ゴシップ誌という物が綱吉は苦手だ。大抵書いてある記事は根拠のない、根も葉もないただの噂話だったり、酷い時にはまったくのデタラメだったりする。どうしてこういう物を人は好んで読みたがるのか綱吉には理解しがたい。他人の秘密を知って悦に浸りたいのか、人の不幸を面白がっているのか。どちらにしろ、あまり趣味がいいとは言えない。
 もちろん、出版され続けているのだから需要があるのだろうし、人の趣向にいちいちケチをつけるわけではない。ただ、こんなの読んで何になるんだろ、とため息を吐くくらいだ。
 日本に戻って、アメリカのマスコミやパパラッチがいかに酷く、綱吉のプライバシーに強引に入り込んでいたのかを知った。彼らはスクープを取るためならなんでもやる。それが彼らの仕事だと分かっていたものの、仕事どころか私生活にまで勝手に上がりこまれて嫌気が差して日本に戻ってきた、というのも帰国した理由の一つだ。第一の理由には自国でゆっくりと羽根をのばしたいという理由があったものの、成田について待っていたのは日本のマスコミ陣だった。
 綱吉が映画俳優としてデビューしたのは、アメリカだった。放浪癖のある父親に、小学校の夏休みのときに無理矢理海外に連れて行かれ、父親の知り合いである映画監督の目にとまった。
「少年。君は僕の思い描いていた役にぴったりだ。どうだい、映画に出て見ないか」
その言葉に返事をしたのは、綱吉本人ではなく父親だった。綱吉は異国の言葉を流暢にしゃべるおじさんが、まさか自分になにかしゃべりかけているなんて思いもしなかった。父親の、「よかったな〜ツナ! これで銀幕デビューだぞ」だかなんとか、浮かれながら抱っこされた時にようやっと自分に関係しているらしいと薄っすらと思ったのだった。
 まったくの未経験者で、なおかつ言葉も分からない現場で、綱吉は毎日ひぃひぃ泣きながら毎日を過ごした。今まで綱吉が過ごしていた世界とは違う――実力だけでは決して上に上がれない――煌びやかな別世界。見知らぬ土地で一人のけ者にされるのが怖くて、綱吉は必死で監督の要求に応えた。
 結果、アカデミー賞やらカンヌ国際映画賞やら、数え切れないくらいの賞を受賞。それと同時に、若干十一歳にして億万長者になってしまい、世界各国のマスメディアが綱吉に注目した。一人息子を溺愛している父親や、日本でのほほんと家を守っていた母親も喜んだ。見たことのない親戚一同も大喜びだったらしい。
 しかし、綱吉本人はまったく訳のわからない世界に突然放り込まれて目が回ってしまっていた。とんでもない幸運を受け止め、喜べるだけの器がまだ備わっていなかったのだ。どこへ行くにもパパラッチが後をついてまわり、綱吉は精神的にも肉体的にも参っていた。注目されることが何より苦手な少年だった。
 契約した映画会社の根回しで通っていた日本の小学校を転校し、ハリウッドやニューヨーク、パリやミラノ、ロンドンなどの演劇学校を数ヶ月単位で回った。やっと良い指導者にめぐり合え、腰を落ち着ける場所が見つかったと思ったら、休むまもなくオーディションを受ける毎日。
 オーディションに受かれば数ヶ月や、一年は撮影に入り、映画の公開ともなれば宣伝で世界中を回った。今までテレビでしか見たことのなかった大物芸能人などとも顔を合わせた。話をしたり、食事に誘われることもあった。
 しかしながら、綱吉がその中でも仲良くなれたのはたった数人。最初の映画で共演したリオウ、キラ、シンジ、ワタルくらいだ。綱吉とワタルを除いた三人は、出身国はばらばらだったが、日本人の血が混じっていたり、幼少時に日本に住んでいたことがあったりして共通の話題や趣味なども合った。同じ学校に入って授業を受けるうち、自然と仲間同士一緒になることが多かった。
