共演者全員で台詞を通す本読みがあるまで、あまり時間がない。仕事の間や家に帰った後に台本を読みながら、綱吉はいつ頃からギターを教えてもらおうかを考えていた。あれ以来、仕事が終わった後の外出は制限されている。綱吉自身、深夜や朝方に仕事が終わることがよくあるため、特に出かけたい所もないのであまり文句も言わずに従っていた。 しかしそれではいつになっても練習が出来ない。綱吉は困っていた。ロケが入れば家にはもちろん、撮影現場から離れることが出来なくなる。 「そろそろ連絡してみるか。今は学校行ってるだろうから、メールでいいよな」 大体の日時をメールに打ち込んで送信する。スクアーロにばれないように、楽屋から出て行ったところを狙う。付き人として傍にいる彼の本来の役割は綱吉の護衛なので、本当はこんな騙すようなことをするべきではないと判ってはいるが、綱吉もまだまだ遊びたい盛りの少年だ。 メールを送信し終わった画面に、茶色い犬の待ち受けが現れる。小さい頃からずっと飼っている、愛犬のジャッキーだ。ここのところ仕事が立て込んでいて、しばらく会っていない。携帯電話を閉じて、綱吉は机に寝そべった。 「ねむい、マジで眠い。キツイ。これから美容院とかめんどくさい。家かえりたい〜〜」 ブルブルと着信を告げるバイブレーションに、綱吉は寝そべったまま携帯電話に手を伸ばした。画面を開く。送信者は六道骸だ。 用件は一言、「わかりました」という言葉とともに、集合場所の確認だけの簡素なメールだった。それに短く返事を打って、綱吉は携帯電話を手放した。 「明後日までに、せめてチューニングくらいはしておくかな」 深夜、家に帰ってさっそくギターを手に格闘を始める。夜も遅いのであまり派手に鳴らすことはしないが、借りている部屋は完全防音になっているので多少の音ならば問題はない。綱吉はスクアーロに買ってきてもらった、初心者用の本を見ながらギターを弄る。スタイリッシュなデザインのエレクトリックギターは、ボディ部分が夜空を模したような深い藍色で一目惚れした一品だ。特性などを特に意識せず見た目で選んだ綱吉は、熱心にギターのことを話す店員に捕まっていたスクアーロを引っ張ってきて、これにすると言ったのだった。 音符の読み方、リズムの取り方など、他にも学ぶことは沢山ある。綱吉は別に熱心な教育ママに育てられたわけでもなく、興味も無かったので特に習い事としてピアノやヴァイオリンをやってきたわけではないので、絶対音感というものがない。仕方がないので相対音感を身に着けなさいと言われ、勉強している途中だったのだが。 「あきたー。もう無理。ムリムリムリ! 全然わかんね!」 抱えていたギターを、ラグを敷いた床に置いて、綱吉はソファに横になった。壁にかけられたアナログの時計の針は、すでに二時半を過ぎている。帰ってきてまだ風呂にも入っていないことに気づき、綱吉はしばらくぼうっとした後ソファから立ち上がった。 骸と無事合流した後、綱吉は骸に誘われるまま、とあるスタジオに連れて行かれた。繁華街を少し外れた、あまり治安が良いとは言えないような場所だったが、骸は気にする様子もなくおっかなびっくり辺りを窺う綱吉の背中を押した。 「ここ?」 スタジオは綱吉がよく稽古で使うような広さだった。完全防音のためか、窓はない。骸は背負っていたギターケースからエレクトリックギターを取り出しながら頷いた。 室内は、なぜか中央にソファが置かれてあり、その他にはガラステーブルや譜面台、ドラム類などがある。アンプやエフェクター、メトロノームなども複数あって、綱吉は物珍しそうに室内を眺めた。 「よくわからないけど、こういうとこって結構簡単に借りられるの?」 「ええ。広さと時間によって値段は違いますが、予約入れれば借りられるところが多いと思いますけど」 「そうなんだ。あ、お金いくらかかった? 払うよ」 「いいですよ別に」 「そんなこと言うなってば。遠慮しなくていいよ。せめてそれくらいはさせてよ」 ポケットから財布を取り出しても、骸は決して値段を言おうとしない。 「僕も知り合いから借りているだけですから。遠慮とかそういうことじゃなくて、本当に必要ないんですよ」 「でもなぁ。そうは言ってもさ、その知り合いにお礼するときにでも使えばいいじゃん」 「お礼?」 