第3章:変 異 【1】
セフィロスの屋敷地下には、恒常的にウォールの魔法、魔法による攻撃および物理的な攻撃による威力を半減させる魔法である、が保たれている特殊な区画がある。ウォールのかかっているこの室内で発動される攻撃魔法は総てその干渉によって威力が激減するため、マテリアの訓練にはうってつけなのである。
そんな特殊な室内にスコールとクラウド、そしてザックスはいた。
ザックス付きの従卒になったとはいえ、その階級は未だに一般兵どまりであるクラウドが、マテリアの使用法を学びたいと言い出したのだ。
最初の頃、クラウドの魔法キャパシティではマテリアの発動まで至らないから、今のところは理論だけで十分だろうとスコールは思っていたのだが、マテリアに対する理解度が深まるにつれ、クラウドの気がそれではすまなくなってしまっていた。どうしても実戦してみたいとクラウドが周囲に熱心に食い下がった結果、ザックスも連れだって三人してこうしてマテリアの訓練施設に足を運んだと、そういう訳である。
「ザックス、レベル1か2程度の魔法マテリアを、できれば攻撃系のものを、何か貸してくれないか?」
部屋に入るなり、スコールはザックスに向かってそんなことを言った。
言われた当人は一瞬、意表を突かれて間の抜けた顔つきになった。スコールの魔法キャパシティの大きさをよく知っているザックスだったから、先日セフィロスから気軽にマテリアを渡されていたのを知っていただけに、ついついスコールが色々、それこそクラス1ST並に色々と所有していると思いこんでいたのだ。だから思わず、
「おまえの使えば?」
と口にしてしまった。
嫌みでも何でもなかったのだが、それを耳にしたスコールの顔が一気に渋面になる。
その様子にしまったと肩を竦めたザックスは急いでバングルから『れいき』のマテリアを外し、スコールへ差し出した。
「攻撃系のマテリアは、生憎と持ってない」
珍しく拗ねた様子のスコールは、憮然とした顔つきでぼそり呟いた。そして自分のバングルに渡されたそれを装填し、さらにそれをクラウドへと手渡した。
『れいき』のマテリアのみが装填されたバングルを、クラウドは左腕に装着した。そして部屋の中央まで歩いていくとその場で佇んだ。
スコールとザックスはそのまま壁際に背を預けるようにして並び立ち、そこからクラウドの様子を見守ることにした。
青空色の瞳を半ば覆い隠したクラウドは軽く息を吸い込むと、そのままぴたっと息を止めた。
あらゆる雑念を自分の中から排除しようと意識を集中していく。やがてその中心に、緑の球体、魔法マテリアが具象化された。
精神集中を乱さぬよう留意しながら、イメージで創りあげた自分の右手をマテリアにそっと差し伸べた。マテリアの表面にその指先が微かに触れる。指先からひんやりとした感触が伝わってきた。それに伴い、心臓の拍動に似た力強く波打つ何かが指先を通して自分の中へ流れ込んでくる。
そうクラウドが感じた途端、自分の手のイメージも、マテリアも、総てが遠ざかっていってしまった。
心地よい夢から唐突に目覚めたような途絶感が心身を襲い、精神集中に失敗したのだと、クラウドは気づいた。
自分の不甲斐なさにクラウドは唇を噛んで俯いてしまった。
自分の周りにいる人間はこんな簡単に集中を解いてしまうことなく、また、自分のように時間を要さず精神の深いところまで難なく降りていってしまう。
それを知っているからこそクラウドは、そんな彼らと自分との間に横たわる大きな溝に、悔しさや情けなさ、あるいは焦りといった複数の負の感情を抱かずにおれなかった。
一人己のうちに沈み込んでしまったクラウドに、スコールはかける言葉を考え倦ねてしまった。それと同時に、自分の実力を過小評価しがちなその性質に歯がゆさを覚えてもいた。
確かに、今は精神集中が途切れてマテリアの発動まで至らなかった。クラウド自身それを理解しているからこそ、己の不甲斐なさを責めているのだろう。
