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トップ>メニュー>関東地方>滝山城 |
たきやまじょう |
滝山城 |
別称: |
所在地:東京都八王子市高月町 |
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形状 |
ー |
平城 |
史跡指定 |
ー |
国特別 |
○ |
平山城 |
○ |
国 |
ー |
山城 |
ー |
都道府県 |
ー |
陣屋・館 |
ー |
市町村 |
遺構 |
ー |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
ー |
石垣 |
ー |
木造復原 |
○ |
土塁 |
ー |
鉄筋復原 |
ー |
水堀 |
ー |
復興 |
○ |
空堀 |
ー |
模擬 |
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(撮影年月 H17・12) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
ひき橋 |
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アクセス |
公共 |
JR青梅線拝島駅下車後徒歩30分
JR八王子駅北口から戸吹(創価大正門・東京富士美術館経由)行きバスで滝山城址下 |
車 |
中央道八王子ICから国道411号線沿い |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
滝山城は大永元年(1521)、大石定重によって築城されたといわれています。
大石氏は、木曾義仲の後裔で、信濃国大石郷に住んだことから大石を名乗るようになったようです。南北朝時代、大石重信は関東管領上杉憲顕に仕えて南朝方の合戦で功を上げ、延文元年(1356)入間・多摩13郷を得て現在のあきる野市付近に居を構えます。その後、大石能重が上杉能憲に仕え武蔵・伊豆・上野国の守護代を務めました。長禄2年(1458)には大石顕重が高月城(八王子市)を築城して本拠を移動し、さらに大石定重が滝山城を築城し再度本拠を移しました。北条氏が関東平野へ進出して来るにつれて、大石氏の主家である上杉家は圧迫され衰退していきます。天文15年(1546)、北条氏康による河越夜戦では北条氏が大勝し、主家山内上杉氏はいよいよ没落します。それにより大石定久は、北条氏康の三男氏照を娘婿に迎え入れ、自らは隠居しました。
北条氏の居城となった滝山城は永禄元年(1558)頃大改修を施されます。しかしながら、永禄12年(1569)、小田原攻撃へと向かう武田信玄の軍勢が2万で攻め寄せ、守る北条氏は2千であったが三の丸まで攻め込まれ落城寸前となりました。この戦いが、滝山城から八王子城へ移動するきっかけとなったといわれています。
ちなみに大石氏は北条氏が小田原征伐で滅ぶと、大石定久の実子定仲と養子の定勝は徳川氏に仕えました。そして八王子千人同心としてその子孫は明治時代まで存続しました。 |
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主な見どころ |
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↑現地案内板:縄張図です。紛らわしいのですが、水色の部分は空堀であって水堀ではありません。 |
↑三の丸跡:滝山街道に一番近い曲輪。武田軍はここまで攻め寄せたというのだから、もはや風前の灯火であったことだろう。
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↑ひき橋:木製で復元された、中の丸と本丸を結ぶ橋。ちょうど堀底からの撮影で、堀底道を通らなければ達せないつくりとなっています。書籍などでもよく使用されるアングルです。 |
↑二の丸空堀:素晴らしい保存状態の空堀です。木々を切ってくれくれたら最高なんですが・・・。 |
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↑中の丸跡:城内でも二の丸に続き、広くて平らな曲輪です。ここまで車で乗り入れることができるので、訪城には非常に便利です。 |
↑本丸虎口:中の丸からひき橋を渡り本丸へ入ると、正方形の土塁に囲まれた枡形にでます。発掘調査をしたのだから、もう少し整備してもいいと思いますが・・・。 |
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↑本丸跡:本丸はそれ程広い空間ではありませんが、しかしそれでも十分な居住スペースは取れたでしょう。 |
↑本丸からの眺望:木々が邪魔ですが、眺望は良くて遠くまで見渡せます。八王子城に移動しなくても、それなりの改修で済んだのではないかと思いますが・・・。いずれにせよ物量差でかなわなかったでしょうが。 |
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↑本丸空堀 |
↑本丸井戸跡 |
探訪年月 |
@H17・12 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約1時間00分 |
お薦め度 |
私見 |
実際に機能していた時期は極めて短い城であるにもかかわらず、その遺構の保存状態の良さには驚くばかりです。また遺構の保存方法も、やや物足りないものの、観光化していたり、極端に公園化しているわけではないので好感が持てます。東京都にあるにもかかわらず、全域開発されずに現在に伝える北条氏の城は、たいへん貴重で見応えがあります。 |
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城郭ファン以外も必見 |
○ |
見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070321 |
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