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小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会
行政訴訟東京地裁判決:2007.3.14

平成16(行ウ)517 労働者災害補償不支給決定取消請求事件(通称 新宿労基署長遺族補償給付不支給処分取消) 
平成19年03月14日 東京地方裁判所

主 文
1 被告が原告に対し平成15年3月25日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を不支給とする処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。

事 実 及 び 理 由
第1 請求 主文同旨
第2 事案の概要
=省略

第3 当裁判所の判断

1 認定した事実
 当事者間に争いのない事実及び後掲の証拠並びに弁論の全趣旨によれば,本件につき,次の事実が認められる。

(1) 被告病院小児科の概要
ア 被告病院小児科は小児を対象とする診療科であり,月曜日から土曜日の午前に外来患者に対する診療をなす「一般外来」と,月曜日から金曜日の午後に,乳幼児の予防接種外来のほか,心身症・腎臓病・川崎病・アレルギーなどといった特定の疾患に関する診療をなす「専門外来」を設けている。各曜日の一般外来は,原則として,主担当医師1名(一診と呼称される。)と,外来患者の混雑の程度に応じて外来診療に当たる医師1名(二診と呼称される。)の2人体制となっている。また,専門外来は各医師の専門に応じて担当と担当曜日が決められていた。(甲6,21,55・2頁,乙19・2項,20,24・2項,証人P3・17頁)
イ 被告病院は,平成8年4月から同11年9月までの間,小児科単科での平日夜間(午後5時から翌日午前9時まで)及び日祝日(午前9時から翌日午前9時まで)の緊急外来を実施していた(以下「本件救急診療」という。)。これは,医療機関による外来診療が開かれていない平日夜間及び日祝日につき,小児専門の緊急外来を実施するというもので,小児に関する365日間・24時間の診療体制を意味する。なお,平成8年4月以前より,被告病院は東京都により夜間診療医療施設に指定され,その関係で,被告病院小児科も月2回程度の割合で,休日・年末年始及び土曜日夜間における救急診療事業を実施していたが(以下「入院当番」という。),本件救急診療はこの入院当番とは別に実施されるものである。もっとも,入院当番については,亡P1の申し出により,平成11年4月以降,被告病院小児科は担当当番から外れている。また,被告病院は,平成8年には,休日,年末年始及び土曜日夜間の乳幼児救急診療を行う医療施設にも指定されたため,被告病院小児科は本件救急診療及び入院当番による救急診療とは別に,指定された当番日の休日夜間診療(以下「乳幼児当番」という。)を実施することとなった。(甲12の1~3,甲13~15,76,乙24・3項,弁論の全趣旨)
ウ(ア) 被告病院小児科は,部長(ないしは部長代行)を筆頭とする複数の常勤医師から構成され,これらの常勤医師が上記アの外来(一般,専門)を当番制で担当し,また,非常勤の医師(後述の(2),イ)とともに当番制で上記イの休日夜間診療(本件救急診療,入院当番及び乳幼児当番)を担当していた。同科の常勤医師の人員は,本件救急診療が実施される以前は5名であったが,同診療が実施された平成8年4月には医師の負担を軽減するため,6名に増員された。その後の被告病院小児科の常勤医師の人員数には変動があるが,平成10年8月以降のその人員数の推移をみると下記のとおりである。(甲22・5丁目,73・2頁,乙21,22,24・3項,弁論の全趣旨)

① 平成10年8月から同11年1月まで
 P2前部長,P4医師,亡P1,P5医師,P3医師及びP6医師の6名。
 ただし,同期間中,P3医師は産前・産後休業及び育児休業を取得していたため稼働していない。
② 平成11年2月及び同年3月
 亡P1,P4医師,P5医師,P3医師及びP6医師の5名の常勤医師。
なお,後記(イ)のとおり,平成11年1月に定年退職したP2前部長は平成11年2月以降,被告病院小児科に非常勤の嘱託医師として勤務している。
③ 平成11年4月
 亡P1,P5医師及びP6医師の3名の常勤医師並びに1名の非常勤医師(P2前部長)
④ 平成11年5月から同年8月
 亡P1,P5医師,P6医師及びP7医師の常勤医師4名並びに1名の非常勤医師(P2前部長)。
(イ) P2前部長は平成11年1月30日付けで定年退職した。また,P3医師及びP4医師は同年3月31日をもって被告病院を退職した。(甲81の8,同の9)

(2) 被告病院小児科の常勤医師の労働条件及び担当業務
ア 被告病院の就業規則では,職員の所定労働時間は,月曜日から金曜日までが,休憩時間60分を含めた午前8時30分から午後5時まで,また,土曜日は休憩時間30分を含めた午前8時30分から午後2時までと定められているが,医師については上記と異なり,一般外来診療の開始時刻である午前9時から午後5時までが通常の勤務時間とされている。被告病院小児科は,常勤医師の一般外来及び専門外来の担当を曜日ごとに固定した当番制としており,医師はこれに従って一般外来及び専門外来の診療に当たっていた。
 なお,一般外来の診療時間は午前9時から正午までであるが,実際の診療の終了時刻は来院患者数に応じて変動があり,時には正午を超えることもある。また,専門外来は全て予約制であり,専門ごとに異なるが概ね午後1時から2時までの間の時刻に診療が開始され,午後4時に終了とされている。また,出勤している勤務医師で外来診療の担当でない医師は,随時,入院患者に対する診療,外来・入院病棟での点滴,採血及び臨時に搬送されてくる救急外来への対応などに従事していた。
(前記(1),ア,甲1・18頁,7,53・3頁,55・2,3頁,乙19・2項,20,24・6項,25,弁論の全趣旨)
イ 前記(1),イの各休日夜間診療については,これを,①昼間時間帯ないし準深夜時間(午後5時から午後9時まで)に病院内に待機して,救急外来に対応する「日直」と,深夜・早朝時間帯に病院内に待機して救急外来に対応する「宿直」とに分け,これらを各月ごとの当番制とし,この当番を常勤医師と外勤の非常勤医師(以下「外医」という。)とで適宜に割り振っていた。なお,平成9年秋以降の日祝日の宿直については,このころ常勤医師が6名から5名へ1名の減となったことから,入院当番及び乳幼児当番の場合を除き,当番医師が自宅に待機し,場合に応じて電話での指示や病院に赴いて診察・治療に当たる「宅直」とされた。(甲53・3,8頁,99の1~12,乙24・3項,31,証人P3・21頁,弁論の全趣旨)
上記の日宿直の勤務時間を整理すると下記のとおりである。(乙19・3項,24・3項,30・2頁,証人P3・20~21頁)

平日夜間日直 午後5時から午後9時まで
宿直      午後9時から翌日午前9時まで
日祝日日直 午前9時から午後5時までと午後5時から午後9時まで
宿直 午後9時から翌日午後9時まで(上記のとおり,入院当番及び乳幼児当番以外の日はこの時間帯が宅直の時間となる。)
ウ 休日は,日曜日,祝日,開院記念日,年末年始(12月30日から1月4日まで)のほか,4週に2日の割合による休日が付与される。加えて,医師については,毎週,月曜日から土曜日のうちの1日を,業務に従事する必要のない「研究日」とすることが認められており,これが実質的に休日に等しい日となっている。さらに,被告病院小児科では,前記(1),イの小児科単科での休日夜間診療を実施する見返りとして,宿直を担当した医師は宿直明けの日若しくは別の日を別途休日とすることが認められていた。(甲53・1頁,55・2,7頁,73・20~21頁,74・6頁,75・7頁,乙19・5項,24・3項,25,30・2~3,7頁,43の1・4頁,証人P3・16~17頁)

