〜 アンジェリーク 〜
夢の守護聖の私邸。
「後は私が適当にやるからさ、あんたたち、今日はもう休んで頂戴」
オリヴィエは片手をひらひらさせながら使用人たちをそうあしらうと、実に愉しげにドアを閉め、鍵をかけてしまった。万が一、ここで二人に逃亡されでもしたらせっかくの楽しみが台無しになってしまうので、それを阻むためであった。
ジュリアスは相変わらず苦虫を噛みつぶしたかのような渋面でオリヴィエの一挙一頭足を見つめており、クラヴィスは半ば以上眠そうな顔であらぬ方向を見遣っていた。
好対照的な光と闇の守護聖をオリヴィエは喜色満面頭からつま先まで眺め回す。
「オリヴィエ、私も覚悟を決めた。早く、始めぬか」
やけになっているのがありありと判る少々ヒステリックな口調で早口にまくし立てるジュリアス。
オリヴィエは手をひらひらさせ、軽い調子で、
「あんたは後よ、ジュリアス。クラヴィスが先。逃げ出す前にやっつけちゃわなくちゃ!」
両手をもみもみ状況が未だに飲み込めずぼんやりしているクラヴィスに近づいた。
「ジュリアス!あんたも手を貸して頂戴!」
鋭く叫び、クラヴィスを隣室のドレッサールームへと連れ込んだ。
それからしばらくの間ドレッサールームからは聞くに耐えない悲鳴やらなにやらが響いてきたが、それもやがては静かになった。そして光と闇をそれぞれ司る守護聖二人は鏡に映る己の姿を呆然と見つめることになった。
「ふふん!どう、私の見立ては!二人ともとおっても綺麗よ〜」
オリヴィエは鏡に映る二人をみつめ、改心の出来映えと鼻息も荒かった。
ジュリアスは己の姿をしばらく見つめていたが、やがて頬を朱に染めて思いきりそっぽを向いてしまった。
クラヴィスもやはりしばらくの間鏡を見つめていたが、やがて視線をそらし、俯いてしまった。
「どうしたの、二人とも〜。せぇっかく綺麗にしてあげたんだから、もう少し嬉しそうにできないの〜?」
とのオリヴィエの言葉に、ジュリアスは紺碧の瞳に羞恥の色を浮かべ、
「この様な姿にされて、何を喜べと、そなたは言うのだ?」
声と身体をわなわな振るわせて情けなさそうに反論する。
クラヴィスは俯いたまま、
「ジュリアス、この者に何を言っても無駄だと、おまえは思わぬのか?」
いつもの諦念を漂わせた暗い調子で呟く。
「どうしてそなたはいつもそうなのだ!」
正面に佇むオリヴィエから隣にいるクラヴィスへと視線を転じた途端、耳元につけられた常のピアスとは異なって揺れるタイプのイヤリングが気になり、ジュリアスは渋面になる。
そう、二人はオリヴィエの策略(?)にまんまとひっかかり、いつもの執務中の正装ではなく、オリヴィエがデザインを考案したカクテルドレスに身を包んでいるのだった。つまり、二人は女装させられているのだ。
二人が着用しているドレスは基本的に形は一緒だが、所々異なっていた。
ジュリアスのドレスは黄昏の空を写しとったかのような赤紫をモチーフとして、胸元から裾にかけて徐々に白から濃紅へと色が濃くなるようなグラデーションが見事なものだった。
クラヴィスのドレスはジュリアスのものとは対照的に、暁の空を写しとったかのような青紫をモチーフとしてやはり胸元から裾にかけてのグラデーションが見事なものだった。
いくら容貌が秀麗であるとはいっても確かに男性であり、しかも細身ではあるがかなり長身である二人の体格の良さをカバーするように様々な意匠の凝らされたドレス。
豪奢な黄金の髪は高く結い上げられ、艶やかな漆黒の髪は胸元に自然な感じに垂らされ、そしてそれぞれを宝石類が飾り立てている。
ジュリアスが身につける宝石はすべて青が基調となっており、クラヴィスはすべて赤が基調となっていた。
オリヴィエはことごとく対照的になるように細心の注意を払い、二人を飾り立てていた。
大輪の薔薇のように周囲を圧倒する華やかさを纏った硬質的な美貌のジュリアス。
一輪の百合のように匂い立つような艶やかさを纏った翳りのある美貌のクラヴィス。
身長の高さに目をつぶれば、二人は間違いなく素晴らしい美女振りであった。
それから二人は屈辱的な格好(ジュリアス談)のまま、オリヴィエにエスコートされてささやかな晩餐の席に招かれ、少し遅めの夕食を摂った。