 五人とも外に行って肌を焼いて女の子をナンパするよりも、室内にいて本を読んだりゲームをしたり映画を見たりするほうが好きだった。行動力や興味は人一倍強くても、周囲にそれを必要以上に誇示することがなく、威張り散らすような人間でなかった上、彼らは共通して努力家だった。温厚でもあった。
 綱吉がしばらく日本で活動することを決めたことを応援してくれたのはこの友人たちだけだったが、それでもいいと思えた。どうせまた戻って来るんだろ、と笑って宿舎の門まで見送った友人たち。ダメツナと呼ばれ、小学校では友人がいなかった綱吉も心を許せる友人が出来たことだけは、アメリカに行ってよかったと思える数少ない出来事だ。彼らとは今でも月に一回は電話し合っている。
 十六歳のときに日本に戻ってから、約一年半。その間も役者として映画に出演したり、舞台やドラマなどに顔を出したりして、自分の可能性を綱吉は探してきた。
順風満帆な日々だが、綱吉は最近あまり調子が良くなかった。本人ですら、ちょっと変だなあ、くらいにしか思っていなかった。今にして思えば、スランプだったのかもしれない。
 綱吉は日本の芸能界で、なかなか仲のいい友人を作ることが出来ないでいた。どうしても自分の名前にあやかろうとして寄って来る人間は直感的に分かったし、共演者は年配の人が多くて話の糸口が掴めない。しばらく海外にいて、最近の話題がまったくよくわからないのも原因だったが、本来あまり積極的に人に話しかけるほうでもなかった。
 だから、初めて話した後輩の少女に誘われたときも、本当は断るつもりだったのだ。それがうまい具合に転がって、芸能界とは関わりのない骸や千種、犬に出会って彼らとくだらないことを話し、遊び、綱吉はホッとした。
付き人に渋い顔をされても、綱吉は頑として彼らと会うことを止めなかった。あまりにもしつこく彼らと会いたいと言っているうち、ものすごく不本意な顔をしたスクアーロも、しぶしぶながら了承した。
 自分に必要なのは、経験ではなく休息だったのだと綱吉は気づいた。
 肩の力を抜いて会話が出来る友人が出来て、今まででは考えられないくらい長い休みも取ることができ、綱吉は嬉しかった。今もマスコミは綱吉を追うが、アメリカほど酷くはない。そう思ったら、多少のことには動じなくなった。何事も程度問題だ。



「あっれー? ツナびょんツナびょん! これって凪じゃねー? あいつ、なんでこんなん撮られてんだ?」
「あ……ほんとだ。サングラスしてるけど、凪ちゃんだ。相手は、よくわかんないけど」
 床にうつ伏せになって週刊誌をパラ読みしていた犬が素っ頓狂な声を上げて、テレビを見ていた綱吉に雑誌を見せる。ふわふわとした手触りの、お気に入りのクッションを抱えながら、ソファの上で胡坐をかいていた綱吉は記事を見て目を丸くした。暗がりであまり鮮明に写ってはいないが、肩まで伸ばした髪を結い上げ、大きなサングラスで目元を隠しているのは見知った少女だった。
 隣には、こちらも目深に帽子を被った男の姿がある。凪のマネージャーとはよく会うが、こうして写っている人とは会った事がない。マネージャーではなく、何か他の共演者だろうか。
「これ、骸さん知ってっかな……」
「な、なんとも言えない」
 骸と千種は綱吉がマンションに訪れたときにすれ違いになってしまった。どうしても外せない用事が出来たとかで、腹立たしそうに眉を吊り上げる骸に苦笑しつつ、なんとか宥めて送り出した。
「骸さん、凪には甘ぇーから。こいつ死刑確定だな」
「怖いこというなよ……。骸ならやりかねない、とかちょっと思ったんだけど。それに、こんなのまったくのデマかもしれないしさ」
