〜 アンジェリーク 〜

【歪み・1】

 

 その日、闇の守護聖クラヴィスは、彼にしては実に珍しく、光の守護聖ジュリアスの執務室へと足を運んだ。しかしこれは闇の守護聖自らの意志ではなく、女王補佐官の命によるものであり、多分、呼び出したのがジュリアス当人であったならば、クラヴィスは一笑に伏して聞かぬふりを決めこんだに違いなかった。

 『光』を司る者の執務室だけあって、大きく切り取られた窓外から差し込む光は目映いばかりで、闇の空間で過ごすことに慣れているクラヴィスの目には眩しい限りだった。
 眩しさを少しでも和らげようと、黒水晶の双眸をすっと眇める。それでも遠慮なく差し込む光に照らされて、漆黒とも見紛う瞳の色が本当は濃紫であることが光の下に暴きだされていた。
 部屋の主が招じ入れるのを待ちもせず、軽いノックの音とともに訪れた闇の守護聖をちらりと一瞥したジュリアスは一瞬鋭い光を双眸に宿したがすぐにそれを消し、現在処理中の書類片手に傍らの秘書官に二言三言指示をだす。
 クラヴィスはそれを気にした風もなく、衣擦れの音をさせながら窓際におかれている椅子へ歩み寄ると、勝手に腰をおろしてその瞳を閉じた。ジュリアスの仕事が一段落するまでの間、ここで昼寝でも決め込もうという心づもりだったのだ。
 視界の片隅で眠りに就いた闇の守護聖を見咎めたジュリアスの眉間にシワが寄る。なまじっか顔立ちが端正なだけにそんな表情をするとそれは恐ろしい感を周囲に与えてしまうのだが、当人は一向にそれに気づいていなかった。それでも仕事の手を休めることがないのはさすが職務に忠実な光の守護聖だった。
「それではこれを王立研究院まで、こちらは女王補佐官の許へ届けてくれ」
一通り執務をこなし終えたジュリアスは人払いをすると、改めて窓際で微睡んでいるであろうクラヴィスへと視線を注いだ。
「待たせたな」
それほど大きい声ではなかったが、眠りの淵にいたはずの闇の守護聖の双眸が開いた。
「終わったのか?」
眠りの余韻が漂う声音で言いながら、クラヴィスはゆっくりとのびをし、そして光の守護聖の方へ顔を向けた。
「大体は・・・な」
ここでクラヴィスはおやっと思った。いくら呼びだされたとはいえこうして惰眠を貪っていたのだ。説教好きの光の守護聖のこと、いつもならば職務怠慢だの何だのと小言のひとつでも繰りだしていておかしくない状況なのである。
 それがどうしたことか今回はなかった。
 クラヴィスがおよそ考えているであろう事柄を思いジュリアスは苦い顔つきになったが、それでも何も言わず脇に除けておいた王立研究院からの報告書を手に闇の守護聖の許へと歩んでいった。そして向かい合わせに置かれている椅子に自らも腰を下ろす。
「今朝方、これが王立研究院よりもたらされた」
ぱさっと乾いた音をたてて、小卓の上へ書類が置かれる。
 いつになく乱雑なその扱いに怪訝に眉をひそめながら、クラヴィスはそっと手に取り目を通す。
 王立研究院からの書類は、辺境に位置するある惑星に関しての報告書だった。

 その惑星は、科学文明が未だ発達しておらず、その技術力は空を飛ぶことの叶わない程度しか有さないため、恒星ランクGに位置づけされている星である。そのため、高度な技術力を誇る王立研究院が慎重に対応している星だった。
 また、惑星で暮らす人々は女王や守護聖といった存在をしかとは知らず、しかしながらその恩恵を宗教という形で表現している未だ幼い存在だった。

