日が勤務をしない日となっており,近い時期に休日を取得することが可能な状況であったといえる。また,そのような連続勤務がこの時期以外ほとんど見られないことからすると,人事異動に伴う一時的なものであったとも考えられる。
(オ) 同年5月には,男性であるK医師が常勤医として採用され(甲81の12,乙23),E医師は嘱託医として入院患者の受持ちを除いて従前と同様の 勤務を行い(ただし,同月以降亡Bの死亡までの間,E医師は日当直勤務を担当していない。),M医師も嘱託医として勤務するようになった。前記(エ)のとおり,被告病院小児科の入院当番は,同年4月から担当しなくなっており,外来患者数は,同月より全体として更に減少し(別表4−1),入院患者受持人数も 全体として減少する(別表5−1)とともに,亡Bの入院患者受持人数も1日当たり平均約3.8名と減少した。
同年5月は,前記ア(イ)のとおり,亡Bの時間外総労働時間が64時間であり,時間外の実働時間で見ると,38時間である。これは,平成10年9月以降 の他の月には多くても月1回程度(平成11年2月から同年4月までは0回)であった日直(休日における午前9時から午後9時までの当番)を,いわゆるゴールデンウィーク期間中の2回を含む3回担当したことが影響している(特に,同月4日及び翌5日の実働時間は,合わせて26時間を超える。)ものといえる。もっとも,この日直3回の際には,いずれも,翌朝9時までの深夜の勤務は行われていないこと,亡Bは,同月2日(日曜日)から同月5日(水曜日)まで4日間の連休中,2日間は日直を担当しているが,残り2日間は休日を取得していること,いわゆるゴールデンウィーク期間を含む同月上旬の亡Bの入院患者受持人数は,1日当たり多い日であっても4名であること(乙27,別表5− 1),前記のK医師,E医師の稼働状況等も併せて考慮すると,同月の業務が特に過重であったとまでは認め難い。
(カ) 同年6月以降の亡Bの勤務状況は別紙就労状況一覧表のとおり,徐々に落ち着いているといえ,亡Bは,同月から,E医師の嘱託内容を変更し,週3
回から週2回に減らしている(乙24,66)。また,外来患者数が減少したこともあって(別表4−1),暑くなってきたころからは,被告病院小児科医師の 間でも「暇でいいねえ」等と会話するような状況になっていた(甲60,乙91の1)。
(キ) このようにしてみると,平成11年1月にE医師が退職し,同年3月をもってF医師及びI医師が退職したことにより,被告病院小児科医の常勤医の 人数は減少しており,同時期に患者数が増加したこともあって,同年1月から同年3月ころの状況は,それ以前よりも多忙な状況であったといえる。しかし,E医師は退職後も嘱託医として週3回勤務していたため,同医師の退職に伴う影響はそれほど大きいものであったとはいい難い上,常勤医が最も少なくなった同年4月における亡Bの労働時間が,必ずしもピークに達しているという関係にはないなど,常勤医の退職時期と亡Bの時間外労働時間の増減とは必ずしも連動しているとはいえない。また,亡Bが休日を取得することができないような状況であったとは認め難く,労働時間,患者数等から推認される繁忙度についても,特に多忙であったとは認められない(なお,他の医療機関における平均的な状況と比較しても大きく異なるものではない。)。さらに,嘱託医ないし外医の援助や入院当番の変更等により,勤務が緩和された面があるほか,人員構成の変更等に伴う一時的な現象であったという面も否定できないのであって,結局,常勤医の退職に伴い亡Bの勤務が特に過重となったとまでは評価し難い。
(ク) ところで,原告らは,当直への外医依頼を増やすことはできなかったと主張するところ,確かに,外医へ依頼するためには,人材を確保した上,その
都合を付けなければならないのであるから,無制限に外医への依頼が可能であったとまではいえない。