振る舞われる料理はすべて一級のものばかりで、それらすべて、どこまでも常に己の信条を貫いている夢の守護聖に相応しいものだった。
晩餐を終えた後、ちょっとでてくるわねと一言残し、オリヴィエは姿を消してしまった。
その途端、ジュリアスはルージュに彩られた形のよい唇を思いきり歪め、
「我々にこのような格好をさせて、あの者は何が楽しいのだ?」
苦々しい口調でぼやいた。
それを受けてクラヴィスは、やはりルージュに彩られた唇をふっと苦笑の形に歪め、
「己の手で美しくなった者を見るのが楽しいのであろうよ。それに・・・」
「それに、何だ?」
怪訝そうに片眉を軽く引きあげるジュリアスの姿を、クラヴィスは感嘆の眼差しで見つめ、言を継いだ。
「それに、おまえという素晴らしい素材を手に入れたのだ。あの者がはりきっても仕方なかろう?まあ、とんだ茶番ではあるが、こうして目の保養をさせてもらっているのだから、よしとしよう・・・か」
「なっ!」
いつになく朗らかな調子で告げられた台詞に、ジュリアスは頬を朱に染めたまま言葉に詰まってしまった。
その様子を見て、クラヴィスは珍しく明るい笑い声をたてる。
そんな場面へ、
「おい、オリヴィエ!とびきり極上の酒が手に入ったぞ!一緒に飲み明かさないか!?」
突然そんな声が響き渡り、部屋の入口の扉が勢いよく引き開けられた。
姿を見なくとも声を聞いただけで相手の正体がわかり、ジュリアスはさっと顔を青ざめさせ、下唇を噛みしめた。
声の主はジュリアスが己の右腕とも思っている炎の守護聖オスカーだった。
(このような姿をオスカーに見られるとは!)
相手の考えをさっと見抜いたクラヴィスは苦笑混じりにジュリアスを庇うようにそっと抱きしめる。
「!?」
酒瓶を片手に、オスカーは無遠慮に室内に入ってこようとしてその場に硬直した。今までに一度として見たことのないような絶世の美女が二人、寄り添うようにして自分を見つめているのに気づいたのだ。
黒髪の美女は艶冶かつ気怠げな眼差しで自分を見つめ、金髪の美女はなるべく視線をあわせないようにつんと顔を背けている。
どことなく見覚えのあるような美女たちだったが、それでも自分のなかのデータにはうまく合致せず、女性を口説くのが礼儀と思っているオスカーは内心慌てた。
(これほどの美女をこの俺が二人も見落としていたなんて、なんたる不覚!)
「これはとんだ失礼を。こんな所にこれほどの名花が潜んでいるとは思わなかった」
怯えている(ようにオスカーには見えるのだ)金髪の美女に向け、オスカーは極上の甘い声をかけるが、勿論、ジュリアスがそれに応じるはずがなく、それが自他共に認めるオスカーのプレイボーイとしてのプライドを大いに傷つけた。
(どうして俺を見てくれないんだ?その綺麗な顔を俺に見せてくれ)
炎の守護聖が自分たちの正体に気づかず、どうやらジュリアスを気に入ってしまったことに気づいたクラヴィスは苦笑を浮かべ、腕のなかにいるジュリアスの耳元へそっと囁きかけた。
「どうやら、オスカーはおまえのことが気に入ったらしいぞ?」
揶揄を込めた囁きの内容を把握した途端、ジュリアスは絶句してしまった。
(この姿の私を、オスカーが気に入った?)
何かの冗談ではないかと思ったが、オスカーの態度は女性を口説く時のものだということに遅まきながら、ジュリアスは気づいた。
「俺の無礼な振る舞いを許していただけるのならば、レディ、どうかその花の顔をこちらに向けて頂けないだろうか?」
かなり本気で口説いているのがわかる熱っぽい口調。
ジュリアスはオスカーに顔を見られないように、自分の正体が決してばれないよう、必死にクラヴィスの胸元に顔を埋める。
普段であればこんな風に振る舞うなどその矜持が許さないはずの人が、今はなり振り構わず自分に縋りついているという、その事実にクラヴィスは楽しげに口許を歪めた。
ジュリアスは自分のことが手一杯でそれに気づく余裕などなかった。
(こんな格好をしているのを気づかれてしまっては、守護聖の長としての私の立場がないではないか!)
そんな態度を自分の勝手な思いこみで照れているのだと解釈したオスカーはますますはりきってしまった。
(何て頑なな女性なんだ。それでこそ口説きがいがあるってものだ!)
