(骸たちの演奏聞いたのって最初の一回だけだからな。楽しみだ)
 マンションを出てタクシーを捕まえ、通い慣れたスタジオに向かう。自分たちしか使ってなさそうなその部屋は、いつ見ても雑然としていて、まるで自分の部屋にいるような感じがする。ギターの練習で何度も使っているうち、部屋を貸しているオーナーという骸の知り合いに会うことがあった。
 眉をそり、鋭い眼光に鍛え上げられた肉体。いかにも喧嘩なれしてそうな顔を見た瞬間、思わず骸たちの交友関係に疑問を抱いてしまった。彼はあきらかに堅気じゃない雰囲気をその身に纏っていたが、話してみるとそう怖い人でもなくて逆に驚いてしまった。骸に渡したお金で彼に何かもらったのか、その礼とばかりにたまに缶ジュースをおごってくれたりする。
「あ、ランチアさんっ! こんばんは」
 スタジオが入っている雑居ビルは空き部屋が多いため、夜になるとひどく物騒だ。一般人が入りにくい雰囲気の場所に綱吉を一人で来させることを考慮した骸が、ビルの前で待っているようにそれとなくお願いしてから、ランチアは綱吉が来るときだけビルの前に立っている。
「……あいつらならもう来ているぞ」
「えっ!? めずらしー! いつも遅刻してくんのに」
「最近遊んでばかりで城島の勘が鈍ったと言って、それに腹を立てた柿本と昼過ぎからみっちり音あわせしている。六道はついさっき来たばかりだけどな」
「あいつら授業サボったんですかね……」
 それに答えず肩をすくめて見せたランチアに促されるまま、照明の切れかけているエレベータに乗ってスタジオの入り口まで歩く。
「ランチアさんは、あいつらみたいになにかやったりしないんですか?」
「オレか? オレは……そうだな、やるより見てるほうが性にあっているからな」
 いつも扉の前に送り届けるとどこかへ姿を消してしまうランチアがどんな人か少し気になって、綱吉は聞いてみる。意外なことを言われたように目を丸くしたランチアは、しばらく無言のままだったが、フ、とゆるく口角を上げて短く答えた。
「オレも本当は自分でやるより三人の歌を聴いてるほうがいいです。あいつらみたいに楽しんで演奏できないし」
「楽しそう? あの三人が?」
「え? そう見えないですか?」
 絶句したように口を閉じたランチアを見て口ごもる。あんなに好き嫌いの激しい三人が、自ら望んで嫌いなことをやるはずがないし、楽器を改造したりチューニングに熱中したりする姿は、おもちゃに熱中する子どものように見えた。
「生憎だが、オレにはよくわからない。連中とあまり一緒にいるわけじゃないからな」
「そうなんですか? あ、いや、オレも勝手に思っただけだから、そんなに気にしないでください」
「おもしろいやつみたいだな、おまえは。連中がのんきなガキに見えるとは、大したやつだよ。世界中どこを探してもそんなことを言えるのはおまえだけだろうが……」
 なにかを含んだような言い方が引っかかって眉が寄る。
「? どういう意味ですか?」
「いや、こっちの話だ。それよりそろそろ顔を出したほうがいいんじゃないのか?」
 それに気づいたランチアは、ごまかすように閉まっている扉を指さした。
「じゃあな」
「あ、はい。ありがとうございました!」
 踵を返した広い背中に声をかけると、振り返ることなく右手が上がる。結局、いつものように少ししか話が出来なかったが、それでも少しずつ話が出来ていることに満足して綱吉は扉を開けた。
「遅い。待ちくたびれました」
 入った早々、アームレストに頭を乗せて、ソファに仰向けに寝転がっている骸に文句を言われる。片足を曲げ、楽譜の束を見上げているその姿は普通なら行儀悪く見えるのに、その格好をしていてもそう見えないのが骸のすごいところだ。
「なんだよ、時間以内にはちゃんと来ただろ」
 ソファへ近寄りながら文句を言うと、横になったままの色違いの瞳に睨まれる。
「そういう問題じゃないでしょうに。ランチアとはいったい何を話してたんですか?」