(3) 亡P1の勤務状況
 亡P1の平成10年9月から同11年8月までの間の勤務状況は次のとおりである。
ア 一般外来診療については,概ね,亡P1は週に2,3回の一般外来を担当しており,平成11年5月以降は火,木及び土曜日が担当日であった。また,一般外来の繁忙の程度は来院患者数によって大きく左右されるが(前記(2),ア参照),平成10年9月から同11年8月までの被告病院小児科の各月別ごとの外来患者数,1日平均患者数,医師一人当たりの平均患者数(これは,前記(1),アのとおり,一般外来は2名体制であるため,1日の平均患者数を2で除した数値である。)は,別表4のとおりである。また,専門外来については,亡P1は川崎病や予防接種を担当しており,平成11年5月以降は,月曜日の予防接種,火曜日に川崎病と腎臓病の専門外来を担当していた。なお,腎臓病の専門外来は退職したP3医師から引き継いだものである。(甲6,21,53・9頁,55・3,4頁,73・11頁,乙19・2項,23,証人P3・17頁)
イ 被告病院小児科では,入院診療につき原則として外来を担当した医師が入院患者の担当医師になるものとされていたが,亡P1を含めた被告病院小児科の常勤医師の平成10年8月から同11年8月までの間の入院患者の担当患者数の推移は,別表5のとおりである。入院診療業務の繁忙の程度も入院患者の受持数によって大きく影響されるが,亡P1は,小児については自宅での療養が最善であるとの考え方から,基本的に小児の入院には消極的で,そのため,他の医師と比べると担当する入院患者数は少ない方であるとみられていた。(甲22,49,55・11頁,73・23~24頁,74・5頁,乙19・8項,24・2項)
ウ 休日夜間診療の宿直については,平成10年8月から同11年7月までの間に,亡P1を含めた被告病院小児科の医師(外医については,一括して「外医」として整理した。)が担当した,各月ごとの宿直(当直),日直当番の担当回数は別表1のとおりである。これによると,亡P1の宿直担当回数は他の医師以上か,少なくとも同じとなっているが,同科の常勤医師は亡P1を除きすべて女性であり,家事・育児などの負担を抱えていたことから,同科において唯一の男性であった亡P1が宿直当番を担当する回数が多くなる傾向があった。なお,P6医師も各月の当直担当回数が多いが,これは,同医師が一番若手であることに加えて,当時未婚であり,家事・育児の負担を考慮する必要がなかったためである。(甲53・5頁,55・4頁,乙31,43の1・4項)
エ 以上アないしウで認定したもの以外の亡P1の業務については,次のとおりである。
(ア) 前記(2),アのとおり,被告病院小児科の医師の業務には,外来・入院診療のほか,外来・入院病棟での点滴や採血,救急外来への対応業務などがあり,亡P1も外来・入院診療に従事していないときにはこれらの業務に従事していたと推定されるが,その詳細は本件全証拠によっても必ずしも明瞭ではない。また,亡P1は,産婦人科からの要望に応じて新生児に対する治療にも従事することがあったが(甲55・4頁),その頻度,内容等の詳細は本件全証拠によっても不明である。
(イ) 被告病院小児科では,毎週火曜日の午後に症例研究や診療部長会議の結果を報告するためのカンファレンスが開催されており,原則として,同科医師は全員がこれに出席しており,亡P1も小児科の部長代行就任前は医局員として,また,同職就任後は主宰者としてこれに参加していた。(甲53・9頁,55・8頁,乙19・2項)
(ウ) 亡P1は,平成11年1月31日付けで小児科部長代行に就任しているところ,同職は小児科部長と同等の職位で,小児科の統括責任者たる地位にある。そのため,同職への就任に伴い,亡P1には,毎月1回開催される病院会議・診療部長会議への出席や,外医の診療や看護師の処置に対するチェック,所属職員の勤怠管理やスケジュールの調整などといった業務が付加されることとなった。また,亡P1は,小児科部長代行就任に伴って,小児科の診療など全般につき広範な管理責任を負うことになった。(甲16の8~13,甲17の8,同の11,同の13~16,甲74・35頁,75・25~26頁,100の2~9,101の1~3,102の1~8,103の1~3,104の1~7,105の1~3,乙18・4項,19・6項,24・9~10項,26)
オ 亡P1の労働時間については,平成10年9月1日から同11年1月31日までが,別表3・8ないし13頁のとおりであり,平成11年2月1日から同年8月までが,別表6のとおりである。亡P1は宿直当番をした際も,前記(2),ウの当直明けの休日(ないしは振替休日)を取得したことはなかった。また,亡P1は平成11年5月中旬までは毎水曜日,同時期以降は毎金曜日を研究日に充てていた。(甲7,32・4頁,53・15頁,55・8頁,73・8頁,77・4,17頁,乙12・3頁,43の1・4頁)なお,上記労働時間については,以下に若干補足して説明しておく。
(ア) 亡P1の通常の勤務日における労働時間は平成10年9月から同11年1月までは午前8時30分ころから午後5時ころまで,また,小児科部長代行となった平成11年2月から同年8月16日までは午前8時10分ころから午後6時ころまでと認めるのが相当である。(甲32・4,6頁,55・9頁,74・18頁,乙19・19項,原告・4頁,弁論の全趣旨)
(イ) 宿直明けの日のうち,平成10年9月7日,14日,10月5日,11月16日,12月7日,11日,平成11年1月18日,25日の勤務については,午前9時から午後1時までは休憩時間とみるのが相当である(甲7。結局,上記時間中の亡P1の具体的な行動経過等が不明である以上,上記4時間は休憩時間とみざるを得ない。)。
(ウ) 看護学校の講師の時間について,亡P1は,①平成11年4月23日,5月7日,21日,28日,6月4日,11日の午前10時40分から午後0時10分までと,6月18日の午前10時40分から午前11時25分までの被告病院の勤務時間帯に被告病院看護学校の疾病論Ⅱ(小児)の講義を担当しているが(甲28,50),これらは被告病院からの依頼でその業務の一環としてされたものであるから(甲30の1~6,甲75・26頁),亡P1の労働時間として斟酌すべきである(なお,前後の10分間程度の時間も斟酌するのが相当である。)。他方,②亡P1は杉並区医師会附属看護高等専修学校でも平成11年2月及び7月に午後3時から午後4時50分までの講義を担当した日があるが(甲29,50),これは亡P1が杉並区小児科医からP2前部長の紹介により個人的に依頼を受けたものと認められるから(甲50,75・25頁),これを亡P1の労働時間として斟酌すべき理由はない。亡P1が講義を担当していた長谷川病院小児看護学校についても,被告病院の業務としてされたことを裏付けるに足りる証拠はないので,上記②と同様に解すべきである。

