2005型 F650GS で走る道


ツーリングレポート001です。
概要
■日時:2005/8/11〜13
■往路8/11(木) 自宅 ⇒ 福井 (東名・名神・北陸自動車道) 
■往路走行距離 597km
■復路8/13(金) 福井 ⇒ 丸岡城 ⇒ 小松の日本自動車博物館 ⇒ 金沢(蕎麦屋 末野倉) ⇒刀利ダム ⇒ 福光 ⇒ 五箇山 ⇒ 白川郷 ⇒ 鳩谷ダム ⇒ 御母衣ダム ⇒ 壮川 ⇒ 高山 ⇒ 平湯温泉 ⇒ 安房峠道路(安房トンネル) ⇒ 奈川渡ダム ⇒ 松本から長野自動車道 ⇒ 中央自動車道 ⇒ 首都高 ⇒ 自宅 
■復路走行距離 624km
■全走行距離 1,221km
■消費ガソリン量 39.33L
■燃料消費率 31km/L

■ガソリン(レギュラー)価格比較  
  価格1  136円  エネ○ス波田給油所−長野県東筑摩郡波田町
  価格2  132円  J○なんと かみたいらSS−富山県東砺波郡上平村
  価格3  131円  (有)○栄石油 せせらぎ清見−岐阜県高山市

  価格4  125円  高速道各SA
        [下り方面−東名海老名SS・東名牧之原SS・内津峠PA北陸道賤ヶ岳SA]
        [上り方面−中央道双葉SA]
  価格5  124円  ○栄石油潟jュー浦安SS−千葉県浦安市 
前段−1
■ライダーズファッション?!

 BMのR1150RTで走り回っていた時ですが、一般道は兎も角も高速道路をそれなりの高速度域で巡航している際には、仮に転倒でもしたらどうなるか・・・なんて事をやっぱり考えてしまいました。

 元々考えていない訳ではありませんでしたが、転倒の際や事故時のダメージ軽減の対策を具体的に何かやらないと危ないなと思ったのは、R1150RTでの高速移動がきっかけだったのは正直なところです。

 最近のバイクウェアにはソフトパッドが標準の物が増えていますが、自分はプロテクトを直接身に付ける物を選びました。 これは元々オフロードの世界ではあるもので、それをオフロード以外にも使えるようにした物です。 作りはかなりしっかりしています。 (まるで鎧ですが(笑)、事故時のダメージ軽減を最優先にした結果です。)

 物としてはホンダ製です。 以前はWebカタログに在りましたが、先日探してみたところ、既にカタログ落ちとなっていました。 

背面です。
背骨がしっかり守られます。

前面です。
胸面も守られています。
 
 このプロテクターの上に商品名HITAIRと言われる身に付けるエアーバッグを羽織ります。
チョッキタイプです。

写真は前面です。

 直接肌に付けるのは、最近身近になりつつある速乾性の繊維を使ったTシャツです。 ユニクロで買いました。 真夏に着てもべたつく事無く、走ればサラサラで、安いし、これで充分です。
出先でも気軽に洗えてすぐ乾くし、使う分には重宝してます。

 上半身に身に付けるのは、これだけです。 連日35度を越す夏のシーズンはこれで十分でした。 

 最初は着る自分自身が非常に恥ずかしいのですが、街の視線は、バイク乗りの格好なんだろう・・・てな感じで、誰も気に留める人は居ません。 ま、考えてみればそうです(笑)。


 プロテクターですが、一度身に付けると、その安心感がメンタル的な部分で効果が大きく、今は手放せなくなりました。

 ヘルメットを1個新調してみました。 自分はARAIかSHOUEIをずっと長く使って来ましたが、今回は考えを変えて、安いものを短いインターバルで使ってみようかと思い、ワイズギヤのヘルメットを買ってみました。 これが良ければ、今後もそうして行こうかという考えです。




 ヘルメットは全てジェットヘルタイプを使っています。

 左側のシルバーは既に3年以上になるので、そろそろ引退です。

 真ん中の黄色はARAIのクラシックモデルです。 クラシックモデルと言っても、以前はこれが普通でしたが(笑)。

 色を黄色にしたのは以前乗っていたXLH883のモデルカラーは黄色が一番と合うと思っていたからでした。 もっとも自分が購入したモデルイヤーには黄色の設定が無く、仕方なく赤にしましたががっかりしたものです。

 手前の白いヘルメットがワイズギヤのメットです。 生産国はKOREAとなっていました。

 機能的には今の季節柄でも被って暑苦しさは感ぜず、走っている分には写真に写っているARAIより快適です。この辺は後から世に出た方に分があります。

 品質、被り心地はARAIの方に分があります。 しかし、これでも別にいいかなと思わせる程度の品質は保持しています。

 普段はこんな事する柄ではありませんが、暑い夏対策の為に初めてバンダナを頭に巻いてからヘルメットを被ってみました。 これが中々の優れものです。 バイク用品店や日曜大工店には頭に被る暑さ対策グッズが結構売っていたので、バンダナでも充分代用になるんではないかと思った次第で、早速やってみたところ中々良い按配です。