「お願いだ、レディ。その蒼い瞳に俺の姿を映してくれ。そして俺に優しく微笑みかけてくれ」
フェロモン度120%の特別仕様で金髪美女の心を射止めようと情熱的に囁きかける。
無論、ジュリアスにそれが効くはずもなく、オスカーの情熱は見事に空回りしてしまった。
思わず脱力してしまうオスカーの表情が間抜けたものになる。
(どうして俺の魅力が通じないんだ?)
恐らくは女性の前で決してしないであろうその間抜けた表情に、クラヴィスは黒水晶の双眸に愉しげな光を宿し、くつくつと可笑しそうに含み笑いを漏らす。
黒髪の美女の笑い方に何やら見覚えがあるような気がしてならなかったが、オスカーはどうして自分がそう思ってしまうのかまったく理解できなかった。
それはそうだろう。まさか闇の守護聖がこんな格好をしているとは夢にも思うはずがない。ましてやそれが、自分が敬愛してやまない光の守護聖も同様だなどと、想像のつけようはずもなかった。
何とも気まずい沈黙が室内におりた。そこへ、
「はあ〜い、お待たせ〜」
館の主が戻ってきた。
「って、あれ?オスカー、あんたここで何してんのさ?」
新しく増えていた客人を認め、オリヴィエは目を丸くして問いかける。
「いや、何、新しい酒を手に入れたんで、おまえと飲もうと思ったんだが・・・」
快活なオスカーらしくない歯切れの悪い口調でしどろもどろオリヴィエに説明するが、アイスブルーの瞳は落ち着かなげにちらちらと美女たちの方へ流されていた。
聡い夢の守護聖はそんなオスカーの態度で彼女(!)たちとどんなやりとりがあったのか察し、懸命に己の姿を隠そうとしているジュリアスを見つめ苦笑した。
「私が晩餐に招待したんだけどさ、彼女たちのこと、内緒にしておいてくれない?」
正体を知られてしまっては大層困るであろう相手のことを慮り、オリヴィエは即興で話を作り上げ、オスカーに必要以上に近寄ると、その耳元へ囁きかけた。
「立場上、彼女たちはここにいちゃあいけない人たちなんだ。まあ、ここだけの話、かなり身分の高い方々なんだけど、気分転換にって、私がここまで連れてきちゃったんだ〜。だからさ、特にジュリアスには内緒。じゃないと、あの人しばらくの間、私に小言言い続けるに違いないんだから」
相手に囁きかけているにしては少々大きめの声はすべて美女たちにも筒抜けで、クラヴィスは苦笑を浮かべ、ジュリアスは柳眉を逆立てた。
「今はこらえた方がよいのではないか?オスカーはまだいるのだぞ?」
腕のなかで大きく身じろぎした相手に向け、クラヴィスは静かに話しかける。
怒りに身を任せかけたジュリアスははっと我に返り、硬直する。
「何が可笑しい?」
笑い声こそたてていなかったが、クラヴィスが笑っているのが触れあっている身体越しに伝わり、ジュリアスは怒りの矛先を変えた。
「別に・・・」
そう言いながらもその笑いは収まる気配を見せず、ジュリアスは上目遣いに相手を睨みつけた。
紺碧の瞳が峻烈な輝きを宿し、硬質な美貌がより冴え渡る。
黒水晶の双眸が眩しげに細められる。
(“怒りに満ちたおまえも美しいものだな”などと言えば、さらに怒り狂うのであろうな)
常になく愉しげなその様子に居たたまれず、ジュリアスはオリヴィエたちの方へ視線を転じた。
釈然としない表情をしながらも、オスカーは一応館の主の意見を聞き入れ、辞去することを決めた。
「判った、今夜は諦めるとしよう」
オリヴィエにそう言い様、美女たちの方に視線を転じた。そして金髪の美女がまっすぐこちらを向いていることに気づく。
紺碧の瞳が驚きに大きく見開かれる。
アイスブルーの瞳もやはり驚愕に大きくなる。
同じ青系の双眸が瞬間混じりあう。
(しまった!オスカーに見られた!!)
(たいした美女だとは思っていたが、これほどとは!)
再度硬直してしまったジュリアスに素早く気づいたオリヴィエは、二人の間に割り込むように移動すると片手をふり、
「もう、早く帰ってよ。あんたがいると、彼女たちがいつまでも落ち着けないじゃない」
そのままぐいぐいオスカーを玄関まで追いやってしまった。
クラヴィスに縋りついたまま、ジュリアスは全身から力を抜いた。執務中に感じるものとはまるで異なる緊張感に、疲れ切ってしまっていた。
「どうした?疲れたのか?」
極上の優しい声音で、クラヴィスはぐったりと身体を預けてくる耳元に囁きかける。
相手の問いかけに答えず、ジュリアスは大きくため息をついた。
(どうしてこのような仕儀に至ったのだろう?)