(4) 小児科部長代行就任後から本件自殺に至るまでの間における亡P1の業務に関する事情
ア 小児科部長代行に就任した直後の平成11年2月,前記(1),ウ,(ア),①及び②のとおり,それまで産休・育児休業中であったP3医師が職場復帰したが,同医師はこの職場復帰の時点で3月末での退職を決意していた上,乳児を直接授乳により育てる意向を有していたため,2月及び3月の勤務につき,亡P1に一般外来診療及び休日夜間の宿直を含めた大幅な勤務の軽減を申し出ており,亡P1はこれを受け容れた。その結果,P3医師の2月及び3月の勤務は一般外来診療が全面的に免除されたばかりでなく,2月の宿直も免除され,3月の日宿直も日直を1回,宿直を1回担当しただけであった。また,P3医師はほとんどの日につき終日ないし半日の有給休暇を取得したため,実際には1日3時間程度の勤務が多く,同医師の従事した業務は,外来の補助的な手伝いとか,病棟の医療処置などの補佐的なものに止まった。なお,P3医師は平成11年3月に退職願いを提出している。(甲7,34・4~5頁,53・12,14頁,73・10,12,30頁,103の2,同の3,乙31,証人P3・21,22頁)
 また,平成11年2月ころには,P4医師も大学教員への転身を理由として3月末日での退職を表明した。なお,同医師は3月中に合計10日強の有給休暇(2分の1年休と終日の年休の組み合わせにより取得された。)と4日の研究日を取得し,宿直を2回,日直を1回担当したにすぎなかった。(甲34・4頁,53・12頁,74・33頁,101の3,乙31)
イ そして,平成11年3月に亡P1は別表1のとおり8回の宿直当番を担当することとなった。なお,平成11年3月の当直予定表によると,亡P1の同月の宿直予定は3月2日,7日,9日,16日,23日及び30日の6日間であったが,外医の予定となっている3月13日及びP2前部長の予定となっていた31日の当直当番を追加で担当し,また,3月30日の当番予定をP6医師と交替して28日の当直当番を担当している。(甲99の7,乙31)
ウ 上記アのとおり,平成11年3月末にP4,P3両医師が退職することになったため,亡P1は小児科の管理責任者としてその後任医師を早急に確保しなければならなくなり,亡P1は自身の出身大学であるα大学小児科や,先輩,後輩などに連絡をとって後任の医師を確保しようとしたが,結果的に平成11年3月末までにP3,P4両医師の後任医師を確保することはできなかった。このようにして,3月末にP4,P3両医師は退職し,その補充をなし得ないまま4月に至ったが,2名の医師が欠けた影響は大きく,亡P1と2名の医師(P5医師,P6医師)が一般外来を担当する回数や受持患者数,また,入院の担当患者の数はそれぞれ増加し,特に,亡P1の負担は大きく増加した。そして,各曜日に出勤できる医師が少なくなったために時には一人の医師が外来診療を担当したり(本来は2名体制であることは前記(1),アのとおりである。),一般外来診療と入院診療とを同時に受け持ったりせざるを得なくなるなど,被告病院小児科は人手不足により繁忙を極めるようになった。(当事者間に争いがない事実,甲32・5,6頁,48,55・10頁,74・34頁,77・7,9頁,78,乙24・4項,32・8頁,43の1・6項,原告・2,3頁,弁論の全趣旨)
 ただ,5月中旬からはP5医師が声をかけて確保することができたP7医師が被告病院小児科に加わり,同科の繁忙状況も4月と比較すると幾分か緩和した。もっとも,5月に,亡P1は小児科医局員に対し,数回にわたって,平日午後の一般外来の実施を提案したが,医局員からは常勤医師が少ない状況で実施するのは困難であるとして賛意を得られなかった。
また,6月ころ,P6医師は,亡P1に平成11年9月に退職したい旨を伝えた。亡P1は,P6医師に退職を思いとどまるよう説得したものの,翻意させるには至らなかったため,再び補充医師の確保に奔走することになった。ところが,P6医師はそれから約2週間ほど後,亡P1に対し退職はしない旨を伝えたことから,医師を補充する必要はなくなった。もっとも,亡P1は,このP6医師の行動に後記(5),ウ,④のとおり,怒りの態度を示し,また,原告にその顛末を話し,うんざりした表情で気落ちしていた。(甲32・10,14頁,33,55・11,13頁,74・13頁,105の1~3,乙30・6頁,43の1・6項)
 なお,この当時の被告病院小児科の医局は,業務繁忙のため医局員の間には不平・不満がくすぶっており,亡P1に対しても日宿直の負担軽減を求める意見が述べられるなど,その現場状況は必ずしも良好ではなかった。(甲32・10頁,55・10頁,乙43の1・6,7項,弁論の全趣旨)

(5) 平成11年2月から本件自殺に至るまでの間に亡P1にみられた言動・態度等
ア 亡P1は,平成11年1月にP2前部長の後任として小児科部長代行に就任したが(前記第2,1,(2)),かねてから同部長職に就任することを心待ちにしていたため,その前段階である部長代行職への就任を大変喜び,極めて積極的に業務に取り組んでいた。(甲32・5頁,55・9頁,77・8頁,乙12・4項,19・8項,24・11項,証人P3・22~23頁)
イ ところが,亡P1は,後記(7),イのとおり,平成8年8月ころから宿直の前日及び宿直後に睡眠導入剤を月10錠前後服用していたが,平成11年3月になると,強く不眠を訴えるようになり,睡眠導入剤の服用回数も増加した。また,平成11年3月当時,亡P1は,当直明けの日の自宅での就寝時においても,目を開けて宙を見据えて横たわっていたということがあった。さらに,このころ,亡P1は,原告に,P2前部長が小児科部長の後任に亡P1でなくP5医師を考えていたと「病院の上の方」から聞いた旨述べて,落胆した様子を見せた。(甲32・6頁,77・2,3,10,26頁,乙12・4,9項,15)
平成11年3月ないし4月になると,亡P1は,当直明けでなくても大変疲れ切った様子で,帰宅するなり横になることも多くなり,持病の痛風も悪化した。さらには,亡P1は,自宅で電話の音がなると,病院からの呼び出しの電話ではないかと過敏に反応するようになった。このような亡P1の様子から,原告ら亡P1の家族は同人に気を遣って生活していたが,ある日,原告が亡P1にこのことについての不満をぶつけたところ,亡P1は「俺だって頑張っている」と大声を出した後,泣き声で「ゴールデンウィークが明ければもう一人先生が入ってくる。そうすれば自分も少しは楽になるから,もう少し待ってくれ」と述べて頭を下げるといった出来事もあった。(甲32・8,9頁,77・6,10,11頁,乙12・3,9項)
ウ 平成11年5月になると,亡P1は,部長会議の日の前日に,特に神経質になり,また,定期購読していたサッカー雑誌にも関心を示さないで放置することが多くなるなど,趣味に対する関心が希薄となっていった(なお,6月時点での様子につき乙18・9項)。さらに,6月になると,亡P1は自宅ではおろか,職場でも怒りっぽくなり,恒常的に不機嫌であった。また,①長男の中間試験結果が良好である可能性が高いことを原告が亡P1に伝えたところ,突如涙ぐんで喜んだ,②次男が亡P1に,同人の職位が部長ではなく部長代行であることを指摘したところ,亡P1は突如形相を険しくして不機嫌となった,③長男が勉強に熱心に取り組んでいない様子を見て,亡P1は「これから世の中はどうなると思うのか」と述べて,長男に矢継ぎ早に追いつめるようにまくし立てるなどした上で,急に嘔吐し,泣きながら眠り込んでしまったばかりか,その翌日には「落ち着けないんだ。俺は,このままでは駄目になる。狂いそうだ」と泣きながらピアノの椅子をうち続けた,④前記(4),ウのとおり,P6医師が退職する意向を取りやめる旨亡P1に伝えたところ,亡P1はたくさんの脂汗を流しながら「辞めるって言ったり,続けるって言ったり,人を振り回すのはやめてくれ」と大声で怒鳴った,⑤P6医師が亡P1に川崎病の投薬量につき相談したところ,その場では同医師に意見を特に述べずに,その後に当該薬品の効能書きの裏にマジックで大きく「量が多い。もう一度考え直してください」と書いて,これをP6医師の机の上に置いた,などといった行動が出現し始めた。(甲32・9~12頁,55・13,14頁,77・11,12頁,乙12・4,5項,43の1・10項)
エ さらに,平成11年7月,あるいは8月には,①P6医師及びその婚約者が挨拶をした際,亡P1は遠くを見ていて上の空の様子であり,また,別の機会に同医師がすれ違った際にも亡P1は何も目に映っていない様子であった,②亡P1は長女に送付されてきた私立大学医学部の入学案内パンフレットを見て,長女に断りもなく覆ってあったビニールごと,このパンフレットを真っ二つに引き裂いた,③亡P1は,8月8日から夏期休暇に入り,9日から一家で熱海に旅行に出かけたが,その旅行先にP7医師から食中毒の患者が搬送されたとの連絡が入ると,急にそわそわし始めて取り乱し,結局,翌10日の早朝に家族に一言の断りもないままに,帰京して被告病院に向かった,などといった行動もみられた。(甲32・12,15~17頁,55・14頁,77・12~14頁,乙43の1・10項)
オ 夏期休暇の最終日である平成11年8月15日,亡P1は,自宅でくつろいで過ごした後,今晩は宿直当番であると原告に述べて(実際には亡P1は当直当番ではなかった。),早めに夕食を摂り,午後8時40分ころに自宅を出て被告病院に向かった。(甲32・18~19頁,乙12・13項)。そして,翌16日午前6時40分ころ,亡P1は本件自殺に及んだ。

