〜 ファイナルファンタジー7 〜
言葉少なにひたすら北を目指して進む一行があった。
ここ数年来、モンスターと遭遇する確率が格段に増えた大陸を旅する人間はぐっと減り、ましてや少人数で移動する人間など稀な存在だった。
世界をその手にしていると言ってもあながち的はずれではない、強大な支配力を誇る巨大企業神羅カンパニーが有する軍隊の精鋭たちですら、厳重装備の上に複数人で行動するのが当たり前となっている。そんな物騒な大陸を、しかしたいした装備もなく彼らは進んでいた。
◇
突然、モンスターたちが音もなく襲ってきた。
それは最近頻繁に姿を見せるようになった凶悪なモンスターばかりで、普通の兵士ならば一瞬のうちに物言わぬ骸と化していてもおかしくはない奇襲攻撃だった。
蒼天を思わせる蒼い瞳をした青年は穏やかとさえいえる眼差しで襲い来るモンスターたちを確認すると、同行者たちに目線で自分から少し離れるよう指示をだす。
青年の意図を理解した同行者たちは素早く退くが、ただ一人長い黒髪の女性だけが青年を心配そうに見つめた。
仲間の一人が青年の援護の意味も兼ねてモンスターの群れの先頭へマテリアを使用した魔法をお見舞いする。
突然の攻撃にモンスターたちはその足を鈍らせる。
視線にこめられた思いに気づいた青年は微かに微笑み、下がるよう再度女性に訴えた。
青年の意志が固いことを理解した女性はその大きな瞳に拭い去れない不安げな光を宿らせつつ、それでも青年の指示に従い後退るしかなかった。
仲間たちがすべて自分と距離を置いたのを確認した青年は己の内にある闘気を一瞬で最高潮にまで高め、その体躯に似合わないバスターソードの剣先にそれを集め、裂帛のかけ声とともに一閃する。
次の瞬間モンスターたちが群れていた方角で無数の光が炸裂し、相当数いたはずのモンスターたちがどうと地響きをたてて地に伏していた。
相手が完全に事切れているのを確認してから、青年はソードを背中の鞘へ納めると技の射程距離から避難していた仲間たちへ視線を巡らせた。
仲間の表情にぬぐい去りがたい疲労の翳りが見える。
それを認めた蒼天の瞳が暗く翳った。
目的の地が近づいているためか、遭遇するモンスターたちが日増しに強くなっていく。それにあわせてこちら側の負担もより大きいモノになっている。
実際彼らの疲労はかなりのものでそろそろ強行軍を続けるのもきついものになりつつあった。
仲間の様子をそれとなく観察していた青年はそろそろ一息いれる頃合いなのかも知れないと、ふと思った。旅を始めた頃、もともと明るい雰囲気とは縁遠かった一行だったが、それが最近とみに翳りを漂わせていることに青年も気づいており、このまま強行軍を続けても精神的に追いつめられていくだけであり、それは自殺行為意外の何者でもないだろうとも思った。
青年はそんな自分の考えを仲間たちに訥々とうちあけた。
青年にとって幼なじみの間柄である黒髪の女性が安堵のため息をついたのを、青年は見逃さなかった。
◇
太陽が地平線に姿を隠してからかなりの時間が経ち、これ以上歩を進めるのは無理だと思い野宿を覚悟し始めた頃、近在に人が生活している証拠が森のあちこちに見受けられるようになった。それに気づいた少女はそれまで疲労しきっていた様子がまるで嘘だったかのように急に張り切って先頭を軽い足取りで歩き出した。
どれほど足を運んだのか、彼らの目の前に木立の陰から突然姿を現したのは、こじんまりとした村だった。
どうやら自給自足で暮らしているようで村のあちらこちらに畑がある。それを目にした闊達な少女はちょっと残念そうに肩を竦めてみせた。
そんな小さな村に宿屋などあるはずもなく、一行は村の片隅にある教会に一夜の宿を求めることにした。
寂れた村に相応しい寂しい教会だったが、それでも雨をしのげる屋根があるだけましと覚悟を決めると、一行は旅の疲れを少しでも癒そうとそれぞれ落ち着く場所を定めた。