「なにって、なんか楽器やってないんですかーって聞いただけだけど……。扉の前に立ってたの、気づいてたのか?」
「どうですかね」
「うわ、感じ悪いぞ! その態度」
 どうでもよさそうな口調で流す態度にカチンときながら、スタジオを見回す。
「あの二人は? 昼から来てるって聞いたけど」
 床に出しっぱなしになっている千種のベースと犬のスティックはあるものの、二人の姿がない。床に散らばっている楽譜や色ペンを見下ろし、骸に視線を戻した。
「あぁ……うるさいからちょっと外に出てもらってます。まあ、もうそろそろ戻ってくると思いますけど」
「調子でも悪いのか?」
「べつに。犬は腹が減ったと騒いでうるさいし、千種は集中しすぎて食事を取っていないみたいだったので何か買いに行かせただけです」
 へえ、と納得していると、読んでいた楽譜を手渡される。
「これが今日の……って、オィイイッ!?」
 受け取ろうと手を伸ばした手首をぐいっと引かれ、バランスを崩して倒れる。不意打ちに驚いて思わず叫ぶと、クフフと笑われる。
「なにすんだよもう! 怪我したら危ないだろ!」
「してないじゃないですか」
「もしもの話をしてんだよオレは! びっくりするだろ!」
 転がり落ちないようにうまく抱きしめられた格好のまま怒る。思いがけず近くにある意地悪な笑みを浮かべた顔を睨んだ。くすくすと笑う姿はまるでいたずらに成功した子どものように邪気がなく、拍子抜けする。からかわれている事に気づき、ため息を吐いた。
 骸の手にまだ握られたままの両手を腹につき、身を起こそうとして、綱吉は目を丸くした。ぺたりと手をつく。
「すげーっ! なに、おまえ、身体鍛えてんの? すごい固いんだけど」
「そうですか? 普通ですよ」
「おまっ! ふつうって言葉にケンカ売ってるぞ。むしろオレにケンカ売ってるなこれは」
 ランチアのように、はたから見てもわかりやすい、ほぼ完成された筋肉をしているわけではないが、羨ましいと思えるくらいにはついている。まだ若いし、身長のわりに華奢な印象しかなかったので、実際に触ってみて驚いた。
「君はどうなんですか?」
「オレ? オレは、あんまり……。ついてないこともないんだけど、こんなくっきり割れてない」
「ふぅん」
 ぺたぺたと無遠慮に触っている綱吉の手首から手を放して、骸はなにやら楽しそうに口角を上げた。
「わ! わ! なにすんだバカ!」
 がら空きになっている綱吉の腹を、服の上からではなく直に骸が触り始める。自分より低い温度の手のひらがするりと服の中に入ってきたことにぎょっとする。腹筋を確かめるように撫でられて、羞恥に顔が熱くなってしまう。何よりくすぐったくてしょうがない。
「君が初めに触ったんじゃないですか。僕が触って何が悪いんですか?」
「触るって言ってもふつう服の上からだろ! だれも直接触ってないから!!」
「じゃあ君も触ればいいじゃないですか。それならいいんでしょう?」
 さあどうぞ、と首をかしげながらにやにや笑う骸に怒鳴った。
「いいわけあるかーーっ! 早く抜け! ひゃっこいんだよおまえの手!」
 がしっと腹を触っていた手を両手で掴んで、服の中から取り出す。自分より太い手首に腹立ちながら綱吉は起き上がった。
「ったく、不意打ちは卑怯だろ」
「僕の辞書にはそんな言葉載ってません」
「じゃあいま書いとけ!」
 しれっと言い放つ口に、なにかでっかい栓をしたいと綱吉は心から思った。そうでもしなければ正論でさえ言いくるめられてしまう。
 骸は綱吉の態度に納得いかないように、上から退こうとする綱吉を見上げた。
「なんでそんなに怒るんですか。そんなに嫌でした?」
「恥ずかしいからに決まってるだろ!むしろふしぎそうな顔してるおまえのほうがオレにはわかんねー! 日本人は繊細なんだ! ボディタッチとか苦手なんだってば」
「初心ですねー。生娘みたいなこと言ってる」