(6) 本件自殺の際に亡P1が残した文書
ア 亡P1が死亡した際,被告病院の小児科部長室の亡P1の机上には,①我が国で進んでいる少子高齢化現象と小児科医師の不足現象などに触れつつ,「間もなく21世紀を迎えます。経済大国日本の首都で行なわれているあまりに貧弱な小児医療。不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われているその名に値しない(注:「名に値しない」の上に「場しのぎの」と加筆がある。)救急,災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません」と結ぶ「少子化と経営効率のはざまで」と題する書面(甲4の1)と,②下記のとおりの内容の稟議書(甲4の2)が置かれていた(甲77・14頁,弁論の全趣旨)。

「小児科では,P2前部長の停年退職にひき続いて,3月末にて,P4・P3両医師も退職が予定されており,現時点で,4月以降も常勤するのは,P1・P5・P6の3医師のみとなっております。平日夜間の当直体制については,外医の応援を得て,連日小児科医が宿直して参りましたが,今後とも本体制を継続するのは不可能と思われます。つきましては,水曜日に関しては,育児休暇あけのP3医師を午後9時まで勤務とし,それ以降は自宅待機(βマンション)とする体制に変更する事を御了承いただきたく存じます。この件につきましては,院内的には,急患室運営委員会,対外的には,東京医大P8教授,中野総合病院小児科P9部長には既に依頼済であります。また,あわせて総医局会にてお願い致しました小児科当番輪番制につきましても,御検討の程よろしくお願い申し上げます。」
イ また,亡P1は,平成11年8月15日,原告の義理の兄であった(甲77・14~15頁)γ保育園長P10にあてて文書を投函した(甲5)。
その内容は下記のとおりである。

「愚行です。不眠,不整脈,視力の衰え,精神的にも身体的にも限界を超えてしまいました。Xは,δ火災海上との関係が深いようです。私とて,役職員のはしくれ,私のあずかり知らぬところで被告病院と保険会社との間で保険契約がかわされているやも知れません。また,被告病院には,いくつかのスキャンダルがあります。
・産科病棟での院内感染問題(MRSAや髄膜炎等,この問題では私自身解決に尽力しました。覚え書同封します。)
・院長の論文盗用事件(これについてはP11先生がよく御存知です。)
・職員食堂での食中毒さわぎ
・国立病院医師のアルバイト問題等々,残念ながらたたけばほこりの出る病院です。
P12 私にとっては天女のような存在でした。P13,P14,P1
5…P1の名は棄ててください。墓,葬式一切無用です。」

(7) 亡P1の性格,健康状態等
ア 亡P1の性格・気質は,周囲の人々からは,真面目・一生懸命(甲32・1頁,乙12・8頁,14・6項,17,19・18項),朗らか(乙43の1・11項),自分の意見をしっかり持っている,嫌なことは嫌という人,自分の治療方針や意見をはっきりいう人(乙14・6項,19・5,18項),ジェントルマン,温厚(乙18・10項,24・20項),責任感が強い,仕事ぶりとしてはポリシーがあり,それに則って仕事をする人(乙19・18項,24・20項)ととらえられており,また,患者の信望が厚い医師であった(乙17,24・20項,43の1・11項,原告・1頁)。
イ 被告病院では職員を対象として定期健康診断が年2回行われていたが,平成7年から平成10年4月までの間の亡P1に対する健康診断の結果には,肥満・高血圧傾向,尿酸・総コレステロール・γ-GTPの高値,十二指腸潰瘍の痕跡疑い,肝脂肪といった指摘がされているものの,それ以外の健康上の異常は指摘されていない。
亡P1は,平成5年に甲状腺腫瘍の切除術を受け,その後の病理検査で甲状腺癌であることが判明したが,その後,悪性腫瘍の再発などは認められていない。また,亡P1は,従来から高尿酸血症があり,平成3年からは痛風治療薬と消炎鎮痛剤を服用していた。
さらに,亡P1は,平成8年8月から睡眠導入剤を月10錠前後服用していたほか,平成11年8月2日,眩暈を訴えて,被告病院循環器科を受診したところ,血圧が160/100と高く,降圧剤を処方され,その際,亡P1を診察したP16医師は亡P1に休暇を取ることを勧めたが,同人は大丈夫であると応答した。(甲1,乙15,16,18・8項)

(8) うつ病についての医学的知見
ア うつ病は気分(感情)障害の一種で,患者は抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされる。また,他に,集中力と注意力の減退,自己評価と自信の低下,罪責感と無価値感,将来に対する希望のない悲観的な見方,睡眠障害,食欲不振などの
一般的症状を伴う。(乙36)
従来,うつ病の概念や分類をめぐっては様々な議論がされ,実際の臨床の場における診断にもかなりの曖昧さが含まれ,個人差や国による差異などが問題とされてきたが,世界保健機関(WHO)では,国際疾病分類の第10回修正(以下「ICD-10」という。)が広く用いられ,また,アメリカ精神医学会では,公式診断分類DSMにおいて操作的診断基準が取り入れられ,現在ではその修正版であるDSM-Ⅳが広く,うつ病の診断基準に用いられている。(甲85,乙36)
イ 労働省(当時)は,業務によるストレスを原因として精神障害を発病し,あるいは自殺したとして労災保険給付が請求された事案につき,同事案の処理を直接実施する労働基準監督署の職員が迅速,適正に対処するための判断のよりどころとなる一定の基準を明確化すべく,精神医学,心理学,法律学の研究者に,精神障害等の労災認定について専門的見地から検討するよう依頼し,これを受けて精神障害等の労災認定に係る専門検討会は,平成11年7月29日,その結果を専門検討会報告書として取りまとめた。
同報告書の要旨は下記のとおりである。(乙2)

① 対象とする疾病を,原則としてICD-10第Ⅴ章に示されている「精神及び行動の障害」とする。
② 精神障害の発病の病因は単一ではなく,素因,環境因(身体因,心因)の複数が関与すると考えられているが,精神障害の成因を考えるに当たっては,環境からくるストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるか否かが決まるという「ストレス-脆弱性」理論によるのが相当である。
 この理論による場合,ストレスの強度は,環境からくるストレスを多くの人々が一般的にどう受け止めるかという客観的な評価に基づくものによって理解されなければならない。なぜならば,元々,ストレスというものが,個人が外界あるいは内界のあるストレス要因を主観的に受け止めて形成されるものであるが,精神障害発症の業務起因性を考える場合,個人がある出来事をどのように受け止めたかによってではなく,同じ事態に遭遇した場合に,同種の労働者はどう受け止めるであろうかという基準により評価されたストレス強度によるべきだからである。
③ 業務上及び業務外の要因が与える心理的負荷の強度を客観的に評価する基準としては,これまでに発表されている各種研究を基礎に勘案すると,業務に関するストレス要因の心理負荷の強度を評価するものとしては別表7-1の「職場における心理的負荷評価表」(以下「評価表1」という。)のとおり,また,業務以外の個人的なストレス要因の強度を評価するものとして別表7-2の「職場以外の心理的負荷評価表」(以下「評価表2」という。)のとおり,それぞれ整理することができる。
④ 上記の評価表1,2は,業務に関連し,あるいは,業務以外の場面で一般的に経験する一定以上のストレスを伴うと考えられる出来事を例示しているが,ここで出来事とは,ある変化が生じ,その変化が解決あるいは自己の内部で納得整理されるまでの状態を意味するものである。なお,複数の出来事の評価については,当該出来事に通常伴う範囲の出来事は包括的に評価することとし,一番強く評価される出来事によることとするが,そうでない場合は別のストレス要因として複数の出来事のストレスを総合的に評価するものとする。出来事の評価期間は,精神障害発症前概ね6か月の間とし,その際,常態的な長時間労働は精神障害の準備状態を形成する要因となっている可能性が高いとされていることから,業務による心身的負荷の評価に当たっては十分考慮することとする。
⑤ 業務によるストレスの具体的評価に当たっては,具体的出来事が評価表1,2に掲げられた,どの出来事によるストレスに該当するか,あるいは類似しているかを判断する。次いで,具体的出来事による平均的ストレス強度がどのレベルの強度(日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理社会的ストレスである「Ⅰ」,ⅠとⅢの中間に位置する心理社会的ストレスである「Ⅱ」,人生の中でまれに経験することもある強い心理社会的ストレスである「Ⅲ」の3段階)に位置付けられるかを検討し,さらに,個別具体的な内容からその位置付けを変更する必要がないかを,評価表1の「直面した出来事を評価する視点」及び「出来事に伴う変化を評価する視点」の各欄に記載された事項の有無,程度等を検討して判断する。
⑥ 上記の操作を経て評価された各出来事の検討を踏まえて,最終的に,ストレスの総体が客観的にみて精神障害を発病させる危険のある程度のストレスであるか否かについて評価する。