 バンダナは一見、気軽なおしゃれにも見えますし、蒸れも多少軽減されるし、ヘルメットに汗がべと付かずで、中々にお勧めです。 少し大袈裟ですが、何で今迄やらなかったかなあって、少し損した気分になりました(笑)。

 写真では腰の無い生地の様にも見えますが、中々どうして、本物はかなりしっかりした生地で出来たバンダナです。

 

 以上に紹介したウェアを纏い、今回のツーリングをスタートさせました。

                                        2005/8/20記
前段−2
■2005/8/11(木)

 準備は休みの日の空いた時間を使ってやっていました。 殊更大袈裟に準備する物など特にはありませんでしたが、どこに泊まる羽目になってもいいような気持ちで居られる様にテント・シュラフ・シートはセットで用意してました。 他には盗難抑止道具も入れました。 8/12は仕事でしたので、仕事道具一式も詰め込みました。

 荷物満載ですが、その重さ故、乗り味が空荷状態で乗ってる時よりもずっとしっとりした感じで、中々好ましい乗り心地です。

 出発したのは8/11の昼過ぎで、国道357号線を走り始めましたが、荒川を渡る手前で早速渋滞でした。 尤も脇を併走する首都高も流れが悪いので、そのままちんたら進む事にしました。 警視庁武道館を過ぎてから国道357号に併走している脇道に入り、そのままお台場を抜け、第二航路海底臨海トンネルを通過して、羽田飛行場迄渋滞に遭う事も無く進み、そこから首都高湾岸線に乗りました。 ここ迄来れば、首都高もスイスイ流れています。 この後はそのまま横浜ベイブリッジ・狩場IC・保土ヶ谷バイパス経由で東名へは横浜町田ICから乗りました。

 この日は福井へ無事に到着する事だけが目的でしたので、そのまま東名・名神と進んで行きました。 夏休みシーズン、既にレジャーモービルの移動も始まっていた様で、かなりの交通量で所々まだら渋滞になりながらもそれなりに流れていました。

 流れの比較的速い追い越し車線側走行時で、トップギヤでおよそ4,000回転程で流れに乗っていました。 このバイクの場合、4,000回転回っていると、そのままアクセル開けるだけで、力強く加速します。 ギヤを一段落とす必要は全くありません。 速度にして丁度100キロ程ですが、流れに合っている事もあり、とても乗り易く、快適だし、パワーの出方が実にいい感じです。 

 しかし、バイクは絶好調でも、静岡県に入った辺りから、尻の痛さがじわりじわりと気になり始め、連続2時間以上走っていられなくなっていました。 その辺から、SAには2回に一回は停まる羽目になっていました。 これは到着する迄、その後もずっと続きました。 痛くなる原因の大きな理由は、シート自体が若干前下がりに傾いているからだと思います。 

 今回は名古屋の手前の豊田JCTから新しく開通した東海環状自動車道へ入り、そのまま東海北陸自動車道経由で白鳥西ICから九頭竜湖経由で福井入りしようと、早速実行してみました。 時間に余裕があれば、郡上一揆で有名な郡上市にも立ち寄ってみたいなと当初は思ってたりしていました。

 豊田JCTには午後7時前頃通過でしたが、それ迄晴れてはいないものの、雨にも降られずにここ迄ずっと来てましたが、その辺は厚い雲に覆われ始め、既にかなり暗く感じる状況でした。 

 東海環状自動車道は開通して間もない事もあり、交通量は殆ど無いに等しい状態で、尚且つ照明が無い為、まさに真っ暗闇を光量乏しいバイクのライト一個で走っていました。 昼間走ったら恐らく快適かと思うのですが、はっきり見えない中を2輪の制限速度である100キロで走るのは、かなり怖い状況です。 それ迄東名高速では、まだら渋滞以外は流れに乗って概ね100〜120キロで走行していましたが、ここでは、いつの間にか無意識の内に回転計で3000回転程、およそ80キロ程で走っていました。 

 長めのトンネルを何本か通過したのですが、その中だけは至極快適でした。 恐らく設計が新しいせいなのかと思うのですが、思いの他明るく、例の高速道路のトンネルに多いオレンジ色の明かりではなく、白色ライトでトンネル全体が隅々迄良く見える環境だからです。 そんな快適なトンネルの中を抜けると、再び闇の中です。
 