驚いたように瞬きをする骸に、首をかしげながらも頷いた。お世話になった人に何か品を送るのは、すでに綱吉の中で常識になっていた。芸能界で過ごすうちにいつの間にか身についていた。 財布から紙幣を数枚抜き取り、綱吉は骸に近づいて差し出す。生活費の中から出すので、結構痛い出費だがしょうがない。 「はい。足りるかわかんないけど、今はこれで勘弁して」 「必要ないです」 「いいから! こういうのはちゃんとしとくべきなんだよ。世話になるし」 骸は押し付けられた紙幣を睨みつけ、押し切るように言った綱吉の言葉につまらなそう顔をして無造作にポケットへ捻じ込んだ。はあ、とため息を吐く骸に知らん振りをする。お金を払って文句を言われたのは初めてだ。 「千種たちが来るまでまだ時間がありますから。始めちゃいましょう」 「う、うん。お願いします」 「こちらこそ」 畏まって綱吉がそう言うと、真似をするように骸も軽くお辞儀をして見せた。 部屋の中央にあるソファに座り、自分の持っているギターを持ったまま軽く顎をしゃくって、立ったままの綱吉を隣に座らせた。 骸はまず綱吉でも弾ける、簡単な曲を弾かせ、綱吉がどの程度の実力があるのか確認するように聞き耳を立てていた。そして綱吉が何に疑問に思っているのかを聞き、それに答えていく。 骸は、見た目は派手で近寄りづらいが、綱吉の初歩過ぎる質問にも馬鹿にすることなく丁寧に教えてくれるし、指が疲れたらさりげなく休憩を入れてくれた。人は見た目がすべてじゃないんだ、と綱吉は少し感動した。 「それ、痛くないですか」 「ああ、これ? すっげー痛いけど、誰でも経験するんじゃないの?」 綱吉はピックを使わず、指で弦を押さえるので、指が赤く腫れてしまっている。俳優として、自分の体を傷つけるようなことはあまり褒められたものではない。骸は少し眉を寄せ、綱吉に尋ねた。 「ピックは持っていないんですか? 無いなら僕のをあげますよ」 「うん。買うの忘れてて……っていうか、必要なのかわからなかったから」 「まあ、なくても弾けることは弾けますけど……。君の場合、使ったほうが良さそうだ。手に傷がつく」 小さい貝殻のような、三角形をしたピックを一枚骸から手渡される。節くれだったところの無い、長く白い指だ。ごつごつしたところがまだない少年の手のひらが、自分のものより大きい。これならラクに弦を押さえられるだろうな、と綱吉は羨ましく思った。 「使い方はわかりますか? ついでだから、教えますよ」 「ありがとう! すげー助かる!」 ギターをやっているとは思えない骸の手がピックを持ち、弦を鳴らす。綱吉も見よう見真似で同じように弾いて見るが、いまいち合っているのか不安だった。骸を見上げる。 「大丈夫、合っています。慣れたら指で弾くより楽になりますよ」 骸は綱吉の視線の意図を察し、笑みを浮かべた。ほっと息を吐き、綱吉は確かめるように何度かピックを使う。骸はテーブルに置いていたペットボトルの水に口をつける。 「収録で使う曲はどんなものなんですか。誰かのカバーですか? オリジナル?」 「一応オリジナルってことになってる。そのドラマのテーマ曲を使うことになってるんだけど、誰だったかなぁ。えーと、黒川……花だっけ? 最近出始めたシンガーソングライターの。その新曲使うんだって」 「へえ。楽譜は手に入るんですか」 「どうなのかな。頼めば大丈夫だと思うけど。本当は弾く振りとか、やるとしてもサビの部分だけとかだから。まあ、頼めば用意してもらえると思う」 「じゃあその楽譜が手に入ったら言ってください。教えるほうが曲を知らなければ困りますから」 綱吉は鳴らしていた指を止め、骸の質問に天井を見上げながら思い浮かべる。ギターを太腿に置いて抱いたまま背もたれに背中を沈めると、知らずあくびが漏れる。そのまま頷いた。ひどく眠そうな綱吉の姿を見て骸が苦笑した。 「疲れていますね。少し寝ますか? 別に今日だけってわけじゃないですし」 「いや、へいき。大丈夫」 「綱吉くんねぇ。そう見えないから言ってるんですよ。わかります? そんな白い顔して言っても説得力無いんですけど。ちゃんと睡眠時間とって無いでしょう」 「う……、痛いトコつくなあ。たしかにあんま寝てないけど。そんな酷い?」 呆れたような骸の指摘に、綱吉は自分の顔を触ってみる。