青年は背中にしょっているソードを傍らに置くと手にはめている鋲つきのグローブを外した。そして深呼吸をひとつ。その途端、全身から余分な力が抜けていき、蒼い瞳が少しばかり和んだ。
一心地ついた一行は各々食糧やなにやらを持ち寄り、教会の主を迎えて少し遅めの晩餐にありついた。
ささやかな食事も終わり、のどかな時間が流れるはずの一時。しかしそれが楽しいものになったことはこの旅を始めてから一度もなく、少女は色々と楽しい話を提供して持ち前の明るさで暗くなりがちな雰囲気を盛り上げようと奮戦し、それにつられるように黒髪の女性は久しぶりに声をたてて笑っていた。その傍らでは人語を解する赤い獣が先端に炎が灯っているかのような見事な尻尾を振り振り相づちを打っている。
早々に食事を切り上げた見事な体躯の男は、奇妙な機械仕掛けのネコとくわえ煙草がさまになっている男と三人(?)でカードゲームに興じていた。それを冷めた視線で見つめている黒髪の男。
そんな仲間たちを、青年は何とも言えない表情で一人離れた場所から見守っていた。
妙に不自然な明るさに包まれたまま、憩いとも呼べぬ団欒は終わるはずだったが、それが何の前触れもなく突然崩れた。
青年が不意に立ち上がったのである。
不自然なその様子に一行は青年の行動を固唾を飲んで見守るしかなかった。
◇
久しぶりに雨風をしのげる環境を手に入れた安心感からか、いつもより緊張を解いたように見受けられる仲間たちの様子を恐怖にも似た奇妙な感情のまま見守っていた青年だったが、不意に誰かに名前を呼ばれたような気がし、周囲を見回した。しかしその場にいる誰かが自分を呼んだ訳ではないようで、誰一人として青年に意識を向けているものはなかった。
自分の気のせいかと青年は思い、再び仲間たちの団欒に視線を向けようとしたがそれが気にかかり落ち着かなかった。
心の琴線を震わせた呼び声。
青年はその声に覚えがあるような気がしてならず、それと同時に不吉な予感を拭い去れず、不安が急速にふくれあがっていく。
以前、青年をいいように操ったかつての英雄。
昔、青年が心の底から憧れていた最強のソルジャー。
最早この世の人ではなくなった、青年たちが所属している理から外れてしまったその存在が自分のことを呼んでいるのではないかと、青年は不安にかられた。
知らぬこととはいえ青年は『彼』にいいように操られて世界を窮地に追い込んでしまったのである。
その負い目が青年の心を重くしていた。そして未だ拭い去れない大きな不安がある。
自分は未だに『彼』のあやつり人形ではないのかという不吉な予想。
青年の存在意義を根底から揺さぶらずにはおかない大きすぎる不安材料。
それが否定されなければ青年は満足に呼吸すらできない自分に早くから気づいており、しかしそれを仲間として信頼している彼らに告げることができずにいた。自分のそんな弱さをさらけだしてしまえるほどの強さを未だ持てずにいる自分が歯がゆくて仕方なかった。それでもその一歩を踏みだせないまま、仲間と一緒にここまで来てしまったのだ。
伏し目がちになった蒼天を想わせる蒼い瞳が翳りを帯びる。
誰かの呼び声が再び青年の心に忍び込む。
はっとした青年は立ち上がると、仲間たちの訝しげな視線に気を配る余裕もなく教会を後にした。
◇
教会を一歩出た途端、青年の体を森林の香りをたっぷりと含んだ夜気が吹きつけ、そのあまりの冷たさに青年は我が身を抱いた。そしてそのまま教会からさらに森の奥へと続く獣道を辿り始めた。
どうして自分がそちらへ行こうとしているのか、青年はそれを疑問に思うでなく、黙々とその道を辿りゆき、突然ぽっかりと木々が途切れた小さな広場へと足を踏み入れた。
ふと、青年は足を止めた。
何かに誘われるようにして見上げた夜空に浮かぶのは、見事な銀盤。
その光景を実に久しぶりに見たような気がして、青年は我知らず微かに笑みを刷いた。
夜気のなか静かに響き渡る虫の音。
濃藍の夜空で煌々と輝きその存在を主張する月はあまりにも素晴らしく、非現実的なその光景に青年はすっかり心を奪われてしまい、自分がどうして仲間のもとを離れて出てきたのか、その目的を忘れかけた。