 更に暗闇の中を進んで行きます。 向かう前方では雲の中で光る雷がカメラのフラッシュの如く、時たま鈍く光ります。 やや遅れて雷鳴も遠くに聞こえて来ます。 途中誰も居ないSAで一休みしましたが、設備だけ新しくて綺麗でしたが、人の気配が感じられないそこは、何とも不気味でした。 もうこの時点で夜の九頭竜湖を経由して福井入りする意志はどこかへ飛んで行ってしまいました(笑)。 今から方向転換だと、かなりの回り道をしてしまう事になりますが、雷鳴轟いている方向には向かいたくはありません。

 今度は東海北陸自動車を美濃関JCTから名古屋方面へ向け逆戻りです(笑)。 交通量はぐっと増え、それだけでも安心感は随分違うものです(笑)。 ここも道路照明はありませんでしたが、前を行く車が前方を明るく照らしてくれるので、暗くても後をトレースして行けば、変な方向へは行きません。 又、後続の車が路面を照らしてくれるので、これまたぐんと走り易く感じます。 こんな部分から自分は目から如何に多くの情報を得ながらバイクを走らせているのかが解ります。

 その後は名神を米原JCTから北陸自動車道へ入り、後は只ひたすら福井向け北上しました。 ここも交通量はかなり少な目です。自分の前後に車のライトは殆ど見えません。 途中SAでは愛知地球博帰りの団体さんと思しき大勢の方々がバス数台でごった返していました。 しかし、再び高速道路に戻ると交通量の少ない北陸自動車道を一人寂しく走っていました。 この落差の激しさが何とも奇妙な感じでした。

 途中、杉津PAで休みましたが、何気に遠くを見やると昼間だったらかなり眺めが良さそうな場所だと気が付きました。 夜でさえ、眼下に遠く光る街灯らしきものが中々に綺麗で、良さそうな雰囲気が推測出来ます。

 福井市の手前では、まさに夏の土砂降りに遭いました。 北陸道へ入ってからは、パラパラ程度の雨は何度かありましたが、それはまさに本格的な土砂降り状態でした。

 浦安を出る際に聞いておいた全国天気予報では、この週末(8/12・13・14)は北陸地方の大気が不安定である事を伝えていましたが、とうとうここで本降りに遭遇でした(笑)。

 時刻は午後9時40分でしたが、それでも電光掲示板の気温が30度近く指していた気温だった事もあり、却ってその雨の為に涼しくなって気持ち良く、首筋に雨粒が当って痛いのですが、そのまま止まりもせずに福井IC迄走りました。 福井ICを出た頃にはすっかり雨は上がり、既に路面は乾き始めている状況で、宿に到着した頃の路面状況は随分前に少し降ったかなっていう感じでした。

 ここ迄の道中、思ったよりもツーリングライダーは少なく、SAでも東名ではそこそこ見掛けましたが、東海環状自動車道では皆無、北陸自動車道では杉津PAで1台見掛けた程度でした。

 画像が1枚も無いので、こんな展開になり、前段というサブタイトルにさせて頂きました。 この後も時間を見つけ出して書いて行きますので、是非ご覧になって下さるようお願い致します。m(_ _)m 

                                        2005/8/17記
福井から浦安へ向けて
■2005/8/13(土)

 8/12(金)は少し夜遅くなりましたが、無事仕事を終え、明日に備えすぐ様就寝です。 8/13は宿の朝食をしっかり食べ、出発の準備です。 空模様が芳しくありません。 天気予報では、行きたかった若狭湾方面には大雨警報が出たままで、既にその日の早朝にかなりの量が降り、とても安全に走れる状況では無い事を伝えています。 

 あちこちのTVチャンネルで色々な天気予報を1時間ほど掛けて見ていましたが、どうもここ2、3日は大気の不安定という事で、北陸地方ばかりでなく、甲信越も東海地方の一部も、果ては戻ろうとしている関東地方も所により激しく雨が降る所もあるという予報です。 しかし、雨が降っていない所を縫って進めば、ある程度の所迄は濡れずに行けそうです。 

 出した結論は、行きたかった若狭湾方面は今回諦めて、福井からある程度雲の薄い石川県方面へ北上した後に東方向へ進み、どこかで中央高速へ乗り、様子を見ながらではありますが、帰れるようであれば、そのまま一気に帰ってしまおうというものでした。

 コースを概ね決めたらあとはせっせと準備するだけです。 仕事道具は邪魔になるので、宿から宅配便で自宅へ送付です。 駐輪場へ向かうと、大阪ナンバーのオフロードバイクが3台、並んで停まっていました。 恐らくツーリングかと思います。 

 福井の空もはっきりしませんが、雨は幸いにも未だ降って来ていません。 若狭湾方面の空は真っ黒で、そちらへ向かえば、すぐ様雨の中に突入しそうな気配です。早速雲の切れ間が未だ少し見える北へ向け出発です。 