(9) 本件疾病に関する医学的見解
 本件証拠上,本件疾病の機序及び内容などに関する医学的見解を示したものとしては,次のものがある。
ア 東京労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会の意見書
 原告の被告に対する労災保険給付請求に際し,東京労働局長が上記専門部会に本件疾病の業務上外の判断につき依頼し,同部会はその協議結果を東京労働局長に提出している(乙33。以下「専門部会意見」という。)。
その要旨は下記のとおりである。

① 亡P1に現れた症状はICD-10診断ガイドラインに照らして,F32に分類される「うつ病」と判断でき,発病の時期は平成11年6月とするのが妥当である。
② 本件疾病発病前概ね6か月間に発生した出来事をみると,部長代行になったことと,医師の増減があったなどの出来事が認められ,これらの出来事を評価表1に例示された具体的出来事に当てはめると,それぞれ平均的な心理的負荷の強度はⅠである。また,当直後の休み,研究日もあり,業務量,業務の困難性に顕著な変化は認められないから,強度を修正する必要は認められない。
③ 出来事に伴う変化についても,恒常的な長時間労働の発生はなく,心理的負荷の総合評価は強には至らない。
④ 発病前概ね6か月間に業務以外の心理的負荷要因は認められない。また,亡P1には精神障害等の既往歴は認められず,生活史については,特に問題となる不適応状態や問題行動は認められない。
⑤ 以上からは,業務外として処理するのが妥当である。
イ 聖マリアンナ医科大学神経精神科助手P17は,原告の依頼により作成した意見書(乙37。以下「P17意見」という。)において,本件疾病の発症時期及び機序等につき,要旨下記のとおり述べている。

① 亡P1の症状は,米国精神医学会による精神疾患の分類と診断の手引きであるDSM-Ⅳによると「大うつ病」と診断でき,また,ICD-10によるF32の診断基準によっても「うつ病」と診断してよい。
② 亡P1は医師として慢性的な疲労状態にあったところに,医師の欠員により仕事量が増え,著しい疲労状態に置かれた。それに加えて小児科の管理責任者になったことで部下と管理側の間で板挟みとなり,部下に対しては親身に相談に乗って慰留につとめ,また,管理側に対してはベッド稼働率を上げ,採算に合わない薬は治療に用いないなど努力したにもかかわらず,医局員は退職したり不満を持ち,管理側からは会議で注意を受けるなど結果が得られず,亡P1を評価していない元上司が影響力を残していた職場のストレス状況下に置かれて自信を喪失した。このような身体的・心理的要因からうつ病を発病したものと考えられる。
③ 亡P1のうつ病は,一般的なうつ病と異なり,多忙とストレスを訴えはするが,取りあえず仕事と日常生活には支障を来さない程度に行い,むしろ人生に関わることを熟考せずに決定しようと焦っているような面があるようなことから,焦燥型のうつ病であったと考えられる。
④ 以上から,亡P1は人員減少に伴う極度の疲労と,医療現場と経営
の板挟みの心理的ストレスから平成11年3月末ころから6月末ころの間にうつ病を発病し,これが増悪した結果,投身自殺したものである。
ウ 千葉県精神保健福祉センター精神科医師P18は,原告の依頼により作成した意見書等(甲37,86。以下「P18意見」という。)において,本件疾病の発症時期及び機序等につき,要旨下記のとおり述べている。

① 伝統的な診断に従えば,本件疾病は性格状況反応型であり,これは几帳面,真面目,他人に対する配慮が強いといった性格傾向を持った人が,責任を果たすべく努力を重ねるが,制縛状況に追い込まれ,疲弊した結果,うつ状態を呈するようになるタイプである。亡P1は平成11年4月前後よりうつ病に罹患し,次第にこれを増悪させながら,自殺念慮を抱き,本件自殺に及んだものと考えられる。
② このうつ病の原因は,亡P1の性格と状況が織り成したものである。すなわち,うつ病を引き起こした状況については,小児科部長代行に就任した平成11年2月以降,とりわけ同年3月に重なった身体的及び心理的な負荷が最大の状況因である。3月中の当直回数が8回というのは,常識外の過酷な状況であり,これが極度の身体的疲労及び心理的な影響を亡P1に与えたことは明らかである。また,これに追い打ちをかけたのは,部長就任に関して,本来はP5医師がP2前部長から推されていたという話を被告病院上層部から聞き,それまで部長就任後の夢を抱きながら,部長代行に就いた亡P1の自尊心を深く傷つけた。そのため,亡P1は他者からの評価に対して敏感になる心理的態勢を作り出しており,被告病院の経営方針に従った対応を取ろうと努力する一方で,P3医師には軽減勤務を受け容れるという相反する対応もしており,葛藤状況に陥っていた。加えて,人事面の努力が実を結ばなかったことは,負担を掛け続ける医局員に対する責任感を強く意識させ,焦燥をかきたてた。
③ 以上から,亡P1は,平成11年3月の過酷な当直回数,亡P1個人の自尊心を深く傷つけられる心理的な要因,小児科の責任者として病因経営改善に努力をせざるを得ないことと部下の立場を守ることの葛藤状況に追い込まれる心理的要因が重畳するなどした結果,うつ病を平成11年4月前後に発症させた。そして,うつ病発症以後,それは増悪し,その結果,本件自殺に結びついたといえる。
エ 神経研究所附属晴和病院院長・帝京大学名誉教授P19は,被告の依頼により本件訴訟で提出するために作成した意見書(乙44。以下「P19意見」という。)において,本件疾病の発症時期や機序につき,要旨下記のとおり述べている。


① 亡P1が本件自殺以前にうつ病と診断することは問題はなく,また,発症時期については,操作的診断基準で診断すると平成11年6月ころとなり,事後的に伝統的診断で行うと同年3月から4月にかけてということになる。
② 部長代行就任に伴う業務量,職責の変化は責任感の相違はあり得ても,その程度は顕著ではなく,具体的な職務の内容の変化も際だったものはないから,これが本件疾病の直接的な原因とは考えられない。また,当直回数の増加といった勤務時間の長時間化については,亡P1は従来からこの程度の勤務時間・当直をしており,これらを考慮すると,3月の勤務・拘束時間が取り立てて長いものでもない。亡P1は3月ころから不眠に悩み,4月以降は疲れ切っていてぐったりとしていたようであるが,以前より不眠や疲労感が強くなっているのは過労のためというより,むしろうつ病の初期兆候とみるのが理解しやすい。
③ 小児科の業績向上を求められていたとの点については,その前提となる事実が確定し難いため,本件疾病の原因と考えるべきではない。
④ 亡P1が,P2前部長がP5医師を部長候補と考えていたことを認識したことにより意気消沈したことについては,このような出来事はよくある出来事であるし,結果的に亡P1が推薦されているのであるから,この心理的負荷を強度とみるのは困難である。むしろ,亡P1の主観的認識と客観的事実のずれ,乖離が顕著に表れているといえる。
⑤ 常勤医師の減少については,勤務時間の大きな変化はなく,これが本件疾病に結びつくような強度の心理的負荷があったものとみることは困難である。むしろ,退職した医師の後任を探すのに苦労したこと,結果として見つけられなかったことが昇任(昇進)うつ病と重なり,ストレスになったとみられる。
⑥ 亡P1のケースはいわゆる昇進うつ病に該当する。すなわち,昇進に過大な期待を抱き,自己評価も肥大化させるが,それが現実に直面しての幻滅からうつ病を発症させるもので,自己愛的要素を帯びるものである。このことは亡P1の遺書をみても明らかで,そこには,典型的うつ病でみられる自責感の表現はなく,間接的ながら被告病院や小児医療が置かれた状況への非難,嘆き,挫折感に満ちたものとなっており,空想的な万能感が現実によって打ち破られた挫折感が顕著である。これは,客観的に強いストレス,負荷によって発症したというより,亡P1の自己愛的脆弱性に起因する,恨みに彩られた昇進うつ病と結論づけることができる。
⑦ 以上から,本件自殺はうつ病に関係しているが,亡P1の業務上の心理的負荷は強といえるものではなく,昇進より10年以上前からみられていた心身症としてのメタボリックシンドロームの存在も含めて,個体側の脆弱制の関与が極めて大きいうつ病発症及び自殺といえる。

