およそ三ヶ月、ドラマの撮影は続いた。スケジュールにはびっしりと予定が組まれており、うまく息抜きをしないと目が回ってしまう。
 凪のおかげで骸や犬、千種たちと知り合ってから、綱吉は息抜きの方法を覚えた。スケジュールのすべてを任せている付き人は、鬼のように仕事を取ってくるのでなかなか空きが無いが、それでも暇を見つけてはちょくちょく彼らと遊んだりする。売り出し中の凪がいないときも多々あるが、年が近いということもあって、四人はわりと仲良くやっていた。
 無口だが、作曲したりする傍ら、有名なゲームなどの音楽を即興で聞かせてくれる千種とは話が合うし、色々な遊び場所やゲームセンターなどに連れて行ってくれる犬とゲーム対決するのも楽しい。UFOキャッチャーで大量にお菓子を取ったときなんかすごく盛り上がった。骸とは演劇の話をしたり、お芝居や映画などに一緒に行ったりする。知識が豊富で、小難しいことも簡単に説明してくれるのですごく頼りになる。斜にかまえた発言に度肝を抜かれることも多々あるが、それすら楽しく思える。
 四人で集まると、それぞればらばらなことをしていても誰も文句を言わないので、綱吉にはその空間がなんだかとても居心地がよく感じるのだった。
「九州、北海道の次は都内に戻ってラジオとテレビで番宣。殺人的なスケジュールだぁあ……。一日で日本横断っておかしいよ」
「文句言ってる暇があったらさっさと着替えろ゛ぉぉお!! 足を動かせぇええ!! 六時にはスタジオ入りしなきゃねぇ゛―んだぞ!」
 生放送の番組宣伝が終わり、息つく暇もなくテレビ局を後にする。タクシーに乗り込み、空港に向かう車内で飛行機雲を眺めながらぼやいていた綱吉はついに怒り出した。寝不足によるせいで怒りやすくなっている。
「睡眠時間三時間なんだぞ! 二日で三時間! 横暴だ! スクアーロの長髪! アホ!」
「こっちだって徹夜だばかやろ゛ぉ! それに長髪を馬鹿にするんじゃね゛ぇえ!!」
「この仕事終わったらしばらく休むぞー!! もう睡眠時間削らせねぇ! 無理無理無理っ!! 我慢の限界!」
 うわぁああ!と頭を押さえながら喚く綱吉の口を、スクアーロが手のひらで塞ぐ。バックミラー越しの運転手の視線が辛い。
 なんでオレがこんな目で見られなきゃね゛ぇんだ! と、スクアーロは血管を浮き上がらせつつ、癇癪を起こしている綱吉を宥めるようになんどか頷いた。
「わかったわかった! 終わったら死ぬほど寝かせてやる゛! だから少し黙ってろぉ!」
「ふが! ふがごごんご(約束だからな)!!」
「あ゛あ゛!」
 結局、空港に着くまでそのやり取りを繰り返し、疲れ果てた綱吉が口を閉ざしたのにホッとした時だった。
「あ……おみやげ買うの忘れた!」
「おいっ!? どこ行くんだぁ!?」
「友達におみやげ買ってくるーー!」
「なあ゛ぁああっ!?」
 スクアーロが二人分まとめて搭乗の手続きをしようとしたその時、綱吉は思い出したように顔を青くさせた。荷物を置いて走り出した綱吉の背中を、呆気にとられたように見送ってしまう。我に返ったスクアーロが、怒鳴った。
「おまえ……財布持ってねーだろぉがぁあ!!!」
 綺麗に化粧を施したグランドホステスの視線が背中に突き刺さる。スクアーロは寛大に舌打ちして、両肩に担いだ荷物をものともせず全力で綱吉を追いかけた。


「この後九時から放送の、『パインスカッシュランデヴー』を、みなさんぜひお楽しみに〜〜! 今日のゲストは、主演の沢田綱吉さんと、ヒロインの笹川京子さんでした〜!! ありがとうございました〜〜!」
 生放送らしく、華やかな女性キャスターの紹介とともに画面に映る綱吉を見て、凪は心配そうに眉を顰めた。
「せんぱい大丈夫かな。すごく疲れてるみたい」
「今日だけで日本列島を駆け回ったんですから。しょうがないと言えばしょうがないですよ」
「骸だって心配してるくせに」
 クッションを抱えてソファに座り込み、先程からずっと綱吉の出ているチャンネルに合わせていた凪は、ぱらぱらと雑誌を捲っていた骸を横目で睨んだ。
「自覚はありますが、君に言われたくないですよ、凪。それに僕はいつだって彼には優しいつもりですが?」
