お茶の間のテレビというのは、あまりおもしろい番組がやっていない。綱吉は自宅のソファに座りながら、チャンネルを変えていた。健康テレビや通販番組、ワイドショーなど、あまり興味が無いものの目白押しだ。買ってまだ手をつけていなかったDVDでも見ようかと思案していたとき、ふと知っている人間が画面に映って手を止めた。
 凪だった。リポーターに追われるように週刊誌に載った記事のことを矢継ぎ早に聞かれている。マネージャーに庇われるように無言で車を見送った凪の場面から、芸能リポーター達に画面が切り替わる。
 それと同時に、綱吉もテレビの画面を切り替えた。自分の知り合いを憶測で好き勝手に言われるのが綱吉は嫌いだ。しばらくしたら過熱報道も沈下するだろうが、そうなるまでにはまだ時間がかかりそうだ。記者が張っているので、綱吉はメールや電話でしか凪と連絡を取れていない。まったくのデタラメなのに、と心底怒っている凪の愚痴に付き合ってやりながら、芸能人って大変だよなあと今更のように実感した。
パッケージーからディスクを取り出して、床に無防備に置かれているDVDプレーヤに入れる。映像が流れるまでしばらくかかるので、その間冷蔵庫にジュースを取りにいく。
 平日は骸たちも学校に行っているので、綱吉はよく一人で映画を見に行ったり、ふらふらと散歩に出たりする。この休日は、温泉に浸かってほっとしているような心地よさがある。
 仕事を入れていないからといって、付き人のスクアーロはその間仕事が無いというわけではなく、面倒そうにイタリアと日本を往復したりしている。たまに、差し入れとして自分で捌いた刺身やイタリア土産のチョコレートを持って来てくれる。以外と面倒見がいいのだ。
 スクアーロは、父親の父、つまり祖父の会社に籍を置いている優秀な人間らしい。詳しいことは本人にも教えてもらったことが無いので、綱吉はスクアーロをおじいさんの会社で働いているえらい人、という認識しかない。
 そもそも、父方の親戚とはまったく会った事がなく、手広く会社を経営しているという祖父も、正直あまり記憶に無い。最後に綱吉が会ったというのが三歳の頃というから、当たり前と言えば当たり前だが。
 その、あまり綱吉の記憶にない祖父が、どうしてスクアーロを綱吉のもとに送ったかというと。
 当時映画の影響でマスメディアに引っ張りだこになっていた綱吉は、まだ幼く、周囲のガードも万全とはいえなかったのでよく犯罪がらみの事件に巻き込まれることが多かった。身代金目的の誘拐未遂事件や、変質者によるストーキング、盗撮など、数え上げたらキリがないほどで、それを心配した祖父が父親を通じて紹介してくれたのが、自分の部下だったスペルビ・スクアーロという男だった。
 スクアーロは眼光が鋭く、態度もデカイし、話す内容もおっかなかったので、綱吉は初めて会ったときに、思わず回れ右をして逃げ出してしまった。
「待てこのガキぃぃいい!!」 と、後を追ってくるスクアーロのあまりの迫力に、ぎゃぁあーっと派手に泣き叫んでしまい、すぐに捕まえられたスクアーロに見下ろされながらぼろぼろと涙をこぼした。本気で怖かったのだ。
 涙を流して泣く綱吉に、スクアーロも困ったのか、来ていた黒い服のポケットからハンカチを取り出して綱吉に差し出した。ハンカチは丁寧にもきちんとアイロンがかけられていて、洗剤のいい匂いがした。チーン! と鼻をかませている間、ずっとおろおろと視線を彷徨わせていたのを見て、綱吉はなんだか力が抜けて笑ってしまったのである。直感で、この人は悪い人じゃないと悟ったのだった。
 そのスクアーロは、祖父に呼び出されて今はイタリアにいる。彼が日本にいないときに、一人で外出をするとものすごく怒られるので、綱吉は朝からテレビや漫画、雑誌を読んだり、ゲームをしたりして過ごしている。
 しかしずっと目を酷使していたので、なんだか目がシパシパする。諦めてソファに横になりながら、綱吉は買ったばかりのガラステーブルの上から携帯電話を取った。国外にも出かけることが多いので、綱吉の機種は国外対応のあまりカッコいいとは言えないデザインのものだ。
 ボタンを数度押して、電話をかける。長いコール音の後、よく知った声の主が出た。
「あ、もしもし、母さん? オレだけどさ……は? 誰って、綱吉だよ。いい加減携帯の画面くらい見てよ。名前登録してるんだから……うん。うん、オレは元気だけど……ジャッキーは元気にしてる? ああ、よかった。オヤジ? オヤジは別にどうでもいいから……って変わんなくていいよ! いや、絶対変わんなくていいから! 変わったら切るからな!」
 あまり自分からはかけないが、無事を知らせるためにこうして定期的に連絡をする。両親は入れ違いのように息子をひとり残して新婚旅行に行っている。綱吉がうんざりするほどらぶらぶで、いま二人は綱吉の愛犬を連れ世界中飛び回っている最中だ。たまに自宅宛に悪趣味なミイラや、氷の上を歩いているペンギンたちの写った絵葉書が届くたびなんとも言えない気分になるが、元気そうなのでまあ良かった。