だが、クラウドは未だに魔晄照射を受けたことがないのだ。それはつまり魔法に関しては普通人と言って差し支えのないレベルにあるといえる。普通の人間にマテリアは扱えないのは常識だ。それなのにクラウドはすでにマテリアと交感できている。それが意味することは実に簡単で、途方もない魔法キャパシティを有しているのはもう間違いがなく、魔法に関して希有な才能の持ち主といえた。
当の本人はといえば、その事実が飲み込めず、理想に手が届かないと自分を責めたてて止まない。時間が解決することだといくら周囲が説いてみせても気休めなんか欲しくないとそれに納得せず、まるで残り時間が少ないと思っているかのように生き急いでみせるのだ。
理想を追い求めるのは良いことだと、スコールも思う。だがそれも度が過ぎればかえって害悪となりうるのだと言うことを、クラウドに教えてやりたかった。
セフィロスを、神羅の英雄を理想として努力を続けるのは悪いことではない。ザックスに早く並びたいと思うのも良いことだと思う。
しかし、彼らはソルジャーなのだ。人為的にその能力を高められているソルジャーなのだ。一般人と変わらぬ現状で、そんな彼らと同じように振る舞おうと思うのは、単なる思い上がりでしかない。
彼らと同じ土俵に上がっていないにも関わらず、彼らの目を瞠らせるほどの存在であるということに、己の中に秘められている無限の可能性に、早く気づいて欲しいと思うスコールだった。
それから数回、クラウドは同じことを繰り返し、結局、マテリアの発動まで至ることはなかった。
◇
不機嫌な表情を隠すことなく、憮然とした面持ちでリビングルームのソファに腰をおろしたクラウドは、想像以上に自分が疲労していることに気がつき、愕然とした。自分としてはそんなに疲れていないつもりだっただけに、驚きも大きかった。『精神を集中する』、ただそれだけのことが、予想を遙かに超えた体力を要することなのだと、初めて理解した。
顔を上げれば、スコールが苦笑を浮かべてこちらを見ていることに気がつく。そして一緒にいるとばかり思っていたザックスの姿がないことを知った。
「ザックスは?」
そう尋ねれば、スコールの苦笑がより深いものになる。軽く視線をキッチンのある方角へ流し、
「お茶の準備をしてくれている」
不在の理由を口にすれば、タイミングを計ったかのように、紅茶の良い香りがその方角から漂ってきた。そしてそれと一緒に、スコール自身は購入した覚えのまるでない綺麗なデザインの施された高級そうなチョコレートが皿に盛られ、ザックスの手にする盆の上に載せられているのに気がついた。
「紅茶なんて、どうしたんだ?」
毎日利用しているキッチンではついぞ見かけたことのない飲み物が出されたことを疑問に思ったスコールは、自分の斜め向かいでにこにこ上機嫌に笑っているザックスへ問いかけた。ザックスの口元がにやり歪む。それはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの実に得意げな表情だった。
「サーからお茶代貰ったから・・・・・・」
開口一番の台詞に、スコールもクラウドも、目眩を覚えてしまった。しかし口にした当人にはそれで意味が通るらしく、笑顔がさらにパワーアップしている。話が全然見えてない二人が、詳しい説明を求めたことは言うまでもないだろう。
ザックスの話を要約すると、次のような内容になる。
本日昼頃、セフィロスが知人に同伴していた初対面の人間から半ば強引に贈られた高級チョコを持て余している現場に、たまたまセフィロスの執務室に用事があったザックスが出くわしたというのだ。この時スコールはセフィロスに使いを頼まれて席を外しており、セフィロスが来客の対応を迫られた結果起きたことだった。そして途方に暮れていたセフィロスに事情を聞き、ついうっかりクラウドが超甘党であることを話してしまったのである。