 ページの見出しには、でかでかと『新人女優N深夜の密会!? お相手は今流行の芸人P』なんて書かれている。馬鹿馬鹿しくて記事を読む気もしない。綱吉は雑誌を犬に返した。
「火のないところになんとかってゆーっしょ」
「その火を適当にでっち上げるのがこの世界の怖いところなんだって」
 へえ、と綱吉に見せていた雑誌をまた手にとって、仰向けになりながら犬は相槌を打った。ぱらぱらとまたページを捲り始める。
「なかなかメンドーなんら、芸能人っつーのも。もっとラクなモンかと思ってたけど」
「まあ、オレも入るまではそう思ってたけどね。まいにち稽古ばっかりだし、忙しいし、プライベートなんか無いに近いし、色んなこと体験したり勉強しなきゃないし。日々の積み重ねを怠るとすぐ追い越されるしさ。めんどうだよ」
「うげぇ〜〜。そんなのオレにはムリ」
 指折り数えながら言う綱吉に顔を顰める。
「オレもあまり、自分で合ってるとは思わないけど……。でも、今さら学校通いなおして会社勤めってのもなんだかなあ。想像つかない」
「だったら骸さんにトツいじゃえばいーじゃん。骸さんもハッピーで、ツナびょんもハッピー。仕事しなくても一生食ってけるし」
「はあっ!? ないない、それはない!」
 犬の一言にぎょっとして、綱吉は目を見開く。その表情を見て犬は不思議そうにしながら、両手で頭を組む。
「なんで? 骸さんってかっけーし、すんげー強ぇーし、金持ってるしさ、おまえには優しいしー」
「たしかにそうなのかもしれないけど……。骸さん、どう見ても男じゃん」
「だからぁー、ツナびょんがトツぐんっしょ。むしろそれしか想像できねーびょん」
「いや、あのですね。男と男じゃそもそも結婚できな」
「骸さんにできねーことなんてないって。法律なんかそこらへんのゴミみたいな認識らっつーの」
「それはさすがにマズイんじゃないかなぁあああ!? っていうか、凪ちゃんの話してたんじゃないの!?」
「あ、そうらっけ? あー、骸さんが帰ってきたら凪のこと言わないと。言わないとどやされるしぃー、ちょっとシスコン入っちゃってるから」
「もう帰っていますよ、犬。凪がどうしたって?」
 いつの間に帰ってきたのか、骸は千種を後ろに従えて微笑んでいる。綱吉も犬も、いつ骸が帰ってきたのか分からなかったが、骸の機嫌が壮絶に悪いことに気づいて青くなる。後ろで立っている千種が、ご愁傷様とでも言うように二人から顔を逸らした。犬なんておもいっきり口を引きつらせている。
「随分おもしろそうな話をしていましたね。僕にも聞かせてもらえませんか?」
 つかつかと硬直している二人のところに行き、骸は寝そべっていた犬を踏みつけながら雑誌を取り上げる。
「イデデっ! むくろさん! 痛いびょん!」
「あー、なんか床から変な声が。まあどうでもいいですね」
 ひでぇー! と喚く犬を無視し、記事を見つけたのか骸が手を止める。目を眇めて記事を無言で見る骸に、綱吉は声も出ない。
「凪がねぇ……。こんなブサイクに興味があるとは思えませんけど。だとしたら僕がどうするって?」
「へ? だってむくろさん、いつもあいつに寄って来るヤツら半殺し」
 ぐりぐりと犬の背中を踏みつけながら、雑誌から顔を上げる。やれやれ、といった風采に犬と千種は言葉も出ない。事実、凪に近寄る男はすでにこの世からいなくなっていることを知っていた二人なので、骸の変化に戸惑う。
 ただ、それを知らない綱吉だけがわけもわからず混乱する。骸は綱吉を見下ろして微笑んだ。
「骸は、凪ちゃんがその人と付き合っててもいいの?」