しかし,平成11年3月当時,外医として依頼していた医師は,毎月1回以上継続的に依頼できる医師として4名,その他臨時で3名程度の医師がおり(甲 31),月数回,外医に依頼する回数を増やすことが人材不足のために不可能な状況であったとまでは考え難い。また,G医師やI医師は,被告病院において依頼することのできる外医の数が制限されていると思っていた旨述べるが(G証人,I証人),明文の規定が存在するなど,具体的に被告病院側から外医の依頼数が制限されていたことを認めるに足りる証拠はなく,むしろ,当直の割振りは亡Bが担当し(前記イ(ウ)),実際,同月には当直9回を外医に依頼しており(このほかに日直1回をE医師に依頼している。),さらに,前記(エ)のとおり,常勤医数が減少した同年4月には外医への当直依頼数を12回に増やし,常勤医の勤務状況の緩和に寄与していると認められることからすると,外医への当直依頼を増やすことが不可能であったとか,そのために亡Bを含む常勤医らの負担が増大した等とは認められないというべきである(ちなみに,同年3月の当直予定表〔甲97の5〕には,具体的な名前ではなく,「外医」と記載された日があるが,このような記載は他の月の当直予定表〔甲97の1,3,5,11及び12〕にも見られることなどを考慮すると,同年3月の当直予定表において「外医」と記載されたことのみをもって,当直担当予定を組むこと自体が困難であったとは認め難い。また,同月31日は,同予定表上はE医師が担当とされているところ,実際には亡Bが担当している〔甲31〕が,他方で,同月30日には,担当予定であった亡Bが実際には担当しておらず,さらに,同月28日には,当初は担当予定ではなかった亡Bが実際には担当しているものの,同年2月や同年4月には,同予定表〔甲97の4及び6〕上は亡Bが担当予定であった日に,実際には外医を含む別の医師が担当していることが認められること〔甲31〕から,同年3月の当直予定表上,亡Bの担当ではないとされた日に,実際には亡Bが担当したことがあるとしても,それは,医師らの個別の事情による一時的・臨時的な交替であったとも考えられ,外医への依頼自体が不可能であったとまではいえない。)。
なお,被告病院が独自に行う日当直については,E医師が部長であったころ,日曜日及び祝日の当直を宅直に変更した例(前記第2の2(4)エ(ア))や, 亡B死亡後に当直を廃止した例(同)のように,医師の負担を考慮して軽減措置をとるなどの対応も不可能ではなかったといえる。
カ 部長代行への就任について
(ア) 亡Bは,平成11年1月31日付けで被告病院小児科の部長代行に就任した。このこと自体は亡B自身の昇格昇進に関わる出来事であり,部長(部長 代行も同じ。)の場合,責任の重さが従前と異なり,万一の場合には部下のミスも部長として責任を負うこと,他の医師の診療内容に関する質問を受けて対応すること,決済などの事務処理が増加したこと,健康管理や休暇の調整等の科内を統括する立場から行わなければならない業務があることを指摘することができる(甲35,36,G証人)。
(イ) しかし,小児科医である亡Bの業務の中心は患者の診療であり,診療そのものの内容は部長(代行)であるか否かによって異ならないこと,亡Bは, 部長代行への就任を喜び,就任当初は,やる気に満ちあふれている様子であったこと(甲36,88の3,乙65),部長代行に就任した際,別の部署から異動したということではなく,それまで10年以上在籍していた被告病院小児科内の人事異動であり,科内の事情に精通していたことからすると,部長代行に就任したことにより就労状況及び環境が激変したとまではいえない。加えて,亡Bは,部長代行に就任した時点で,既に小児科の診療業務に十七,八年間携わってきており,診療内容等について他の医師から相談を受けることは,部長代行になると否とにかかわらずあり得ることであったと考えられ(ただし,J医師は,亡Bに相談するのは同医師くらいであり,他の医師は皆ベテランであったとも述べている〔甲60,乙91の1〕。),かつ,部長代行に就任した後も,前部長であるE医師が週3回(平成11年6月以降は週2回)は被告病院に来て診療に当たっていたのであるから,例えば,他に相談できる相手もなく困っていたというような事情があったとは認められない。
