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| わらびじょう |
| 蕨城 |
| 別称: |
| 所在地:埼玉県蕨市中央 |
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| 形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
ー |
国特別 |
| ー |
平山城 |
ー |
国 |
| ー |
山城 |
○ |
都道府県 |
| ー |
陣屋・館 |
ー |
市町村 |
| 遺構 |
ー |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
| ー |
石垣 |
ー |
木造復原 |
| ○ |
土塁 |
ー |
鉄筋復原 |
| ○ |
水堀 |
ー |
復興 |
| ー |
空堀 |
ー |
模擬 |
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| 蕨城址公園(撮影年月 H18・1) |
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| 現存建築物 |
国宝 |
なし |
| 国重文 |
なし |
| 都道府県指定 |
なし |
| 市町村指定 |
なし |
| その他 |
なし |
| 復元建築物 |
なし |
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| アクセス |
公共 |
JR景品東北線蕨駅下車後徒歩12分 |
| 車 |
国道17号線で和楽備神社を目標 |
| ミニ情報 |
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| 地図情報 |
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| 城略史 |
蕨城は、清和源氏足利氏の一門で武蔵国司渋川義行が構えたものといわれています。この名門である渋川氏が蕨一帯を治め、その後長禄元年(1459)義行の曾孫にあたる渋川義鏡が、8代将軍足利義政の命で古河公方に対抗するため関東探題となり、蕨城主となりました。しかし渋川義鏡は古河公方との争いに敗れてしまい、和を結び古河公方の傘下にはいりました。それからは武蔵に進出してきた北条氏の支配下に入りましたが、大永6年(1526)ころ扇谷上杉氏、上杉朝興に攻められ、落城しました。
永禄7年(1564)、渋川氏は再び北条氏に属し、永禄10年(1567)義鏡の孫にあたる蕨城主渋川義基は、北条方の援軍として上総三舟山に出陣しましたが戦死し、渋川勢は全滅しました。この戦いに敗れた渋川氏の家臣たちは、その後、蕨城周辺に帰農し、沼沢地帯の干拓を行い塚越新田を開きました。
なお蕨城の跡地は、江戸時代徳川将軍家の鷹狩り休息所である蕨御殿として使用されました。 |
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| 主な見どころ |
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| ↑土塁:公園入口に残るL字形の土塁。蕨城オリジナルのものかどうかは判断できません。もしかすると蕨御殿の遺構かもしません。 |
↑蕨城址公園:ご覧のような何もない公園となっています。もちろん残念ですが遺構などはありません。 |
| 探訪年月 |
@H18・1 |
| 併設・周辺資料館 |
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| 参考見学所要時間 |
約0時間30分 |
| お薦め度 |
私見 |
城址公園といっても遺構はほとんどありません。わずかに残る土塁と、池のような水堀跡が、かつては城であったことを物語る証人です。公園としても、あまり広くはなく、また歴史的な雰囲気も感じることができませんので、探訪の際はあまり期待しない方が良いでしょう。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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| 初版20070322 |
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