最近、自宅の冷蔵庫によくケーキやら何やら甘いものが入れられていることを目撃していたセフィロスは、それが誰のためだったのか納得し、それならばとその場でザックスにチョコを譲渡しようとした。一旦は喜んでそれを受け取ったザックスなのだが、それが某有名店の最高級品だということを知り、ついでにそれがどれくらいの値段であるのか知っていたため、その贈り主のことを慮って突っ返したのである。相手の真心を汲んで、一つでもいいから口に入れてやれと、そう思ったのである。
ところがセフィロスはこういった甘味系には、ついでに相手の意向などにもまるで興味がないため、自分が貰っても意味がないと、甘味が好物なクラウドに食させればいいだろうと言って、ザックスに持たせようとした。しかしザックスは頑として譲らない。しばらくそうして押し問答を繰り広げていた訳なのだが、結果としてザックスがそれを携え、セフィロスの屋敷に持っていくことで決着がついた。その際、折角のチョコなのだから、同じ店で売っている紅茶と一緒に摂った方がその美味しさも増すだろうというザックスの主張が通り、セフィロスから紅茶代を託され、それでこうして茶葉を仕入れてきたと、そういう訳である。
一通り説明を聞いたスコールは、自分が席を外したほんの僅かな時間に起きた出来事に、半分呆れ、半分感心していた。そしてその横では、落ち込み不機嫌になっていたはずのクラウドが、実に真剣な眼差しをテーブルに置かれた皿へ注いでいた。ソルジャーに昇進したら、最初の初任給で絶対買うんだと心に誓っていた、高嶺の花のチョコが無造作に置かれているのだ、冷静でいろという方が間違っている。
目の色がすっかり変わってしまったクラウドを見たスコールは、やれやれと言いたげに肩を竦めた。
甘いものにこれといって執着を持たないスコールはチョコの甘さに早々に白旗を振り、一番小さいものを一つ食べただけで後はクラウドに譲ってしまった。ザックスも、二つ三つつまむ程度で早々にチョコから手を引いてしまう。一人クラウドだけが洗練されたそれを良く味わいながらも、手を休めることなく次から次へと食し続けていた。
チョコに夢中なその様子を楽しそうに眺めていたザックスだったが、不意に何かを思い出した顔つきになったと思うと、隣のソファに放り出したままにしてあるザックへ手を伸ばし、しばらく中身をがさがさいわせて何かを捜し始めた。
紅茶を飲みながら、スコールは二人の様子を静観している。特に二人に話さなければならないような話題もなく、ゆっくりお茶の時間を楽しんでいた。
しきりにザックの中を漁っていたザックスがやがて目的のものを見つけたらしく、
「あった!」
大声で叫び、目的のものを取り出してスコールの目前に差し出した。
大剣を握るのに相応しいがっしりとした手の平の上に、赤い色のマテリアが一つ載せられている。
それが、幻獣を召喚できる召喚マテリアであることが、スコールには一目で判った。実際目にしたことはないのだが、今までの学習の成果が如実に表れていた。しかしどうしてザックスがこんなものを自分に見せようとしているのか判らない。真意を問いただそうと目線で問えば、好奇心に目を輝かせている姿が映る。
「スコール、おまえ、手にしただけで何のマテリアか判るんだよな?」
少しだけ嫌な予感を抱きながらも、スコールは隠すことでもないと素直に首肯する。
「本当に?」
自分は素直に認めたというのに、さらに念を押そうとするその態度にスコールは仏頂面になりながらも、再度返事を返す。
「ああ」
何がそんなに嬉しいのか、にっこり笑顔全開になったザックスは、ずいっとスコールに顔を寄せ、
「じゃあ、これ、何のマテリアか判るか?この間のミッションで手に入れたんだけど・・・」
そんなのは自分で試してみればいいだろうと内心思いながらも、スコールは差し出されたそれを受け取った。
「使うのに異様に魔力消費するんで、うっかりお試しできないんだ」
ぽりぽり頭をかきながらそう宣うザックスの声はひたすら陽気に溢れている。
やれやれと言いたげにそれを見つめてから、スコールは渡されたマテリアを軽く握り締め、深呼吸を繰り返しながらマテリアに神経を集中した。