                                        2005/8/19記
丸岡城
 今回の旅はここから始めました。

 福井の宿から地方道を通って向かいました。 最初は丸岡城の場所が判らず、近くを通過したにも関わらず分らないまま通過してしまい、随分町から離れ、周りに遮る物が無くなってから見つけた次第でした(笑)。

 ここは一筆啓上でも有名な処です。

 丸岡城は別名霞ケ城とも言い、公園の名前が霞ケ城公園となっています。 この写真では真ん中にかすかに天守が見えます。

 幹線道路でない地方道を走り抜けているせいか、ツーリングライダーには全く遇いません。 極々普通の街の生活の中をバイクで通り抜けていってる感じです。 映画鑑賞に例えると、スクリーンが通り抜ける街の風景そのものだとすると、ライダーの自分はその観客です。 この街を走りながらそんな気になる一瞬がありました。 こういった感覚で知らない街を走るのも又面白いものです。

                                    2005/8/19記
                                    2005/8/23追記
日本自動車博物館
 更に北上を続けました。 福井県内は所々今にも降り出しそうな曇天でしたが、石川県地方は雲間から所々日が差し始めつつありました。 

 今度は国道8号線です。 道は空いていました。 かなり快適で走り易く、適度にカーブもあって、信号も少なく、中々にお気に入り道路です。 

 金沢市近くになると道路がかなり良く整備されていて、更に走り易さに拍車を掛けます。 

 ここでもツーリングライダーと思しきバイク乗りには全く遭遇しません。 いい道路ですが、ツーリングコースとかではないんでしょうか? 走る季節や時間がずれているんでしょうかね?

 そんな中、日本自動車博物館の看板と博物館がすぐ見える処を通過しました。 どんなもんかいなと行き過ぎてから一旦戻り、様子を伺いに写真だけパチリです(笑)。 開場が朝9時からと随分早いサービスでした。 建物は大きいし、駐車場は広いしで、規模は随分大きい部類です。
 

                                    2005/8/19記 
金沢市末町
 金沢市街地は渋滞してます。 抜け道とか知らないし、ナビも付いている訳ではないので、バイクの機動性を生かして全て直感で走り抜けました。 

 高いトコ低いトコ、川沿いなんかを走っていたら、蕎麦屋(末野倉)さんを見つけて、早速、ざる一枚です。 時間は11時を回った辺りでしたが、早目の昼前にしました。 店構えは小さいのですが、中は広くて柱などが太く、見るものを圧倒させます。 昔の農機具なども飾ってあったりしました。 

 味は、美味しい蕎麦でした。

 この時点では、雨は大丈夫そうでしたので、方向的にはそろそろ東に向かそうと考え、地図を見ながら、ここから山越えして、近道で五箇山へ抜けようと考えました。

 ここで、道を色々聞きました。 未だ昼前で空いてたせいか、丁寧に3人の意見を纏めて頂きました。 お陰で迷わず行けました。

 蕎麦屋さんを出て、教えられた通りに道を進むと眺めが良い所に出ましたので、すかさず1枚パチリです。 写真にしてしまうと大した事無いですが、バイクで走っていて目の前が広がる開放感は気分がいいもんです。 

 この後は、山越えの為、途中湯涌温泉をかすりながら刀利ダム向け進みました。 温泉に入って行こうかなあ・・・なんて思いながらも、以前真夏のツーリング途中に温泉に入ったら、意外と疲れてしまって、その後未だ長距離走るのに結構大変な思いをした事があったので、今回はパスしておきました。
(後で調べてみたら、やはり体には良くないとの事。)

 大して天気も良い訳ではないこの日は、山の方へ向かう先の空は怪しく曇っています。

 この辺では裏道ばかり通っているせいもあってか、尚更バイク乗りとは遇いません。 この道路もバイク乗りだったら、走るにいい道路なのになあ・・・と勝手な事を思いながらバイクを更に進めます。

                                    2005/8/19記
刀利ダム
 走った道路は気分のいい道路でした。 浅野川という川と一緒に上流へ向かいました。 下流はこんな感じのようです。

 湯涌温泉へ向かうには行き止まりの道路を進みますが、自分はそちらへは行かずにそのまま直進です。 

 いい感じの山道を更に登って行きます。 交通量は殆どありません。 やがて下りになり、石川県から富山県へ入ると路面状況が良くなりました。 こういった違いは県の予算や考え方が見えて、第三者から見ると、少し面白く感じる部分です。 

 県境からやや行くと目の前が突然開けて、この様な広場に出くわしました。 刀利ダムを丁度見下ろす見晴台です。

 ここで、本日初めてバイク乗りとすれ違いました。 随分遠くからオフロードモデル風の甲高いエンジン音が響き渡って聞こえて来ていました。 やや暫くしてかなり速いペースで、今自分がやって来た道方向へ走り抜けて行きました。 