したがって,部長代行への就任による心理的負担は大きなものであったとは認められない。
(ウ) ところで,原告らは,亡Bは小児科の責任者として,常勤医や外医の補充に努めなければならなかったと主張する。この点,確かに,医師の採用は被 告病院院長の決裁によることとされているが,実際上は,部長(代行)が医師の確保に努めるべきこととされてきた実態があること,また,小児科医師の確保は容易ではなかったことがうかがわれる(乙65,66,68)。 しかし,前記オのとおり,平成11年4月には,被告病院小児科の常勤医が3名に減少したものの,E医師が嘱託医として週3回外来診療等を援助するなどし ていたこと,さらに,G医師のつてにより(乙65),同月中には,同年5月からK医師が常勤医として勤務することが確定し,同年4月19日付けで被告病院の決済が得られ(乙23),併せて,同日付けで,同年6月からE医師の外来診療援助を週3回から週2回に変更する亡Bの提案について,被告病院の決済を得ていること(乙24)からすると,被告病院小児科において,医師増員の必要が全くなかったものではないとしても,更に別の医師を確保しなければ立ちゆかないような切迫した状況ではなかったとも考えられる。そして,亡Bは,同年2月初旬ころ,b大学医学部小児科のN医局長(以下「N医局長」という。)に対し,小児科医師の派遣を要請したが,断られたこと(甲78,原告X1本人),O医師に対し,同年5月になって電話をし,同月下旬に同医師に会って小児科医師の紹介を依頼したが,断られたこと(甲39)が認められるものの,N医局長に対する要請は,E部長の退職パーティに招待されたN医局長が欠席と返事をした理由を確認するためにかけた電話の中で話題となったものであり,その他には,亡Bが常勤医の確保のためにE医師,G医師,被告病院等に相談や依頼をした事実は認められず,少なくとも,亡Bが医師の確保のために奔走していた事実は認め難い。また,前記のとおり,被告病院小児科では,常勤医の数は平成10年度より減少していたものの,外医も一定程度,日当直を担当していたこと,退職したE医師が嘱託医として一般外来の診療を週3回担当していたこと,当時の被告病院小児科医の勤務状況として,常勤医を増員しなければ対応しきれないほど多忙な状況であったとは認め難いこと,J医師が亡Bに対し,平成11年6月ころ,被告病院を辞めざるを得ないかもしれないと相談をしたことがあったが,2週間ほどで辞める必要がなくなったと報告しており(甲55),このことは一時的な出来事であったといえることも併せて考慮すると,亡Bが医師の補充を円滑に行い得なかったことによって受けた心理的負荷が大きなものであったとは認め難い。
(エ) また,部長(代行)が出席する病院会議・診療部長会議は,月1回程度の開催であって,時間も午後4時ころから午後5時ころまでの1時間行われる 程度であり,急患室運営委員会も月1回程度の開催であって,かつ,いずれも代理を立てることや欠席することも可能であったことからすると(甲35,43の1ないし15,乙20の1ないし14,乙68),これらの会議等に出席する負担が過大であったとはいえない。さらに,小児科内で行われていた週1回の科内カンファレンスは,受持ちの患者について報告,相談する等のために行われていたものであり(ただし,医師等が集まる機会を利用して,連絡事項等の伝達は行われていたものと認められる。),かつ,被告病院から開催を指示されていたものとは認め難いから(甲55,乙66,68,E証人),その進行役が部長(代行)であったとしても,部長(代行)の負担が過重であるとはいい難い。
(オ) 被告病院の経営効率化による圧力の有無
被告病院は,平成8年ないし9年ころには年間約5億から10億円の,平成11年においても約7億円の赤字があり,昭和27年の開院以来の累積赤字は約 290億円にも上っていた。そこで,被告病院では,赤字構造の原因,背景等に関する現状を客観的に調査,分析した上,課題を明らかにし,今後の病院経営の基本方針を明らかにするための対応策を検討するため,株式会社富士総合研究所の経営コンサルティングを受け(乙26),平成9年11月に被告病院事務長に就任したD証人の下,物流システムや備品の導入等について,在庫管理を適正に行い,特注品を同品質の標準品に変えることなどによって経費削減に取り組んでいた(乙68,D証人)。
