かつて『魔晄都市ミッドガル』として名高かった場所に、今は廃墟が広がっている。
その郊外に、廃墟を一望できる小高い丘がある。現在では廃墟を取り囲むようにして『エッジ』と呼ばれる街が広がりつつあるのだが、ここからでは距離がありすぎて視認することは叶わない。
そんな丘のうえに、一本の大剣が突き立てられていた。どれほどの月日が流れているのか、大剣は錆が所々に浮き出している。しかしそれがある人の墓標であることを知る者は意外に少なかった。
廃墟から目を転じれば、そこにはどこまでも広がる荒野があった。
2年前、星を大きく傷つけようと、ミッドガルめがけて堕とされた黒魔法『メテオ』。そして星の危機を救おうと放たれた白魔法『ホーリー』。
どちらの魔法も威力が大きすぎ、また、それらの衝突による被害から我が身を守ろうと、星が流出させたライフストリームの流れによって、地表は無惨に荒れ果ててしまっていた。
◇
バイクの轟音と共に、一人の若者が大剣の傍らに現れた。
若者は無造作にバイクのエンジンを切り、無言のまま大剣の目の前まで歩み寄る。
華奢とまでは言わないが、それでも十分細身に分類されて然るべき体躯。しかしその腕は実用的な筋肉に覆われており、またその肢体にも無駄のない筋肉がしっかりついていて、若者が闘いに身を常に置いているか、もしくは置いていただろうことがよく判る。細身ながらも、獰猛なバイクを押さえ込めるだけの筋力は十分備わっていた。
背中に背負っている奇妙なデザインのホルダー。それには目の前の大剣に劣らぬ剣が一本入っている。およそ若者の体躯に見合わぬ大きさだが、それが使い込まれていることは一目で判った。また、どうやらこのホルダーは剣を複数帯剣できるよう工夫された剣帯らしい。ホルダーの数からして全部で六本、その身に帯びることが可能なようだ。
ノースリーブの濃紺の上着。上着は必要最低限に身を覆っているに過ぎない。しかし何故か左腕のみは黒い袖で手首まで覆われていて、その袖はそのまま肩当てへと続いていた。またその肩当ては左肩にのみ装着されており、大きなリングを銜えたオオカミの顔が意匠として施されていた。
荒野を吹き荒れる砂塵から目を守るためにかけられたゴーグルが邪魔で、目の表情までは読み取れないが、それでも苦い思いで大剣を見ていることは判った。
一陣の風が吹き抜け、それとともにかなりの砂塵が若者の足許から吹き上がる。
何かを堪えるように、若者がきりっと唇を噛みしめた。
その唇が微かにわななく。
「お前の分まで生きよう・・・そう、決めたんだけどな・・・」
若者は今にも泣きそうな声音で静かに呟く。
何がそうさせるのか。
若者はその若々しい外見に似合わぬ諦めを漂わせた声音で、小さく呟いた。
大剣は、かつて若者が男の形見としてこの大地に突き立てたものだった。
大剣は、かつて若者を助けるために総てをかけてくれた男の墓標だった。
あの時、自分の身体が満足に動けるようであれば、彼にあれほど迷惑をかけなかったのかも知れない。
そう、あの時、自分さえ足手纏いになっていなければ、彼は助かったのかも知れない。
自分が満足な身体でさえあれば、あの時の危機は上手くかわせていたはずだった。そうできていたならば、きっと彼の命は未だに続いていて、自分の傍らに変わらず在り続けてくれたに違いない。友達として、親友として、優しく笑いあっていたに違いなかった。
仮定をいくら並べ立てても、それは仮定でしかなく、過去の出来事を変えるには至らない。
それを十二分に理解していながらも、若者は思考の迷路から抜け出せずにいた。
抜け出せないまま、こうして幾度もこの地へと足を運んでは、苦い苦い悔恨の念にその胸を焦がしていた。
やがて自虐的すぎる己の思考回路に疲れ果てた若者は、自嘲の笑みを口元にたたえた。