 バイクを停めて何枚かの写真を撮り終えた頃、蜂が自分やバイクに纏わり付くのに気が付きました。 バイクを停めた時には、蜂の気配など全くありませんでしたが、いつの間に!・・・といった感じでした。

 蜂が刺そうという意思を持っているのが判ります。 多分蜂の領域に入ってしまったんだと思います。 その場をすぐ様走り去りたいのですが、バイクの周りには蜂がたかっていて近付けないし、自分へは顔をめがけて纏わり付いてきます。 何度かバイクの傍へ近づこうとやってみるのですが、その度に蜂が自分目掛けてブーンと寄って来ます。

 それでも意を決して、蜂が纏わり付いているバイクに近づき、シートにそのままにしていたヘルメットとグローブを手に取り、蜂が潜んでいない事を確認してから、急いでその場を離れます。 勿論蜂は追い掛けて来ます。 

 数十メートル離れた所でやっとヘルメットを被りグローブを手にはめます。 蜂の様子を伺いながら、バイクに近づこうとしますが、蜂がバイクに近付けようとさせません。 もうこうなったら持久戦です。 暫く、離れた所に居てそのままでじっとしていました。 頃合を見計り、ダッシュでバイクに跨り、すぐ様エンジン掛けて、その場からの脱出を試みました。 気付いた蜂はさっと追い掛けて来ました。 片手で追い払いながらもうその場を一目散で離れました。 

 人里離れた薬もすぐ手に入らない様な場所で、複数の蜂に刺されたらダメージが大きいのは経験で解っていましたから、こちらも必死でした。

 そのままそこを下ると、いよいよダムです。 下の写真は走って来た道を振り返って撮った写真です。 この反対側がダムです。 もうここ迄は蜂も追い掛けて来ません。


 空模様は相変らずです。

 ダムの上が道路になっています。 そこから五箇山向け、更に山の中を進みます。 車1台ほどの幅の隋道を抜けます。 中は照明も無く、真っ暗だし路面は濡れているし、早く通り過ぎたい所です。 ここで、最初のこの先通過不可の看板が立て掛けられていました。
 そのまま構わず進みました。 暫く行くと、又隧道です。 ここも照明は無く出口の光も全く見えません。今度は先程の短いものではなく、かなり長く、地図では直進なのですが、現場ではカーブもあり、路面は濡れているどころか、水溜りになっているしで、怖いのなんのって・・・。 人の気配の無い山の中ではとても不気味でした。

 更に進むと、道路脇の少し広い所に車が1台停まっていて、車内でドライバーが焦った様子で手を動かしていました。 蜂が車内に入ってしまった様子です。 又蜂です。

 そこには、これで二度目になるこの先通行不可の看板がありましたが、道路管理状況はさほど悪くはなく、道幅も狭くないし、舗装もされていたので、前へ進んで行きました。 しかし、数キロ進んで引き返しました。 先の大雨による影響からか、その辺り迄進んだ処、道路には流されて来た雑草の類や木っ端や木の枝迄もがそのまま放置された状態で、とても走れる道路状況ではなく、何よりこの先はやばそうだなという直感から戻りました。
 
 先程の車が停まって居た所迄戻るとそこには既に車は無く、蜂からは逃れる事が出来たようです。 

 そこには小学校分校跡地の碑が立っており、恐らくダムに沈んだ集落とかがあったのかなとバイクを停め、佇んでいたところ、蜂が急に湧いて来て、バイクの周りに纏わり付き始めました。 熱に反応するのか、光に反応するのか判りませんが、兎に角蜂がブンブンといった状態です。 先の自動車もこういった感じで窓開けて休んでいた所に蜂攻撃に遇ったのだと思われます。

 写真を撮るのにいい雰囲気だったのですが、もう、速攻状態でその場を離れました。 暫く行くと先程の車が前を走っていましたが、その車の周りを蜂が纏わり付きながら一緒に移動しているのには蜂の執念みたいなものを感じてしまいました。

 ここから五箇山への山超えは断念せざるを得ませんでしたので、地図を開き、福光という街を経由しての五箇山へ向かう事にしました。


                                2005/8/20記
福光
 刀利ダから福光市街方面は道幅はさほど広くはないもののずっと快適な下り道です。 暫く下ると目の前が開けました。 ここでも1枚パチリです。 バイクは福光市街地方向を向いています。
 この後も更に下り道が続きましたが、やがて平地に出ました。 回りは田んぼです。 

 五箇山の文字が入っている案内板がありましたので記念に2枚も撮りました(笑)。
 福光の市街地を離れ、五箇山へ向かおうとしていますが、周辺の様子はこんな感じです。 走り易い道が続きます。 この写真の前方左側は黒い雲が立ち込めていました。

                                2005/8/21記
五箇山
 丁度雨が上がったところに越中五箇山菅沼集落へ着きました。 

 福光から五箇山トンネルを抜けると日が差していて、路面状況が、少し前迄雨が降っていて、今乾き始めているといった事を伝えています。
 この写真の道路は越中五箇山菅沼集落を見下ろす国道156号沿いを自分が福光から辿って来た方向を振り返って撮ったものです。 写真の先は小原ダムです。 歩道には濡れた後が多少未だ残っているのが判りますか?

