バシっ!と手に持っていた雑誌を骸に投げつけて、凪がもう我慢の限界というように叫んだ。ずっと都内のマンションに缶詰にされていて、ようやっと自宅に帰ることができたのはつい先刻のことだ。
「この写真撮ったのって骸でしょ! なんでこんなことするの!? これのせいでずっとマスコミに追われるしせんぱいにも会えないし! ひどいよ!!」
「僕が? 心外ですね、証拠でもあるんですか?」
 投げつけられた雑誌を片手で振り下ろして、床に叩きつけながら骸はとぼけたように凪に視線をやった。
「誤魔化したって無駄よ!犬が白状したもの!!」
「犬が?」
 足を組んだまま、部屋の隅にいる犬を睨むと、物凄い勢いで首を振っている。骸は小さく息を吐いて、すっかり怒ってしまった凪を見る。
「どうしてそんなに怒っているんですか? 最初に言っていたでしょう。僕が彼を望んでいるから、君は彼を手に入れるための手助けしがたい、と。凪の働きには感謝していますし、僕は満足している。それだけじゃ不満ですか」
 首を傾げた骸に首を振りながら、凪は強く唇を噛んだ。千種と犬が、後ろで様子を窺うようにしていたが、気にしていられない。
「確かに、私は沢田綱吉と骸を近づける手助けはするって言った。でも、せんぱいはすごく良い人で、優しい人よ。こんな、騙まし討ちみたいなことしたくない! ボンゴレの血縁者なら他にもたくさんいるでしょう!? せんぱいに酷い事しないで!!」
「君は……少し誤解しているようですね。僕はボンゴレの血統だから綱吉くんに近づくよう命令したわけじゃない。彼が例えボンゴレ九代目の孫だろうが、その辺の犯罪者だろうが関係ない。それに、彼は自分が正統なマフィアの後継者だとは知らない」
「でも、骸はせんぱいを手に入れるんでしょ? 今は知らなくたって、せんぱいだっていつか自分が何者であるか、知るときが来るわ」
「それはありえません」
 鋭い眼光に押し黙る凪に一つ笑って、骸は両手を背もたれに預ける。歌うように告げた。
「そんなこと、僕がさせません。一応、これでも彼に惚れている身なので。彼に対して疚しい事はしたくありませんからね」
「じゃあ、ボンゴレはどうするの? 放っておくの? せんぱいがマフィアになるかもしれないのに」
「知らないままにさせておきますよ。九代目は孫には甘いと聞いていますし。可愛がっている孫をマフィアの顔にして、彼に怨まれたくないでしょうから。下手に顔が割れているぶん、無理に騒ぎ立てればマスコミに騒ぎ立てられる。そんな危険を冒してまで彼を後継者にするほど九代目は愚かじゃないでしょう」
「骸は……それでいいの?」
 ふん、と鼻で嗤う骸を窺うように凪が尋ねた。骸は、目を伏せながら無感情に呟いた。
「エストラーネオだったことなんて、僕にとってはまったく価値のないことだ。だから壊したし、僕個人としてはボンゴレもまた同じように無価値なものなんですよ。小賢しいマフィアの手によって彼を奪われるくらいなら、何も知らないままの彼を庇護したいし、手に入れたい」
「じゃあ、ボンゴレだからせんぱいに近づいたわけじゃないんだね。……よかった」
「最初からそう言っているつもりですが? 利用するつもりなら僕はもっと効率よくやりますよ」
 ようやっと安堵したように小さく微笑む凪に、片眉を上げながら骸は不穏なことを堂々と言ってのけた。
「そうだよね。なんだ、よかった……って、よくないよ! マスコミをどうにかしてくれるまで骸と口きかないから」
「そうですね、そろそろ頃合いですし。千種」
「はい」
「この件の処理はまかせましたよ」
「はい」
 骸がそう言うと、千種はくいっと眼鏡を上げなおして部屋を出て行った。
「これでいいですか?」
「うん」
 足を組んでその上に片肘を付き、掌に顎をのせた骸に凪はようやく安堵したように頷いた。クッションが山になっている骸の隣に座って、同じように背もたれに体を預ける。
「君ねぇ、もう少し恥じらいを持ったらどうですか。下着が見えますよ」
「大丈夫。スパッツはいてるもの」
「そういう問題じゃないと思いますけどね。犬が見てます」
 スカートを穿いているのについ癖で両ひざを抱えてしまった凪に、骸が呆れたように注意する。部屋の隅でごろごろしながら携帯ゲームで遊んでいた犬は、突然出された自分の名前に顔をあげる。
「犬のスケベ」
「はあっ!? なんれんなこと言われなきゃなんねーんら!」
「凪、男とは皆そういうものです」
 恐ろしく冷たい目をした凪と、ゆるく笑って肩をすくめる骸に見下ろされる。すげぇー理不尽! と叫ぶ犬から凪は目を逸らした。そのまま骸を見上げる。
「骸も?」
「僕はあまり人に興味ありませんから」
 しらっと告げる骸に、それでも凪は尋ねる。
「でも、せんぱいにはそうしたいんでしょう?」
「僕も男ですからね。好きな人を抱きたいのは当然です」
「せんぱいも男だけどね……。でも、いちおう応援してる」
 時計の針はそろそろ十二を指そうとしている。うつらうつらしながら、凪は骸の不穏な告白に相槌を打った。
「一応?」
「私も…せんぱい、好き…だから、せんぱいが嫌がったら……応援、できないってこ、と……」
 途切れがちに、最後まで言い終えると、凪は両ひざに顔を埋めるようにしてすぅっと眠ってしまった。
「それで十分ですよ」
 すっかり寝入ってしまった凪を見下ろして、骸は満足したように笑った。
 不貞腐れて床に寝そべっていた犬が、寝てしまった凪に気づく。
「あれ? 凪、寝ちゃったんれすか?」
「そうみたいですね。ベッドに運んでやってください」
 骸がそう言うと、犬はしぶしぶといった様子で立ち上がって、ソファに小さくまるまって寝入っている凪をひょいと抱き上げた。そのまま面倒そうな顔をしながら、両手で凪を抱えた犬が部屋を出て行く。
 一人になった室内で、骸はゆっくりと目を伏せた。目を閉じて浮かぶのは、彼の人のやわらかな笑み。
「僕にだって、大切にしたいものの一つくらいはあるということ、か。我ながら、少し不思議な感じはするが」
 それも悪くないと思って、骸は静かに彼の名を紡いだ。









>>続く