頭の芯がすっと透明になっていく。それと同時に周りの音や気配がすうっと遠くなっていった。スコールはすぐに精神の深いところまで一気に降りていった。
マテリアの中心部分に視線を据えたまま一瞬で深いトランス状態に入り込んだスコールに、ザックスは舌を巻く思いだった。つい先程クラウドの精神集中を見守っていただけに、その落差が余計に感じられる。これほど素早い集中を見せる人間に、ザックスは今までお目にかかったことがなかった。
スコールの脳裏で力強い羽ばたきの音が谺する。どこかで聞いた覚えがあるなと思った瞬間、脳裏に幻獣の姿がひらめく。
それは飛竜の姿をしており、体色は赤が基本色となっていた。
それに良く似た姿で顕れるガーディアンフォースをスコールはよく知っていた。
「・・・・・・バハムート」
口元が微かに綻び、愛おしそうにその名が紡がれる。
それに応えるように、脳裏に浮かんだ幻獣が雄々しく吼えた。
その叫びはそのままスコールへ己の名を告げる声に変わり、スコールは幻獣の名前を理解した。
「これは『バハムート改』のマテリアだ」
『バハムート改』。
それが幻獣の正体だった。
名前の示すとおり召喚獣『バハムート』の眷属になる存在なのだが、その能力は『バハムート』よりもさらに数段高い亜種にあたる。
これはどの召喚獣にも言えることなのだが、召喚者側に召喚獣として呼び出した幻獣を己の意のままに扱えるだけの度量、能力がなければ、召喚した瞬間にその幻獣に抗われ、その反動で良くても重傷を、最悪な場合には幻獣に食い殺されてしまう、ということも起こりうる。
『バハムート』の眷属は他の幻獣と比べてその気性は荒く、矜恃もまた高い。そのため、抗われる危険性は他のそれらより格段に高かった。
召喚マテリアの扱いの難しさを理解しているザックスは渋面になった。もともと魔法主体の戦法よりも剣技主体の戦法を得意とするザックスであるから、根本的に召喚マテリアを必要としていない。少し考え込む顔つきになったが、すぐにあっけらかんとしたいつもの顔に戻ると、
「『バハムート』ですら、俺、満足に扱えないのに・・・・・・。役に立たないやつ、手に入れちまったか」
軽く肩を竦めた。
「仕方ねえ。これ、おまえにやるわ」
持っていても無駄になることが最初から判っているものを手元に置いておく趣味のないザックスは、実にあっさり口にする。
「いいのか?」
軽い口調の言葉に、青灰色の目が瞠られた。
『バハムート』の亜種である『バハムート改』は明らかにレアマテリアであり、その筋に売ればかなり高額な値がつく。上手くすれば一年は優に遊んで暮らせるだけの大金を手にすることも出来るだろう。
それを十分承知しながら、それでもザックスはスコールにそれを譲ることを選択した。あれだけ苦労して手に入れた、今回は本当に肉体労働した結果得られたものだけに、見知らぬ他人の手に渡ってしまうよりは役立ててくれそうな近くの知り合いに持っていて貰いたいというのが本音だった。
「使えないの持ってても仕方ないさ。それに、おまえだったら、こいつ役に立てられるだろうし・・・・・・」
召喚マテリアを使うような事態にはなって欲しくないと思いつつ、それでもスコールほどの魔法キャパシティがあれば余裕で使えるだろうと、実際その光景を見てみたいと思ってしまう。
現在神羅軍に所属している者で、スコールほど魔法の才能に恵まれている存在は、ザックスの知る限りいなかった。唯一セフィロスがそれに比肩しうるだろうとは思うのだが、セフィロスもどちらかというと剣技が中心の戦闘スタイルの主なので、魔法マテリアは威嚇等の目的で戦闘中に使用するのだが、召喚マテリアともなると必要とする魔法力も時間も段違いに大きい所為もあるのだろう、使っている所は見たことがなかった。
こうしてスコールは『バハムート改』の召喚マテリアを手に入れたのである。
To be Continued.
![]() |