〜 アンジェリーク 〜
夢の守護聖オリヴィエは常になくうきうきとした表情で、首座を務める光の守護聖ジュリアスの執務室を訪れた。
「ジュ〜リ〜ア〜ス〜、約束、守ってね〜」
言いながら執務室の扉をバンと勢いよく開けたが、肝心の光の守護聖の姿はない。
「・・・・・・・・・・・・」
オリヴィエは片眉をあげた。
「私との約束を反故にしようなんて、甘いわよ!ジュリアス!!」
自分に気合いをいれようとでもいうのか、拳をがっと握りそう叫んだ。
◇
ピンヒールをかつかついわせながら、オリヴィエは『ジュリアスの腰巾着』炎の守護聖オスカーの姿を求め、庭園の方へ足をむけた。
聖地きってのプレイボーイ、オスカーが時間を見つけては庭園でナンパを繰り返していることは周知の事実なのだ。
案の定、オスカーは妙齢のご婦人を周囲に数人侍らせていた。
「はぁい、オスカー。ちょおっとあんたに聞きたいことがあるんだけど・・・」
そういいながらオリヴィエが近づいていくと、守護聖同士の語らい(?)に遠慮したのか、ご婦人たちはさっとその場から立ち去っていった。
「なっ!」
折角口説きかけていた相手が姿を消してしまったことにショックを受けたが、それでもすぐに立ち直ったオスカーは、邪魔をした人物を睨みつけ、
「何か用か?極楽鳥。今日も相変わらず派手だな」
嫌みな口調で言い放つ。
言われた当人はそれを鼻で笑い飛ばすと、
「ジュリアスがどこにいるのか、あんた知らない?私、約束、あるんだ〜」
“あんたは光の守護聖の追っかけか?”と思わずつっこみを入れたくなるくらい、ジュリアスの後をついて回っている人物に尋ねる。
ジュリアスの名前を聞いた途端、オスカーの態度がただのナンパ野郎から職務に忠実な守護聖へと様変わりした。それはもう見事なくらいの態度の変えようである。
「ジュリアス様か?俺もさっきから探しているんだが・・・・・・。あの方にしては珍しく、今日は朝から執務室にお姿をお見せになられておられないんだ」
何か重大なことが起こっているのではないかと、オスカーは心配げに呟く。
「・・・・・・・・・・・・逃げたわね。完璧に・・・」
オスカーの話を聞いたオリヴィエはぽそっとそう呟くと挨拶もそこそこに踵を返す。
(オスカーが探しても見つからないなんて、ジュリアスはきっとあそこに逃げ込んだのね)
「おい!オリヴィエ!」
オスカーの呼びかけを完璧に無視し、オリヴィエは闇の守護聖の私邸へと向かった。
「そこでまってらっしゃい、ジュリアス。約束は絶対に果たしてもらうからね〜」
◇
闇の守護聖の私邸。
館の主である闇の守護聖クラヴィスは、物憂げな表情で占い用のカードを1枚、また1枚とめくっていた。
特に何か具体的な占いをしているのではなく、心の赴くままにカードをめくっていたが、不意にその手が止まる。
「何か、やっかいごとが起こる・・・か」
ふっと苦笑を口許にたたえ、低く呟いた。そこへ、
「クラヴィス!」
突如として凛とした声が響き渡り、ノックもせずに部屋へ侵入してきた者がいた。
「クラヴィス!今日も執務室におらぬとは、職務怠慢だぞ!!」
クラヴィスにとってはすでに聞き慣れた叱責が続く。
「そういうお前はどうなのだ?ジュリアス」
いちいち対応するのも億劫だと言いたげに、クラヴィスは物憂げに呟く。
「うっ!」
やむを得ない事情から執務室に居られなくなってしまったジュリアスは、相手の言葉に素直に反応し、言葉に詰まった。
「今日は朝から執務室におらぬと、リュミエールが言っていたぞ?何故だ?」
珍しく言い淀んでしまった相手にさらに言葉を投げかけるクラヴィス。