「待て、言葉の使い方おかしい。ここは普通シャイだろ、なあ、だろ?」
「あーそうですね」
「腹立つー! なんなんだよその態度! オレがおかしいのか? なあ!」
 はいはい、と適当に相槌を打つ骸の襟を持ってがくがく揺さぶると、倍になって返ってくる。目が回ってふらついた体を引き寄せられ、またさっきと同じように骸の上に寝そべる形になる。ソファじゃなく、抱きしめられる形になっているのがなんとも苦々しい。苦りきった表情を声音に隠さないまま不満を述べる。
「放せって。帰ってきたら二人が見たら変に思うだろ」
「なぜ?」
 ほんとにわかっていないのか、それともただからかって遊んでいるのかわからず頭を抱える。
「なぜってなあ、そこでオレを見るなよ。普通は男同士がこんな格好してたら気持ち悪いだろ? 女の子ならともかく」
「僕はそんな小さなこと気にしません。君はて小さくて肉付きが悪いけど、なんだか触っていたくなる」
 そう言いながら背中やわき腹を検分するような手つきで触る骸に、本当に頭痛が起こりそうになりながら綱吉は乾いた笑みを浮かべた。
「オレはペットかよ……ってちがう。想像してみろって、いい年した男がこんなことしてる姿を。……寒すぎるんだけど」
「寒いんですか?」
 言葉尻だけをとらえて骸は綱吉の薄い体に腕を回した。抱きつかれるというより蛇に巻かれているような感じだ。もがけばもがくほど締まってくる。どんなに暴れても外れないので、綱吉はしまいには諦めて体から力を抜いた。骸の首筋に顔を埋める形になって、げんなりする。息をつくと、骸の髪か首からか、かすかに香水の匂いがする。なにかの花のような香り。
「骸ってさぁ、顔に似合わずスキンシップ大好きなのか」
「どうして僕が他の連中とこんなことしなくちゃならないんですか。気持ち悪い。想像しないでくださいよ」
「おまえな〜っ、オレさっきからそう言ってるんだけど」
 心底嫌そうに、吐き気がする、と言ってのけた骸に渋い顔をしながら文句を言う。
「君が悪いんじゃないですか」
「はあっ!? なんで」
 淡々と話す口調にかすかに苛立ちが混じっている。綱吉は驚いて眼を丸くした。
「……さぁ? 自分で考えてください」
「考えろって、意味わかんねーよ! オレがどうしたって……おい、骸? 骸ってば」
 そう言ったきり何の反応もなくなってしまった骸に呼びかけるものの、返事はない。
「なんなんだよ……。オレ、なんかした?」
 しばらく話しかけてもすべて無視されたので、腹が立ちつつこうなってしまった原因を考えるのだがさっぱりわからない。しまいには考えることを放棄して目を閉じる。こうなればこちらも無視してやる。
(あー、あったかい。こいつ、手は冷たいけど体はあったかい。……ねむくなる)
 シャツ越しの体温は温かくて、ついうとうとしてしまう。ふぁ、とあくびを噛み殺すと、締めつけるようだった腕がゆるみ、あやすようにやさしく背中を叩かれる。母親が眠る子どもにたいしてよくやる仕種。それをしているのが骸だと思うとおかしくてしょうがなかったが、綱吉は千種や犬が戻ってきたのにも気づかないまま、ぐっすりと眠ってしまった。
 目覚めたときにはすっかりライヴが終わっている時間で、それなのに出かけた様子もない三人に綱吉は顔が青くなった。口角が引きつって、背中には冷や汗が。
「ラ、ライヴは……? 行ったんじゃないの?」
「きょうは休みー。柿ピーが疲れたっていうしー、骸さんも行かないって言うからさぁ」
 綱吉の疑問に、ヘッドフォンを首にかけながら漫画を読んでいた犬がのんきに言った。
「はぁああっ!? そんなことして大丈夫なの!? キャンセル料とか払わなきゃいけないんじゃないのかっ!?」
 ぎょっとして隣に座っていたらしい骸を見上げる。慌てふためく綱吉にはおかまいなく背もたれに寄りかかり、涼しい顔をして足を組んでいる。
「なぜ僕がそんなことをしなくちゃならないんですか」