『んも〜、ツっくんったら、相変わらずなのね。お父さん拗ねちゃうじゃない』
「別にどうでもいいし。で? 今はどこにいんの?」
『ロサンゼルスよ〜。ハリウッドに行ったらツっくんのポスターやTシャツが沢山あって、お父さんと二人でたくさん買っちゃったわ。お土産屋さんもたくさんあるし、すごく良い街ねぇ。ジャッキーなんかツナの顔を見て、すっごく尻尾振って喜んでるのよ』
「なんでそうムダな物をほいほいすぐ買っちゃうんだよ! どうせ父さんが連れてったんだろ!? 母さん主婦なんだから、ダメオヤジくらいちゃんとコントロールしなきゃダメだろ!」
『だって〜、すごく可愛かったんだもの』
 ほんわかとした雰囲気のまま、受話器越しに聞こえてくる母親の声にがくりと項垂れる。本当に新婚気分なんだからもう、ほんとに勘弁して欲しい。
『ロスにはお友達もいるんでしょう? お母さん一度会ってみたいわ。ツっくんったら、全然紹介してくれないもの』
「あいつら忙しいから無理だって。撮影でオーストラリアとか言ってたし、ロンドンとかニューヨークに篭ってレコーディングだってさ。あ、そういえばシンジは映画の試写会で東京に来るって言ってたな。いつだっけ……」
 壁にかけていたカレンダーを見上げて日にちを思い出していると、電話口から怒ったように言われて慌てて意識を戻す。
『もう、ツっくんったら! それじゃあ母さん会えないじゃない』
「会わなくていーって! 向こうに気を使わせちゃうだろ。それに、ちゃんとこっちでも友達できたから、さ。あんまり心配しなくてもだいじょぶだよ」
 乱暴に、照れたように早口で告げると、電話口から音が無くなる。
「も、もしもし?」
『よかったじゃない! 母さん嬉しいわぁ!! 帰ったらお夕飯に呼ばないとね。 それで、どんな子なの?』
「あ、う、うん。それが、別に芸能人ってわけじゃないんだけど」
『いいじゃないそんなの。一緒にいて楽しいなら気にすることないわよ』
「一つ下で、けっこう生意気なんだけど、一緒にいてすごく楽しいよ。ゲーセンとかも連れてってくれるしさ。オレが知らないこととか、たくさん教えてくれる」
 携帯を持っていた手を変えて、頬をかきながら綱吉が苦笑する。プライベートジェットに乗ってバカンスに行ったりする派手さはないし、一緒にいて特にゴシップのネタにされることもないのですごく楽だ。たまに金遣いが派手で驚くことはあるが。何より、一緒にいて楽しい。
『よかった、元気そうね。お仕事をお休みするって聞いて、母さんたちすごく心配してたのよ。お父さんなんかお祖父ちゃんに毎日電話してるくらいだったんだから』
「何してんだあの人! ったくもー……。でもまあ、こんな感じで元気だからさ。仕事ももう少ししたら始めるつもりだし」
『そうなの。だったらもう心配ないわね。お父さんにも言っておくわね』
「ばかオヤジは別にどうでもいいけど……。あ、そうそう。そろそろ生活費ないんだけど、もう振り込んでくれた?」
『あら? まあ、すっかり忘れてたわ〜! 明日銀行に行って振り込んでくるから。いつも言ってるけどあまり無駄遣いしちゃダメよ。二十歳になるまでは母さんがちゃんと預かってるけど、それを過ぎたらツナが全部一人で管理しなくちゃいけないんだから』
「分かってるって。じゃあ、頼むね」
『はいはい。じゃあ、おやすみなさい』
 プツリと切れた電話を握りながら、閉じた瞼の上に腕を重ねる。ロスとの時差は約十七時間程だから、向こうは夜の十時くらいだ。目を閉じたまま、綱吉はロサンゼルスの夜の景色を思い出した。煌びやかなネオンに、浮かび上がるハリウッドシンボル。リムジンの窓から見ていた夜景は、上海で見た夜景よりは劣るものの、綺麗だったように思う。煌びやかで、どこか危険な香りがする街。
 あそこに今両親がいるのがなんだか不思議に思える。そして、少し誇らしくもあった。
 いつか骸や犬、千種や凪を連れて、ラスベガスのカジノに遊びに行ってみたいと思う。大はしゃぎで遊びまわる犬や、嬉しそうに笑う凪の姿を想像してみる。千種は機械に強いので、一発当てるかもしれない。楽しそうにする三人を見て、まだまだガキですね、と不遜に笑う骸を想像して思わず笑ってしまう。
 綱吉自身が四人に貰った思い出を、自分も何か返したいと思う。そして、向こうにいる大事な友人にも、新しく出来た年下の友達を紹介してみたくて。
そう考えたらなんだかすごく楽しくなってしまって、綱吉は小さく笑った。
 テレビで流れ出した字幕つきの外国語を聞きながら、ずっと暮らしていた異国の借家を思い出すように目を閉じた。









>>続く