相手の言葉にジュリアスは柳眉を逆立ててみせたが、自分の置かれている状況をうまく説明できず、無言を貫く。
「?」
苛烈という表現がしっくりくるほどに己の意見を明確に述べるのが常であるはずの人物がこうまで言われても反応を返してこないことに、クラヴィスは疑問を感じ、訪問者の顔を見遣る。
黒水晶の双眸と出会った途端、紺碧の双眸が思いきりそらされた。
クラヴィスは眉間にしわを寄せ、再度らしくない態度をとり続ける相手を怪訝に見つめたが、いつもならばまっすぐ人を見返してくる紺碧の双眸があらぬ方向へに注がれたままだった。
「いっ、一身上の都合だ!」
頬を紅潮させたジュリアスは頑是ない子供のように、ぴしゃっと告げる。
時々自分にだけ見せるそんな子供っぽい様子に、クラヴィスは自然に口許を綻ばせていた。
顔を合わせれば衝突の絶えない二人であっても、幼い頃からともにあっただけに、他の守護聖の前ではなかなか見せようとしないそんな一面が現れていた。
「ほお?では・・・何も聞かないでおこう。だが・・・・・・」
軽く含み笑いをしながらクラヴィスが言いかけた言葉に、ジュリアスは素早く反応し、
「だが、何だ?」
眉間にシワをよせる。
しかしそれ以上クラヴィスは何も言わず、ただ笑い続けていた。
眉間のシワをより深いものにし、ジュリアスが何か言おうと口を開きかけた途端、ドアをノックする音が響いた。
「何用だ?」
笑いを納め、クラヴィスはいつもの物憂げな口調で呟く。
ドアの向こうから控えめな声が新たな来訪者を告げた。
『夢の守護聖オリヴィエさまが、是非ともクラヴィス様にお目にかかりたいとのことでございます』
それを耳にした途端、ジュリアスの顔が面白いくらい引きつり、青ざめた。
ちらっとジュリアスの顔を見遣ったクラヴィスは、それに気づかぬ振りを装い来訪者をここへ招くよう告げた。
その対応に、勿論ジュリアスは慌てた。
「オリヴィエが来ても、私はここにいないということにしておいてくれ」
狼狽もあらわな早口でそう言い捨て、裾捌きも荒々しく、館の主の許可もとらずに隣室の、寝室へ続く扉を勝手に開けてそちらへ移動してしまった。
「・・・・・・。せわしのないことだ・・・な」
「はあい、クラヴィス。相変わらず暗い所が好きなんだね〜」
室内に漂う静寂を引き裂くような朗らかな声とともに、オリヴィエが入ってきた。
それを見たクラヴィスは軽く目を眇め、新たな来客を見つめた。
オリヴィエは挨拶もそこそこに切り上げると、周囲を見回してここにいるはずの光の守護聖の姿を探しだした。
「私に何か用ではないのか?」
一人取り残される形になったクラヴィスは静かに問う。オリヴィエの目的が自分ではなく、ジュリアスにあると知っていてそう尋ねるのだから、結構人が悪い。その証拠に黒水晶の双眸には愉しげな光が揺れている。
聡くそれに気づいたオリヴィエは目前の人物が事の成り行きをおおよそ把握していることを知り、意味ありげに相手の顔を見つめる。
クラヴィスはふっと口許を笑いに歪め、長い指で隣室を指し示し、あっさり告げる。
「ジュリアスならば、そちらに居る」
オリヴィエはその言葉に派手にウインクをしてみせ、物音をたてないように扉に近づくと思いきり引き開けた。
「なっ!」
狼狽も露わな声音とともに、光の守護聖ジュリアスは隣室からまろび出てきた。
どうやら扉越しにこちらの様子を窺っていたらしい。
「見ぃつけた〜」
オリヴィエはバランスを崩してよろめいているその身体を己の腕で抱き留め、支えてみせる。その口許に実に嬉しげな笑みをたたえ、己の腕のなかに飛び込んできたジュリアスを見つめる。