また,毎月1回開催され,小児科部長(代行)も出席する病院会議においては,各科別の稼働額,収支報告等が行われていた(乙20の1ないし14,乙35 の1ないし11)(なお,医師別の稼働実績を示す表については,データが不正確であり,コンピュータの修理等をするためには多額の費用がかかることなどもあって,作成を断念したことが認められ〔乙78,80,D証人〕,病院会議で配布される等したとは認め難い。)。しかしながら,病院会議に出席したことのある医師等によれば,資料に目を通す程度のものであり,病院全体での話であってノルマなどはなく,個別の科に対して責任を追及するようなやり取りはなかったことが認められる(甲35ないし37,乙65,66,G証人,E証人)。そして,外医を依頼したり,常勤医を新たに採用するに際しては,被告病院院長の決裁を受けることになっていたが,各科の部長の意向や実情が最大限尊重されており(D証人),小児科の診療実績が低いことを理由として,外医への依頼や常勤医の採用を制限された具体的な事実は認められない(G証人,E証人)。
なお,平成10年から11年ころにかけて,病院会議に出席していたP医師(臨床検査科部長代行)は,陳述書(甲80)において,被告病院の事務方から, 「人事権を盾にした,経営面でのかなり強い口調の叱咤がなされていた」と述べている。しかし,同医師が,不採算部門の整理等の内容として具体的にあげるものは,直接診療に当たらない写真部や整備課のスタッフが整理され,カルテ室や図書室が縮小されたといったものであり(甲80),診療を行っている小児科を含む各科に対し,売上げを上げるよう求めたり,医師の人員を削減するよう求めたり,外医の利用を制限するよう求めたりするものではない。また,亡Bは,妻である原告X1や,亡Bより医師としての経験年数が相当浅かったJ医師に対しては,病院会議で小児科の採算性が悪いことを指摘され辛い思いをしているかのような発言をしたことが認められるが(甲55,60,88の3,乙91の1),J医師は,E医師が部長であったころにはそのようなことがなかったと述べていること(甲55,60,乙91の1),亡Bは,同人の後任の部長代行であるG医師に対しては,小児科の売上げが少ないことを指摘されたり,外医の依頼を制限するよう求められたりといった具体的な話をしたとは認められないこと(G証人),実際に病院会議に出席していた医師らは,前記のとおり,個別に責任追及するようは話はなかったと述べていること,亡Bには,うつ病に基づく認知の歪みが生じていた可能性があること(乙64の1)等からすると,亡Bが原告X1やJ医師に話した内容が病院会議の実態であったとは認め難い。
したがって,被告病院が,小児科部長代行であった亡Bに対し,被告病院の経営面において個別に責任を追及するなどして負担を課した事実は認めることがで
きない。
(カ) 以上から,亡Bが部長代行に就任したことによる負担は一定程度あったものと解されるが,特にそれが強い心理的負荷になったとまではいえないとうべきである。
キ 小児科医であることによる負担について
医師の診療業務は,患者の身体,時には生命にも大きな影響を与えるものであり,小児科医は,必ずしも自らの言葉で的確に症状等を訴えることができるとは 限らない小児に対する診療を受け持つものであるから,精神的緊張を伴う業務であるということができ,その負担は一般的に見て決して軽いものではないと考えられる。しかし,亡Bの業務過重性の判断においては,その業務が過重なものであるかどうか,心理的負荷を与えるものかどうかを,具体的な亡Bの就労状況に照らして判断すべきであり,小児科医であることから直ちに業務が過重であるという結論に至るものではない。
(3) まとめ