越中五箇山菅沼集落です。


この静止画像をクリックすると動画像を読み込みます。
[初めて動画像をご覧になる際には、ここよりソフトをダウンロードして下さいm(_ _)m]

 その歩道からそのまま体を左へ向けると眼下にこのような情景が見下ろせます。 TVや写真では幾度となく見ましたが、本物は初めてでした。 まるでミニチュアでも見ているかの様な感じです。

 この静止画像をクリックすると動画像ファイルを読み込みます。 集落に向けて画面を動かしていますが、蝉の声や通過する自動車の音や集落を歩いている観光客の笑い声も微かに収録出来ていて、如何にも夏のレジャーシーズンの感じが伝わるかと思います。 (属性:WMV)

(ちなみにバイクを降りて撮影しています。))


 その場を離れ、いよいよ期待の白川郷へ向かいます。 すぐ様五箇山ICの橋脚の間を縫って国道156号をそのまま進みます。 本当に山深い道です。 高速道路が出来なければ気軽に来れない事は確かです。 現地に来るとそういった事が実感出来ます。

 新屋という所を過ぎると刀利ダム方面に行く道路分岐がありました。 途中で断念した道がここへ出るのだなと一人で納得していました(笑)。
 上平の道の駅だったか、そこが茅葺の屋根だった事もあって、ちょっと立ち寄り撮った写真が上の2枚です。 この茅葺の屋根の中にあるお店で菓子土産をゲット。 

 反対側を見ると結構な高さの所を高速道が通っています。 こうして写真で見ると、なんてことない高さですが、現地で見ると「お〜!」という程度の驚きはあったのですが・・・(笑)。

 さて、期待しながら到着した白川郷でしたが、車も人も多く、民間駐車場へ入る車や車道迄はみ出して歩く観光客などで道路はもうごちゃごちゃっていう感じでした。 後でじっくり見に来ればいいのでしょうが、千葉からはそうそう気軽に来れる所ではないので、もう多分来て見る事もないでしょうね。

 白川郷からは国道360号を通過して高山へ抜けようなんて地図見ながら考えていましたが、やはり昨今の大雨被害の為か、途中で通行止めの看板が出ていました。 行けるかもと言う事で、途中まで行きましたが、結構厳しい状況でしたので戻りました。

 国道156号を壮川という所迄南下して、そこから国道158号で高山へ向かう事にしました。

 この界隈では、いきなりバイクがあちこちから湧いて来た感じで、双方向ともバイクが走ってました。 

                                2005/8/22記
御母衣湖
 観光シーズンの季節柄、人や車が多過ぎて、自分が勝手に思い描いていた世界遺産の情景からは程遠かった白川郷を後にして走る国道156号線は走り易く、しかも10キロ以上はずっと視野に入って来る御母衣湖のレイクサイドを走る大変に美しい湖岸道路です。 

 南下しているので、左手に見えるし、午後だった事もあって太陽が順光で湖に当るので、その美しさが更に際立つ印象で、綺麗な色した湖でした。 

 この国道156号線の御母衣湖沿いでは、多数の大型バイクのツーリンググループに遭遇しました。 ここで、自分と同じバイクの色違いライダーとすれ違い、勝手な親しみ込めて、思わず大きく手を振り挨拶しました。 こちらから挨拶する、相手からピースサインを貰う。 たった数秒にも満たない一瞬ですが、それでも元気付けられるバイク乗りだけの特権です。 

 カーブでも手を振って来る剛の者のライダーには、自分はハンドルから手を離せないので、会釈で応えます。 

 ここではチャリダーからも挨拶を貰いました。 北海道へ行くと2輪の場合、バイクもチャリダーもお互い挨拶しますが、内地では普通中々そんな事するチャリダーもライダーも少ないですが、その瞬間そこだけ、北海道してました(笑)。

 (ちなみにここから高山過ぎて安房トンネルを過ぎ松本の手前迄は快晴に恵まれました。)

