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かみのかわじょう |
上三川城 |
別称: |
所在地:栃木県上三川町上三川 |
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形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
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山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
ー |
外観復原 |
○ |
水堀 |
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復興 |
ー |
空堀 |
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模擬 |
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(撮影年月 H19・3) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR宇都宮線石橋駅下車関東バス真岡石橋線「峰町」から徒歩すぐ |
車 |
北関東道宇都宮上三川ICから国道4号線・県道35号線 |
ミニ情報 |
上三川公園を目標に |
地図情報 |
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城略史 |
宇都宮五代城主頼綱の次男・頼業は宇都宮氏から分家して、嘉禎3年(1237)横田郷に横田城を築き、横田氏を名乗りました。頼業は建長元年(1249)には上三川に移り、上三川城を築きました。以後、慶長2年(1597)廃城になるまで350年近く、宇都宮氏の南方の拠点として存続しました。上三川城の城主は、七代師綱が横田氏で、以降廃城になるまでは一族の今泉氏です。
宇都宮二二代国綱の時、継嗣問題が起こり、豊臣秀吉の取りなしで浅野長政の子を養子とすることにしたところ、国綱の弟・芳賀高武が激怒し、上三川城を襲撃し落城しました。
(参照「とちぎの古城を歩く(下野新聞社)」) |
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主な見どころ |
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↑城跡入口:公園化されていて、城跡の入口とは想像できないので、探訪するときは見逃さないように注意してください。 |
↑虎口:本郭へはいる虎口ですが、左右はありえない石垣で復元整備されてしまいました。あまりにも不自然な姿に情けなくなってきます。 |
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↑水堀:現存する遺構なのですが、いかんせん整備がされすぎてしまい、城跡としてのイメージがわきません。 |
↑土塁:過剰整備の中にあって、土塁はまあまあの状態です。こちらは崩落などのリスクを考えれば盛土や植え込みは仕方ないですが、それにしても公園化しすぎです。 |
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↑土塁と水堀:土塁はかなりの高さがあります。往事は相当の規模であったことでしょう。 |
↑本郭:公園となっていて、本郭と呼ぶのはなんだか白々しい感じもしますが、ぐるっと見渡すと、やはり通常の公園では見られない土塁の壁に囲まれており、城跡であることが感じ取ることことが出来るでしょう。 |
探訪年月 |
@H19・3 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約0時間15分 |
お薦め度 |
私見 |
まずは虎口の石垣にショックを受けます。いくらなんでも・・・ひどい。重大な誤解を生む整備だけは本当にやめていただきたい。それ以外の、土塁の保存状態や水堀の様子は、探訪して見る価値があるだけに非常に残念です。なぜ、これほどの乖離した整備になってしまうのでしょうか? |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070911 |
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