亡Bの勤務状況は,平日の日中における通常勤務だけではなく,夜間を含む日当直勤務を定期的に行うものであるから,一定程度の負担を伴うものであるとい え,亡Bの担当した当直回数も少なかったとはいえない。しかしながら,以上で述べた,平成10年9月から平成11年8月までの間の当直を含む労働時間,特に時間外労働時間が多いとはいえないこと,時間外労働時間が少ないとはいえない時期であっても,当直中の具体的な勤務状況を見ると,急患患者が,毎回仮眠する暇もないほどひっきりなしに来院するような状況ではなく,ある程度のまとまった空き時間が存在していたこと,当直日の割振り(日程)及び研究日や振替休日の存在を見ると,当直明けに勤務のない場合が多い等,一定程度の余裕があったといえること,外来・入院・急患の各患者数は突出して多いとはいえないこと,部長代行に就任したことによる心理的負荷は,亡Bの場合それほど強いものではなかったといえること,小児科医師の確保は容易ではなかったとはいえるものの,亡Bが,医師確保のために奔走し,そのために強い心理的負荷を受けていたという状況にあったとは認め難く,常勤医が減少した平成11年4月中旬には,K医師の勤務が決定しており,被告病院小児科においてそれ以上に常勤医を補充しなければ立ち行かないほど多忙であったとまでは認められないこと,その他,被告病院小児科の人員構成,被告病院の病院経営の状況等の客観的事実を総合考慮すれば,亡Bの業務が特に過重な身体的・心理的負荷を与えるものであったとはいい難く,うつ病発症の内在的危険性を有するほどの過重な業務であるとは認められないものといわざるを得ない。
2 争点2(亡Bのうつ病の発症時期及び業務との因果関係)について
原告らが主張するように,亡Bがうつ病に罹患したことより自殺したこと自体は,被告においても否定するものではなく,また,原告らは,亡Bが平成11年 4月前後にはうつ病を発症したものと主張するところ,被告においても,平成8年8月ころに軽症うつ病を発症した可能性はあるとしつつ,平成11年3月ないし同年4月ころから同年6月ころまでの間には発症したと見ることができると主張するから,うつ病の発症時期について,当事者間に大きな争いはないといえる。
そこで,亡Bが平成11年3月から同年6月ころにかけてうつ病を発症したことを前提とし,うつ病の発症ないし増悪と業務との因果関係について,以下検討
する。
(1) うつ病の発症ないし増悪と業務との因果関係を肯定するためには,業務と死亡の原因となった疾病(うつ病)との間に条件関係が存在することだけではなく,両者の間に相当因果関係が認められることが必要であり,業務とうつ病との相当因果関係の有無は,社会通念上,うつ病が業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。そして,その相当因果関係の有無の判断に当たっては,亡Bに起こった個別具体的な業務上・業務外の出来事が,医学的経験則を基礎としつつ,社会通念に照らして,亡Bに与える心理的負荷の有無及び程度を評価し,さらに,亡Bの基礎疾患等の身体的要因や,個体側の要因も併せて勘案し,総合的に判断するのが相当である。
(2)
これを亡Bの場合について見ると,まず,その業務については,前記1のとおり,うつ病発症の約6か月前以降である,平成10年9月から亡Bが自殺した平成11年8月にかけて,うつ病を発症させる内在的危険性を有するような過重なものであったとは認め難い。
(3) 続いて,業務以外の要因について,以下検討する。
ア 亡Bの健康状態について見ると,亡Bに係る被告病院の小児科の診療録(小児科の診療録であるが,亡Bに係る診療録である。)によれば,平成2年 6月ころには痛風発作が頻発し(乙53の4),そのころから,痛風や膝関節痛により,痛風治療薬及び消炎鎮痛剤を服用していたこと,亡Bに係る整形外科の診療録によれば,平成9年4月には穿刺を受け(乙53の1),平成10年から11年当時になると,サッカーをした後等に膝に水がたまり何度か穿刺を受けていたことも認められる。この点,原告X1は,平成11年4月ころには,亡Bの痛風発作が頻発するようになり,膝がパンパンに腫れ上がり,整形外科を受診して膝の水を抜いてもらった旨を亡Bから聞いたと述べている。