肌荒れなどは特にないが、睡眠を取れていないことが分かるような顔をしているのだろうか。疑問に思っていると、骸の手によって前髪をかき上げられた。 「少し隈になっていますよ。鏡見ていないんですか?」 「あ、あんまり……」 「君って芸能人なんでしょう? そんなテキトーでいいんですか」 「オレはそんなに気にしなくても問題ないんだよ。アイドル路線で売ってるわけじゃないし」 あまり意識していなかったが、こうも整った顔立ちの少年に間近でじっと見下ろされるのは、なかなか居心地が悪いものだ。自然とうろうろと目線を彷徨わせる綱吉などお構いなく、骸はうっすらと隈になった場所を親指で撫でる。そのまま綱吉の両目を手のひらで覆い、自分の体に引き寄せるように仰向けに倒した。 「寝なさい。こんな調子でやっても頭に入るか疑問ですから」 「さりげなく命令口調だよな、おまえって……。これじゃギター落ちちゃうって!」 「はいはい」 真っ暗で視界が利かない綱吉だったが、抱えていたギターを奪われたのをきっかけに諦めたように力を抜く。ここ最近、あまりよく眠れていないのは事実だった。 抵抗する気がないのを知ると、骸は綱吉から手を離した。骸の太腿に頭を乗せられているような格好だ。見上げる先に顔がある。 「骸ってさぁ、それコンタクト?」 「違いますよ。生まれつき、まあ右は色々事情がありますけど。気になりますか?」 「うー、まあ。……赤いほう、なんか字が浮かんでるぞ。痛くないの?」 「ほう……。見えるんですか」 「あ〜、あ? うん、見えるけど。……ごめん、やっぱりねむい……」 骸は興を惹かれたように綱吉の顔を見下ろした。オッドアイが探るように綱吉の今にも閉じられそうな瞳を見つめた。 あくびをかみ殺す綱吉の髪を梳きながら、クスクス笑って囁く。 「やはり君はおもしろい。思った以上の人ですよ、君は。僕を楽しませてくれる」 骸は寝入った綱吉を見下ろした後、ソファの横に置いていた鞄から数枚の紙と黒い万年筆を取り出した。しばらくペンを走らせた後、骸は紙に落としていた視線を上げた。 それと同時にスタジオの扉が重い音を立てながら開いた。 「あっれー? ツナヨシ寝ちゃってやんの! お子様はこれだからダメなんらよ」 「遅かったですね、二人とも」 「はあ……。犬が財布落として、その辺の奴から巻き上げるのに時間かかりました」 「! 柿ピーただ見てただけだろ!」 「うるさいですよ。犬。綱吉くんが起きてしまうじゃないですか」 千種に向かって吠える犬を視線で黙らせながら、骸は手にしていた紙の束を鞄にしまう。 「まあ、なかなか楽しめましたから。二人には感謝していますよ」 「さっすが骸さん! もう落としたんれすか?」 「下世話なことは言わないでください。僕がそれしか考えてないみたいじゃないですか。心外ですね」 「犬はちょっと、脳みそ軽いから仕方ないです」 にこりと微笑んで犬を凍らせた骸を宥めるように、まったくフォローになっていないことを千種が呟く。 「それもそうですね」と、さらりと酷い内容に同意する骸に犬が抗議するように唸るが、言葉にはしない。骸の機嫌を損ねると、ろくなことにならないことを知っているからだった。 「嬉しそうですね」 「わかりますか?」 「ええ」 珍しく綻んだ表情を見て、千種は眼鏡を押し上げながら骸に尋ねた。あまり突っ込んだことを聞きたくはないが、聞かないと後でうるさそうなので仕方なくのことだ。 「この子、僕の右目の紋が見えるらしいですよ」 「まさか、ボンゴレの……?」 「血縁者で間違いないでしょうね」 さっと、顔色を変えた千種を面白そうに見やり、骸は綱吉の横顔を見下ろした。まだ少年らしさの抜けない、あどけない寝顔をさらす頬に触れる。一つ上とは思えない幼い表情。 「ツナびょんがボンゴレ? へぇ〜、結構身近にいるもんですね。どうするんれすか?」 「そうですねぇ。特に何もするつもりは無いですよ。今のところはね」 「よっぽど気に入ったんですね」 綱吉の寝顔を覗き込むように窺った犬に否定する。それに驚いたように眼鏡をずり上げる千種に肩を竦め、骸はソファに背中を預けた。天井を見上げ、瞼を伏せた。首を縦に振る。 「欲しいものは何でも手に入れる。それが僕の答えですよ」 >>続く |