〜 アンジェリーク 〜
未だ朝靄が立ちこめる早朝。
匂い立つような新緑のなかを、風の守護聖ランディは軽快な足取りで炎の守護聖が起居する館へと向かっていた。
炎の守護聖オスカーは軍人を志していた関係からか剣の達人であり、ランディは時々稽古をつけてもらっていた。
本日も以前から約束をしていた剣の相手を務めてもらうためにその館へ向かっている最中だった。
館の表玄関を横目で見ながら、ランディはいつも稽古をつけてもらっている中庭へと直接足を運んだ。そしてそこで思わぬ人物を見つけてしまい、その場で硬直してしまった。
「やあ、ランディ。今日は稽古の約束の日だったか?」
館の主、オスカーは目聡く来訪者を見つけて片手を軽くあげて陽気にそう声をかけたのだが、声をかけられた当人は予想外の人物へと視線を注いだままだった。
テラスに設えられたデッキチェアーに炎の守護聖と向かい合うようにして腰をおろしているのは、動きやすい衣装を纏った光の守護聖ジュリアスだった。
オスカーは用意をしてきますと短くジュリアスに告げると、館のなかへ戻っていったが、それに意識をむける余裕もなく、ランディは意外な人物から視線を逸らすことができずにいた。
不躾といってもよいくらいのランディの凝視に、ジュリアスは苦笑を浮かべる。
「どうやらそなたとの方が先約だったらしいな」
これから遠乗りにでも行こうかと思っていたのだがと、ランディが知りたいであろうことを柔らかい調子で告げる。
穏やかな陽光のなか優しい眼差しで自分のことを見つめている光の守護聖のそんな様子に、ランディは何故だかちょっと照れを感じてしまい、無意識のうちに頭をかいていた。
「ランディ、待たせたな」
炎の守護聖にそう声をかけられて初めて、ランディは光の守護聖から視線を外すことができた。
それを知ってか知らずか、オスカーはふっと口許を歪め、練習用の剣片手にゆっくりとした歩調でランディの許へと足を運んだ。
何を見とがめたのか。
稽古をつけようと剣を手渡すのを温かく見守っていたはずの紺碧の双眸が瞬間、鋭い光を発した。
「オスカー」
冷ややかな感を与えてしまいそうな鋭い声が飛ぶ。
自分が声をかけられた訳でもないのにランディは肩をびくりと震わせ、テラスへと視線を走らせる。
それとは好対照的に、呼ばれた当人は苦笑を浮かべて軽く肩を竦めた。オスカーにはジュリアスが何を言いたいのか思い当たる節があったのだ。
「やはりお気づきになりましたか」
貴方には隠せるとは思ってませんでしたと至極残念そうな口調で呟く。
状況がつかめていないランディは不思議そうな顔つきで炎の守護聖を見遣った。
空色の瞳と淡青色の瞳が交錯する。
事態を把握し切れていないらしい風の守護聖のちょっと間の抜けた顔を認めたオスカーは苦笑を浮かべて自分の左足を指し示した。
そうされてもランディには相手の言いたいことがすぐに伝わらず、困惑げに首を傾げるのみだった。
すっとジュリアスが立ち上がり、テラスから二人の許へと足を運んできた。
「視察先で何かあった場合には速やかに私に報告する義務があろう?」
そなたにしては職務怠慢だったなとやや冷ややかな口調で告げる蒼い瞳には、だが気遣わしげな光が浮かんでいる。そしてジュリアスはその場ですっと腰を屈めるとオスカーの左足の様子を見るように手を差し出した。
「ジュリアス様!」
光の守護聖にそんな真似をさせるわけにはいかないと慌てて足を引こうとしたオスカーだったが、足に走った鈍痛にそれは叶わなかった。端正な顔が苦痛に歪む。
この時になって初めて、ランディは炎の守護聖が足を痛めていることに気づいた。
「オスカー様!」
風の守護聖の気遣わしげな声に、オスカーは軽くウインクして見せる。その間、ジュリアスは痛めている足首に指を滑らせてその状態を確かめていた。
「どうやらたいしたことはないようだが・・・」
安堵のため息をつきつつ立ち上がったジュリアスは、薄青色の目を真っ直ぐ捉える。
「無理をしては直るものも直らぬ。オスカー、これよりしばらくの間は無理をせぬよう留意せよ」
何かと自分の身体を酷使しがちな炎の守護聖にそう釘をさすジュリアスだった。
「ランディ」
今の今までその存在を忘れていたかのように見事に無視を決め込んでいた光の守護聖がそっとその名を呼んだ途端、ランディは背筋をぴんと伸ばしてその場でかしこまってしまった。
「こうしてオスカーの許を訪れたのに残念だが、本日の稽古はなかったこととしてくれまいか?」
執務室へ呼び出した時のように緊張の面もちの相手に苦笑を禁じ得ず、ジュリアスはやや柔らかい口調でそう告げる。
「あの・・・」
折角勢い込んで来ているのに肩すかしをくらったようで、ランディの口調は苦く歯切れが悪い。
それを認めたジュリアスは苦笑を深いものにすると、ちょっとした思いつきを口にした。
「ならば、私がオスカーの代わりにそなたの相手を務めようか?」
「え?」
不意に言われた言葉に意表をつかれたランディは目を丸くして目前に佇む相手の顔を見つめ返してしまう。
ジュリアスはそれに気分を害した様子もなく、かえって朗らかに笑い声をたてた。
「剣は嗜む程度だが、ランディ、そなたの稽古の相手くらいは勤まろう」
そなたの剣を借りるぞと傍らで控えている炎の守護聖から剣を受け取ると、ジュリアスはごく自然な仕草で剣を構えた。
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