 |
| トップ>メニュー>関東地方>沼田城 |
| ぬまたじょう |
| 沼田城 |
| 別称:蔵内城、霞城 |
| 所在地:群馬県沼田市西倉内 |
 |
| 形状 |
ー |
平城 |
史跡指定 |
ー |
国特別 |
| ー |
平山城 |
ー |
国 |
| ○ |
崖端城 |
ー |
都道府県 |
| ー |
陣屋・館 |
○ |
市町村 |
| 遺構 |
ー |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
| ○ |
石垣 |
ー |
木造復原 |
| ○ |
土塁 |
ー |
鉄筋復原 |
| ○ |
水堀 |
ー |
復興 |
| ○ |
空堀 |
ー |
模擬 |
|
| 現存石垣(撮影年月 H16・9) |
|
| 現存建築物 |
国宝 |
なし |
| 国重文 |
なし |
| 都道府県指定 |
なし |
| 市町村指定 |
なし |
| その他 |
なし |
|
| アクセス |
公共 |
JR上越線沼田駅下車後徒歩15分 |
| 車 |
関越道沼田ICから国道120号線 |
| ミニ情報 |
|
| 地図情報 |
 |
|
| 城略史 |
沼田氏12代万鬼斎顕泰が築いたといわれる沼田城は関東に至る要衝の地であることから、戦国時代には上杉氏・北条氏・武田氏などのより争奪が繰り返された。天正8年(1580)に武田勝頼の命により真田昌幸が攻略し沼田氏を滅ぼすが、領有を主張する北条氏が滅亡した後は、真田昌幸が秀吉から安堵され真田信之が沼田を領した。
この時、五重六階の天守が築かれたといわれているが、真田氏が転封の際破却された。 |
|
| 主な見どころ |
 |
 |
| ↑ご覧のとおり、背後はテニスコートが見える。全体的に城であることはわかるが、細部は破壊されつくされたといった印象だ。 |
↑三の丸土居:かろうじて残っているといった感じで、もはや駐車場の境界線と化している。 |
 |
 |
| ↑二の丸:二の丸跡は広大なグラウンド。向こうに土塁が認められる。 |
↑捨曲輪 |
 |
 |
| ↑本丸水堀:公園の池のように周囲と同化してしまっている。なるべく広く見せようと撮影を試みたが、逆に失敗した。 |
↑本丸(真田氏時代の石垣):このような遺構が見られるとは予想していなかったので、一度で二度おいしいような気分。 |
 |
 |
| ↑本丸石垣:沼田城最大の見所。 |
↑本丸からの眺望:名胡桃城が手に取るように見える。やはり実際に自分の目で確かめると、戦国の緊張感も少しは分かるような気がする。 |
| 入場券・パンフ等 |
 |
 |
| 無料パンフ(表):「沼田城の歴史」。右下の図は、沼田城にあった5層の天守。もし現存していたらたいそう素晴らしいものであったことでしょう。 |
無料パンフ(裏):沼田公園の案内図が掲載されており、探訪の際に便利です。 |
|
| 探訪年月 |
@H16・9 |
| 併設・周辺資料館 |
沼田公園内に旧土岐邸洋館(国登録有形文化財)
開館時間:9時から16時
料金:100円
休館:水曜日、国民の祝日の翌日、年末年始
|
| 参考見学所要時間 |
約1時間00分 |
| お薦め度 |
私見 |
近世の石垣だけでなく、真田氏時代の石垣も発掘保存されているあたり、城ファンをして見来て良かったと言わしめるものである。
現在は沼田公園として開放されており、城跡としてもまあそれなりに形状を留めているといった感じである。また城内には、他にも歴史的建築物が保存されており、意外な発見があって楽しめる。 |
| ー |
城郭ファン以外も必見 |
| ー |
見逃せない対象です |
| ○ |
城好きは行きましょう |
| ー |
予備知識がある方は・・ |
| ー |
マニア向け |
|
|
|
| 初版20070111 |
| 初版20070529 |
| 戻る |