また,亡Bは,昭和60年代ころには高血圧症の指摘を受け,昭和62年ころ及び平成6年ころには降圧剤の服用歴があり,平成10年4月13日に実施され た健康診断でも,最高血圧は174,最低血圧が116であったほか,以前から高尿酸血症,高コレステロール血症,超音波検査による脂肪肝が認められていた。亡Bは,平成11年8月1日,横浜国際競技場内を散歩し,施設内のメディカルコーナーで血圧を測定したところ,最高血圧が186もあり,原告X1が驚いて薬の処方を受けるよう勧め,翌2日,被告病院心臓外科を受診し降圧剤の処方を受けている。なお,亡Bは,平成5年に甲状腺癌のため手術を受けたが,平成10年ないし11年ころは術後5年が経過し,特に異常は認められていなかった。
このように,亡Bは,かなり以前から,痛風の発作により消炎鎮痛剤を服用していた上,特に平成11年ころになると痛風発作が頻発し,平成10年ころから 膝の水を抜くために何度か穿刺を受けるほどの状況になっていたのであるから,そのことが亡Bにとって強い心理的負荷となっていたことがうかがわれる。また,亡Bは,高血圧症等にも罹患しており,健康面の不安を抱えていたものといえる。
このほか,亡Bは,平成8年ころには不眠を訴えて被告病院から睡眠導入剤の処方を受けていたほか,原告X1が勤務していた薬局の処方医に依頼して処方を 受けることもあり,平成11年当時も睡眠導入剤を頻回服用していた。この点,睡眠障害及び睡眠不足がうつ病の重大な要因となることについては,原告らも自認しているところである。
(甲24,38,88の3,乙2の2,53の1ないし4,原告X1本人,弁論の全趣旨)
イ 亡Bの親族との関係等については,亡Bの父は平成8年ころから病気のため入退院を繰り返し,被告病院に長期間入院中,亡Bはほとんど毎日見舞っ ていたほか,原告ら家族も,亡Bの弟家族と交替で付き添っていた。亡Bは,父の施設入所のための費用を支出するため,父の自宅を売却しようとし,同宅に居住していた亡Bの弟家族の退去について,弟と協議した。また,亡Bの父は平成9年7月26日に亡くなったが,そのころ,亡Bの父の事業を廃業するかどうか等で弟と話合いを持つなどした。
また,亡Bは,父の死亡後,相続税の支払やアパートローンの承継問題のため税理士に相談していたが,これらの支払のため,亡Bも弟も預貯金を切り崩して いた。そこで,亡Bは,子供の教育費や病院の開業資金のことを考え,アパート収益の分配について,弟と幾度か相談の機会を持っていた。なお,亡Bは,相続税を支払った平成10年5月以降は,法事等を除けば弟と合う機会は少なくなったが,父の一周忌の法事のころ,弟に対し,小児医療制度の問題点を訴えたり,病院を変わるかもしれず,開業するかもしれない等と述べていた。
亡Bは,医師住宅から一戸建て住宅への転居や病院開業の資金問題,家族の将来計画等でいろいろ思い悩むことがあったところ,平成11年ころには,亡Bと
原告X1との間で,被告病院を辞めて開業することが話題に上っていた。
そして,勤務医と開業医の収入の差や,後記ウの子女の医学部進学に伴う学費の負担について一般的に考えられるところをも考慮すると,金銭問題は,亡Bに
とって一定の強い心理的負荷となっていたものと考えられる。
(甲34,88の2,原告X1本人)
ウ 亡Bの家庭状況については,長女である原告X2が,平成11年当時,高校3年生で次春に大学受験を控えており,医学部を志望していたが,亡Bは そのことに大反対であり,同年7月ころ,原告X2あてに送られていた私立大学医学部のパンフレットをゴミ箱に破り捨てたことがあった。また,長男である原告X3は,通学している中学校で優秀な成績を納めていたが,平成10年7月ころには,成績順位がやや下がり勉強しなくなったとして,これに対して,亡Bが腹を立てるなどの悶着があって,亡Bが弟に相談したこともあった。(甲88の2及び3,原告X1本人)
これらの事情は,それほど強い強度ではないとしても,亡Bにとって一定の心理的負荷となったと考えられる。
