〜FINAL FANTASY 7 Advent Children〜

【昇 華】

   

自分の心を『彼』が侵蝕していく。

『彼』という圧倒的な力の前に、ちっぽけな自分は為す術もなく押し潰されていく。
『母』という『因子』を得て、自分という『思念体』を苗床に『彼』が受肉していく。

自分という自我をものともせずに、自分の中へ『彼』が入り込んでくる。

それでも。
それでも自分は強大な力が欲しい。
『兄』と対等に闘える自分というものが焦がれるほど欲しい。

『兄』と互角の力を得るためならば、何も惜しくはない。
狂おしいまでのこの思いを叶えるためならば、自分は何もいらない。

そう、思っていたのに・・・。
そう、思っていたはずなのに・・・。

『彼』の力は想像以上に凄すぎて。
自分の心が押し潰される圧迫感が凄すぎて。

自分は今、怯えている。
自分は今、死の恐怖に怯えている。

『母』に助けを求めても、それに返る声はない。

そんなことは、判りきっていた。

『母』はすでに自分の意思を伝える術を持たないのだから。
『母』はすでに個としての意識など欠片も持ち合わせていないのだから。

すべては『彼』の謀(はかりごと)だったのだ。
すべてのことは『彼』の思惑に基づくものだったのだ。

『彼』は『母』のすべてを奪い取り、己のものとしていたのだから。
『彼』はすでに『母』という存在を乗り越え、『彼』と為っていたのだから。

それに気づけなかった自分は哀れな『操り人形』。
嘗ての『兄』と同じ、『彼』の手の平で踊らされた愚かな『人形』。

重力の理に従って落下していく自分の身体。
見上げれば、『兄』の不安感に彩られた蒼い瞳と視線が交わる。

思わず、『兄』に縋るように手を差し伸べようとしたけれど。
すでに自分の身体は自分の思い通りには動いてくれなくなっていた。

落下の勢いのまま剣を振り下ろそうと『兄』が迫ってくる。
それを防ごうとするように、空手のはずの両手が自分の意思とは別に掲げられる。

間近に迫る『兄』の鋭い視線。
ああ、意識が遠のいていく。

・・・・・・・・・・・・。

ふと、『兄』の瞳が見えた気がした。

自分を真っ直ぐ見つめる蒼い瞳。
『兄』の唇が言葉を紡いでいるのが見える。

【・・・哀れだな】
【あんたは何もわかっていない】

静かな声音に含まれる思い。
自分がそれを感じ取れることに違和感を感じた。

自分は『彼』に押し潰されたのではなかったのか。
当然のように湧く疑問。

それに応えるかのように、自分という意識のすぐ横で誰かが嘲笑していた。
言葉にはなっていないけれども、声の主の思考が怒濤の如く流れ込んでくる。
(仮初めの、一時しのぎにすぎないそれを、奪うことに何の意味がある?)

それは自分を侵蝕したはずの『彼』の声だった。

『彼』の、自分の口元が嘲笑を浮かべるのを感じる。
宙に舞い上がる浮遊感に襲われる。

目の前には『兄』の姿が常にあった。

(そろそろ・・・潮時だな)
冷酷な思念に、自我が揺さぶられる。
もう、『彼』の存在を支えきれないと全身が悲鳴をあげる。

【大切じゃないものなんか ない】
『兄』の凛とした声が響き渡る。

視界のなか、『兄』の全身から膨大な闘気が放出されるのを感じた。

『彼』が再び嘲笑を浮かべた。
(私を支えきれない、脆弱すぎる身体になぞ、もう用はない)