御母衣湖です。


この静止画像をクリックすると動画像を読み込みます。
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                                2005/8/22記
                                2005/8/25動画像Link追加しました。
荘川から高山へ、そして松本へ
 荘川から国道156号線に別れを告げて、高山向けに今度は国道158号線を走ります。 ここも快適道路です。 交通量が少なく良く整備されています。 途中から東海北陸自動車道と並走する箇所があります。 
 この写真のすぐ左側は東海北陸自動車道です。 飛騨清見IC迄開通しています。 飛騨清見ICと白川郷が開通すれば富山から愛知迄高速のみで行き来できます。 ついでに言えば、中部縦貫道も飛騨清見ICから一部国道158号線として供用されているようです。 これは帰ってから地図を見て判りました(笑)。 自分は既存の158号線を何も知らずに走って、そのまま午後3時40分に高山市街のコンビニに入りました。 

 この日の昼食は金沢で正午前早くに蕎麦のみだったので、小腹が減り、サンドイッチとスポーツドリンクのH2Oをそのコンビニで買って、ついでに松本迄のルートを聞いて確認しました。 

 道路案内板が立っているのは幹線道路が主なので、知らない街で渋滞外しの為に脇道などに入ると、後はもう自分の勘が便りです。 勿論地図も活用しますが、そこまで細かく載っていません。 このバイクにしてからですが、比較的どこでも気軽に入って行けますし、目に新鮮な知らない所を走るのは元より好きなので、以前より横道ツーが増えました(笑)。 これが意外と面白いんです。 そんな道を通る時には、馴染みの無い土地を訪れているのに関わらず、あたかもその土地に暮らす人々の目線で、その風景を眺めたりしてる自分になったりします。

 高山市街地では、グループツーリングの面々の間に挟まったり、反対車線を大勢で走り抜けるツーリングバイク部隊と何度かすれ違いました。 

 高山は30年以上前の当時学生時代に電車で来た事があります。 どういうルートで行ったかはもう忘れていました。 囲炉裏のある民宿に泊まりました。 囲炉裏を囲んで食べた朝食の際にネクタイしたサラリーマン二人が、宿泊費が安いので民宿に泊まったと話していましたが、そんな話を聞きながら、そんなもんかあなんて当時思った事を、これを書きながら想い出しました。

 その後も社会人になって数年後に当時のバイクYAMAHA TX650という茶色のいい雰囲気のバイクでCB750の相棒二人で高山迄足を伸ばした事がありました。 道路事情は当時と今とでは隔世の感です。

 高山市街地を抜けてからも、緩い上り勾配の走り易い道路が続く国道158号線です。 既に前後にバイクの影は見当たらなくなっていました。 

 時間的には丁度この辺で、今日のお宿はどうしようかなと考え始めた所でした。 キャンプ場でテントを張れば、明日の朝早く、気持ちのいい早朝の中を帰れるし、汗だらけの体を温泉入って汗流せるし、冷たいビールもすぐに飲めるなあ、どうしようかなと真面目に考えてました。 

 山間である事もあってか、道路脇に立っている電光温度計が20度を表示していたのを見た時は、「おお、涼しくていいや!」なんて思いましたが、日が差している時でさえ20度だとすると朝晩は結構冷えるかも知れないなとも考え、もう少し下界に下がってから考えようと決めました。

 そのまま調子良く走って行くと、いきなりといった感じで、平湯ICが現れました。 信号待って右折です。 先に600円を払います。 人が受け取ってくれました。 渋滞とかはなく、ガラガラ状態です。 安房峠道路です。 二つ目のトンネルが4キロもの長いトンネルです。 この辺から道路は下りになりました。 トンネルの中も緩い下り坂です。
 その長い下り坂トンネルを抜けると、「おや!?」といった感じで、かすかに見覚えるのある風景に出くわしました。 そそくさとバイクを停めて写真を1枚パチリです。 

 25年以上前にそのYAMAHA TX650でCB750と高山向けてツーリング行った際に、ここから上高地の大正池迄足を伸ばしました。 その日は快晴で、綺麗な色した大正池の印象が今でもかすかに目蓋に残っています。 当時は自然環境へ対する配慮が今程厳しくはなく、個人の車でも入って行く事が出来た時代でした。

 当時は道幅が狭くバスが通ると中々すれ違いが困難で、バイクを優先に通してもらった記憶があるのですが、恐らく安房峠のくねくね道だったのかも知れません。
 更に158号線を進みます。 道は尚も下り続け、降下し続けます。 バイクは自分だけで、前後は4輪です。 道路は隋道と言う名のトンネルのオンパレードです。 この写真ですが、時刻は夕方5時過ぎ位かと思いますが、周囲は既に夕暮れ時の薄暗さになって来ていました。 山間は暗くなるのが早いです。 そんな1枚です。

 その後、松本市街地に入る前に給油をしました。 午後6時位だったと思います。 山間部を抜けて平坦な松本市街地でも既に周りは薄暗くなって来ていて、進もうとしている方向は、厚い雲に覆われているのが、暗い中にもはっきり判ります。 給油して少し走るとパラパラとしっかりした大粒の雨が降り出して来ました。 丁度右に線路が並走している辺りからです。 