くるり大剣に背を向け、その場を立ち去ろうと足を運び始めた途端、若者が苦鳴を漏らした。
何の前触れもなく訪れたそれに、若者は咄嗟に対処できず、反射的に袖に隠された左腕の付け根部分を押さえ、その場にどうっと膝から頽れた。
どれだけの痛みが若者を襲っているのか、痛みの根源である左腕を庇うように抱え込み、そのまま横倒しに倒れ込んだ。
砂埃が舞い上がり、若者の衣服を白く染める。
痛みのあまり硬直した身体は自由にならず、また痛みに支配された頭は他のことを意識する余裕はない。
この激しすぎる痛みが一過性のものであることを、若者は経験から十分知っており、痛みが通り過ぎるのをひたすら待ち望んでいた。
継続的だった耐え難い痛みが徐々に間歇的なものになり、やがては治まっていく。
若者はやっと息をつけるようになり、思わず大きくため息をついた。そして未だ押さえたままでいる左腕に視線をやり、眉間にしわを寄せた。
左腕全体から黒い液体が滴り落ちている。その液体は粘度が高く、ねばねばとしたものだった。
今は袖に覆われているため見えることはないが、若者の左腕には一筋の黒い痣めいたものが刻まれており、痛みと共にそこから黒い液体が滲み出てくるのだ。
◇
『星痕症候群』と呼ばれる奇病が世界規模で流行している。
それは二年前のあの『運命の日』から、人々の間に、特に抵抗力の弱い、免疫系がきちんと確立されていない年少者の間で急速に広まっていった奇病の名称である。
ある日突然、激しい痛みとともに身体に黒い痣が生じ、そこから黒い液体がじくじく滲み出てくるというのが、具体的な症状となる。
その発症機序は未だ不明であり、治療法も対症療法すら確立されていない。
致死性の高い不治の病。
それが、『星痕症候群』と呼ばれる奇病の正体であった。
◇
苦々しい顔つきのままバイクに戻った若者は、バイクに取りつけてあるBOXから真新しい布と包帯を取り出した。そしておもむろに左袖を引き上げ、黒革の手袋を乱暴な仕草でむしり取った。
表れた腕全体に巻きつけてある包帯はすでに真っ黒に変色しており、使い物にならなくなっている。軽く舌打ちして一気にそれを解くと、黒く染まった腕を布で手荒に拭った。
徐々に本来の色を取り戻していく腕に、黒い一筋の痣。
禍々しいその刻印に、若者は再度舌打ちした。
初めの頃、この痣はここまで大きくなかった。二の腕の中程にぽつんと黒子のような痣があるのみだったのだ。そうだったから、若者は痣をさほど気にとめていなかった。
だが、ある日突然そこから激痛が生じたのだ。
それから痛みが訪れる度、痣はどんどん成長していき、いつの間にかここまで広がってしまっていたのだ。
それが何を意味するのか。
若者は苦い思いと共に理解していた。
ちらりその二の腕に巻きつけてあるピンク色のリボンを見遣る。不思議なことにこれだけは、今まで一度として黒く染まってしまうことがなかった。
手当を終えた若者は再びバイクに跨る。
エンジンをかけようと足を動かしかけた瞬間、腰のポーチに入れてある携帯が鳴った。
若者は大きく肩を揺らし、顔を強張らせた。
電話のコール音がやけに大きく耳に響いたのだ。
コールの音からそれが誰からの電話であるのかすぐに判ったが、若者はそれを敢えて無視し、エンジンをかけた。
轟く轟音。
それにかき消されてコール音は聞こえなくなった。
エンジンが暖まったのを確認してから、若者は荒野へとバイクを走らせる。
若者が立ち去った後、小高い丘の上に、灰色の毛並みの大きなオオカミが姿を現した。
そのオオカミは大剣の傍らで、しばらく風の匂いを嗅いでいたが、いつの間にかその姿を消していた。
錆びた大剣が、ただ静かに、小高い丘の上から世界を、人の営みを見守り続けている。
END