2 争点(1)(業務起因性の判断枠組み)について
(1) 労災保険法12条の8第1項4号及び第2項は,労働者の業務上の負傷,疾病,障害又は死亡に関する保険給付(同法7条1項1号)として,遺族補償給付を定め,「労働者が業務上死亡した場合」(労働基準法79条)に遺族補償を支給する旨定める。そして,精神疾患による自殺がこれに該当するには,当該精神疾患が労働基準法施行規則別表第1の2第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当すること,すなわち,当該精神疾患につき業務起因性が認められなければならないが,この業務起因性を肯定するには,業務と死亡の原因となった疾病との間に条件関係が存在するだけでなく,両者の間に相当因果関係があることが必要であると解される(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判決・裁判集民事119号189頁参照)。そして,労働基準法及び労災保険法による労働者災害補償制度は,業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に疾病等の結果をもたらした場合に,使用者等に過失がなくとも,その危険を負担して損失の填補の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから,上記にいう,業務と疾病等との相当因果関係の有無は,社会通念上,当該疾病等が業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。
 したがって,原告の①業務による疲労・ストレスに起因する心身の負荷が労働者に発症した疾病等の原因の一つとなっていれば業務起因性を肯定すべきであるとの主張や,②業務起因性につき相当因果関係を求めつつも,業務の危険性を当該労働者本人を基準として判断すべきであるとする主張はいずれも採用できない。

(2) ところで,本件で亡P1の死亡原因として問題となるのは,精神疾患である「うつ病」であるところ,前記1,(8),イで認定した医学的知見によれば,精神的破綻が生ずるかどうかは,環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性との関係によって決まるというストレス-脆弱性理論によるのが相当であるが,業務と精神疾患の発症・増悪との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては,①当該労働者に発生した個別,具体的な業務上,業務外の出来事を把握した上で,②これを医学的経験則を基礎としつつ,社会通念に照らして,これらの出来事が労働者に与える心身的負荷の有無や程度を評価し,さらに,③上記②に当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や,精神疾患への親和性の有無,程度といった個体側の要因をも併せ勘案することにより,総合的に検討・判断するのが相当である。

(3) なお,労災保険法12条の2の2第1項は,労働者の故意による事故等を労災保険の給付の対象から除外しているが,同条項は,業務との関連性の認められない労働者の自由な意思によって発生した事故等については,業務との因果関係が中断される結果,業務起因性が認められないこととなるとの理を確認的に示したものにすぎないと解すべきであるから,自殺行為のように外形的には労働者の意思的行為によって事故が発生した場合であっても,当該行為が業務に起因して発生した精神疾患の症状の発現と認められる場合には,労働者の自由な意思に基づく行為とはいえず,同条項には該当しないと解するのが相当である。

3 争点(2)(業務起因性)について

(1) 本件疾病発症の機序について
前記1,(9)の本件疾病に関する専門部会意見,P17意見,P18意見及びP19意見によると,亡P1は,本件自殺に及ぶ前である平成11年3月から6月までの間にうつ病に罹患していたとみることができる。そこで,まず,前記1,(8)で認定した医学的知見及び上記各意見を参考としながら,本件疾病の発症・増悪の機序を検討する。

ア まず,平成11年1月ころまでの亡P1の状況につきみてみる。原告は,平成11年1月の小児科部長代行就任は亡P1に管理職としての業務を付加するものとなったとして,本件疾病発症の原因の一つになったと主張する。確かに,亡P1は,部長代行職就任により会議の出席や部下の管理などといった業務が付加され,また,小児科全般についての管理責任を負うことになったことは前記1,(3),エ,(ウ)のとおりである。しかしながら,亡P1は部長代行職就任を非常に喜んでおり,同職への就任当初の亡P1はやる気に溢れていた様子であったこと(前記1,(5),ア)に照らすと,部長代行職への就任自体が本件疾病発症の原因になったとは認めるに足りない。
 また、原告は、平成11年1月以前の亡P1は,他の医師よりも数多くの宿直回数を担当し,産婦人科の新生児への対応や小児科での緊急の用件にも中心的に対応するなど,業務の負担が集中していたため疲労を蓄積させていたとし,かかる事情も本件疾病発症の原因になったと主張する。確かに,別表1によれば,平成11年1月以前における亡P1の宿直担当回数6回は他の医師と比較すると多かったといえるし,また,勤務年数の経過に応じた疲労蓄積があったことは想像に難くないものの,宿直の担当回数は他の医師の担当回数と比べても1,2回多いのみで顕著な相違があるとはいえず,また,当時の亡P1の精神状態に従前と比べて特に異変があったと認めるに足りる証拠はないこと,そして,平成11年3月以前の宿直回数が過酷であったかの判断を留保しているP18意見(甲86・16頁)に照らすと,上記のような平成11年1月以前の事情が本件疾病発症の原因であったとは認めるに足りない。
イ 次に,平成11年2月から4月にかけての亡P1の状況につきみてみることとする。
(ア) 平成11年2月に,亡P1は育児休業から職場復帰したP3医師とP4医師から,それぞれ3月末での退職の意向を告げられたこと,P3医師は2月に職場復帰したものの,2月及び3月の勤務が大幅に軽減されていたこと,さらに,P4医師も3月に多くの休暇(有給休暇及び研究日)を取得し,同月の日宿直の負担も従前より軽減されたことは,前記1,(4),アのとおりである。
 そして,上記により,亡P1には次のような問題が発生したと認められる。
a 第一に,平成11年3月の日宿直当番の割振り問題である。すなわち,3月におけるP4,P3両医師の勤務が軽減されたことにより同月の日宿直当番については実質的に常勤医師2名の減と等しい状況となったため,亡P1が部長代行として日宿直当番担当の割振りに腐心せざるを得なくなったことは容易に推認することができる。そして,後掲の証拠によれば,①当初,亡P1は亡P1,P5医師及びP6医師の日宿直当番の回数は従来の水準としつつ,外医の負担割合をやや増やした日宿直の当番の割当てを組んだが(甲99の7。なお,甲99の7では,当時非常勤であり,日宿直当番を担当しないはずのP2前部長も,外医として当番に組み入れている。),当時,外医を依頼していた大学病院が異動を控えた時期であったことから,これを十分に確保できなかったこと(甲32・5~6頁,77・7,9項),②また,亡P1は上記①の外医の利用に加えて,平日の宿直の一部を宅直とすることによりP3医師が宿直に従事できるような環境を整備することを前提として,3月の宿直当番をP3医師に割り当てたが(甲34・5頁,53・13頁,55・9頁,99の7。なお,甲4の2),亡P1の上記の試みは功を奏しなかったこと(甲53・13頁,73・13,14頁,乙31),③以上のことから,亡P1の組んだ3月の日宿直当番割当ては変更を余儀なくされ,亡P1は外医を予定した日の宿直を自ら担当せざるを得なくなったばかりか,P3医師の担当予定日についても,その一部は外医を充て,その余の日はP2前部長の宅直を予定していた日にP3医師を充てるなどの対応を要する結果となり(なお,理由は定かではないが,亡P1はP2前部長の担当予定日であった3月31日の宿直当番を自ら担当している。),そのため,亡P1の3月中の宿直当番の担当回数が8回となったこと(前記1,(4),イ)がそれぞれ認められる。
b 第二に,平成11年4月以降の欠員となる2名の補充医師の確保の問題である。前記1,(4),ウのとおり,亡P1は,その確保に努めたものの,平成11年3月末までに補充医師を確保できなかったが,証拠(甲32・5頁,74・3項,75・3,18頁,77・7,9頁,78,弁論の全趣旨)によると,この問題は,当時,小児科医師が全国的に不足していたため,解決が極めて困難なものであったと認められる。
(イ) 次に,亡P1が,3月中に強い不眠を訴え,睡眠導入剤の服用回数が増え,当直明けの日の自宅での就寝においても寝付けない様子もみられたこと,また,4月に入ると,常時,大変疲れ切った様子を見せるようになったことは,前記1,(5),イのとおりであって,このような事実経過から勘案すると,亡P1は平成11年3月ころには十分な睡眠を確保し難くなっていたと推認することができる。
 そして,このことに上記(ア)で判示した宿日直当番の調整や補充医師の確保をめぐる諸事情や,P18意見のいう,人事面の努力が実を結ばなかったことが焦燥をかきたてたとの指摘(前記1,(9),ウ,②),P19意見のいう退職した医師を探すのに苦労したこと,結果として見つけられなかったことがストレスになったとみられるとの指摘(前記1,(9),エ,⑤),また,前記1,(5),イの亡P1が「俺だって頑張っている」,「ゴールデンウィークが明ければもう一人先生が入ってくる。そうすれば自分も少しは楽になるから,もう少し待ってくれ」と家族に謝ったことなどを勘案すると,平成11年2月のP4,P3両医師の退職表明に伴う宿直当番の調整や補充医師の確保という課題は,亡P1に対する強度の心理的負荷となっていたとみるのが相当であり,これが上記の不眠傾向に少なからぬ影響を及ぼしていたと推定される。
ウ 最後に,平成11年4月以降の亡P1の状況をみると,次のとおりである。
P4,P3両医師が退職した後の4月の被告病院小児科が繁忙を極めたことは,前記1,(4),ウのとおりであり,この状況は,亡P1の疲労を蓄積させる結果となったとみるのが相当である。また,前記1,(5)で認定した経緯によると,亡P1の言動ないし行動の異常性は,まず4月ころから家庭内で出現し,その後,6月に入ると職場でも異常行動ないし言動が明らかになっていったことが認められるが,遅くともこの6月の時点では,亡P1がうつ病に罹患していたと診断できることは,前記1,(9)で列記した各意見も一致するところである。