「だって、今日はライヴがあるから、って……出なきゃマズイだろ」
「骸さまはある、と言っただけで、出るとは言っていない」
 ゆるりと口角を持ち上げる骸を愕然と見上げた綱吉に、千種が何のフォローにもなってないことを言う。それって屁理屈じゃんと叫ぶ綱吉をまぁまぁと犬が宥める。
「ま、いいじゃん。もう終わったことらしさぁ。それよりオレ腹減ったんらけど! ツナびょん骸さんの腹でどんだけ寝るんだっつーの! もー待ちくたびれたー」
「え?」
 犬がうるさく鳴る腹を押さえながら何の気なしに言った言葉がに、綱吉の動きが止まった。んあ?と首を傾げた犬と、我関せずな千種に、機嫌が良さそうな骸、と三人を順に見て視線を床に落とした。
 まさか、あのままずっと眠ってしまったのだろうかと思い返して頭を抱える。
「ウソだーっ! ありえねーっ!!」
「犬」
 見られたくない場面を見られていたことに、穴があったら入りたくなる。顔が赤く染まるのを興味深そうに見下ろしている骸の顔には、してやったりな笑みが。嗜めるのは口だけで、おもしろがっていることがわかる。からかわれていることに気づいて、ハア〜っと大きくため息を吐く。自然と恨みがましい目になるのはしかたない。
「骸ってさ、けっこうガキっぽいとこあるよな」
「良い男というのは常に少年の心を持ってるらしいですよ」
「知るかっ!」
 せめてなんとかやり返したくて言ってみても、まったくへこたれないどころか余裕で返される。年上の威厳なんてないに等しい。
 腹立ちながらも口を閉ざした綱吉にはおかまいなく、機嫌良さそうに骸が立ち上がった。
「ゴハンれすか!?」
「そうしましょうか。これ以上彼の機嫌が損ねないうちにね」
 ひゃっほー! と飛び上がって犬が喜ぶ。座って楽譜をまとめていたままだった千種を引きずって扉に向かって、彼に怒られている。骸は、ふてくされて口を結んだままの綱吉を見下ろした。
「行きましょうか」
「おまえ……ずるいぞ。オレばっかかっこわるいとこ見られてさ。あの二人が来る前に起こしてくれればよかったのに」
「そうですか? 僕は君が無防備でいると嬉しいですよ」
「なんで?」
 座り込んだ態勢のまま、怪訝に思って骸を見上げる。サファイアとルビーを嵌め込んだ様な瞳がうっすらと微笑んだ。
「僕に気を許してるってことでしょう? 最初に会ったときは子猫のような怯えようでしたから」
「あれはっ!? 〜〜っ、しょうがないじゃん! おまえらすげーおっかなかったんだから! 不可抗力だろ」
 初対面でのビビりっぷりは別に綱吉が過剰だったわけではない。目には見えなかったものの、三人が物騒な雰囲気を纏わせていたのは間違いなかった。業界では色々な職種の人間に出会うので、知りたくなくても物騒な人と知り合ってしまうことがある。だから雰囲気だけでもどこか普通ではないな、と感じていた。凪がいたため、避けようもなく彼らと話している途中だって、本当はさっさと帰りたかったのだった。
「僕が怖いですか?」
 骸が、いつもは使わない静かな口調で尋ねた。その時の怯えがまだ綱吉の中にあるのか気にしているらしかった。綱吉は首を振った。
「いや、いまはさすがにないけど……」
 出会った当初の物騒な気配はなりをひそめ、会っていくうちに徐々に感じなくなっていた。ひと一倍勘に鋭いという自覚もないので、勘違いだったのかもしれないけれど、そう言いきってしまうことは出来ない。
しかし、三人が今までに暴力的な面を見せたことは一度もないのだから、やっぱり自分の勘違いなのだろうかと綱吉は考えを改めた。
「おまえらといると楽しいよ」
「それはよかった」
 憮然としながらも素直にそう告げた綱吉に、骸は満更でもなさそうな顔をして子どものように笑った。
 それに思わずつられてへらりと笑ってしまった綱吉の手を引いて、骸は外で待機している二人と共に、夜の街へと繰り出した。











>>続く