「ええ。兄として妹の幸せを喜ぶことは当然のことだと思っています。少し年が離れている気がしますが、凪が選んだ人なら僕は応援しますよ」
「骸って、いいお兄さんなんだな。反対しないんだ」
 胡散臭い笑顔にがたがたと震える犬と千種を鋭く睨みつけて、感心して目を輝かせた綱吉にゆっくりと頷いた。踏みつけていた背中から足をどかし、綱吉の隣に座る。急いで床から這い上がる犬のことなど構いもせず、骸は哀愁を混ぜた声で綱吉に囁いた。
「それでも、兄離れする妹を寂しく思う気持ちはあるんですよ。親もいない、二人っきりの兄妹ですし」
「そうだよねぇ。凪ちゃんみたいに可愛くてすごくいい子だと、尚更そうだとおもうよ。オレは兄妹がいないからよくわかんないけど」
「そうなんです。僕もねぇ、いつか嫁いで行ってしまう妹のことを考えると、相手がすごく憎たらしくも思うんですよ。ずっと可愛がってきたわけですから……。そのことを考えると、もう一人くらい弟がいてもよかったなって」
そう話を続ける二人だったが、いつの間にか千種と犬がいなくなっていることに綱吉は気づいていない。
「あー……、女の子だとどうしても結婚して、家出ていっちゃうもんな。でも、骸さんも将来は結婚するんだから、しょうがないんじゃないかなあ。寂しいのもわかるけど」
「僕は結婚なんてしません」
 はあ、とため息を吐いて項垂れる骸の肩を、ぽんぽんと励ますように綱吉が叩く。たまにとんでもない行動をする骸だが、こうしていじけた様に口を尖らせている姿を見ると、やっぱり凪ちゃんの兄なんだとなぁ、と実感して励ましたくなる。図体も態度もデカイが、弟がいたらこんな感じだろうか。小生意気な感じとか、本当にそれらしくて、綱吉は思わず笑ってしまう。
「なに笑ってるんですか?」
「いや、骸もけっこうかわいートコあるなぁと思ってさ」
「酷いですね。僕が感傷すら覚えない人非人だとでも思っていたんですか? 綱吉くんってたまに僕のことを誤解してますよね」
「はいはいごめんごめん」
「まったく心がこもっていません。いいですけど、別に」
 本格的に拗ねる態勢になった骸に苦笑して、骸の頭を撫でる。見た目に反して、触るとくしゃりとして柔らかい髪の感触。撫でられるまま、骸が横目で綱吉を見る。
「綱吉くんって、付き合っている人はいるんですか?」
「はあ? なんで」
「凪みたいに、知らないトコから知りたくないんですよ。もしいるなら本人から聞いたほうがまだマシでしょう?」
「……言ったらどうせ、バカにされるから言わねー」
「ってことはいないんですね。よかったよかった」
「るっさい! お前だって彼女いないくせに! オレだってなあ、仕事とか忙しくなきゃ彼女くらい……!」
 怒って髪をぐしゃぐしゃにする綱吉の手首を取って、骸が意地悪く笑っている。にやにやと笑うその顔がすごく憎たらしい。顔が整っている分だけ腹が立つ綱吉である。
「でもいないんですよねー。まあ僕もいないから、お互いさまってやつですか」
「……なんか、言ってて空しくなってきたよちくしょう!」
 すっかりむくれてそっぽを向いた綱吉の腕を取って、骸は強引に自分のほうに引き寄せる。なんだなんだ!? と、慌てる綱吉の体をすっぽりと抱きしめて、満足そうに笑う。
「なんかお前って、たまにほんとに手のかかる子供だよな」
 ため息を吐いて抱擁を受け入れた綱吉は、するりと胴体に回った腕を呆れたように叩いた。背もたれのように骸に寄りかかると、機嫌よく「そうですか?」と問われて思わず吹き出してしまった。ほんとに手のかかるお子様だ。
「子供は子供で、色々考えているんですけどね」
 すっかり機嫌を浮上させた綱吉に、骸は聞こえないくらいの小さな声で囁いて、笑った。









>>続く