(2) 業務の過重性評価について
そこで,上記(1)で検討した本件発症の機序を踏まえて,亡P1が従事していた業務が精神疾患を発症させるだけの危険性を有していたといえるかどうかにつき検討する。

ア まず,その前提となる業務の危険性に関する判断基準については,原告が主張するように「最も性格傾向が脆弱な者」として当該労働者本人を措定するのであれば,前記2,(1)で触れた,当該労働者本人を基準として相当因果関係の有無を判断する立場とほとんど異なることはないので,同主張は,直ちに採用し難い。もっとも,労働者と職種,地位,経験等を同じくする一般的・平均的労働者を基準とするといっても,その内容は必ずしも明瞭ではないし,通常の勤務に従事する一般的・平均的な労働者といっても,その存在態様も様々であるから,一般的・抽象的に業務の危険性に関する基準を論定することが必ずしも有益とは解されず,むしろ,個々の労働者が置かれた個別的・具体的状況を前提としつつ,社会通念に照らして,当該状況の下で当該労働者が従事していた業務の危険性を評価・検討すべきものであると解される。
イ そこで,まず,前記(1),イ,(ア)によれば,平成11年2月にP4,P3両医師が退職を表明したことにより,亡P1は日宿直当番の調整及び補充医師の確保という課題を負うに至ったところ,前者の問題(日宿直当番の調整)については,前記(1),イ,(ア),aのとおり,亡P1の思い描いたとおりに事は運ばず,最終的には同人が3月の宿直当番の担当を多く受け持つことになり,また,後者の問題(補充医師の確保)については,前記1,(4),ウのとおり,平成11年4月までにこれを解決することができず,その結果,被告病院小児科の極度の繁忙を招き,同科医局の良好な人的関係が揺らぐこととなった。
 そして,上記のような,医師2名の退職意思の表明を契機として亡P1に発生した出来事が与える心理的負荷の程度につき検討すると,まず,日宿直当番の調整問題についてみると,①この問題は,平成11年2月に突如発生したもので,3月の宿直当番の実施が目前に迫っていたため,特に迅速な解決が求められるものであったこと,②宿直当番の人員不足を埋める外医の確保が,時期的な問題もあって,容易ではなかったこと(前記(1),イ,(ア),a),③他方,被告病院当局としては,地域密着型の医療体制として機能している本件救急診療体制をできるだけ維持したいと考えており,そのため,365日・24時間の小児医療体制を希薄化させかねない宅直の拡大には消極的であったと推定されること(甲75・18頁,弁論の全趣旨)などの,当時の宿直当番の調整を巡る客観的状況に照らすと,上記問題の解決は,社会通念からみても,相当に解決困難な課題であったと評価すべきである。次に,補充医師の確保問題についてみても,小児科医の不足という事情に基づくことによる解決の困難さ(前記(1),イ,(ア),b)や,その確保のため多方面への働きかけをしたものの,困難を極めたという一連の過程をも併せ勘案するならば,やはり,早期に解決が求められるものであるにもかかわらず,その解決が極めて困難なものであったことは明らかである。
してみれば,平成11年2月から3月にかけて発生した上記課題は,評価表1(別表7-1)に列記された出来事に当てはめてみると,「ノルマが達成できなかった」,「同僚ないし部下とのトラブルがあった」といった出来事と同等の心理的負荷を与えるものというべきであり,それゆえ,その心理的負荷の強度は,少なくとも「Ⅱ」には達していたと認めるのが相当である。
ウ 次に,前記(1),イ,(イ)によれば,亡P1は平成11年3月の時点で十分な睡眠を確保し難くなっていたところ,この点につき,原告は同月の8回にもわたる宿直を担当したことによるものであると主張し,また,被告は上記の亡P1の宿直時における労働密度は決して濃いものではなく,また,宿直医師のために個室タイプの仮眠室が確保されていたから,十分仮眠を取り得る状況であったと主張する。
(ア) そこで検討すると,証拠(甲54〔添付資料3〕,74・25~27
頁,乙29,41)によれば,本件当時,小児科の宿直医師が仮眠を取る当直室は,急患患者に対する診療をする急患診察室や急患処置室からは少し離れた場所に配置されていたこと,また,亡P1が平成11年3月に担当した8回の宿直勤務において,実際に診療をした患者数及び救急外来患者の来院がない(ないし途切れた)ため,仮眠を取ることが可能な時間(以下「仮眠可能時間」という。ただし,通常人の起床時刻を考慮して,午前7時までとする。)は下記のとおりであったと認められる
(なお,甲74・37,38頁及び証人P3・5~8,18~20頁によれば,甲54の添付資料3の整理は一応の合理性が認められる。)。