ゆったりとした動作で太刀を構え直す仕草が、今までよりも身近に感じられた。

『兄』の剣が一太刀一太刀、身体を切りつける度、自分の感覚が鮮明になっていく。
それと引き換えるように、『彼』の意識が少しずつ遠のいていくのを感じた。

高みから剣を手に舞い降りる『兄』の姿は、さながら裁きを下す天使のように見えた。

大きな衝撃が全身を貫くとともに、『彼』の意識が急速に遠のいていく。

【思い出の中でじっとしていてくれ】
『兄』が切ない蒼い瞳で『彼』を、自分を見上げている。
それに応じるように、自分の唇が、『彼』の思い通り言葉を紡ぐ。

【私は・・・】
【思い出にはならないさ】
静かに呟かれたはずのそれに、自分は底知れない闇を感じた。

『彼』は何か企んでいる。
『兄』に対して何か思惑がある。

それが何であるのか認識する前に、『彼』の意識はさらに遠くなっていた。

急に視界が黒く覆われ、『彼』の意識が完全に自分のなかから無くなっていた。
一瞬後、解放された自分の身体は大きく力を削がれ、限りない疲労と倦怠感に覆われていた。
『彼』という途方もなく大きな存在に、自分という存在が、限界まで疲弊していることを感じた。

ふらつきながらも、どうにか上げた視線の先、『兄』が剣を構えて立っていた。

自分たちは敵同士なのだ。
そんな思いが胸中にこみ上げる。
その思いのまま剣を振るおうと立ち上がったが、すでに限界を超えている身体は自由にならない。
バランスを崩して倒れ込みそうになる身体を、『兄』がすっと支えてくれた。

至近で見る『兄』の瞳はとても綺麗で・・・。
今までの蟠りがすっと溶けていくのを感じた。

『彼』に煽られるようにして存在していた闘いへの意欲が消え去った今。
自分の心にあるのは、『兄』へのどうしようもない憧憬。
『家族』への絶対的な思慕。

「兄さん・・・」
その思いのままにそっと呟けば、蒼い瞳が戸惑い気味に揺れた。

刻一刻、自分の身体から力が奪い去られていく。
しかしそこにすでに焦燥はなく、ただ穏やかな気持ちになっていた。

不思議だった。
『彼』に侵蝕されていった時に感じた恐怖、それが今は微塵も感じられない。
ただ、優しい気持ちになっていた。

【兄さん】
もう一度そう呼びかけようと思ったとき、不意に優しい女性の声が聞こえた。
(カダージュ?)
あまりに慈愛に満ちたその呼び声。
意表をついたそれに、思わず声がでてしまっていた。
「え?」

綺麗な水の雫が、天から落ちてくる。
ついさっきまで自分が嫌悪して止まなかった綺麗な水。
それを頬に受ける今の自分は、とても心が落ち着いていた。

(もう 頑張るの やめよう?)
再び聞こえる優しい声音。
自分はこの声をよく知っている気がする。

『彼』に地上へと送られる前。
ただひたすら穏やかに、思念の海で漂っていた時に聞いていた気がする。

何時までも包み込まれていたい気分になる、そんな温かい声。
こんな声を、自分は求めていた気がする。

自分という存在すべてを丸ごと全部受け入れてくれる、そんな存在を表す言葉。
自分は思わずそれを呟いていた。
「母さん・・・なの?」

暖かく慈愛に満ちた波動が、綺麗な水と一緒に天から降りてくる。
(みんなのところ 帰ろう?)
優しい優しい波動が、自分を暖かく包み込んだ。
「うん」
素直にそう頷けば、自分を包み込んでいる波動が一際優しさを増した。
その感触が心地よすぎて、綺麗な水とは違う、暖かいものが目尻から頬へ伝い落ちていくのを感じた。

優しい波動に少しでも触れたくて、精一杯手を宙へ差し伸べる。
暖かいそれに、指先が触れた。

ふと視線を戻せば、『兄』はただ穏やかな眼差しで自分を見守っていてくれた。
それが嬉しくて、自分が微かに微笑みを浮かべたことを感じた。

波動が、優しく全身を包み込み、誘うように天へ向けて自分を引き上げる。
少し前まで感じていた疲労感が一瞬で消えていた。

身体が徐々に軽くなっていく。
それとともに、肌に感じられていた世界が遠のいていく。

ああ、自分は再びみんなのところへ帰れるんだ。
そう思った瞬間、自分という存在が総ての柵から解放されるのを感じた。

自分という存在を、この世界に引き留めていた構成要素が、緑光となって飛散していく。
自分という存在が、この世界から消えていく。

その最期の一瞬まで『兄』が見つめていたことを、自分は何時までも忘れない。
『兄』というその人の存在を、自分は何時までも忘れない。

・・・忘れない。

 



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