どれくらい天空へ意識を向けていたのか。
不意に、青年は背筋を冷たい手でやんわりと撫でられたような不気味な気配を感じ取り、慌てて視線を高処より引き剥がし、引きつった表情のまま周囲を見回した。
いつの間にか、虫たちの涼やかな鳴き声が途絶えている。
あまりにも不用意な自分の行動に内心舌打ちをしつつ、青年はしんと澄んだ夜の静寂に不協和音を醸し出している剣呑な気配の在所を探る。そして気配の主の動向に気を配りながらすぐ近くにある木立へ紛れようと、目線で距離を測った。咄嗟に身を隠せる場所を持たない青年の方が何かあった場合圧倒的に不利であり、それを少しでも回避しようといつでも行動に移せるよう身構える。
そんな青年の反応を嘲笑するかのように気配の主は青年を襲うような行動には出ず、ゆっくりと自分がいる場所から姿を現した。
皓々と輝く月光のもと姿を見せたのは、その身は月の輝きで作られたのではないのかと疑ってしまう美丈夫。
青年の憧れの的だったかつての英雄がそこに佇んでいた。
『彼』は微かに口元に笑みを浮かべると青年のいる場所へ躊躇いもなくその歩みを進める。
青年は顔を引きつらせてその場から後退った。
それを見た『彼』はあからさまに嗤い、それ以上近づくこうとはせずすっとその手を差し伸べた。
青年は頑是ない子供がするかのように首を左右に振り、さらに数歩後退する。
翡翠の双眸にどこか面白がる光が宿り、『彼』はすっとその目を細めた。
その眼差しから逃れようと青年はゆっくりと後退っていく。
視線を逸らせばその翡翠から逃れられると判っていても蛇に睨まれた蛙のようにそれができず、青年はただひたすら『彼』との距離をおこうとしていたが、しばらくするとそれが不意に止まった。
自分の目前に敵と見定めた『彼』がいる。
ともすれば萎縮してしまいがちな自分の心を奮い立たせるため、青年は何度もそう繰り返した。
不意に亜麻色の髪の女性の優しい微笑みが脳裏に浮かんだ。それは懐かしくて胸が張り裂けそうになる面影。
それに勇気づけられた青年は、どうにか『彼』に立ち向かえるだけの精神の均衡を取り戻した。
翡翠を見返す蒼天の瞳に不意に強い光が宿る。
不意に安定を見せた青年に『彼』は眉間に皺を寄せた。手中に収めているとばかり思っていた相手の思わぬ反抗的な態度に不快を感じた。その途端、『彼』の体から膨大な気が放出される。
感情の波が揺れた。
ただそれだけのことだったのに、それは思いがけず大きな力、物理的な力となって青年を襲った。
前触れもなく強大な気に晒された青年は今にもその場に跪いてしまいそうになったが、それでも持てる気力を振り絞り何とか膝をつかずに堪え続ける。
翡翠の瞳が興味深げに青年を見据える。
蒼天の瞳が負けじと『彼』をにらみ返す。
二人の間の緊張感が最高に高まった瞬間、パンと乾いた音を立てて空気がはじけた。はじけた空気はそのまま二人に目に見えぬ刃となって襲いかかる。
青年の頬と二の腕が刃によって切り裂かれた。
『彼』の姿が蜃気楼のように揺らめきかき消えた。
そうして初めて青年は自分が相対していたものが影のような存在だったことを知った。
背筋を冷たいものが走り抜ける。影に過ぎない存在なのに実像と見誤るくらいの存在感を醸し出していたことに戦慄を覚えずにはいられなかった。
一瞬、一連の出来事は夢だったのではないかと現実から目を背けようと足掻いたが、頬から二の腕からしたたり落ちる鮮血がそれを許すはずもなかった。
ふと見上げた空はすでに夜の藍色ではなく、希望に満ちた朝の蒼色へと変化しつつあった。
そんな空にぽかりと浮かぶ銀盤。
青年は月を見上げつつ自分が乗り越えなければならない数多のことに決して怯まない自分を誓う。
どれほど『彼』が自分の心を呪縛していようとも、青年はいつかそれを克服する自分を信じてここまで旅を続けてきた。そしてこれからも先を目指して進むのみだった。
END
Illustrated by 風月牡丹さん