 ここ迄来てしまうと、テントを立てるには既に暗過ぎるし、松本ICから高速乗れば、後はそのままで2〜3時間もすれば家の風呂でくつろいでいる事を思うと、結論は言わずもがな状態です。 

 今朝から既に一日中走っている事もあり、少ししんどい部分もありましたが、このまま真っ直ぐ自宅迄帰る事にしました。

 そんな訳で雨降る中、松本ICから高速道路に乗りました。 

 もう、ここからは写真がありません。 その後も五月雨式に"降っては止み”の繰り返しだったので、生活防水でない、我がカメラでは、写真を撮りたくても、故障してしまう事を懸念して、撮れませんでした。 しかし、夏時期の雨は1時間も2時間も降り続かないので他の季節の雨より未だいいです。 せいぜい10分15分程度降れば又すぐ止みますから。


                                2005/8/22記
松本から長野自動車道 ⇒ 中央自動車道 ⇒ 首都高 ⇒ 自宅へと走ります。 
 雨の中、暗くなってから走る長野自動車道も照明はなく、修行僧の境地!?で淡々と走ります。 こういった時はトンネルの中を走る方が雨は降って来ないし、明るいしで、二重丸(笑)。

 長いトンネルを抜けるなどをした後に中央自動車道に入って諏訪湖が左側に見えて来ます。 そこは既に雨が上がった後で、遠くに夜景が綺麗ですが、脇見運転している余裕は全くありません。 緩い下り坂ですが、大きく蛇行している道路の為によそ見してたら変な方向に行ってしまいそうだからです。

 甲府盆地になると高速道路は平地を走り、街の明かりもずっと明るく、人が沢山暮らす感触が、何やらほっとさせます。 

 高速道路で長時間乗り続けると尻が痛くなるのは相変らずなので、SAの2回に1回は休みますが、SAに入ってもバイク乗りには全く遇いません。

 昼にバイクで走る分には変化があって面白い高速道路のクネクネ道ですが、暗い夜に走るクネクネ道は神経使って疲れるだけの道路です。 そんな訳で、自分は夜に走る大月JCT以東は嫌いです(笑)。

 八王子ICに近づき、やれやれもう少しと思い始めた頃に突然、今迄の雨量を大幅に上回る雨量が"落ちて”来ました。 料金所に到着するほんの数分前から降り出し、数秒後にはじゃあじゃあ降り状態。 

 どの位のじゃあじゃあ降りかと言いますと、ヘルメットの空気取り入れ口から雨粒が伝って頭の中へ染み出す程で、雨の中の走行は今迄も何度も経験しましたが、これ程の走る気持ちを萎えさせる雨量は初めてでした。

 料金所で濡れたお札を手渡しながら、料金所事務所で休ませてと一言伝え、事務所で様子を見る事にしました。 全身びしょ濡れの状態でクーラーが利いている料金所事務所内は、涼しさを通り越して、少し寒い感じで、外の軒下に出て、立ったまま暫く待っていました。 それでも雨量の激しさは衰える気配を見せません。 時折、料金所を何台かのバイクが通過して行きます。 案外走っているものです。 お互いほんの少しづれて走っているんですね。 

 少し勢いが弱まった頃合を見て、雨に濡れながらも習慣という刷り込みで合羽を着始めました。 上下共着終わってから、既に何の意味も成さない事を思い、馬鹿馬鹿しくなったのと、着ない方が蒸れないし、そうしようと言う事で、折角着た合羽を又脱ぎ始めました(笑)。

 合羽を片付けた後、そのまま雨の中を出発しました。 ものの数分も走ったところ、そこからピタッと線を引いた様に雨が途切れました。 路面も全く濡れていません。 こんな事なら、最初からそうすれば良かった(笑)。 こんな展開が人生にもままあったりするなと、俄か哲学者になり(笑)、そのまま首都高へ入って行きました。

 雨が止んでいた時間はそんなに長くはありませんでした。 信濃町を過ぎる辺りから又、ちらちら降り始め、東京タワーを左にやり過す辺りでは本降りになり、芝浦JCTではじゃあじゃあ降りで、カーブにある道路の繋ぎ目の鉄板に注意を払いながら走り、レインボーブリッジもやっとの思いで通過しました。 レインボーブリッジを渡り終えると少しづつ雨量が減り、湾岸線に合流する頃には、雨は止んでいました。

 浦安市内に入ると雨が降っていた様子も無く、午後の10時過ぎには無事自宅へ到着しました。

 8/13の福井から浦安からの全走行距離は624kmで、時間にしておよそ14時間の旅でした。

                                2005/8/24記

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