「笹川京子に嫉妬してるくせに。そうやって涼しい顔するの、骸らしい。意地っ張り」
 骸は雑誌に視線を落としたまま肩を竦めた。
「自分でも狭量だという自覚はありますが、別に嫉妬しているわけではないです。それを言うなら君のほうでしょう? 別に、彼女は取るに足らない存在ですから」
 骸の指摘に頬を染めた凪は、持っていたクッションを骸に投げつけた。顔を横に逸らすことでそれ避けて、組んだ手のひらに顎を乗せた骸は意地悪く凪に笑う。
「せっかく綱吉くんに近づけるようにお膳立てしてあげたんですから、笹川京子くらい、さっさと伸し上がって踏みつけるくらいしてみたらどうですか? それくらいの根性はあると思っていましたが」
「せんぱいと仲良くなれたのは私のおかげだよ。骸が一緒の事務所に入れてくれたって言うなら、私だってせんぱいと仲良くできるように骸に紹介してあげた。フィフティーフィフティーじゃない。偉そうに言わないで」
「君も。あまり僕と彼の邪魔をすると容赦しませんよ」
 むっとしたように唇を尖らせた凪に、骸は冷ややかな視線を送る。お互いの間にバチバチと雷が落ちているような二人をこっそり見ながら、犬は鳥肌の立つ腕を摩った。リビングの扉の前で、こっそり中を窺っていた。
「……骸さん、実の妹なのに容赦ねーびょん」
「だから、だろ。……まだ夕飯にはできそうにないな」
「あいつのドラマが始まるまで後一時間もあのままかよー。オレ腹減ったのに!」
 キッチンで立ったまま鍋の様子を見ている千種に犬が嘆いた。つまみ食いをしようとして、すでに三度千種に殴られている。ぎゅるるる、と鳴る犬の腹の虫の音を聞きながら、千種は困ったようにため息を吐いた。
「冷めると美味しくないのにな……」
 コトコトと音を立てる鍋を見ながらよだれを垂らしている犬が、はたして一時間も我慢できるだろうかと考えて、千種は首を振った。紺色のエプロンを外して、冷え切ったリビングに向かう。その後ろに犬が続く。空腹のまま良い匂いのするキッチンに留まるのは辛いらしい。
「柿ピーって、ときどき勇者だよな。いつもはオタク眼鏡っぽいけど」
「よけいなお世話だ」
 リビングに行くと、冷え切った空間にテレビの音が虚しく響いている。骸と凪はお互いを視界に入れないようにしながらも、テレビの前から動こうとしない。
「骸様、食事が出来ました」
「おや? もうそんな時間ですか」
 骸は凪が座っている一人がけのソファではなく、大量のクッションを置いているソファに身を預けながら千種を見上げて首を傾げた。それに頷いて、千種は尋ねる。
「もう準備してよろしいですか?」
「ええ」
 すでに見終わった雑誌をテーブルの上に放り、骸が立ち上がる。その瞬間、骸のズボンのポケットに入っていた携帯電話のバイブが着信を告げた。無言で携帯電話を手に取り、画面を開く。差出人はついさっきまで画面の向こうで笑っていた綱吉だった。
『title 頼まれてたおみやげちゃんと買った! あした持ってく』
 よほど時間がないのか、タイトル欄にそれだけ書かれたその文字を骸は見つめた。慌しくメールを打つ綱吉の姿を思い浮かべ、骸は口元を緩めた。すばやく返信する。
「誰から? 沢田せんぱい?」
 急に雰囲気の柔らかくなった骸を見上げ、凪は不思議そうに首を傾げた。立ち上がったままの骸を見上げる格好だ。凪はすでにマネージャーと食事を済ませていたので、夕食には参加しない。
「さあ……? そういえば凪、明日から二日間留守でしたよね?」
「うん。仕事で香港だけど……どうして」
「いえいえ。よかったじゃないですか、楽しんできてください」
 携帯電話をしまい、凪の返事に機嫌良さそうに骸はリビングを後にした。
 なんとなく浮かれた感じの、滅多に見ることの出来ない珍しい骸の姿にぽかんとする。なんとなく嫌な感じがする。凪はソファの上に足を引き寄せて、膝の上に顎を乗せながらテレビに視線を移した。
 人を痛めつけることに関係すること以外で、あんなふうに笑う骸を見たことがなかった。凪は小さく眉を寄せる。
「変なの……」
 綱吉がわざわざ家にお土産を届けにきたことを凪が知るのは、それから三日後のことだった。











>>続く