エ なお,亡Bの性格等について,本件証拠上,真面目,責任感が強い,患者の信望が厚い,嫌なことは嫌というタイプ等の事実はうかがわれるが,特に
精神疾患等の既往歴は認められず,また,親族に精神疾患を有する者があったことは認められない。
(4) 以上のように,亡Bの業務過重性については認め難い上,業務のほかに,亡Bには,かなり以前から痛風の発作が現れており,平成10年ころからは何度か膝の穿刺を受ける状態となり,平成11年ころには痛風の発作が頻発するなど健康状態に関する不安を抱えていたこと,睡眠導入剤を頻回服用する状態であったこと,父の死亡に伴う相続及び財産上の問題等の金銭問題や子女の進学問題(金銭的な負担を含む。)を抱えていたこと等,一定の心理的負荷を与える出来事も認められることを総合的に判断すると,亡Bのうつ病の発症と業務との相当因果関係を認めることはできないといわざるを得ない。
(5) なお,亡Bは,平成11年6月ころには,同僚(後輩)の医師であるJ医師の目にも,以前とは異なる緊迫感を持っていると認識され(甲55,60,乙91の1),原告X1に対しても泣きながらピアノの椅子を激しく叩くなどの行動を見せており(甲88の3),亡Bが同年8月2日に被告病院心臓外科の診察を受けた際には,診察した医師が「stressful (ストレスフル)であった」とカルテに記載している(乙53の2)。そして,同年6月ころから同年8月ころにかけて亡Bのうつ病が増悪し,同月ころには重症のうつ病に至ったと見る余地がある(Q証人。なお,R証人は,同年3月ころから中等あるいは重度に移行していったものと考えられる旨証言している。)。この点,原告らは,遅くとも平成11年8月に亡Bが自殺する以前の時点で,被告において,業務量・業務内容の削減や長期間の病気休暇の付与などの措置を行うべき義務があったと主張する。
しかし,そもそも同年3月以降の業務が特に過重であったとは認め難く,同年6月以降は,むしろそれ以前よりも業務の負担が軽減していることは前記1のと おりであり,業務量自体から直ちにそれが過重であると認識すべき状態にあったとまではいえないというべきである。また,亡Bが同年8月2日に心臓外科の診察を受けた際も,すぐに休まなければならないような状態ではなかったと判断されている(甲37。なお,同日の翌週である同月9日から同月15日までの1週間は,夏休み等により勤務予定はなかった。)。J医師の前記の認識については,同医師が後日振り返ってみるとそのようにも考えられるという程度のものであり,同医師が前記の認識を有するに至った時点において,周囲の者に亡Bのうつ病の罹患が明らかであったとは必ずしもいい難い。この点,亡Bの服装が乱れるとか,体裁を整えなくなるなどの事実もなかったと認められる(甲33)。その上,精神科医師が専門的立場に立って見た場合であれば,亡Bのうつ病を疑うことは不可能であったとまではいえないものの,医師(精神科医師ではない医師)であっても,うつ病であるかどうかを認識することは容易ではなく,周囲の者が精神症状を見逃すのも致し方ないことといえる(Q証人)。
これらの事実を総合すると,亡Bが同年3月から同年6月の間にうつ病に罹患したと見られることから,仮に,うつ病に罹患した亡Bにとってみれば,うつ病 発症後の被告病院における業務が過重であったと見る余地があるとしても,亡Bのうつ病の発症やその増悪に関し,被告の認識可能性を認めることは困難であるというべきである。したがって,いずれにしても,被告の債務不履行又は不法行為に基づく責任を認めることはできない。
第4 結論
以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告らの本訴請求は,いずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 湯川浩昭 裁判官 浅岡千香子 裁判官 蛭川明彦)
〈以下省略〉
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