(3月2日~3日) 患者数 11名
仮眠可能時間 3日午前1時ころから午前7時ころまで
(3月7日~8日) 患者数 3~4名
仮眠可能時間 7日午後11時45分ころから午前7時ころまで
(3月9日~10日) 患者数 5名
仮眠可能時間 9日午前4時ころから午前7時ころまで
(3月13日~14日) 患者数 2名
仮眠可能時間 13日午前2時5分ころから午前
7時ころまで
(3月16日~17日) 患者数 3名
仮眠可能時間 17日午前2時50分ころから午前7時ころまで
(3月23日~24日) 患者数 1名
仮眠可能時間 23日午後10時15分ころから24日午前7時ころまで
(3月28日~29日) 患者数 4名

仮眠可能時間 29日午前0時54分ころから午前3時40分ころまで
(3月31日~4月1日)患者数 4名
仮眠可能時間 1日午前2時ころから午前7時ころまで

(イ) 以上によれば,宿直勤務において実際に診療を行った患者数は必ずしも多いとはいえないものの,上記のとおり,実際に6時間程度の睡眠を取り得る程度の仮眠可能時間がある日は,3月中の宿直日でも3日ほどしかなく,診療の多くは睡眠が深くなる深夜時間帯におけるものであることが認められる。そして,この事実に加えて証拠(甲69,738頁,74・24頁)をも斟酌すると,被告病院における小児科の宿直勤務においては,十分な睡眠は確保できるものではなく,少なくとも,疲労を回復し得る程度の深い睡眠を確保することは困難であったといわざるを得ない。してみると,多数回にわたり宿直当番を担当することは,それだけ当該労働者の睡眠が奪われる危険性が高まるといえる。
 加えて,別表3(No8ないし12)及び6により把握できる亡P1の平成10年9月から同11年8月までの労働時間数をみると,宿直明けの日に必ず休日(研究日も含む。)を取得することが保障されているわけではなく,これを平成11年3月から4月にかけての亡P1の勤務スケジュールでみてみると,宿直日明けに連続勤務が組まれている日が3日(3月7~8日,同月28日~29日及び同月31日~4月1日)あり,また,3月3日から4月1日までの時間外労働時間数も83時間超に至り,さらには,上記期間中に亡P1が全く勤務から解放されていた日も3月21日及び22日の2日だけしかない。このような平成11年3月の亡P1の勤務スケジュールを前提として,上記のような宿直勤務の回数(8回)の業務性質をみるならば,社会通念に照らして,当該業務は労働者の心身に対する負荷となる危険性のある業務であったと評価せざるを得ない。
そして,上記の負荷の性質は,結局のところ,労働者の疲労回復の最も根本的な方策である睡眠を奪う危険を有するのであるから,評価表1の「勤務・拘束時間が長時間化した」にも比すべきストレス要因とみるのが相当であり,そうであれば,その心理的負荷の強度は「Ⅱ」レベルにはあるということができる。
(ウ) 以上に対し,被告は,業務の過重性という観点からすると,亡P1は従前から月6ないし7回程度の当直回数を担当していたのだから,8回の当番担当が過重であったということはできないと主張し,部会意見及びP19意見もこれに沿うが,これらの意見は,業務量の比較という外形的な差異のみに着目し,上記(ア)からもうかがわれる深夜帯における宿直勤務に内在する危険性や上記のような勤務スケジュールを十分考慮せずに評価が示されている可能性があるから,直ちに採用することはできない。
エ 最後に,P4,P3医師が退職した後の被告病院小児科及び亡P1の勤務の各状況は前記(1),イ,ウで整理したとおりであるが,これは評価表1の「部下が減った」及び「部下とのトラブルがあった」に該当するところ,これらはいずれも心理的負荷としては「Ⅰ」レベルではあるものの,高度の専門職である医師を束ね,かつ,補充医師の確保が極めて困難であることから個々の医師の去就につき大きな関心を抱かざるを得ない立場にある管理職が,上記のような状況に陥ることは,特に心理的負荷がかかる性質のものというべきである。よって,その心理的負荷の程度としては「Ⅰ」よりも強度であり,少なくとも「Ⅱ」と評価すべきである。
 なお,平成11年6月にはP3医師が退職を仄めかしたことに伴う医師の確保作業は,前記イと同様に心理的負荷の程度は「Ⅱ」となるものといえる。
オ 以上によれば,亡P1が置かれた具体的状況を念頭において,社会通念に照らして業務の危険性を判断すると,平成11年2月以降に亡P1が従事した業務は,社会通念上,精神疾患を発症させる危険の高いものであったというべきである。

(3) 業務外のストレス要因及び亡P1の個体的要因
ア まず,本件全証拠に照らしても,亡P1の生活史,家族構成,経済事情などで,同人に心理的負荷となるような事情は,子の受験に伴うものが想定されるほかは,特に見当たらない。
イ また,亡P1の個体側要因については次のとおりである。
まず,前記1,(7),イのとおり,亡P1は本件救急診療が実施された後の平成8年8月ころから,睡眠導入剤を服用するようになっているところ,これは亡P1が宿直当番の担当に緊張を感じていたことを推認させる。それゆえ,亡P1は,宿直勤務中に仮眠を取ることに支障を感じていたとみることができる。
もっとも,前記(1),アの判示によれば,前述のとおり,亡P1は従来から月6,7回程度の当直を担当していたのであるが,この時点では何ら精神的変調を来していないことからすると,それよりも1,2回程度の宿直の増加にすぎないことから,P19意見は,既に3月時点でのうつ病発症による不眠の可能性を指摘し,本件自殺は,亡P1の肥大化した自己愛が挫折感を味わったことにより,急速なうつ病への進展をもたらしたとして,本件自殺は亡P1のこれまで顕在化しなかった脆弱性に起因するところが大きいと分析している。
 確かに,3月時点で亡P1に生じた不眠の原因要素を探求してみると,当直当番の調整の失敗や補充医師の確保がままならない状況がこれに影響を与えた可能性は否定できず,これが亡P1の精神状態を不安定にし,不眠をもたらした可能性はある。しかし,これらの課題自体がいずれも心理的負荷の高いものであったといえることは前述のとおりであって,本件疾病の発症,増悪の原因となっていると解される以上,亡P1にこのような精神状態が生じていたことをもって,同人の個体側要因の問題(つまり,同人のストレス耐性への脆弱性を示すもの)と評価するのは相当でない。
ウ また,前記1,(7),イのとおり,亡P1には,従来から高脂血症・痛風といった生活習慣病が出現しているところ,P19意見及び甲86では,心身症との結びつきを軸として,これらの生活習慣病(メタボリックシンドローム)とうつ病との関連性が指摘されている。しかし,本件全証拠に照らしても,かかる生活習慣病に罹患した者がうつ病を発症しやすいとの関係を基礎付けるような専門的知見が形成されたとは認めるに足りない(なお,甲86・41,42頁)以上,この点をもって,亡P1の個体側の脆弱性を認めることはできない。

(4) 総合的検討
ア そこで,(2),(3)での検討結果に基づいて,本件疾病の業務起因性につき判断すると,亡P1が本件疾病罹患前に従事していた業務は精神疾患を発症させ得る程度の危険性を内在しており,他方で,亡P1の業務外の出来事で同人の心理的負荷をかけるような事情は,せいぜい「子供の入試・進学があった又は子供が受験勉強を始めた」(強度は「Ⅰ」)が想定される程度で,被告が主張する遺産相続に関連する弟との不和などの事情を認めるに足りる的確な証拠はなく,また,同人の個体側要因として問題となる性格傾向の脆弱性は,特に,本件疾病発症との関係では有力な原因になったものとは認め難い。してみると,本件疾病は業務に起因して発症したものと認めるのが相当である。
イ 以上,検討したところによれば,亡P1は平成11年3月から4月遅くとも同年6月ころには,業務に起因して本件疾病に罹患し,その判断能力が制約された状況で,同疾病による自殺念慮から本件自殺に及んだものと認められるから,本件につき労災保険法12条の2の2第1項は適用されず,その業務起因性を認めることができる。

第4 結論
 以上の次第で,本件疾病につき業務起因性を否定した本件処分は違法であるから取消しを免れない。よって,原告の請求は理由があるから,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第11部
裁判長裁判官
佐村 浩之
裁判官
増田 吉則
裁判官
篠原 淳



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