昨日、オリヴィエと約束を交わす羽目になった経緯を思い返した。
◇
珍しく執務時間を大幅に残しすべての書類を決裁し終え、ジュリアスはエスプレッソ片手にくつろいでいた。そこへ、やけにご機嫌なオリヴィエが姿を見せたのだ。
「やっほ〜、お元気してる?あのさ、ジュリアス、私、あんたにお願いがあるんだけど、いい?」
こうして執務室に自ら姿を見せることのない夢の守護聖の来訪に、執務から解放された安堵感も手伝い、ジュリアスは嬉しげに迎えいれたのだ。
「それで、そなたの願いとはなんだ?」
短気とまではいかないが、それなりに気の短いジュリアスは言葉を一切飾らず単刀直入に尋ねる。
「あのさ〜、ジュリアス。私があんたにチェスで勝ったら、何でも言うこと聞くって、どう?」
相手の出方を十分承知しているオリヴィエはやはり単刀直入に言い返す。
「私とチェスの勝負だと?」
いささかならず自分の腕に自信のあるジュリアスは相手の提案を訝しんだが、結局、いつにない気楽さからその話を飲んだ。
その結果は言わずもがなであるが、オリヴィエの勝利であった。
「チェックメイト」
ルージュで彩られた唇からその言葉を聞いた途端、ジュリアスはその場で固まってしまった。まさか自分が負けるなど思ってもみなかったのだ。だか、勝負に負けたことは動かし難い事実だったので、少々苦い表情ではあったが、きっぱりとした口調で告げたのだ。
「そなた、私に一体何をさせたいのだ?」
そして相手から語られた願いはあまりにも意表をついたものだった。
「あのね、ジュリアス、一度でいいから私にメイクさせてくれないかな?前々から思ってたんだ。あんたってばきっと化粧映えするって・・・」
ジュリアスの思考回路が真っ白になった。
「大丈夫、私の腕を信じなさいって!あんたを世界一綺麗にしたげるから、さ」
ちゃんと衣装も用意してあるんだ、と高らかに宣う夢の守護聖はご機嫌だった。
それとは対照的に顔を強ばらせるジュリアス。
(私が、化粧映えする、だと?)
未だかつて自分にそんな大胆なことを言った人物はいず、また、己の容貌がいかに秀麗であるかということにまるで無頓着であるジュリアスは、オリヴィエの考えが理解できない。
「今日はもう遅いからさ、明日にするわ。ちゃんとここに居てね。私、迎えにきてあげるから」
じゃあね〜と手を振り振り、オリヴィエは約束をとりつけるとさっさか退室してしまった。
一人残されたジュリアスはとんでもない約束を交わしてしまったことに頭を抱え込み、己の迂闊さを呪った。そして己の矜持を大いに傷つけてしまうが、生き恥をさらすよりは約束の不履行の方がましと、約束の反故を選び取ったのだった。しかしその結果は前述のとおりである。
◇
「・・・・・・」
クラヴィスに抱かれたまま、ジュリアスが何事か呟いた。
「うん、何だ?」
身体を微かに振るわせて呟かれた言葉が気になり、闇の守護聖は聞き返す。
「私は・・・・・・」
繰り返された言葉は小さく、うまく聞き取れない。
「何が言いたいのだ?ジュリアス」
「私は金輪際、オリヴィエとはチェスの勝負はしない」
今度ははっきり聞き取れたのだが、どうしてそんなことを言うのか、クラヴィスには一瞬理解できなかった。
「そうだ、私は二度とあれと何事も賭け事をしたりしない。光の守護聖の名にかけて誓う」
至極真面目な顔で宣告するジュリアスの容貌は輝くような美女そのもので、ぐっと握りしめられた拳が違和感を醸しだしていた。
一人固い決心をする光の守護聖の傍らで、闇の守護聖はやれやれと言いたげな重いため息をついた。
後日、炎の守護聖オスカーは聖地中を巡って件の美女二人を捜し求めたが、何処にもその姿を見つけることが出来ず、少々深酒をしてしまう日々が続いた。
その様子を見ていた光の守護聖は複雑な表情で飲酒を控えるよう忠告した。
闇の守護聖は相も変わらず薄暗い部屋の中で怠惰に日々を送っていた。
夢の守護聖は今日も嬉しそうに緑の守護聖を飾り立てて楽しんでいた。
聖地は今日も平和であった。
END
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