「約束は、約束よ。しっかり守って頂戴ね〜」
夢の守護聖に見つかってしまったジュリアスは、その腕のなかで顔を青ざめさせて硬直している。
ジュリアスにとって二人の間で交わされた約束はよっぽど不本意なものなのだろう。
それを見て取った闇の守護聖はそれでも何も言わず、二人を見遣っていた。
オリヴィエはジュリアスの顔をまじまじと見つめ、感嘆のため息を洩らし、
「ほっんと、何度見てもジュリアスってばお肌が綺麗よね〜」
男性が言われてもちっとも嬉しくない賛辞を口にする。
「これだったらファンデのノリよさそうだし、私、羨ましいわ〜」
自分の方が体格が良いのだからふりほどけないハズはないのだが、『蛇に睨まれた蛙』状態のジュリアスはそのまま腕のなかでおとなしく(?)している。
「ねえ、お肌が綺麗な秘訣って、何?私にもそれ、教えてくんないかな〜?」
実に真剣な口調で語りかけるが、何と答えて良いのか判らず、ジュリアスは困惑げにオリヴィエを見つめ返すしかなかった。
「そのようなこと、それに聞いても仕方なかろう?」
助け船のつもりか、クラヴィスは低く呟く。
「まっ、それもそうよね。お肌のお手入れに興味のあるジュリアスなんて、考えられないものね」
それなのにこんなにお肌綺麗なんて謎よね〜と、きゃははと甲高い声音で笑い飛ばすと、ジュリアスを一旦腕のなかから解放する。そして、
「どんな約束でも、約束は約束。きっちり守ってよ。今日のために私、一生懸命準備したんだからさ」
びしっと相手目前に指をつきつけ、強気の口調で宣言する。
ジュリアスは顔を引きつらせたまま、それでもしっかり頷いた。
「よかろう。守護聖の長たる我が名誉にかけて、約束は守る」
いつもに比べて声音に威厳が感じられないのは、凛とした態度をとれずにいるせいなのだろうか。
それでもジュリアスから確約を貰ったことには違いなく、オリヴィエは喜色満面になる。
顔を引きつらせたまま、ジュリアスは紺碧の双眸を何気なくクラヴィスへと向けた。すると、闇の守護聖は二人のやりとりを嘲笑を交えた瞳で見守っている、ようにジュリアスには思えた。
実際はいつもの通り、気怠げに、半分眠りに落ちかかりながら見つめているだけだった。
柳眉を逆立てたジュリアスは自分の陥った状況に闇の守護聖も巻き込もうと、一計を案じることにした。
「そう言えば、オリヴィエ、そなたはクラヴィスの分も準備を進めていると言っていたな?」
黒水晶の瞳が微かに見開かれる。
「この者もこうしてここに居ることであるし、丁度良い機会だ。私と一緒にそなたの所へ参るとしよう」
ジュリアスの意図に気づいたオリヴィエはうふふと笑いながら、
「今日のジュリアスってば、話がわかるじゃない!!私、とっても嬉しいわ〜」
成り行きを全然飲み込めていないクラヴィスの片手をがしっと掴む。
ジュリアスは反対側の腕をがっしり掴んだ。
「何をする!?」
二人に引きずられるようにして椅子から立ち上がるしかないクラヴィスは動揺も露わに叫んだ。
「何、そなたもたまにはリュミエール以外の守護聖と親睦を深めてもよかろう」
いかにも企んでいますと顔に大きく書きながら、ジュリアスは嬉しそうにそう宣告する。
光の守護聖と夢の守護聖に引きずられ、闇の守護聖は己の私邸を後にした。
三人が去った後。
先刻まで使用されていた占い用のカードがテーブルの上に放置されていた。
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