 女王の力の及ぶ宇宙には、数多の星々が存在し、それぞれに異なる文明文化を有している。そしてそれぞれに有する科学力にも大いに差があるのだった。
 惑星が到達している科学力の水準や住民の精神の熟成度によって、宇宙に数多ある星すべてはランクづけされており、女王府や王立研究院は細心の注意を払ってそのランクに応じた対応をしている。
 例えば、空を翔ることを夢想だにしない人々に、いきなり星々を渡る船など見せてしまうという、そんな愚行を犯すわけにはいかないのである。
 発展途上にある人々の心に思わぬ傷を生じさせてしまうかもしれない、そんなことをして良いはずはなく、また健やかに育っていくはずの生命の流れを僅かながらでも逸らしてしまうようなことをする権利があるはずもなかった。
 ちなみに宇宙航行用の高速艇を使用して堂々と惑星間を行き来でき、住民が女王や守護聖の存在をそのままに認識しているような惑星は恒星ランクC以上に位置づけされている。

 報告書にさして問題があるようには見えず、すぐに興味を失ったクラヴィスはそれを一切隠そうとせず気怠げに、
「この惑星がどうしたというのだ?」
特に不審な点は見あたらぬが、と口中で呟く。
 途端にジュリアスは眉間にシワを寄せて表情を強ばらせた。
 その様子に、クラヴィスは珍しく少々慌てて報告書に再度視線を落とす。だがやはり不審な点などどこにも見つけられなかった。
 物問いたげな視線を注がれ、光の守護聖はらしくない暗い表情を浮かべると重たげに口を開いた。
「昨夜、王立研究院からの緊急要請を受け、規定値の2倍以上の力を惑星に送ったのだ」
それが自分の信念に反した行いだったのだろう、告げる口調は苦い。
「そして、その報告書が今朝、届けられた」
瞬時にジュリアスの言わんとしていることを理解した闇の守護聖は目を瞠った。それが事実ならば、光の守護聖が口にした以上それは動かし難い事実なのだが、過剰に供給されたはずの『光』が一夜にして規定値にまで落ち込んでいることになる。
 それは本来ならばありえないことだった。
 クラヴィスはもう一度、今度はそれこそ舐めるように報告書に目を通し、ある事実に気づき嘆息した。ここ最近送った覚えなどまるでない『闇』が、この惑星には満ちているというのだ。報告書にあげられている数値がとりあえず規定値よりやや高め程度であったため、うっかり見落としてしまったらしい。
 つまりこの惑星は、何らかの原因により『光』と『闇』のバランスが大きく崩れているということになる。
 この異常事態の原因を解決しなければ、早晩、この惑星は滅びるだろう。しかし宇宙の安寧を第一に考える守護聖の立場上、それはできることならば阻止しなければならなかった。
 黒水晶の双眸をしっかり相手に注ぎ短く問うた。
「では、いつ赴くのだ?」
低いその声に、紺碧の瞳に強い光を宿したいつもの首座らしい顔を取り戻したジュリアスは、
「明日。女王補佐官が女王陛下の命を受け、次元回廊を開いてくれる手はずになっている」
遅刻などしたら許さぬと厳めしい表情で釘を刺す。
 クラヴィスは一転してらしくなった相手に苦笑を浮かべるしかなかった。
「特に何か特別な支度などいらぬのか?」
一切交流のない惑星に赴く以上、必要以上に目立つのは危険である。身なりを整えるということは、あまり違和感のでないように惑星の住民に溶けこむために大変重要なことであった。
 それを尋ねるクラヴィスに、ジュリアスは軽く頭を左右に振り、服装は平服で問題なさそうだからそなたは特にないと答えた。そして微かに眉間に皺を寄せて己の黄金に輝く髪を一房掬いとり、
「支度が必要なのは私の方だ」
惑星の住民は総じて髪の色が暗い色合いなのだと少々面倒くさそうに告げる。
「では、明日」
そんな子供っぽい仕草と言いぐさに、クラヴィスは含み笑いを洩らしつつ退室していった。

 

 
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